色香の寝床と甘蛇の移民
「リ、リリリゼッテ。わたしちょっと、颯のところに行ってくるわ」
「ああっ、どうぞっ。ボクには構わず遠慮せず……ってっ、ダッシュ速度が尋常じゃないんスけどっ⁉あれは恋のパワーかっ、それとも姫騎士の実力かっ!」
まだまだ講義には時間がある。わたしは、真っ赤になりながらそそそと自分の席を抜け出した。後ろでリゼッテが熱弁をふるっているのか、声が聞こえなくもない。
颯は、わたしが向かっているのに気が付いたのか、すぐに振り返ってくれた。
「颯!」
「水樹。来たのかよ」
「え、駄目?」
「全然いいけど」
隣借りるね、と言って、わたしは右横の椅子を引いて座った。
まずいヤバい。颯の隣とか今考えると幸せ過ぎ。
違う。今話したいのは、そんな惚気話じゃない。ちょっと気になっていたことがあったのだ。椅子の上で体を左に向け、颯と向かい合う。
「そうそう颯。今日、レーイレアは?」
颯の右、つまり今のわたしの位置に、あのにっくきレーイレアなんちゃらメリーゴーランドとかいう名前のがいないのだ!
「あぁ、レーイレアな。アイツには、ちょい疲れてな。毎日毎日女の子に付きまとわれるって言うのは、キツイなー、と。ギャルゲの主人公の女耐性の凄さが分かったっつーか」
「……レーイレアに飽きたと?」
「人聞き悪いんだよお前は」
「いて」
神妙に考えこむわたしの頭に、颯が真上から拳骨落としをしてきた。擦りながら抗議の目を向けてやれば、楽しそうに笑うもんだから、イマドキそんないい男いないんだぞ!誰かに掻っ攫われるぞ!と叫びたいくらいだよもうぅ。
なんてことを心の片隅で思いながら、わたしは恐る恐る颯に尋ねてみる。これが最も重要で大きい、最大で最難関の問題であり本題だ。
「ねぇ颯」
「ん」
「今日の夜、またパラソルで会おうよ」
「いいぞ」
え。
ここまですんなりOKすんなバカ。
よ、よよよ、夜のパラソルってさ、颯……。
わたしは、夜のパラソルの意味を教えてあげようと思ったが、即座に開きかけた口を閉じた。ここで、「やっぱり行かない」なんて言われちゃあ、ね?女のプライドってモンがあるわけ分かる?負ける訳にゃあ行かないのよ噂話に。
まぁ、その噂を信じてるってのもわたしなんだけどね。
この間、リゼッテに聞いたのだ。
『あのパラソルっ、何て名前か知ってるっスかっ?なんとっ、『色香の寝床』っつーんスよっ!そこで会うとねっ、その人同士が――ってっ、ボクの見せ場盗らないで下さいよぉっ!そっかっ、ボクが知ってることは全部ハバサワ様知ってるんスよねぇっ……おうおうっ』
正式名称がなんだ!知るか!人前で「颯、夜に『色香の寝床』に行きましょう」なんて言えるかっ!恥ずかしくて、大和撫子なわたしには出来ませんわ!
まぁ、リゼッテが伝えたいことは分かる。つまり、あれっしょ?恋が叶う!的なアレじゃん。これ、レーイレアにバレたらボロボロになるまで袋叩きにされるわな。それも颯が一発OKしたって知ったら……嫌だっ。痛いの嫌いだっ。
「でっ、どうだったんスかっ?『色香の寝床』へのお誘いは上手くいったんスかっ?」
席に帰って来た途端、ペンを並べながらこちらを向いて、何でもなさそうにリゼッテが言ってきた。途端に顔がぽってり真っ赤になる。
は、ずか、しぃ……っ!
