番外編 先輩が消えすぎですわ!
眩しい朝日がわたくしの顔を照らします。ベッドから降りてサーッとカーテンを開けると、電信柱の上で小鳥が二羽、楽しそうに鳴いています。
通学バッグと携帯、それに学校の図書室で借りている本を持って、わたしは一回に降りました。お父様もお母様も既に家にはいません。代わりに、大理石でできたテーブルの上に豪華な朝食が並んでいます。わたくしは、出来るだけ優雅に早く食べて、家を出ました。
外では、お手伝いさんの鈴田さんが庭掃除をしています。同級生であり同じ図書室通いが趣味の鈴田沙良さんのお母様です。鈴田さんはわたくしを見てにこりと微笑むと、草取りを再開しました。わたくしは、すぐに学校に向かうために歩き出します。
学校までは徒歩で十分程度。とても近いため、早めにつくことが出来ます。ですが、図書室はいつも先輩であり委員長、そして部長の羽葉澤先輩とそのご友人である夏端先輩に越されてしまいます。一体何時に図書室にいらっしゃっているのでしょうか。わたくしもかなり早いのですが……。
羽葉澤先輩は尊敬すべき存在で、本に対する情熱は見習いたく思います。そう先輩に言うと彼女は、「オタクになっちゃうかもよ?あと、情熱を捧げすぎると疲れるから、調整しなね。わたしは出来ないけど」と言って、楽しそうに笑ってくれます。わたくしは、その笑顔が大好きです。
「おはようございます」
誰もクラスメイトがいない教室に入ってバッグを机の上に置くと、わたしは本を持って図書室に出かけました。どうせ今日も羽葉澤先輩たちがいるだろうと思って図書室の扉を開けようとすると、固く閉まっています。どうしたのでしょうか?もしかして今日は、お二人に勝ったのでしょうか⁉
羽葉澤先輩と夏端先輩はよくご友人である夜桜先輩を朝の図書室に誘っておられますが、夜桜先輩は早起きが苦手でいらっしゃるようでして、朝の図書室に来られることはありません。つまり、しばらくしたら三人で図書室にいらっしゃる、ということでしょうか?
わたくしは職員室で図書室の鍵を借りて、すぐに入りました。お気に入りの席で本を読み始めます。今日は先輩方がいらっしゃいませんが、きっといつものあの先輩はいらっしゃるはずです。羽葉澤先輩の先輩、高校三年生の先輩です。
運動部に入っていらして、環境整備委員会の副委員長をなさっている男子生徒の方でして、愛想は悪いようですが、わたくしを見ると少しだけ微笑んでくれます。彼も朝の図書室がお好きなようで、いつもわたくしの定位置の右斜め前に座って分厚い本を読んでいられます。羽葉澤先輩はわたくしたちの存在に気づいてはいませんが、わたくしはちゃんと彼の存在を把握しております。
ですが最近彼は、最近学校を休まれております。休む前は少し調子が悪かったようですね、図書館でも顔色が良くなかったのを鮮明に覚えております。どうやら、わたくしの両親が関わっているようなのですが……これ以上探りを入れることが出来ません。お二人のガードは固いですからね。でもお二人も、事情はよく分からないようです。
「……お?」
「榎賀先輩⁉あっ、夏端先輩でしたか」
「もー、何だよ不満そうにー」
ガラリと図書室の扉を開けて入って来たのは、男子生徒の先輩ではなく、羽葉澤先輩のご友人の夏端先輩でした。
「羽葉澤先輩はどうなさったのですか?」
「玖美玲っちは水樹教の教徒かよ。アイツは今日ね……そ、具合が悪いの。そうそう。悪いらしいんだわ」
「……嘘ですね?」
夏端先輩はやけに自分を肯定しています。こんなに分かりやすい動揺があるでしょうか。マンガの世界に行かれたらどうでしょう?面白そうですね、夏端先輩が主人公のマンガ。でも読んでいたら疲れそうですね、起承転結の転しかない物語になりそうです。
「へぁ⁉どこが嘘になるんだよ!こんなとこあたしの書いた本にねぇぞ⁉……アイツ、昨日っから様子おかしくてさ。心配してたら今日休みって。水樹アイツ、無理して笑って……大丈夫だよな……」
どうやら嘘ではないようです。これが演劇部所属である夜桜先輩ならばともかく、帰宅部の夏端先輩がここまで上手い演技ができるとは到底思えません。ですが、おかしな発言がありますね。まぁ、夏端先輩ですから指摘していたらキリがありませんのでしませんが。
「頑張って笑ってるんだけどさ、どっか寂しそうで、『勝って来るから』とか言ってさ。あたし、どうしたらいいんだろって。多分……しばらく戻って来ない」
戻ってと言うのはこの場合、学校には来れないと言うことでしょう。あぁ、わたくしの脳裏に羽葉澤先輩が苦しそうに喘ぎながら無理して笑われて「わたし、絶対にこの病に勝って見せるからね」と言ってわたくしの手を弱々しい力で握られる、そんな光景が浮かんできます。ああっ、これはこの後、亡くなってしまうパターンではないですか!
