房雅ペン工房
わたしは今、凛子と新幹線に乗っている。目の前に座る凛子は、ポテトチップスとグミの袋を両方開けてお菓子を食べている。
そう、ペン工房に行くのだ。二つ隣の県にある、「房雅ペン工房」に向かう。
「まったく、房雅なんて珍しい名字だよね」
明日を入れて、わたしが天乃雨に居れるのは二日だ。凛子に、露河のことは伏せて、説明した方が良いかもしれない。
「あのね、凛子……」
「あっ、ねぇ水樹!あれ、何だっけ、有名な建物じゃね⁉わー、すげぇ、間近で見れた!うっひょっひょー!」
「もぉ、静かにしてよ凛子!注目集めるでしょ!迷惑なの!まったく……」
凛子は静かに興奮し続け、わたしが呼びかけたことなどすっかり忘れているようだった。仕方ない。もう一度話しかけるか。
「ねぇ、凛子。ちょっとさ……」
「んぁ、ポテチ欲しいのか?御免な、独り占めして。ほい」
凛子は勝手に解釈して、わたしに梅味のポテトチップスを一枚差し出した。
謝っといて一枚じゃない。しかも凛子が嫌いな梅味。ま、わたしは梅味、好きなんだけど。
「違うの!凛子、ちゃんと聞いてよぉ!」
「あっ、グミか?確か水樹は、グレープ味が好きだったよな。へい」
凛子は、自分の手の中でずっと温めていた紫色のグミをわたしに差し出した。
へぇ、やるじゃない。あっためて差し出す、ねぇ。良い度胸だよ。まぁ、今回は3個くれたから、次回を楽しみにしてるぜ。んなっ、違う違う、そんなんじゃない!
「景色でもポテチでもグミでもないから!わたし、明後日から消えるんだってば!」
「……は?」
一気に冷めた。頭から脂汗が浮き出てくる。すると、凛子はわたしの心配をよそに豪快に笑いだした。
「ぎゃっはっはっは!なっ、おま、何言ってんの?ついに頭狂っちまったのか?将来の社長様よぉ」
「ち、違うの。ホントのことなの。ねぇ凛子、ちゃんと聞いてくれる?凛子にしか話さないから」
わたしがやけにド真面目な顔を作って言うと、凛子も真剣な顔になって前のめりになった。
「明日までわたし、凛子たちと一緒に、学校行ったりお喋りしたり、いろんなことをする。でもね、明後日になったら、わたしは凛子たちにも家族にも、もちろん先生たちにも会えないんだ。わたしは、ここにいないから」
「……うん」
度肝を抜かれた。また冷やかすだろうと思ったのに、凛子は真剣な顔のまま、しっかりと深く頷いたのだ。
「しばらくいないと思う。期間は分からない。だから、凛子。行ってほしいの。水樹はちゃんと生きてるって。大丈夫だって。いざとなったら、自分が匿ってるって言ってくれたら嬉しい。巻き込んで、ホントに御免ね。それを信じたお母さんに、凛子のお母さんにメールを出す前に、いらないって言って。ちゃんと生活してるって。メールとか電話とか、面倒なことはホントにいらないからって。駄目、かな?」
突然静かになったわたしたちを、乗客は一瞥して、またそれぞれのことをし始める。
「分かった。あたしは水樹を手伝うって決めたんだ。やってやるよ。それで……明後日から消えるって、どういうことだよ。まさか、……死ぬんじゃねぇだろうな……?」
やけに不安そうな顔で、凛子がわたしの顔をのぞき込んでくる。わたしは、そんな凛子を見たことがなくて、思わず笑ってしまった。
「なっ、何で笑うんだよ⁉」
「だって……そろそろ死のうかなって思ってる人が、突然ペン工房に行きたがるわけないでしょ?それに、わたしはもっと生きるよ」
わたしがニコリと微笑んで言えば、凛子はほっと安心したようにへにゃっと笑って、わたしに梅ポテトチップスを三枚差し出した。
「あげるよ。水樹」
「ありがと。美味しい」
「あたしには分かんない」
凛子は、小さなチョコレートを口の中に放り込んで言った。
「水樹が死んだらあたし、壊れちまうよ」
「房雅ペン工房」は、灰色をしていた。まぁ、それはそうだろうけど。工房の入り口のシャッターは開いていたので、わたしたちはそこから声を張り上げる。
「すみませーん、見学に参りました、羽葉澤と夏端ですが、誰かいらっしゃいますか?」
「あっ、はぁい、水樹ちゃんと凛子ちゃんでしょう?待っていたわ」