「ぅえっ⁉な、んで知ってるのよって、そりゃああんたにはバレるわよね、バレてるわよね、覚悟済みよ、えぇ。……味方はあんたとララノラだけよ。……ありがと」
「なんスかなんスかっ!ツンデレっスかっ!ほらっ、前にハバサワ様仰ってたじゃないスかっ、ツンデレは正義だってっ!あれっ、ヤンデレでしたっけっ?」
「ツンデレもヤンデレもいいけどヤンデレはちょっと面倒くさいのよ!わたしはツンデレ派ね。……違う。何であんたと話してるとすぐに話が脱線するのかしら?」
ため息をついて、笑いながらノートもどきを開いて講義の開始を待つ。思ったより颯がバシリとOKくれちゃったので、時間はまだある。
そうだ。夢楽爽の特産品の売れ行きってどうなんだろう。気になるなぁ。リゼッテは……羽根ペンを持ってるんだよね。ん~、何か知ってたりとかしないかなぁ?
「ねぇねぇ、リゼッテ。少しばかり聞きたいことがあるのだけれど、よろしくて?」
「はいはいっ、よろしくてにございますよっ!なんスかっ、このリゼッテに聞きたいことがおありだなんて珍しいっ。何かございましたっ?」
「毎回大袈裟よねぇ、貴女。そうよ、えぇとね、夢楽爽の特産品、あるじゃない?例えば、それ」
わたしは、リゼッテの持つ羽根ペンを指さして言った。そうですねぇ、と不思議そうに見上げてくるリゼッテに、「そんなに真剣にならなくても構わないわ」と宥める。
「羽根ペンの他にも、パフェとか、マンガとか。あと、ピッツァもだっけ?夢楽爽の特産品の話よ。……売れ行きの状態知らない?」
「えっ?えっ?ボクに内部経営に踏み込めと仰るんスかっ⁉むっ、無理っスよ流石にっ!それはハバサワ様のお願いでも拒否させていただきますよっ!」
「あぁ、そうよねぇ。出身領地、どこなの?」
ハァとため息を着いて、わたしはしぶとくリゼッテに聞く。
だって、発案者が生み出した物品の売れ行きを知らないって大変なことだと思うのよね。改めて考えてみると、結構重大じゃない?
「ボクっスかっ?ボクはねっ、……なんて言ったらいいのかなぁっ」
ふと彼女を見ると、少し悲しそうな顔で前を向いている。羽根ペンを左手に持ち、顎を支えるように喉をくすぐっている。
そしてこちらを向き、微かに笑いながら、
「ボクはねハバサワ様っ、移民なんスっ」
「……い、みん……?」
耳?壊れてない。爆弾発言は日常茶飯事だ。もう慣れた。
でもこんなにこの世界に馴染んだリゼッテが、移民?
「そうっスよぉっ、ボクねっ、移民なのっ。どこから来たかっ、分かるっスかっ?あははっ、分かるわけないっスよねぇっ」
「天乃雨か、甘蛇」
「……ふぇっ?」
努めて冷静に、わたしは言葉を吐く。驚いたようにわたしを見つめ返してくるリゼッテの方は見ずに、「きっと甘蛇ね」と言い切った。
「二年前の出来事だって、忘れてないわよ」
「二年前に何があったのかボクは知りませんけどっ……なんでっ、分かるんスか?」
ふふ、と色っぽく笑って見せれば、リゼッテはごくりと唾を飲み込む。ゆっくり解説をしようと思ったが、講義がそろそろ始まってしまう。
「解説は、講義の後よ」
わたしがそう言ってやれば、リゼッテは青ざめながら不思議そうに頷いた。
そこまで怖がらなくてもいいじゃんねぇ?逆に天乃雨からの移民のわたしと付き合ってくれてるだけ、あんたはいい子なんだよ。
そう。だってね、わたし、悪を運んでる。もうほぼ断定。不幸なことが多いのだ、基本的に。わたしの周り。
嫌だなぁ。リゼッテも、何かしら、不幸になったら。
嫌だなぁ。そうなったらずっと自分を責めちゃうよ。




