理不尽を握りしめて
理不尽への怒りは日に日に募っていった。わたしは何もしていないのに、なぜかこんなところに閉じ込められていて、何も出来ない。ダウヴェたちがわたしに手をかざすと発生する痛みは毎日増して、攻撃方法も何個もあった。
何故わたしはこんな風にいたぶられなければならないのだろうか。血反吐が出た事なんて、数えきれないほどある。今は病気になっていて、動いたり話したりするだけで血を吐いてしまうことが多い。咳も何回も出てくる。もう、死んでるのと変わらない状態なんじゃないか……死んでいるより酷いんじゃないだろうか。でも……死ねない。
ナイテクストは?レルロッサムは?女王様にも心梨にも凛赤にも会いたい。二人は絶対たっぷり話を聞いてくれるだろうな。皆、何してるんだろ……。
はらっと一筋の涙が流れた。何日ぶりだろう、泣いたのは。多分……二年ぶりくらい。
そうだ、わたしには約束があった。心梨と凛赤と、スイジュの調査をする。でも、全然できてない。わたしの全ての始まり――スイジュ。あれがなければ、わたしはこんなことに……?
全ての元凶はスイジュだったのかもしれない。あれのせいでわたしはこんな羽目に……。
《違う》
え?
パッと頭の中に声が降りて来た。少し悲しそうで寂しそうな、明るい声。
《それは違うよ。だって、スイジュがなければ会えてない人だっているだろ?な、スイジュって何で書くか知ってるか?》
スイジュ?……スイは、水。ジュは、樹。水樹……水樹?
《そうだ。考えた事無かったろ。な?スイジュってさ、お前と同じ名前なんだ、水樹》
この世界でわたしを「水樹」と呼ぶ人はいない。「ミズキ」だ。と、いうことは……。
《待ってろよな、今から行くから》
「待て、ゴホッ、あんたは――」
わたしがそう言った瞬間、目の前に透明なスイジュが、ふわふわと浮いた状態で現れた。空間移動しているような、後ろが透けて見える、いわば幽霊のような。
「何が、起こってる?」
どこかで分かっていた。この短い監禁生活に終止符を打ち、わたしを救ってくれる人が現れることを。
スイジュのてっぺんから、赤と金色の光が降りて来て、何個もの光が見覚えのある人型を作って弾けた。
「久しぶりだな」
ニヒッと笑った親友は後ろで手を組みちょっと寂しそうに眉を下げて、わたしを見ている。
「凛子……」
「質問は受け付けないからな?今は時間がない。スイジュ、もう大丈夫。元の場所に戻っていい」
凛子が後ろを振り向いてそう言うと、スイジュがふっと空気に揉まれるようにして消えた。そして凛子は、牢の鍵に右手をかざす。バキッと軽快な音がして、鍵が壊れた。
「ったく、随分な格好じゃねぇか。手足動かねえのかよ。水樹らしくないのな」
「そんなこと言われたって……ゲホッ」
思わず血を吐いてしまった。病のせいだ。
「おまっ、病気まで持ってんのか?仕方ねぇな」
凛子は右手で手首の縄、左手で足に着く銀色の鎖に触れて壊すと、わたしに手をかざした。それに反応して、わたしの体が凛子から逃げる。
「あー、そっか。アイツらにこうやっていたぶられてたんだもんな、恐怖心はあるよな。大丈夫だ」
そう言ってわたしをふわりと抱いてくれる。その温もりに驚いて、目が真ん丸に見開いてしまった。ずっと誰かに触れていなかった。凛子が、さらにギュッとわたしを抱く。痛みも苦しみも傷も寒さも不安も、全てが消えてなくなった。
「凛子……あんた」
「ほーら、質問はなしだって言ったろ?行くぞ水樹。助けなきゃな」
「……もちろん、殺ってもいいって言うな?」
わたしが凛子を見据えながら言うと、苦笑しながら彼女は頷いた。
「ハァ……。口調も完全に変わっちまって。おまけに、水樹はただあたしを見つめてるだけだと思ってるかもしれないけど、睨んでるように見えるぜ。睨み癖でもついたのか?……分かってる、存分に殺りゃあいい。魔法紋を戻すから、左手、出してみろよ」
凛子、魔法紋の事も知ってる……。凛子が両手でわたしの左手を包み込むと、血とは違う夕焼けのような鮮やかな紅。そんな色をした複雑な魔法紋が浮かび出てきた。
