第一章その1 憧れの古民家生活……のはずだった!
俺、大八木創太が東京での生活に嫌気がさしたのは、部屋に本棚を置くスペースが無くなったと気付いた時だった。
30歳独身男性イラストレーター。こう聞くとクリエイティブな自由業というイメージもあるだろうが、実際は一日中パソコンとにらめっこしながらペンタブを走らせる地味なお仕事だ。
そして漫画や画集はもちろんのこと、動植物の図鑑や写真集なども蔵書として手元に置いておくことも多い。これらは俺にとって、仕事に必要な参考資料だ。
その日も神田の本屋街を巡った俺は、めぼしい書籍を買い込んではほくほく顔で帰宅する。そしてすでに本棚から溢れた本の数々が足の踏み入れ場もないほど積まれているのを見るなり、これは不覚だったと乾いた笑いを浮かべたのだった。
「もう置く場所ねえじゃん」
俺はこの時、1Kのアパートがもうどうしようもないくらいに物で溢れていることをようやく実感した。
「そろそろここともおさらばかな」
専門学校を卒業し、イラストレーターとして食べていけるようになってから早8年、ずっと住み続けてきた愛着あるアパートだ。名残惜しいがもういい歳だし、もっと広い家に移ってもよい頃合いだろう。
一人用のちゃぶ台に座り込んだ俺は、コンビニで買ってきた海苔弁当を広げながらテレビのスイッチを入れる。
ちょうど映し出されたのはどこかの山奥、そこに田畑を耕して暮らす中年夫婦の姿だった。
「古民家を改築して、こんな快適に暮らしているんですよ」
「いいなあ、こういう広くて開放感のある家」
白身魚のフライをかじりながらぼそりと呟く。
俺は生まれも育ちも東京だが、父方の祖父は新潟の田舎に住んでいる。それも築100年近く経っている木造の和風建築、いわゆる古民家だ。小さい頃、遊びに行った時には広い家を探検したり、近所の田んぼ道を意味もなく駆け回ったものだ。
あんな家に住めたら、どれだけ悠々自適な生活が送れるだろう。
年齢イコール彼女いない歴の俺だが、これでも大ヒットラノベのイラストを担当した実績もあって安定した収入とそれなりの蓄えもある。イラストだけで食べていけるのは同業者の中でもかなり儲かっている方なんだぞ。
さらに今はだいぶ収まったものの、小さい頃は喘息で苦労したものだ。大型トラックが通った後は決まって咳き込んでいたし、都心に出ると頻繁に体調が悪くなる。身体のことを思うと、もっと空気が綺麗で落ち着いた環境で暮らす方が良い。
仕事に関しても毎日決まった職場に出勤する必要は無い。情報通信技術の発展のおかげでクライアントと直接顔を合わさずとも仕事ができるようになったし、今の俺なら世界のどこに住もうとさほど困ることはない。
「脱サラして、人生が良い方向に変わったと思います」
充実した人生を生きていますと言いたげな夫婦の笑顔に、俺は陥落した。
気が付けば俺はネットで田舎への移住について調べていた。それも都会の喧騒からなるべく離れた、縁もゆかりも無い土地を。
「ここか」
思い立ったが吉日とは良く言ったもので、1ヶ月も経たない内に俺は古民家を購入していた。
遠く連なる新緑の山々、見渡す限りの田園風景、そして肺いっぱいまで吸い込んでしまいたくなる綺麗な空気。ここは滋賀県長浜市の外れ、余呉という地区だ。
滋賀県と言えば琵琶湖が有名だが、ここは琵琶湖から少し離れた盆地に位置する。代わりに余呉湖という小さな湖があり、穏やかな湖水をたたえている。
そんな湖にほど近い田んぼの真ん中に、我が家は建っていた。
ここ10年くらいはお婆ちゃんがひとりで暮らしていたそうだが、高齢で一人暮らしは辛くなってきたので、去年老人ホームに移ると同時にこの家と土地を売り払ったらしい。
木造築120年という東京なら文化財レベルの古さだが、ずっと人が住んできたおかげできちんと手入れと補修がされている。トイレや浴室といった水回りも新しいものが備わっていて、不便を感じることはない。家財も多くが元の家主には不要なので、洗濯機や冷蔵庫、衣装箪笥もまるまる譲り受けてしまった。
そして驚いたのはその部屋の数。平屋だと言うのに台所を含めなければ、なんと6部屋。その内4部屋は田の字型に区切られた和室で、襖を取っ払えば20畳以上の開放的な空間に変身する。まあ、ここまでの広さだと普段使うことなんか無いと思うけれども。
引っ越し業者がトラックから荷物を下ろし終える。あんなに荷物で溢れていたのに、運び込みの作業はあっという間に終わってしまった。
「ここは仕事部屋。こっちは台所と隣り合っているから、テレビとちゃぶ台を置いて居間にしよう。この和室は思い切って寝るだけに使っちゃえ!」
中学の頃から使ってきたベッドはもう処分した。畳の上で寝ることに抵抗は無かったし、それにベッドなんて置いたらせっかくの畳が傷んでしまう。
洗濯機や冷蔵庫もまだ使えると聞いて、それまで使っていた物はすべてリサイクルショップに売り払ってしまった。きっと地方から上京してきた大学生なんかが買い取ってくれるだろう。
すべての荷物を運び込んだ頃には、すでに陽は沈みかけていた。今日は7時間以上かけて東京から車を走らせてきたおかげで、だいぶ疲れがたまっている。早く休んで続きの作業は明日にしよう。
引越し業者のトラックを見送り、部屋ひとつくらいある広い土間の玄関から家に入った時だった。ふと妙な違和感を覚え、俺は足を止める。
「あれ?」
縁側に面した廊下の突き当たりに、古ぼけた木製のドアがあった。作業中は気付かなかったが、たしかに存在している。
俺は吸い寄せられるように扉の前に立ち、ドアノブに手をかける。しかしどれだけひねっても、うまく回らない。
「開かないな」
まるで内側から鍵がかけられているようだ。
位置からして物置かなとも思った。だが改めて外から回って見てみると、そこまで大きくはないものの、その部分だけぽっこりと後から改築されて付け足されたように家の一部が出っ張っている。雨戸で遮られているのでわからないが、ちゃんと窓も備え付けられているようだ。
つまりは図面に描かれていない、7部屋目がこの家には存在したのだ。
普通なら不気味だと思うところだろう。6部屋と聞いてこの古民家を購入したのに、なぜもうひとつの部屋の存在を隠していたのか。
だが俺は引っ越しのテンションでまるでそんなことは疑問にすら思わず、むしろ一部屋増えてラッキー、くらいにしか考えていなかった。
古い家だしガタも相当きているのだろう。ドアは後で直せばいいか、なんて気持ちで俺は思い切り扉を蹴破った。
金具が外れ、ドアノブが飛ぶ。勢いよく開いた戸が、蝶番を軸に壁に打ち付けられて跳ね返る。
やったぜ、としたり顔の俺。だが直後、俺は恐怖のあまり固まった。
そりゃそうだろう、長らく開かずの間になっていたであろうこの真っ暗な部屋の中に、頭から血を流した女の子がにたにたと笑いながら立っていたのだから。




