第十二章その1 作家とファン
あんなに暑かった夏が過ぎ去り、山から吹く風にも冷たさが伴うようになる。
そして裏庭の柿の実も色付き始めた10月、我が家にははるばる遠方からのお客さんが訪ねてきていた。
「かわいいですね!」
目を輝かせながらムササビ親子の巣箱を覗き込むのは、黒髪に眼鏡の美女……そう、菫坂祷先生だ。
「すっかり人にも慣れてますんで、機嫌が良ければ撫でさせてくれますよ」
「あ、ほんとだ! ふかふかですね」
後ろから見ていた俺が伝えるや否や、先生は手を伸ばして木屑の上でくつろぐムササビにそっと触れた。理知的な見た目に反して、興味あることはとりあえず実行してみるタイプのようだ。
現在刊行している小説の3巻までの原稿を書き終えた菫坂先生は、続きのネタ集めのため東京から長浜まで取材旅行に来ていた。今回は長浜を拠点に2週間ほど滞在し、田舎の空気をより深く感じたいという。
ちなみに先月発売された菫坂先生の2巻は、またしてもレーベルの売り上げを塗り替えてしまった。相乗効果で既刊も書店から姿を消し、急遽増刷がなされているという。本当、俺が飯食えてるのはこの人のおかげだよ。夜は東京に足向けて眠れないな。
「えへへ、おーよしよし」
もう巣立ちも近いのだろう、親とほぼ同じ大きさになった子ムササビを先生はなでなでする。ああ、ムササビになりてぇ。
だがその時、バリッと何かをへし折ったような音がどこからともなく聞こえ、俺も先生も「ん?」と動きを止める。
「ん、何の音ですか?」
「あー、たぶんどっかでカラスがクルミ落として割ったんじゃないですかねぇ」
「へえ、そうなんだ。賢いですね、カラスって」
嘘八百。その音の正体は目の前にいます。
縁側の床に片肘をついて寝っ転がりながら、硬いお煎餅を食べているJK、もとい幽霊。裏庭の巣箱を覗く俺たちをじっと見つめながら煎餅を折る天花ちゃんだ。
普段は家庭的で良い子な天花ちゃんだが、菫坂先生のことはどうしても気に入らないようで、さっきからずっと俺をからかうように存在を主張してくるのだ。しかし幸運のためかそれとも菫坂先生が存外鈍いためか、今のところは気付かれていない。
(男って単純)
そして時折タブレットの画面をちらちらと向ける。うるさい黙ってろ。
「大八木せんせーい」
突如、表から俺を呼ぶ声が聞こえる。この声は久野瀬さん一人娘、美里ちゃんだ。
裏庭から表に回ると、玄関の前に学校のジャージを着た美里ちゃんが自転車にまたがっていた。
「頼んでいたブドウ、持ってきました」
美里ちゃんはそう言いながらくいっと後ろに指を差す。その指の先、自転車の荷台には段ボール箱がくくりつけられていた。
「ありがとう! ええと、いくらだったかな?」
俺はポケットから財布を取り出し、必要なお札を数えた。
彼女が持ってきたのは今が旬のブドウだ。というのも久野瀬さんの職場に家でブドウを育てている兼業農家の方がいて、以前久野瀬さんを通じて注文していたのだ。それを今日、午前の部活が終わった美里ちゃんが持ってきてくれたのだろう。
「はい、たしかに」
お代を受け取った美里ちゃんは持っていた封筒にお金を放り込むと、荷紐を外し段ボールをそっと俺に手渡した。
想像以上にずっしりと重い。スーパーで買うよりだいぶ安いと聞いていたので試しに注文してみたが、これは風呂上がりに食べるのが楽しみだ。
「先生、次はどんな仕事が入ってるんですか?」
不意に美里ちゃんが尋ねる。
「うーん、まあラノベの仕事ってところかな。それ以上はちょっと言えないよ」
「新刊出る日付決まったら教えてくださいね。サイン頼みに押しかけ……ん?」
楽しそうに話す美里ちゃんの視線が俺から逸れる。彼女の視線を追うと、裏庭から回ってきた菫坂先生がちょっと気まずそうにこちらに顔を向けていたのだった。
「どちらさん? もしかして先生のフィアンセですか?」
大人びて見える美里ちゃんもやはり中学生らしい部分は残しているようだ。思いっきり悪い顔で茶化す。
「違うよ!」
冷やかしと分かっていても、大人げなく反論してしまう俺。それを見ていた菫坂先生はふふっと失笑した。
「先生ってばムキになっちゃって。でもまあ、パートナーではありますね」
菫坂先生の一言に、俺と美里ちゃんは固まった。いや、むしろ俺の方が「でぇ!?」て変な驚き方しちゃったよ。
「お仕事の」
そして付け加える菫坂先生。俺はほっと胸をなでおろした。本当、この人もからかうの好きだなぁ。
だが最後の補足を聞いて、美里ちゃんの方は声にもならぬ声を上げて驚いていた。
「え、お仕事のパートナー……え、それって……あの、もしかして」
うまく呂律が回っていない。興奮して思考に舌が追いついていないようだ。
「もしかして、菫坂祷先生ですか!?」
顔を赤く、額に汗を浮かべながらなんとか尋ねる。
「はい、私の名前を知っているなんて嬉しいわ」
にこりと微笑むと、菫坂先生は答えた。
「や、やっぱり!」
この時の美里ちゃんの喜びようと言ったら、今にも跳ねまわって田んぼの中に突っ込んでいきそうな勢いだった。『放浪記』なら舞台の上ででんぐり返しをしているところだ。
「デビューの頃からずっと読んでます! 新作ももちろん、発売日に買いました!」
いつの間にか先生の前まで駆け寄り、ぐいっと顔を近づける。身長の高い美里ちゃんに尊敬の眼差しを向けられると威圧感があるように感じるかもしれないが、先生は少しも嫌な貌は見せず「ありがとう」と丁寧に答えていた。
俺がイラストレーターの八幡創だと初めて知った時以上の感激っぷり。ちょっと悔しいが、まあ天才ヒットメーカーと中堅イラストレーターだと勝負にならんわな。
ちなみに今年の天女祭の舞台で舞う姿を、菫坂先生が客席から見ていたことについては、美里ちゃんはまだ知らない。




