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第八章その4 にわきの法則

 翌日も、仕事帰りの久野瀬さんが草刈機をかけにうちに来てくれた。しかも今日は奥さんと美里ちゃんもいっしょだ。


 旦那さんが草刈りをしている間、俺は奥さんのレクチャーを受けながら花壇を作っていた。鍬で土を掘り返して耕し、昨日ホームセンターで買ったブロックを埋めて境界を定める。最後にコスモスの種を蒔いて土をかぶせ、これで完成だ。


「芽が出てきたら、小さいのは間引いてね。残すのは3本に1本でいいわ」


 畳2枚分の大きさはあろうに、花壇はあっという間に完成した。とりあえず半分はコスモスが生えてくるはずなので、もう半分は時期をずらして別の花を植えることにしよう。


「ここは生垣で日陰になるから、ニチニチソウかインパチェンスを植えたらおもしろくなりそうね」


 花壇以外の箇所を見回す奥さんの目の色はいつもと変わっていた。このままだと我が家の庭が久野瀬家に実効支配されてしまいそうだ。


「おーい、できたよー」


 美里ちゃんの声に大人たちが振り返る。見ると縁側に美里ちゃんと天花ちゃんのふたりが大きなボウルを持って立っていた。


 少し遅めのお昼ご飯だ。メニューは庭に釘付けのお母さんに代わり、美里ちゃんと天花ちゃんとで作ったそうめんだ。


 しかし座敷に入った途端、俺は卓上のそうめんを見て俺はひとり「ええ!?」と驚きの声を上げた。どういうことだ、そうめんがボウルに張った氷水に、沈められた状態で出されている。


「え、これって普通じゃないの?」


 久野瀬一家ついでに天花ちゃんの4人が互いにきょとんと視線を交わす。ここでは俺の方がマイノリティだった。俺だって30年生きてきたけど、そうめんはざるそばと同じように空気にさらして出されるタイプしか見たことなかったよ。


 自分の目を疑ったのは、具についても同じだ。錦糸卵やキュウリの細切りはまだわかるが、トマトやハムまで入れるのは初めて見た。しかもこれ、麺つゆにつけていっしょに食べるんだぜ? ほとんど冷やし中華じゃないか。


 情報社会と呼ばれる現代日本、東西文化の隔たりはまだまだ健在のようだ。


「これで9月にはコスモスが咲きますよ」


 つゆにトマトを浸しながら、奥さんが話す。


「生垣も雑草をだいぶ処理しました。目隠しのイヌツゲも元気ですよ」


 旦那さんも麺をちゅるちゅるとすすりながら加わる。


 イヌツゲというのは生垣によく使われる、葉が小さく密集した低木のことだ。雑草が伸びていたおかげで見向きもしなかったが、表側の生垣にはそれが植えられていたらしい。


「大変助かりました。うちの庭が見違えるようです」


 俺はつゆで浸したハムを口に放り込んだ。お、意外と美味いな。


「あとは裏庭ですね」


 そう言って旦那さんが外を見ると、部屋にいた全員が同じ方向を向いた。


 裏庭は表の比にならないほどひどい。


 お婆さんがひとり暮らしの頃から半分放置されていたのか、表側よりも背の高い草がみっちりと群生しており、ほとんどススキ野原だ。十五夜には困らないが、民家としての見た目はかなり悪い。


 そんなススキ原の向こう側、他所の田んぼとの境目付近にはいくつか樹木が並んでいる。あのあたりがこの家の土地の境界と聞いているが、草の壁に阻まれているためにあそこまで行ったことは無い。


「農家にとって庭は作業場なので、広く平らなスペースを確保しています。ですが裕福な家には日本庭園もありますから、もしかしたら石灯篭とか埋もれているかもしれませんよ」


 旦那さんが話すが、正直そんなもの出てきても困る。


「天花ちゃん、この家の裏ってどんな感じだったの?」


 俺は隣で錦糸卵と麺をからめていた天花ちゃんに尋ねた。訊かれて彼女はすぐにメモに書き起こす。


(ずっと広くて何も無かった。ちょっと詳しくは思い出せない)


 どうやら記憶が戻ったと言っても完全ではないようだ。何かきっかけとなるトリガーが必要なのだろう。


 だが数秒して、彼女は追加で書き足す。


(そうだ、(かき)の木があった)


「柿の木?」


「あれのことですかね?」


 久野瀬さんが裏庭の片隅を指差す。そこには我が家の屋根よりも高い一本の樹木が立っていた。だが根本はススキなど背の高い雑草で覆われているため、どことなく息苦しそうだ。


