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第四章その4 他所の喧嘩を我が家に持ち込むな!(切実)

「美里ちゃん、お母さんが代わりなさいって」


「それはできません」


 スマートフォンを差し出す俺に対し、玄関の古く黒みを帯びた床板の上に座り込んだ里美ちゃんは首を横に振った。ボストンバッグを抱えたまま根でも生えたように深く正座する彼女の姿からは、絶対にここを動くまいという意志が溢れ出ていた。


「あのー、本人出たくないって言ってるんですけど……」


「美里、大八木さんに迷惑でしょ! 早く代わりなさい!」


 奥さんが怒鳴りながらスピーカー越しに呼び掛ける。あまりにも規格外の大音量だったのでスマホにヒビでも入らないかと冷や冷やしたが、美里ちゃんは相変わらず座り込んで顔を背けたままだ。


 どうして里美ちゃんがこうなってしまったかというと、やはり天女祭が原因らしい。


 集会から帰宅した久野瀬さん夫婦は、美里ちゃんに天女祭で天女役にならないかと話しを持ちかけた。そして大方の予想通り、里美ちゃんは「無理無理!」と強く拒否した。舞踊の経験なんて無いし、たとえできても人に見せるのが恥ずかしいのは年頃の女の子ならよくあることだろう。


 奥さんはそれなら断ろうかと考えそれ以上は何も言わないでいたが、旦那さんが「でも町内のみんな困るから」「お前じゃないとできないんだ」と強くすすめてしまったのが良くなかった。


 久野瀬家として近所付き合いを大切にしたい旦那さんの気持ちもよくわかるが、その態度が美里ちゃんの反発を招いてしまい、いつの間にか父娘での言い合いに発展してしまったのだという。奥さんも久しぶりに見たほどの大喧嘩で、もう天女祭から離れて普段の不満までぶつけ合うほどだったらしい。


 母親が間に入るも既にヒートアップしたふたりを止めることはできず、自室に逃げ込んだ美里ちゃんはボストンバッグに着替えや勉強道具を詰めて窓から脱出してきたらしい。


「お母さんは美里ちゃんに天女をやってもらいたいわけじゃないよ、だから電話に出ても――」


「無理です、いくら先生からでも」


 俺は頭を抱えた。ここまでこじれてしまっては、もう互いに頑なになるばかりだった。


 これは弱った。こういう時どんな言葉をかけたらよいものか、煩わしい人間関係を避けがちな俺には狼狽することしかできない。


 それにしても他に友達の家に行くこともできただろうに、よりにもよって俺の家に逃げ込んでくるなんて。


 元々イラストに興味があったのだろう、里美ちゃんは「弟子」として俺の家に転がり込むのが算段だったのだろうが、そんなこと許せるはずがない、いや、社会的に許してもらえるはずがない。考えてもみろ、30歳独身男の家に義務教育期間の女子中学生だぞ。どう考えてもヤバい香りしかしないだろ。


 このままでは親子喧嘩が原因で、俺が社会的に死ぬんじゃないか……とため息を吐いたまさにその時、またしてもピンポーンと呼び鈴が鳴り響く。


 誰が来たのかおおよそ予想がついたのか、美里ちゃんがびくっと跳び上がる。一方、俺は玄関扉に駆け寄ってすぐさま手をかけた。


「美里、いい加減にしろ!」


 やはり来たのはお父さんだった。顔を真っ赤にした久野瀬さんの旦那さんが、俺を押しのけるようにして家に上がり込む。


 だが既に美里ちゃんは立ち上がって逃げ出していた。バッグを抱えているにもかかわらず、驚くほどの俊足で一目散に廊下を駆け抜ける。身体能力は結構高いようだ。


「コラ、待て!」


 待て、と言われて待つのが年頃の娘ではない。そして廊下を走り抜けた里美ちゃんが逃げ込んだ先は……。


「あ、そこは!」


 入っちゃダメ。そう声をかける暇は全くなかった。


 美里ちゃんがドアをバタンと閉めたのは廊下の突き当りの部屋。そう、図面には載っていない7部屋目こと、俺と幽霊が最初に出会ったあの部屋だった。


 ガチャリと内側から鍵をかける音が聞こえる。駆けつけた旦那さんがドアノブを引っ張るも、扉はびくともしなかった。


「美里、出てきなさい!」


「絶対に嫌!」


 蹴破った翌日、すぐにドアノブを取り替えてしまったのが裏目に出たか。これでは問題が大きくなってしまっただけじゃないか。


 本当に、他所の家の問題に俺まで巻き込むなよ……。


 しかしこのままでは当事者だけで解決はできそうにない。俺は一旦台所に引っ込むと、いくらか物を持って部屋の前に戻る。


「久野瀬さん」


 俺の声に反応し、娘を呼ぶのに疲れ果てた旦那さんが振り返る。


「そう強く言うばかりでは美里ちゃんも出てきません。ここは一度、お互いにクールダウンしてはいかがでしょう?」


 俺はそう言ってそっと手にしたものを見せつける。冷蔵庫でキンキンに冷えた、2本の缶ビールだった。

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