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第一章その2 お気楽幽霊

「はあ、営業時間もう終わっちゃったのかよ」


 キャスター付きの椅子にもたれかかりながら、俺はスマホの画面を眺めていた。この古民家を販売した仲介業者に電話をかけてみたものの、帰ってきたのは閉店のアナウンスだった。


 仲介業者ならこの家の図面が間違っていることを知っていたはずだ。幽霊がいたことについては何とも言えないところだが、それでも何も知らなかったとは言わせない。




 閉ざされた部屋で女の子を目にしてしばらくの間、俺は何が何だか理解できずしばらくの間フリーズしていた。そして開かずの間の幽霊、この世ならざる者だとようやく結論を導き出した時、俺は腰が抜けてその場にへたり込んでしまった。人間心の底から恐怖を感じたら、声を出すことも逃げ出すこともできなくなるらしい。


 女の子はまっすぐ俺を見据え、一歩一歩とこちらに近付く。


 やめてくれ、来るな! 唇までもが震えて言葉もろくに出せず、尻もちをついてただ震えるだけの俺。


 だが少女はぺこりと一礼すると俺の身体をぴょんと飛び越え、そのまま部屋を出てしまった。


 呆気にとられたまま少女を目で追う。すると廊下を音もたてず駆け抜けた彼女は、今日荷物が運び込まれたばかりの奥座敷に嬉しそうに飛び込んでいったのだった。


 ようやく立ち上がれるようになった俺は恐る恐る奥座敷を覗き込む。目に飛び込んだのはセーラー服の少女がすでに開封されていた段ボールを興味津々といった様子でごそごそとあさっていた姿だった。そして少女は俺の持ってきた小説や漫画を取り出してぺらぺらとめくると、面白そうだと思ったのか何冊かを手元にストックとして積み上げている。


 ほっとする一方、なんだか肩透かしを食らった気分だ。いや、呪われるのを期待していたわけではないけれども。


 とりあえず、この少女は人を呪い殺すような悪霊の類とはまるで異なるらしい。俺に危害を加える気がないのなら、とりあえずは一安心といったところか。




 一向に相手の出ないスマホをオフにすると、俺は落胆とともにため息を吐く。


 なんだかとっても疲れた、ジュースでも飲んでさっぱりしよう。


 件の幽霊少女は先ほどから熱心に漫画を読んでる。今人気のバトル少年漫画だが、こういう漫画は初めてなのか血色の悪い顔色でも十分に伝わるくらいに興奮してストーリーを追っている。こんな調子ならこの部屋から動くことは無さそうだし、しばらくは放っておいても大丈夫だろう。


 俺は「よっこいしょ」と小さな掛け声とともに椅子から立ち上がると、部屋を出て台所に向かった。


 古い家だからかまどなんかが残ってるかも、なんて思ったが、台所にはちゃんとガスコンロや湯沸かし器が置かれ、俺でも不便なく使うことができるようになっている。5合炊きの炊飯器やフライパン、さらには20人前の味噌汁も作れそうな大きな鍋まで付いてきたのは嬉しい誤算だった。


 しかし台所に隣接する和室、かつては一家のくつろぐ居間であったろうその部屋に、今なお囲炉裏が残っているのは事前にわかっていても驚きを隠せなかった。覗き込んでみると白い灰が積もり、燃え残った炭の欠片が残っている。実際につい最近まで、ここで火を起こしていたのが見て取れた。


 俺は冷蔵庫を開け、500ミリリットルペットボトルのオレンジジュースを取り出す。長時間のドライブになるからとスーパーで多めに買いだめしておいた飲み物の余りだ。


 そしてキャップを外すと、台所に置かれたパイプ椅子に座り込む。昔はここも土間だったのだろう、台所は他の部屋よりも一段低くなっており、床の木材も他とは色合いが違った。


 それにしてもどうしよう、いくら陰気な俺でもさすがに幽霊のいる家で生活なんてできないぞ。


 悠々自適な田舎生活、まさかこんなトラップが仕掛けられていたなんて。


 今日何度目か、数えることも諦めていたため息とともにペットボトルを口に近付ける。


「ん?」


 ボトルを口につけるまさに直前のことだった。台所と囲炉裏のある居間の間の柱の陰から、先ほどの女の子の幽霊が頭だけを出してじっとこちらを覗き込んでいたのだ。


「どうしたの?」


 思わず声をかけるが、彼女はとっさに頭を引っ込める。が、しばらくしたらまた顔を覗かせてこちらに視線を送った。


 そして俺はようやく気付く。彼女の視線が、俺の手にするのオレンジジュースのペットボトルに向けられていることに。


「飲みたいの、これ?」


 うんうん、と頷いて答える少女。


 血みどろといえど見た目は可愛らしい女の子、おねだりされて気分の悪いものではない。


「どうぞ」


 俺はそっとペットボトル入りのジュースを差し出した。女の子はぱあっと表情を明るくさせると、俺の手からボトルを受け取る。


 うわ、幽霊にジュース手渡ししちゃったよ。そんなレア過ぎる経験にどういった感想を述べるべきか悩んでいる俺のことなど知る由もなく、少女は朝一番の牛乳でも飲み干すようにぐびぐびとペットボトルを傾ける。


 満足至極の笑顔。一体いつからこの世に留まっているのかはわからないが、ここ数年なんてレベルではない久々の潤いに目をキラキラと輝かせる。


「幽霊が食べた物って、どうなるんだろうな」


 昔見たアメリカの子供向け映画では、幽霊が食べたものは半透明の身体を貫通して床にぼとぼとと落ちて溜まっていくシーンがあったが、この子の場合はそんな様子はない。飲んだジュースは一体どこに消えていったのだろう。


 そう疑問に思っている間にも、女の子はジュースをすっかり飲み干してしまった。そして少女は丁寧なしぐさで飲み干したペットボトルを床に置くと、またまた俺に一礼してすっと居間からいなくなってしまった。たぶんまた漫画を読みに行ったのだろう。


 ああいう仕草見ると、意外とかわいいかもしれないな……と、相手は幽霊だ、俺は何を思っている。


「さて俺も……て、あれ?」


 自分もジュースを飲もうかと冷蔵庫を開けるためもう一度立ち上がった時、俺は不思議なことに気付く。


 女の子がさっき空っぽにしたはずのペットボトル、その中身のジュースがなみなみと残されている。


 おかしいな、たしかに目の前で全部飲み切ったのを見たはずなのに……。ぞぞっと肌寒いものを感じつつも、もったいないかと俺は床に置かれたジュースを手に取った。


 そして一口、ぐいっと喉に流し込む。


「ぶふう!」


 一気にジュースが口に流れ込んできた直後、俺は想定をかけ離れた事態にジュースをすべて吹き出してしまった。


 なんと、味が無くなっていた。ほのかな酸味と甘みの混じり合ったお気に入りのオレンジジュースのはずなのに、一切の味が無い。水道水でさえもう少し味があるんじゃないかと思えるほど、何の舌触りも無くただただ舌の上に液体が触れたという感触だけ。


「なんだ、これは……」


 俺は口の端からこぼれるジュースを袖で拭きながら、半分ほど余ったジュースのボトルをじっと眺めていた。


 そしてある程度の仮説にたどり着く。どうやら幽霊が飲み食いしたものは味気が抜け落ちるらしい。

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