「じゃあ今年も柿の実が?」


 俺はつい色めき立った。自分の家で果物ができるなんて、マンション暮らしでは考えられないだけになんだか嬉しい。


「どうかしら。柿の木は100年以上生きる長寿な木ですけど、収穫できるとなれば大目に見ても50年くらいが限界って聞いてるし」


「それは農家として栽培する場合じゃないのか? 品種によったら実もつけると思うぞ」


 しかし久野瀬さん夫婦の会話を聞いて、そううまくはいかないかと肩を落とす。天花ちゃんの亡くなる前から植えられていたとしたら、軽く樹齢60年は超えている。あまり意識したこと無かったが、木も相当なお爺さんになっているわけだ。


 昼食後は美里ちゃんと天花ちゃんも加わって、いよいよ裏庭の除草作業に移った。


 旦那さんの草刈り機により、高く伸びたススキたちもなすすべなく次々と倒される。なんだかちょっと寂しいな。


 俺も鎌で作業に加わるが、パワフルな草刈機や手慣れた奥さんと比べれば、いてもいなくてもどーでもいいレベルの差だ。


 ちなみに刈り倒した草はとりあえずまとめて庭の隅に積み重ねておく。昔は家庭で燃やしていたそうだが、今は可燃ごみとして出さなくてはならない。例外的に田畑の草を刈って現地で燃やす場合は認められているが、それでも草を乾燥させて白煙が出ないようにするなど、しっかりした対策が必要になる。


 裏庭は表よりもだいぶ広い。表には花を植えるのだから、こっちは家庭菜園に特化してトマトやナスを植えようかな?


「あら?」


 作業の最中、奥さんが手を止めた。とりあえず庭の草を刈りながらまっすぐに進んでいると、田んぼとの境界付近に植えられている一本の木とぶち当たった時のことだ。


「これ、キンモクセイじゃない?」


 奥さんの声に俺は「へ?」と顔を上げる。


「よく見分けられますね」


 そろそろ疲れがたまってきたのか、皆も作業の手を休めて木の周りに集まる。我が家の屋根と同じくらいの高さまで成長したその木は、たしかにキンモクセイらしく色の濃い小判型の葉が、高い密度で集まっていた。


「うちにも植えてあるから葉の形でわかるわ。ほら、もうすぐしたら枝と枝の間に花の芽が出てくるわよ」


 話ながら奥さんは新しく伸びた細い枝の分かれ目を指差す。


 キンモクセイは秋の木になる花の代表格だ。オレンジ色の小さな可愛らしい花を一斉に咲かせるその姿は、素朴でありながら鮮やかだ。そして何よりも匂いが良い。離れていても鼻に届く甘い香りは、視覚だけでなく嗅覚でも秋が深まったことを感じさせる。俺も通っていた小学校の校庭に植えられていたのをよく覚えている。


 天花ちゃんも目と鼻の先まで木に近付き、根元から先端まで木全体を眺める。キンモクセイが好きなのだろうか?


 しかし天花ちゃんは突如セーラー服のポケットからメモを取り出すと、すさまじい勢いで綴り始めたのだった。


(思い出したの、その木は私が生まれた時に両親が植えてくれたの)


 そして見せてくれた文面に、俺と久野瀬一家は「ええ?」と驚いた。まさかこの雑草に埋もれてしまっていた木が誕生日の記念樹だったなんて。


 子どもの誕生を祝って、庭に木を植えるのは珍しいことではない。その際には誕生日の頃に花を咲かせる種類を選ぶことが多いだろう。ということは天花ちゃんの誕生日は、9月か10月なのかな?


(苗木の頃は腰より低かったって聞いてた。まだ残ってたのに驚いている)


 天花ちゃんが続きを書き加える。そうか、記念樹ということはこの木は天花ちゃんと同い年なのか。何十年もの間天花ちゃんの代わりに、この家をずっと裏庭から見守ってくれていたわけだ。


 つまりこの木は天花ちゃんにとって思い入れある特別な木だ。裏庭を畑にするにしても、このキンモクセイはずっとここに残しておきたいな。


 そう思い、俺は葉っぱの一枚に手を触れる。まさにその直後のことだった。


「いったぁ!」


 突如指先にほとばしる激痛を感じ、俺は指を引っ込めた。瞬間的に最大出力のスタンガンを喰らったような、全身の神経まで回るようなたまらない痛みに情けない絶叫を上げてしまい、美里ちゃんも「先生!?」と手で口を押さえた。


「あら、イラガがついてる!」


 何事かと木を注意深く見ていた奥さんが目を丸くした。


「イラガ?」


「これよ」


 奥さんが指先でそっと葉をひっくり返す。そこにいたのは小指の先よりも小さく、それでいて鮮やかな緑色と青色の色彩にタワシのような無数の突起を生やした毛虫だった。いかにも触ったら痛そうな、見た目だけでヤバい奴だ。


「ガの幼虫よ。刺された時の痛さはスズメバチ並みって言われてるの」


「大八木さん、こいつ毒持ってます! 早く水で流して!」


 解説する奥さんをよそに、旦那さんが慌てて俺を家の中に連れて行く。


 せっかくしみじみと決意をしていたところだったのに、なんつー初見殺しだ。やっぱ虫、滅ぶべし!

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