第三章その6 JCは見た
俺が桶風呂から出た後は久野瀬さん一家の番だ。4部屋ある座敷のひとつを更衣室にして、順番に桶風呂を楽しんでもらう。
そしてまず水着代わりにTシャツ&短パンというスタイルになって桶風呂に挑んだのは、一人娘の美里ちゃんだった。
「うわ、あっつ」
先ほどよりもさらに加熱されているのか、桶風呂から噴き出す蒸気はさらに勢いを増しており、顔を近づけた途端に結露と汗で湿ってしまうような状態だった。
「美里、熱かったらすぐ出てこい」
桶風呂にホースで冷水を足すお父さんに「わかった」とぶっきらぼうに言い残して、美里ちゃんは桶風呂にその身体を納める。女子としては背の高い美里ちゃんからするとだいぶ窮屈そうだ。
お父さんが外から扉を閉め、薪を抜いたり足したりしながら火の勢いを調整する。片手には常にホースが握られていた。
そして数分後、桶風呂の中からドンドンとノックする音が聞こえると、凄まじい量の湯気とともに側面の扉が開かれたのだった。
「あっつ……」
湿って肌にべったりとはりついたTシャツと短パン、そして黒髪。顔を真っ赤にした美里ちゃんが桶風呂からゆっくりと這い出ると、旦那さんはすかさずホースで冷水を娘に浴びせた。
「どうだ美里、気持ちよかったか?」
「別に……凄い熱いサウナって感じ」
お父さんからホースを奪い取った美里ちゃんは頭から冷水をかけながら素っ気なく答えた。
「じゃあ次は父さんだな。大八木さん、すみませんが火を頼みます」
旦那さんは火ばさみを俺に渡すと、縁側から俺の家に入っていった。庭には立ち尽くす俺と相変わらず水で身体を冷やす美里ちゃんのふたりだけが残されたものの、結局海パン姿の旦那さんが戻ってくるまで会話は一切なかった。
旦那さんが入浴を終えた頃、奥さんも料理の準備ができたと庭に戻ってきた。
「そうか、じゃあ母さんが風呂終わったら夕飯にしよう」
それを聞きながら縁側に座っていた美里ちゃんはため息を吐くとごろりと横になった。ブレザーに戻ってもまだ身体が火照るのか、入浴後から冷たいサイダーを飲みながらずっと眠そうな目をしている。
奥さんもTシャツに着替え、桶風呂に挑戦する。
母親が楽しそうに扉の中へと入っていくのを見届けると、美里ちゃんは「ちょっとトイレ借ります」と立ち上がり家の奥へと消えてしまった。
旦那さんが火を見て奥さんが入浴している間、俺は夕飯のセッティングをするため一旦家の中に引っ込んだ。
前の住民が残してくれた木製の大きな座卓を座敷の中央に置き、床の間に積もった埃をさっとふき取る。……せっかくだから掛け軸や生け花で飾るのも良いかもしれない。
それにしても家に大きな座敷があると、こうお客さんが大勢きたときにもくつろいでもらえるのが助かる。和室はそこに机を置けば食事ができるし、布団を敷けば寝床にもなるので活用の幅が広い。襖を取っ払えば隣の部屋とつないでひとつの大広間として使えるのも強みだ。
準備を終えて庭に戻ると、ちょうど桶風呂を出た奥さんがホースで水を浴びていた。中学生の娘がいるとは思えないくらいに若々しい顔つきに、細い身体。人の奥さんをじろじろ見るのはどうかと思うが、どうしても目がそっちに向けられてしまう。
「それにしても遅いなぁ、美里のやつ」
火の着いた薪を取り出しながら旦那さんが周囲をきょろきょろと見回す。どうやら美里ちゃんはトイレに行ったきり、まだ戻ってきていないようだ。
「迷ってることは無いと思うのですが……」
庭を見ているとどうしても奥さんに目が行ってしまうので、俺は家の奥へと顔を向けた。トイレはこの家でも奥まった場所にあるので、意外と見つけづらいけど、何分も迷うほどのものかな?
俺は様子を見に家の奥へと向かった。
「美里ちゃーん、どこだーい?」
呼びかけながら廊下を歩いていると、トイレに向かう曲がり角を越えたところで俺の行く手を阻むように誰かが立っていた。
幽霊の少女だった。彼女はそっと廊下に面した襖を指差しながら、不安そうな顔で立ち尽くしていたのだった。
閉め切られたこの襖の向こうは、仕事部屋。専業イラストレーターの俺にとってはこの家で一番長く過ごすことになるであろう部屋だ。
少女に導かれるまま、俺はそっと襖を開けて中を覗き込む。
窓の光も入らないほど壁を埋め尽くす書棚にぎっしりと詰め込まれた漫画、画集、写真集。ガラスのコレクションケースに並べられた美少女にロボットにと様々なフィギュア。そして高性能のスキャナやプリンタを搭載し、描画用と資料収集用の2つのモニターを並べたパソコン。
そんなディープなオタク趣味全開の仕事部屋の真ん中に、美里ちゃんは放心したような顔で立っていた。
「ああ、ここにいたんだ」
圧倒されて周囲のことなどかまっていられなかったのか、美里ちゃんは俺が声をかけて初めてびくっと跳び上がると、顔を真っ赤にして「す、すみません!」と慌てて頭を下げた。
「いいよいいよ」
まあ、見られたところでどうってこともないしな。それに大人びてとっつきにくい雰囲気の美里ちゃんがこうも慌てふためくのは、年相応に思えて可愛らしかった。
「あの、ここは?」
「仕事部屋だよ。俺、フリーでイラストレーターやってるんだ」
引っ越してきてから自分の職業を伝えるのは初めてのことだった。久野瀬さんにも何の仕事をしているかは教えていない。
というのもフリーのイラストレーターなんて言われても、高齢の人が多いこの地域では今一ピンと来ないだろう。特に俺のようなサブカルチャーを主戦場とする人間には、今でも良い印象を持たない人も多い。だからあまり大っぴらにする仕事ではないのだが……まあ、中学生の美里ちゃんなら大丈夫だろう。
「さあ、ご飯できたみたいだよ。食べに戻ろう」
「あの……」
部屋を出ようと背を向けた時、美里ちゃんが口をもごもごとさせながら俺を呼び止める。
「もしかして大八木さんって、『盗賊姫と時計塔の魔術師』の八幡創先生ですか?」