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第六章その3 受け継がれた天女

「こう?」


 尋ねる美里ちゃんは凛とした顔で細く白い腕をすっと突き出す。その隣ではもっと手を伸ばして、と言いたげに天花ちゃんが同じようなポーズを取っていた。


 初夏の日曜日、俺の家では学校が休みの美里ちゃんは天花ちゃん直々に天女の舞のレッスンを受けていた。


 練習場は畳敷きの大広間だ。普段は床の間や客間として4つの和室が田の字型に区切られているが、襖を外せば20畳以上の広さになるのが自慢だ。昔、この地域にも今より活気があった時代は近所の住民を招いて宴会を開いたり、結婚式を執り行っていたのだろう。


 とはいえこのご時世、一人暮らしの俺が大々的にこの部屋を利用する機会は皆無に等しく、ある種宝の持ち腐れみたいなものだと思っていた。しかし大きな動きの多い舞のレッスンにはぴったりで、こういう使い方もあるのかと感心していた。……もし都会のマンションで同じ事してたら、下の階の住人に大迷惑だよな。


 ちなみに本番は美里ちゃんと天花ちゃんとで一緒に舞うらしい。天花ちゃん曰く自分の姿は他の人には見えないから大丈夫、とのことだが……見事に不安しか感じないのはどうしてだろう?


 あの夜、天花ちゃんに背中を押された美里ちゃんは天女役を引き受けることを決めた。その日の内に町内会長の室田さんに連絡を入れ、正式に決まったという。


 美里ちゃんの心変わりに一番驚いていたのはお母さんだった。しかしお父さんから事情を聞くと、安心した顔で事情を受け入れたという。


 それにしてもビデオの映像では見たが、実際に間近で舞う少女の姿を目にすると、日本舞踊の一見淡白な振り付けが実にダイナミックなものであることに気付く。指先足先にも繊細な動きを要求され、時に荒々しく跳びはねる。


 この未知の感覚を描く衝動を抑えられる俺ではなかった。座敷の隅っこに座り込んだ俺はスケッチブックを広げ、インスピレーションのままに舞うふたりの姿を描きなぐった。


「先生……やっぱちょっと恥ずかしい」


「これくらいの人の目、気にしてたらキリないよ」


 練習をじろじろ見られて困り眉の美里ちゃんに、俺は意地悪く言う。脳内のアドレナリンだかドーパミンだかが過剰分泌されているのがわかる。美里ちゃんには悪いが、創造性の活性化というか、描かなくちゃいられない性分が刺激されていた。


 一挙手一投足すべてを静止画で表現することはできないが、動きの流れは努力と工夫次第で落とし込むことができる。練習中、俺は狂ったように何枚も何枚も速写した。


「先生、そんなにたくさん描いて大変じゃないですか?」


 休憩中、冷えた麦茶を飲みながら美里ちゃんは俺のスケッチブックを覗き込んだ。


「習慣になればどうってことないよ。歯磨きといっしょ」


 俺は鉛筆を動かしながら答える。何かのためという明確な目的はなくとも、こうやって描いた経験がどこかで活用されたりするものだ。


「ごめんくださーい」


 ちょうどその時、玄関から声が聞こえた。久野瀬さんの奥さん、つまり美里ちゃんのお母さんだ。


「天女の衣装、借りてきたわよ」


 座敷に上がり込んだお母さんが持ってきた木箱から取り出したのは、祭り本番で着る衣装だった。一般的な天女のイメージである中国やインド風の衣装ではなく、神楽を舞う巫女の装束だ。質感から年季が入っているものの安っぽさは感じさせず、本物の絹が使われているのかもしれない。


 しかし特徴的なのは淡い桃色に透き通る長い長い羽衣。大きなショールのようだ。これが床を擦るように舞うのが天女の舞最大の特徴だという。


(美里ちゃんキレイ!)


