悪を背負う異世界人
……わたし、どこまで行ってもクズだ。
仲間を救えない。自分を守れない。誰かに甘えて、誰かに頼って、誰かの信頼を踏みにじる。誰かを自分の言葉で変えることだってできない。他人のことを考えられないし、自分本位で我儘。自分が思ったことをずけずけ言って、無理矢理やってもらう。決して強くもなければすぐ死にかけて、心配と迷惑ばかりかけて。死体しか生み出さなくて。良い事なんて、何も起こせなくて。良い事なんて、何も……。
あ。わたし、ホントに。
悪を背負う異世界人だ。
「ふぐっ……」
耐えきれずに出た嗚咽と呻き、そして一筋の涙。綺麗でも何ともない、自分の無力さを知って嘆く、『敗北者』のような涙。
「今更、遅いんだよ……っ」
何で今、自分の無力さを知る?何で今、自分の愚かさを感じる?
……ううん。前から知ってたんだ。昔から感じてたんだ。自分の無力さも、愚かさも。全部気が付かないふりをして、逃げていた。逃げ出さないと、正気を保てなくて。
わたしの涙は、どす黒いのではないだろうか。ちゃんと、デウムを想って泣けているのだろうか。自分に対する嘲笑、狂笑。ただそれだけが、わたしの中を埋め尽くしてはいないだろうか。わたしには、沈黙を破る勇気も、自分が正しいと言ってのける勇気も、どちらの勇気もなかった。
「ソレの死なんて憐れんでないで、ダンスパーティーの続きをしたいわ。早くおいでなさいよ、魔剣使い様方?どれだけ待ったと思っているつもり?」
「吸収という厄介な技で阻まれた技だが……亡霊たちの力が失われるじゃねぇか。どうせならそれに加えあと二三人、死者が欲しかったところだな」
「ソレ……デウムをソレだと⁉っざっけんな!テメェらよりデウムの方がずっと尊い命だ!魂だ!いとも簡単に、命の綱をぶっちぎりやがって……っ‼」
イーリンワーナの声で、現実に引き戻された。と共に、目の前に広がるおびただしい量の鮮血。
「っぐ……」
込み上げてくる嘔吐物を何とか飲み込み、わたしは目の前にすっくと立つ凛々しい怒りに燃える颯を見た。今颯は、わたしと同じように、殺意でまみれている。
「あと二三人、死者が欲しかった?もう、命は取らせない」
「理不尽だぜ、小娘。そっちの命は取らせずに、こちらの命だけ取るのかよ」
「わたしたちにとっては、殺人犯の貴女方が悪でありわたしたち正義の敵なのだけれどね」
うるさい……うるさいうるさい、
「うるせぇーっ!」
わたしの代わりに、颯が叫んでくれた。相手に対して、酷似では済まないほど、全く同じ感情を抱いて
いる人が、怒りをあらわにして、わたしが思っていることを叫んでくれる。なんて……幸せなんだろう。
「ふっ、ふふふ、ふひひふはひっ……」
思わず狂笑が込み上げて来て、口元で形になった。突然笑い出したわたしに、仲間はギョッとしたように目を見開き、じっと見つめた。
「ははふひっ、ふひっひははは……っ」
そんな中、颯だけはゆらゆらとイーリンワーナたちのところに向かって行く。
「テメェが……テメェが出した亡霊が、デウムを……デウムを殺したぁッ」
「ならば亡霊を消せばいいんじゃないかしら?」
「俺たちには何の関係もねぇな」
「テメェらのせいなんだよ!全部!全て!テメェらがいたから、こうなっちまったんだよ!テメェらがいなければ、皆……皆、生きてた!」
とまらない狂笑。颯の怒り。仲間の動揺。立ちすくむ相手。
「殺す。殺すぅぅぅゥゥゥゥッ!」
「良い雄叫びだわ、レイカの英雄」
「それが、仲間が消えた無様な英雄の犬の遠吠えってんだ」
挑発に乗った颯は、よろよろと歩きながら剣を構える。
「この命を犠牲にしてでも、俺はテメェらを――」
「駄目」
「⁉」
乾いた唇から思わず出た二言に、わたし自身が一番驚いていた。気味の悪い狂笑が消えて、ポロリと零れ落ちたのは「駄目」、ただ一言のみ。
颯の言葉に、脳が反応して、狂笑という壁を越えて、本能が叫んだ?颯は何て言った?『この命を犠牲にしてでも、俺はテメェらを――』。……この命を犠牲にしてでも?
それだ。もう、誰の命も消させない。汚させない。失わせない。そう、決めたんだ。その思いが、言葉に現れたんだ。
「水、樹……?」
「駄目。お願い、颯の命まで消えるなんて、やめて……」
力の抜けたカラカラの声で、わたしは必死に呼びかける。思わず振り返った颯の左袖をはっしと掴む。瞳から零れ落ちる颯の涙が、わたしの頬を濡らした。わたしは、颯の目を見つめて、首をゆるゆると横に振る。
「颯……」
「……思えば、この戦いが始まったのって、唐突だったな。夏端が魔物の索敵みたいなので、魔人らを見つけて、そんでお前が怒り狂って。で、死にかけて。こんな早い展開のストーリー、ゲームとか小説なら絶対ねぇよな」
「颯?」
「でも、ここは現実なんだぜ。だから、こういうことだってあり得るんだ。物語の主人公みたいな男がさ、いきなり始まった戦いで自ら命を落とすってことも、あるわけだ」
「死なないで!」
声の限り叫ぶと、胸の傷がじくじくと痛みを増してくる。でも、気にしている時間が惜しい。両方の手を使って、颯の左手をギュッと掴んだ。彼は、我儘を言う幼子を宥めるように、空いた右手でわたしの頭を軽くぽんぽんと撫でた。
「ちょっと、水樹が傷つくこと言って良いか?」
「……?」
話の繋がりが分からない。件名に颯の話を聞き取ろうと耳を傾けたわたしにとって、次の言葉は残酷以外の言葉が出なかった。
「デウムの死を笑ったお前を、俺はずっと、憎むと思う」
「――っ!」
また、掴む手が緩みそうになる。もう、離さない。でも颯は、わたしを憎んで……?
