第二章その5 はじめてのお客さん
食後、束の間の休憩をとっていた俺と幽霊の少女はテレビで昼過ぎのワイドショーを見ていた。
少女はテレビの存在は知っているようではあった。しかし映像が映し出された途端、彼女は取り乱したように狼狽えていた。
筆談によると「色がついていて映画みたい」とのこと。どうも彼女はカラーテレビというものに馴染みがないらしい。
しかし慣れてしまえばどうってことはないようで、今ではすっかりお茶を飲みながら原稿を読むキャスターに聞き入っている。
それにしてもガスコンロにマッチで火を点けようとしたり色のついた映像を珍しがったりと、この子は一体いつ頃の時代からやって来たのだろう。もしかしたら昭和39年に東京でアジア初のオリンピックが開催されたことも知らないのではないか?
そう疑問に思っていた時、ピンポーンと呼び鈴が鳴らされる。
「すみませーん」
続いて聞こえてきたのは男の声だ。
「誰だろう?」
ガスもネットもつないでもらったはずなのに、まだ他に業者さんを呼んでいたかな?
心当たりがないまま俺は立ち上がり、玄関へと向かう。
玄関扉を開けた先に立っていたのは、見るからに夫婦といった男女だった。年齢は40歳くらいだが、ふたりとも若々しい印象を受ける。
「初めまして、近所に住む久野瀬と言います」
旦那さんが話すと同時に夫婦そろって軽くお辞儀する。
「あ、は、初めまして、大八木と申します」
どうやらご近所さんだったか。まさかこちらが挨拶する前に来てくれるなんて、思ってもいなかった。
旦那さんは見るからに体育会系といった風貌で、逞しい腕に浅黒く焼けた肌が印象的だった。歳を重ねてお腹が突き出し始めているが、それでもそこらの若者なら腕一本でぶちのめしてしまいそうな力強さがあった。
対して奥さんは華奢で、モデル雑誌の表紙にいてもおかしくないほど整った顔立ちと均整の取れた体型だった。肌も白くきめ細やかで、一見すれば隣の旦那さんと夫婦だなんて信じられなかった。
「ここに越してきてくださったとお聞きして、一度ご挨拶に伺いたいなと思っていたのですよ。まだ引っ越したばかりでお忙しいところ、ご迷惑おかけします」
旦那さんに続き、奥さんがにこやかに話す。
「いいえ、むしろこっちから行くべきところだったのに、どうもすみません」
思えば東京にいた頃は、こうやってご近所さんと話すなんてまず無かったな。隣に誰が住んでいるのかもわからなかったし、そもそも気にすらしていなかった。
「あ、ちょっと待ってください」
俺は一度座敷まで引っ込んだ。そして床の間に置かれていた紙袋から東京銘菓『ごまたまご』8個入りの箱を手に取ると、急いで玄関先まで戻る。
「どうぞ、東京のお土産です」
「あら、わざわざありがとうございます!」
昔ながらの東京土産に夫婦はすっかり表情を崩した。事前に準備しておいて本当に良かった。
「じゃあうちからも」
旦那さんが手に提げていたビニール袋を俺の目の前に差し出すと、中身を見せた。
その中には銀色の鱗におおわれた細長く美しい魚が4尾、横たわっていた。すでに腹から内臓は取り出されているが、目の輝きからまだ捌かれて間もないことが見て取れる。
「今朝釣れたイワナです、どうぞお召し上がりください」
「ええと、ありがとうございます!」
まさか引っ越してきた方が物をもらうなんてと、俺は喜び半分、戸惑い半分に差し出された魚を受け取った。
こういう川魚って結構高価じゃなかったか? 持ってきたお菓子より高いかもしれない。
それにイワナってどうやって食べるんだろう。俺、川魚とか食べたこと無いよ。
「それにしてもまだお若いのに、こんな所に越してきてくださってありがとうございます」
もらったイワナをどうしたものかと苦笑いを浮かべる俺に、奥さんはまたも頭を下げる。
「いえ仕事がフリーなもので、せっかくだから憧れていた古民家に住みたいなって。久野瀬さんはここのお生まれですか?」
「いいえ、私たちも元々ここの人間ではなくて、3年前に大阪から引っ越してきたんですよ。脱サラして、今はここで林業をやってます」
旦那さんがすかさず割り込む。
なるほど、俺にとっては移住組の先輩か。それに見るからにタフそうな身体、力仕事もなんのそのといったところだろう。
「困ったことがあったら何でも聞いてくださいね」
夫婦の優しい笑顔に、俺はつい「ありがとうございます、心強いです」と気を許してしまった。ずっとここで住んでいる人よりも、越してきた人の方が俺にとっても親しみが湧くものだ。
「あら?」
突如、奥さんが目をぱちくりと瞬きしたので、俺は「いかがされました?」と尋ねた。
「いいえ、本当いい家ですね」
しかし奥さんはふふっと微笑みを返すだけだった。
久野瀬さん夫婦と別れを告げた俺は玄関扉を閉める。
そこで振り返ると、思わず俺は気まずさに静止する。土間から上がった廊下の途中に、例の幽霊少女がお茶を載せたお盆を手に持ってばつが悪そうに立ち尽くしていたのだった。