 試着した美里ちゃんの立ち姿は実に様になっていた。天花ちゃんも筆談で感激を伝える。


 元々美人顔の美里ちゃんだ、中学生とは思えない大人びた雰囲気を匂わせる。ぶっちゃけて言えば年上(享年)の天花ちゃんの方が幼く見えるくらいだ。


「ありがと。でもこれ、動きづらい」


 嬉しさと困惑が入り混じった顔を浮かべる美里ちゃんに、天花ちゃんは慣れれば平気よ、とメモで答えた。


 それからもふたりのレッスンは続いた。疲れ知らずの天花ちゃんはともかく、長時間の練習にぐうの音ひとつあげない美里ちゃんはたいしたものだ。


 もちろん俺も自分の本職は忘れていない。座敷にふたりを残し仕事部屋のパソコンデスクに向かった俺は、出版社の要望に沿って特典グッズに使用するキャラのイラストに取り掛かった。




「美里ちゃん、だいぶうまくなったね」


 居間のちゃぶ台で、俺は夕飯を食べながら天花ちゃんと話していた。


 美里ちゃんが帰宅した後も仕事に打ち込んでいた俺のため、天花ちゃんは豆ごはんをこしらえてくれた。白米といっしょに炊いたえんどう豆がご飯全体に甘味を持たせ、県内産の瑞々しい米にさらなる風味を加える。


 あまりの美味しさに3杯もおかわりしてしまった。本来食が細めの俺が見せる珍しい食いっぷりに、天花ちゃんはにこにこと笑顔を向ける。


 しかしそんな天花ちゃんの屈託ない微笑みを目にすると、決まって胸にチクチクとした痛みを感じてしまう。その感触をかき消すように、俺はご飯を掻き込んだ。


 仕事に美里ちゃんの件にと忙しくなったが、その合間を見て俺は天花ちゃんのことについて調べ続けていた。しかし今のところ有力な手掛かりは得られず、前進したとは言い難い。


 唯一、先日集会で出会った74歳のお爺さんからこの家には誰が住んでいたのか聞いてみると、「田之上たのうえさん」という名前が返ってきたのが成果らしい成果だろう。しかしだいぶ昔のことなので、家族構成については覚えていないそうだ。


 田之上天花。これが天花ちゃんのフルネームだろうか?


「車一台が通るのが精いっぱいの住宅地。一家5人が小さくなって食事をとっていたあの狭いリビングも、この通り開放的な空間になりました」


 ふと耳に届いた声に、俺は思わずテレビに目を向ける。つけっぱなしにしていた住宅リフォーム番組だ。


「屋根裏スペースも有効活用し、天窓を備えた明るい子供部屋に大変身」


 小さな一戸建ての改築が今回のテーマのようだ。わざと照明の明度を落としているのかと思うほど薄暗い改築前と比べて、リフォーム後は窓も全開にされとても同じ部屋だったとは思えない。


「お洒落だねえ、最近の家は」


 土地代の高い都会の一戸建ては3階建ては当たり前で、わずかなデッドスペースもロフトや収納などに最大限利用される。一方この家は平屋で古臭いけれども、少なくともスペースで困ることは無いな。


 俺につられて、天花ちゃんもいっしょにテレビを眺めていた。だが突然、思い立ったようにメモを取り出すと急いで鉛筆で文字を書き出したのだ。


(うちにも屋根裏あるよ)


 そこに書かれていたのは、にわかには信じられない内容だった。


「本当!?」


 そんなこと不動産屋からこれっぽっちも聞いてなかったぞ。あの不動産屋、仕事かなり杜撰だな。


「天井裏じゃなくて?」


 もしかしたら天花ちゃんの勘違いかもしれない。しかし訊かれた天花ちゃんは不機嫌そうにむっと頬を膨らませた。


「どこから入るの?」


 俺はさらに尋ねた。ここに住んでもうすぐ1か月が経とうとしているが、今まで階段も梯子もそれらしい物は見たことが無い。しかし古い家だ、大切なものをしまうために隠し部屋や秘密の収納スペースがあっても不思議ではない。


(探してみてね!)


 ふふっと笑いながら天花ちゃんはメモで答えた。だがその顔からは、どうも作り物っぽさが漂っている。


「それって単に行き方忘れただけじゃ……?」


聞くなり天花ちゃんは顔をこわばらせ、ギクッと身体を震わせた。

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