「違うの、颯!わたしはただ、わたしと同じように仲間を失ったことに対する怒りを持ってくれる人がいるのが嬉しくて――」
「それってつまり、デウムが死んで嬉しかったってことだよな」
「違う!」
「すまん、今は酷いこと言った」
そんなに簡単に謝られちゃ、こっちの肩身が狭いよ、なんて言葉は言えるはずもなく、溢れてくるのは彼に訴えるための言葉ではなく、滝のような涙だけ。
思わず伏せていた瞳を開ければ、そこには空洞のように暗く冷たい、温度が全く感じられない真っ黒な颯の瞳と目が合った。
「ごめっ、ごめんっ……わたし、デウムが死んで、苦しい。悲しい、悔しい。颯はホントに辛いよね、仲間に裏切られて、ソレが呼び出した亡霊に仲間を殺されて。だから……、わたしと同じ思いを、持ってくれてると思った。共感してくれると思った。そしたら、止められなかった。狂笑が、溢れた。それだけ、なの」
「申し訳ないけど、俺、傷ついてるから。水樹が言った通り、裏切られて、殺されて、信頼してた奴に仲間の死を笑われて。その笑いが誤解だったとしても、一回彫られた傷はなかなか埋められねぇんだよ」
「……」
これ以上ない位重苦しい沈黙が辺りに漂う。颯が目を逸らす、それがとてつもなく苦しかった。
怒りと悔しさと傷を背負う男の手から離れる、狂感と失望と嘲笑に心を彩られた女の手。
「水樹。俺さ、トドメは水樹と一緒にさしたいんだ。水樹も俺も、同じ思いをアイツらに持ってる」
「颯……⁉」
「ん、だから、それまで、回復してろ。俺の怒りを舐めるんじゃねぇぞ。穏音様なら少しは、回復できると思う」
わたしには分かる。これが、今颯が出来る精一杯の優しさだ。自分の仲間の死を狂笑で表してしまったわたしに対する、最大限の思いやり。
「ん、うん、ありがと颯。女王に頼んでみる。じゃ、いってらっしゃい」
「おぅ」
今度は意図的に離した颯の手がひらりと宙にぶら下がる。彼は、先程とは全く違う、しっかりとした足取りでイーリンワーナたちに、魔人たちに、――最大の敵に近づいて行った。
「頑張れ、颯」
わたしは、一言だけ呟くと、女王を目だけで探す。左の方を見ると、剣の血を拭う彼女を見つけた。
「女王」
「レムーテリン」
女王は、無表情でわたしに歩み寄ってくる。いつもとは違うその彼女の姿にわたしは驚きを隠せずに口を開けたまま、凝視していた。
人の死を見ても、この人が憂うことがないなんて、考えてもみなかったのだ。あんぐりと口を開けているわたしを見ても、彼女は表情を何一つ変えなかった。怖いくらい、冷静で無感情だ。
「今一人、命を失った者がいます」
「女王?どうした、の」
女王があまりにも怖すぎて、最後の方は声が掠れた。夫を想って泣く彼女の姿が脳裏に浮かぶが、今は全くその感情が読み取れない。女王は、自分と関係がない人の死でも悲しむと思っていたのに。
「ですから、わたくしたちは彼の分も生きて、殺人者を殺さねばなりません。それが、わたくしたちの最大の役目。違いますか?」
「っ、何だ、杞憂じゃんか」
彼女の心は、わたしが思っているより脆いのだろう。だから、何も考えないようにしていないと、壊れてしまうのだ。優しすぎて、弱いのだ。
思わず安堵したわたしは、自分でないものが自分に入ってくるような感覚で現実に引き戻された。
「どうなさいました、レムーテリン?」
「あ、いや、癒してくれてたんだ。助かる」
女王はわたしを癒し終えるとすぐに立ち上がって、魔剣を構えた。その姿が誰よりも凛々しく、背中がわたしに「泣く暇があるなら生きて殺しなさい」と言っているようで……。わたしは、鞘から剣を抜くと、銀色に煌く刃先を天に掲げた。鋼の鈍い光がわたしを照らす。
女王の力でもまだ完全に癒し切れていない傷口からはまだ血が流れ出ているが、気にする余裕などないのだ。
ふぅ……腰を屈めて、ターゲットにロックオン。落ち着け、羽葉澤水樹。レムーテリン。リーミルフィ。
今すべきは?
タイミングと隙を見極めて、相手を圧倒して殺すことだ。剣も魔法も、使えるだけ使う。最終的に殺せればいいのだ。もちろん、こちらの犠牲を少なく。もう誰も、殺させはしない。そう、決めたから。だから――。
今すぐ、殺しに行く。待ってろ……イーリンワーナ。