「死なないで下さい!羽葉澤先輩!」
わたくしは、この時先輩が長い年月を経て本当に生死の境目に立たされるとは思っても見ませんでした。絶対に、助かると思っていました。皆が皆、幸せに……。
「高校三年生代表、横川賢太」
「はい」
わたくしの前に座っていた横川賢太さん、わたくしと同じ図書館通いを趣味とする男子生徒が代表の言葉を述べに、マイクの前に立ちます。
「全ては、あの春、僕たちが高校一年生の入学式を迎えた日から始まりました。――」
横川さんの声が耳にすっと入って来ます。それと同時に、わたくしの瞼の裏に、走馬灯のように記憶が蘇ってきました。
高校一年生、当時一つ上の先輩だった羽葉澤先輩に憧れて日々懸命に努力を積み重ねていたら、突如として先輩がいなくなったこと。夏端先輩が不安そうに、夜桜先輩が不思議そうにしていらしたこと。二つ上の先輩だった榎賀先輩は結局あの後、わたくしの前に姿を見せてはくれなかったこと。……それを言ったら、羽葉澤先輩もそうではありませんか。
榎賀先輩も羽葉澤先輩も、わたくしは大好きでした。そのお二人が、フッと消えるようにいなくなってしまわれてわたくしは、生気をなくしました。あの時から二年の月日が経ちましたが、お二人には会えていません。どこに居らっしゃるのかもわかりません。両親に聞いても、答えてはくれません。きっと両親は、榎賀先輩の事情しか知らないと思われます。羽葉澤先輩のことを聞いても、本当に不可解そうに首を傾げられるだけです。
高校二年生。受験勉強に励む高校三年生になった先輩方に変わってわたくしが学年委員に委員長と部長を務めるようになりました。それは元々羽葉澤先輩がいらっしゃった立場です。わたくしは死に物狂いで手に入れました。榎賀先輩は無事、大学に進まれたと聞きました。その時、生きていらっしゃると分かって、本当に嬉しくて思わず泣いたのを覚えています。
高校三年生。夏端先輩も夜桜先輩も、同じ大学に進まれました。夏端先輩が大学に行くなんて思っても見ませんでした。なんと、羽葉澤先輩も一緒だというのです。わたくしは、榎賀先輩の無事を知った時と同じくらい、いえ、それよりも泣いたかもしれません。とても幸せでした。でも、会うことはできませんでした。
そして、今。わたくしはもうすぐ、この高校を卒業します。最後に、羽葉澤先輩にも榎賀先輩にも、祝ってもらいたかったです。これが最後のワガママです。
ふいに、ぷぅんと香ばしい香りが漂ってきました。そちらをバッと見ます。
「な……」
笑いながら右手を振ってわたくしを見つめ、口元には微笑を浮かべ、左手には花束を持って。裕福な騎士の格好のようなコスプレをしているようですね。でも、様になっています。相変わらず格好良い榎賀先輩の姿が一瞬でしたが、見えたような気がしました。とても、幸せです。心臓がバクバクと波打っています。
……わたくしは、彼が好きでした。そうですね。わたくしは今でも彼が好きです。わたくしは彼が消えてしまった現実から目を背けたくて、ずっと考えないようにしていたのかもしれません。堰を切ったように、涙が溢れ出てきました。今、榎賀先輩に会えてとても幸せだからでしょうか、白宇野家の人間として恥ずかしいなんて、思いません。
反対の方向から、甘い香りがわたくしを誘います。そっと見れば、わたくしの記憶にある先輩の姿とは少し変わった彼女が立っていました。目つきは睨むように少し鋭くて、口角は少しだけ上がっています。榎賀先輩と同じように、風変わりな騎士のコスプレをなさっています。ですが、わたくしと目が合うと、記憶の中の先輩のように、ほにゃっと楽しそうに笑って下さいました。
「先輩……」
腰には剣をさす鞘を付けて、ガチャガチャと音のなる鎧のようなものを着て、先輩は左手に持った本をわたくしに差し出します。わたくしは、そっと受け取ります。隣にいる生徒が不可解そうな顔をしましたが気にしません。わたくしは、頂いた本の表紙を見ました。メモが付いています。
『玖美玲。久しぶり、水樹です。卒業おめでとう。わたしもそろそろ大学二年生。玖美玲ももう卒業なんだ。早いなあ。突然消えてすまなかったと思ってる。でも、わたしはこの通り無事、生きてるから。玖美玲も頑張れ。追伸:榎賀先輩って呼んでるんだっけ?も、しっかり無事だよ。安心して大丈夫だから。水樹』
本の題名は、『何故か王様になっちゃった件について。』表紙を捲って初めの一文に目を通します。
『羽葉澤水樹は、今日も図書室で本を読んでいた。』
「うぅっ……」
瞳から更に涙が溢れ出てきます。わたくしはもう一度先輩の方を見ました。彼女は、悪戯っ子のようにニヒッと笑って、手を振りながら帰っていきました。わたくしは、以前のようにバッグに本を入れて、そっと微笑みました。
「先輩ったら、口調も目つきも変わりましたけど、中身は変わってないですわね。本、いただきます」
わたくしは、そっと言葉を零しながら、演説を終えた横川さんに拍手を送りました。彼はわたくしと目が合うと、小さくVサインを出しました。彼は今、鈴田さんと付き合っていますから、羽葉澤先輩が知ったらびっくりなさいますね。様子を想像すると、何だか笑いが込み上げてきました。
『え~っ、沙良ちゃんと賢太くん、付き合ってるの⁉ふっふ~、大人っぽくしちゃってぇ~。良いんじゃなぁ~い、先輩応援してるよ~?ぐひひ』
いや、今はこうでしょうか。
『へぇ、二人、付き合い始めたの?ん、良いんじゃないの?何だか青春してる感あるじゃん。知らないうちにかっこつけに目覚めた?ぐふふ』
でも、それより。とにかく良かったです。榎賀先輩も、羽葉澤先輩も、元気そうで、楽しそうで。難しく言えば……先輩のご無事を深く喜ぶと共に、突如として姿を眩まされたこと、深く悔しく思います、と言ったところでしょうか。そうですね、一番ふざけながら自分の気持ちを伝えるとすれば……先輩が消えすぎですわ!ですわね!




