第七章その3 一族の絆
「どういう……ことですか?」
思わぬ展開に混乱してしまいそうだった。あの部屋は田之上さんの小さい頃には開かずの間になっていたはずなのに?
「あの部屋が私の子供の頃から閉ざされていたのは確かです。しかし本当に私が小さい時、一度だけ入ったような気がするのです。勘違いだと思っていたのですが、中の様子を聞いてふと思い出しまして」
つまり天花ちゃんの死後すぐに、あの部屋が封印されたというわけではないのか!
「どんな子だったか、覚えています?」
「色白で、髪はショートヘアでした。たしかセーラー服を着ていたような」
外見は天花ちゃんの特徴と一致していた。
腕を組んで記憶をたどる田之上さんをよそに隣に目を移すと、天花ちゃんがまさかそんなと面食らったように唖然としていた。どうやら彼女も覚えていないようだ。
「もしかして、あれが?」
田之上さんが何かに気付いたようにぼそっと漏らし、広げた家系図に目を落とす。その視線は、天花ちゃんの名前に向けられていた。
「その女の子について、どう感じられましたか?」
俺がさらに尋ねると、田之上さんはゆっくりと顔を上げる。
「昔の記憶ですので、はっきりとは覚えていません。ですが怖いとはまったく思いませんでした。とても可愛がってくれた気がします」
その顔は晴れ晴れとして澄み切っていた。長年のわだかまりがようやく解けたように、にこりと微笑む。
ちょうどその時だった。玄関のドアがガチャリと開く音が聞こえ、同時に快活な女性の声が家に響く。
「お父さん、お母さーん!」
「娘が帰ってきたみたいですね。近くに住んでいるのでよく遊びに来るんですよ、孫を連れて」
田之上さんは苦笑いを浮かべて席を立つと、玄関に続くドアを開けた。
「梨恵、今お客さんが来ているんだ。母さんは出かけているから、リビングで待っていなさい」
「あ、そうなの? て、こら!」
田之上さんが開けたドアの隙間から、小さな影が応接間にだっと滑り込む。
入ってきたのは小さな子供だった。まだ2歳にもなっていないくらいの、たどたどしくも小走りで駆け回る男の子だ。
「おいおい龍也、お客さんがいるんだぞ」
田之上さんが叱りつけるものの、その声は猫を撫でている時のようでしまりがなかった。目に入れても痛くないお孫さんなのだろう。
かわいらしい赤ちゃんの登場に天花ちゃんもにかっと笑顔を見せる。考えてみれば彼女にとっては甥の孫、つまり曾姪孫に当たる子だ。可愛くないわけがない。
そんな赤ちゃんがぴたりと立ち止まったのは、俺の腰掛ける二人掛けのソファの脇。
しかしその眼は明らかに俺ではなく、隣の天花ちゃんの座る位置に向けられていた。
「……へ?」
俺は硬直し、何度も赤ちゃんと天花ちゃんの間で視線を往復させた。間違いない、赤ちゃんはまっすぐに天花ちゃんの顔を見つめ返している。
天花ちゃんは細く白い手を伸ばし、赤ちゃんの頭をそっと撫でる。それに応えてか、達也くんも無邪気な笑顔を見せてくれた。
「……あれ?」
ドアの傍に立っていた田之上さんが目を擦り、孫と誰もいないはずのソファに目を向けて固まる。
「すみませーん。こら、お客さんに迷惑かけないの!」
遅れて応接間に入ってきた娘さんが赤ちゃんを抱きかかえた。せっかくのふれあいを打ち切られた天花ちゃんは、すこぶる残念そうに眼を細める。
「梨恵、大八木さんだよ。余呉の家を買ってくださった方だ」
田之上さんが話すと、娘の梨恵さんは「え、そうだったの?」と嬉しそうな顔を見せた。
「初めまして、あの家を買ってくださってありがとうございます。この前買い手が見つかったと祖母に話したら、すごく喜んでいましたよ」
話しぶりから察するに、娘さんはあの家で暮らしたことはないようだ。まさか今さっき大叔母の霊から息子を取り上げた、なんて気付いてもいないだろうな。
「それは良かったです。では、私はここらへんで失礼します」
俺はそう言ってソファから腰を上げた。せっかくの家族水入らずの時間、俺みたいな部外者がいるのは興ざめだろう。
「そんな、もう少しゆっくりしてくださっても」
「いえ、帰るのにもだいぶ時間がかかりますので」
電車だけでも2時間半はきついよなぁ。夕食は帰りにどこかで済ませようかな?
応接間を出て玄関で靴を履く。背中をを見送ってくれるのは田之上さんと娘の梨恵さん、そして孫の龍也くんだ。
「田之上さん」
玄関ドアを出る間際、俺は振り返り口を開いた。
「是非お孫さんも連れて遊びにきてください。あの家はいつまでも皆さんの家ですから」
田之上さんは一瞬驚いたような顔を浮かべた。だがすぐににこりと微笑みを浮かべると、頷いて返した。
「はい、もちろんです」




