第七章その1 家族を探して
「え、梅子さんについて?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔を向けるのは、町内会長の室田さんだ。集会所で祭りに向けての定期集会が終わって一段落したところ、俺は声をかけていた。
天花ちゃんのことを知っているであろう1年前まで家に住んでいたお婆さんは、おそらく義姉だ。
名前は田之上梅子さん。天花ちゃんが亡くなった年の春に9歳年上の兄である大介さんと結婚したばかりで、天花ちゃんとも3ヶ月ほど同じ屋根の下で暮らしていたらしい。その人なら他のご家族がどうなったか、あの部屋が封印された経緯についても把握しているはずだ。
「はい、あの家がどんな歴史を辿ってきたのか調べたくなりまして。作家の先生にも是非調べてくれって頼まれているんですよ」
もっともらしく取り繕う。そりゃあ幽霊の家族を探しています、なんて正直に言って信じてくれる人がもしいたら、俺はその人の方を心配するわな。
とりあえず納得してくれた様子の室田さんだが、すぐに「うーん」と腕を組んで考え込む。
「梅子さんならどこかの介護施設に入ってるって聞いたけど……おい、梅子さんのいるとこって知ってるか?」
頭をかきながらご近所さんに尋ねる。だが彼らも頭を傾けるばかりだった。
「どこだったかなぁ、息子が連れて行ったのは覚えてるんだが」
「足腰だいぶ弱ってたし、旦那さんが亡くなってからはほとんど外に出てなかったしな」
旦那さんというのは天花ちゃんのお兄さんのことだろう。不動産屋からもお婆さんが10年ほど一人暮らしをしていたと聞いているので、かなり前に旦那さんに先立たれているようだ。
そんな話題を耳にはさんだのか、通りがかりの男性が会話に混じる。
「梅子さんは知らないけど、息子の方なら連絡とれるぞ」
「本当に!?」
俺は色めき立って声を裏返らせた。話しかけてきたのは短髪に色眼鏡という強面のおじさん。一見するとあっち系の人と勘違いしてしまいそうだ。
「ああ、あいつと俺は中学までいっしょだったからよ。よかったら連絡とってやろうか?」
「はい、是非!」
これは何たる幸運か。ありがとう、強面のおじさん!
後日、息子さんは神戸で暮らしていることが判明した。大学卒業後、神戸市内の商社に就職し、それからずっと全国を転々としてきたらしい。現在は会社でもかなり上の役職に就いているそうだ。
「天花ちゃんにとっては甥っ子だね」
JR琵琶湖線の車窓側の席に腰かけた俺は、隣に座った天花ちゃんに話しかける。発車してからというもの、天花ちゃんは始終黙って俯いていた。会いたいとも会いたくないとも、どちらともとれる面持ちだ。
今朝までは「会えるなら会ってみたい」と筆談で答えてくれたのだが、いざ実際に顔を合わせるとなると怖くなってきたのだろう。
何よりも知らない方が良かったと後悔するかもしれない。60年もの間自分が家族にどう扱われてきたのかを、果たして彼女は受け止め切れるだろうか。
思いつめる天花ちゃんの顔を見ているとこっちまで胸が痛くなってくる。俺は車窓に目を移し、流れゆく鈴鹿の山々を目で追った。
目的地はJR神戸線の六甲道駅。到着までは新快速に乗っても余呉駅から2時間30分ほどかかる。
そういえばこうやって電車に揺られるのも久しぶりな気がする。東京では仕事の打ち合わせやら買い物やらで頻繁に地下鉄や環状線を利用していたのに、引っ越してからはもっぱら自動車での移動になっていた。こっちではお店や役場に駐車場があるのは当たり前だけれども、都会じゃ駐車スペースを探すだけでも大変だし、あったとしても駐車料金がバカにならない。若者の車離れと叫ばれるのも致し方ないのではと思ってしまう。
ちなみに乗車時、うっかり切符を大人2枚買ってしまい、駅員さんに返金してもらったのはここだけの秘密だ。
「ふうふう、失礼します」
途中の駅で乗ってきたのは不摂生を極めた相撲取りのような体格の男性だった。そんなに暑くないのにもう大量の汗をかいている。
車内の通路は男性にとってギリギリ通過できる程度の広さしかなく、時折突き出たお腹が通路側に座るお客さんに触れるので「すみません」と申し訳なさそうに頭を下げる。
そんなご立派な体格の男性は、まっすぐ俺の方に向かって歩いてきていた。
そうか、彼には天花ちゃんの姿が見えていないんだ。だから俺の隣の席は空席で、誰も座っていないように見えるわけだ。
自分の推理にああなるほど、と感心している場合ではなかった。男性の巨体が二人掛けの席のすぐ隣でぴたりと立ち止まると、彼は躊躇せずその分厚い腹を座席の間にねじ込んだ。
ずっと俯いていた天花ちゃんも顔を上げると同時に目と口を大きく開く。もし声が出せたならこの世の終わりのような大絶叫を響かせていただろう。
「ああ!」
冗談抜きに血の気が引いた。男性が腰掛けると同時に、ズシンと座席が大きく沈むのがこっちにも伝わる。
なんということでしょう。天花ちゃんの身体は男性の大きな背中とお尻に潰され、完全に見えなくなってしまいました!