「今戻したってことは、そろそろアイツの配下が水樹を探して動き回って来るぞ。助けるのと殺るの、どっちを先にする?」
「助ける」
わたしは即答した。まずは、あの二人を助けたい。わたしがそう言うと、凛子はキュッと唇を噛んでわたしを見た。
「何かまずい?」
「いや……あのな。ナイテクストさんもレルロッサムさんも……亡く、なった」
「っ……!」
死んだ……?二人が、死んだ?そんなこと、ない。絶対に、あり得ない。
「いたぶられて、獄中死だ……」
そん、な……。そんな、二人が死ぬわけない。だって、強かった。とてつもなく。
『魔法紋は全員から剥奪済みよ』
な……っ。
「行くか?」
「もちろん、行く」
凛子は、わたしの腕を取って歩き出した。ずっと左の方に行くと、右と左に続くT字路があった。左に進んでいく。
「ここだ、水樹」
わたしは、凛子が指を差している二つの牢屋に近づいた。まず手前の方に足を踏み入れる。
「ナイテクスト……ヴィートレート様……!」
傷や乾いた血、汚れだらけの肌。綺麗な色の髪は黒く汚れて、黒髪に見える。先ほどのわたしと全く同じ格好のまま、後ろにもたれかかって息絶えていた。
「うはぅあぁぁーっ――」
二年前、彼に抱かれながら泣いた時の何倍だろうか……わたしは、みっともなく泣いた。彼が生きていたら、「それで恥ずかしいなんて思うな、麗しき姫騎士。私はオムレツポテトだぞ?」なんて言って、苦笑しながらまた抱いてくれただろう。
わたしは凛子に彼の縄と鎖を解いてもらう。
「水樹、早くしないとアイツらが来る。王は埋葬しよう。先生のところにも行くだろ?」
うん、と頷いて、わたしは号泣しながら立ち上がる。隣にいるレルロッサムは、ナイテクストとは首の向いている方向が反対なだけで、同じ体勢で壁にもたれかかっていた。
「レルロッサム……先生っ!」
凛子がすぐに縄と鎖を解く。すぐにわたしは彼女に抱き着いた。冷たい。
「先生……」
凛子が二人の遺体に両手をかざすと、わたしに顎で手招きをした。わたしはそろりと近づく。
「あたしの手の上に両手を重ねろ。水樹も一緒に埋葬するだろ?」
そう言って、凛子はゆっくり上に手を動かしていった。その手に視線を合わせていると、凛子はふっと手を下ろした。その場に、二人の遺体はなかった。
「きっと、水樹を見守ってくれてるぜ。さ、あと一人。水樹、もう分かってるか?」
わたしは、少し黙ってから軽く頷いた。見当なら、ある程度付いている。
「こっちだ」
凛子は、T字路で右の方向に向かった。一番奥に連れて行く。
「ここ」
「誰⁉ゴフッ」
完全に聞き覚えのある怯えた声と、鎖がぶつかって鳴るじゃらっという音が聞こえる。
「大丈夫。安心して」
「もしかして……水樹ちゃん?」
凛子が鍵を壊してくれる。そして、彼女の手と足にまとわりついた縄と鎖も。そして、左手に彼女の魔法紋も戻してくれた。そこまで終わると、わたしはすぐに抱き着いた。
「久しぶり、心梨」
「うん、二年ぶりだね、水樹ちゃん」
甘い声と綺麗な容姿はそのままだが、着ている服は平民が着るようなボロボロの服で、頬や腕、足などには傷やこびりついた血などがある。凛子が、すぐに消してくれた。いつもフルーティーな匂いがしていた髪はパサパサで、香りもしなくなっていた。
「助けに来たんだ。凛子――わたしの友達と一緒に、殺りに行こう」
「知ってるの、凛子ちゃんのことは。口調も目つきも変わったわね、水樹ちゃん。じゃあ、殺りに行く?」
「待て、何で凛子の事を知ってる?」
わたしは元気そうに笑う心梨に思わず聞いた。だって、心梨が知っているわけがない。だって凛子は、露河の人間で――。
「凛子ちゃんもきっと事情説明はまだだと思うから、そのときに全部話すね、水樹ちゃん」
「ミズキじゃなくて、水樹って呼んでるし――」
「だから、後で全部話すって。しつこいと嫌われちゃうから。ふふっ。ほら、凛子ちゃん。案内、してくれる?」
「分かってるってば。行くぞ!」
妙に親しい凛子と心梨にわたしは着いて行った。不可解な感情と共に、得体のしれない喜びと愉しみが湧いて来る。
ついに、アイツらを殺れるんだ。理不尽から逃げるんだ!