「あの、いかがされました?」
俺が変な声を出したのを不審がってか、汗だくの男性がハンカチで顔を拭きながら尋ねる。
「い、いえ、何も」
あなた今、幽霊潰しましたよなんて言えるわけがない。俺は笑顔をこわばらせながら返した。
ふと見ると男性の背中と椅子の間から天花ちゃんの手だけがわずかにはみ出し、プロレスのように何度も座席や男性の脇腹をタップしている。だが霊感の無い男性には伝わっていないのか、ふうふうと息を荒げるばかりでまるで気付かれない。
すまん天花ちゃん、しばらく耐えてくれ……。
俺は同情しつつも笑いを堪えるのに必死だった。
しかしこの肥満男性、なかなか席から離れない。既に草津、大津と主要な駅を抜け、京都まで通過してしまった。その間、天花ちゃんの手は徐々に動きを鈍らせ、しまいにはぴくりとも動かなくなってしまった。
結局この肥満男性が降りたのは余呉駅を出てから1時間半、大阪駅に到着した時だった。西日本最大のターミナル駅に到着するなり車内からどっと人が降りるのに合わせて、よっこいしょと重い腰を上げる。残されたのは陥没して変形したクッションに、光を失った目でここでないどこかを見つめる天花ちゃんだった。
「大丈夫?」
小さく声をかける。しばらくしてゆっくり首だけをこちらに向けた天花ちゃんは、虚ろな目をするばかりで否定も肯定もしない。
痛みは感じないはずなのに……天花ちゃんはすっかり干からびたようだった。彼女にとって電車での移動は危険だ。今度からはどこに行くにも車にしよう。
目的地に到着した俺は抜け殻のようになった天花ちゃんの手を引っ張って外に出る。
駅の外は北側すぐ目前まで山が迫り、その斜面に隙間なく住宅が建ち並んでいた。ここは大阪や神戸のベッドタウンとして発展した歴史があるようだ。
「ここか」
そんな閑静な住宅街の一角、坂に建てられた二階建ての一軒家を俺は見上げた。
おしゃれな真鍮製の表札には『TANOUE』と彫り込まれている。白い壁にオレンジの三角屋根は地中海沿岸部を連想させ、まるで日本ではないような佇まいだ。もちろん庭だって手入れがなされており、今の季節は赤白黄色とりどりの薔薇の花が咲き乱れている。
かなりハイソな生活を送っているようだ。言い知れない緊張に襲われつつも、俺は呼び鈴を押した。
しばらくして出てきたのは白髪の混じった細身の男性だった。年齢は50代後半といったところで、自宅にいるにもかかわらずピシッとシャツとベストを着こなしており、ナイスミドルという表現がぴったり似合う。
「初めまして、大八木と申します」
俺は門越しにぺこりと頭を下げて挨拶する。
「どうも、田之上です。遠いところからよくいらっしゃいました」
男性はそう言って穏やかに微笑み返した。