向こうから色っぽい声が聞こえて来て、すぐに右から美人な女性が出てきた。前髪は後ろ髪と同化していて、左右に垂らしている。栗色ロングウェーブの髪が良く似合った。艶々の唇は紅色をしていて、透き通るような肌は透明感と艶、ハリがある。
「わたしはここ、『房雅ペン工房』の工房員、沢波真琉亜よ。今日はよろしくね。わたしがナビするわ」
「よろしくお願いします、沢波さん」
「真琉亜で良いわ」
真琉亜は楽しそうに、そして優雅に笑ったあと、「さっ」と言って、左奥を指さした。
「あそこで羽根ペンを作っているわ。早速見るでしょう?」
「はい、よろしければ。作り方についても、詳しい説明が頂ければ良いんですけれど、お願いできますか?」
「えぇ、良いわよ。見ながら解説するわ」
真琉亜がスタスタと歩いて行くので、わたしたちもすぐに着いて行く。
「これはガチョウの羽の選別よ。綺麗な羽を選ぶの。貴女達もやってみる?こちらに何枚か移せば出来るわよ。貴女達が選別した羽を、わたしが見てあげるわ」
「えっ、良いんですか?是非やりたいです!」
側にあったテーブルを人差し指でトントンと叩いた真琉亜に、わたしは笑顔で返答をした。露河の夢楽爽でわたしが見本を見せる時、やった方が良いと思ったのだ。
「じゃあ、あたしもやって良いんだよな?な?」
「えぇ、良いんじゃないの?真琉亜さん、構いませんか」
「もちろんよ。持って来るから、少し待っていて」
わたしたちはテーブルの前に二人で立つと、真琉亜を待った。
ガチョウの羽の善し悪しなんて分かんないよ。今学ばなきゃ。あれ、夢楽爽にガチョウなんていないよね。うわぁ、ガチョウの羽の見た目とか特徴まで覚えないといけないってことかな。ガビーン。
わたしはそっとテーブルの上にシャーペンとメモ帳を置いた。
「さぁ、これよ。二人ともやってみて」
真琉亜が両手にいっぱいの羽を持ってきた。そして、二つに分けると、それぞれの前に置いた。わたしは、羽を二本取ってみる。
降参。もう分かんないよ。
わたしは、羽の隅々をじっくりと見る。
あ、下の方に小さな傷がある。なるほどね、こんな風に見分ければよいのか。合ってる?
右に良い羽根、左に悪い羽根を置く。そしてまた羽を二枚取る。それを続け、わたしは凛子より早く分け終わった。
「あら、早いじゃない。じゃあ、見るわね」
「ぅえっ、もう水樹分け終わったのか?早いな」
凛子の驚いた声と同時に、真琉亜がわたしの右にある羽を取っていった。一枚ずつ見て行く。その間、わたしは凛子が分けている羽を見た。一枚ずつ見ている。わたしのように比較していない。
どっちが正解なんだろう。
「凄いじゃないの、水樹ちゃん。ほぼ間違いはないわ。ただ、これとこれは、あまり良いとは言えないわ。分かるかしら?」
「教えて頂けますか?」
わたしは真琉亜の方に回り、左側から真琉亜の手元を見る。
「これは、ここが抜けているの。こっちは、ここの部分が他の羽と違う色をしていて、曲げたときに曲がる角度が大きいの。ね?」
「あぁ、確かに……ここが弱いんですね」
「そうよ、水樹ちゃん。だからこれは、正直論外だったわ。多分、比べた羽が相当ひどかったんでしょうね」
真琉亜は一つ一つに丁寧な解説をしてくれる。おかげで、大きめのメモ帳のページが十枚以上埋まった。
「軸がしっかりしていて羽が綺麗なのが良いのよ」
納得できる説明をしてくれる真琉亜は、左奥にどんどん進んでいった。
「次は、ペンの作業よ。まずは先端をカットするの」
工房員の人が、ペンの先端をカットする。
「これは何のためですか?」
「インクを吸い取るための切り込みなの。意外と固いのよ?」
真琉亜が言ったことを書き留める。そのわたしを、凛子が興味深そうに見ていた。
「ひび割れに注意するために、カッターで切った方が良いわね。鋏は避けた方が良いわ」
余計にカットする可能性があるのかな、と思いながら、わたしは素早く作業する慣れた手つきの工房員を見る。
「おい、沢波。こいつら、なんだ」
「もう、文句言わないで。御免ね、水樹ちゃん、凛子ちゃん」
突然、工房員が顔をあげた。意外と鋭かった目つきにびくりとする。
「この人はただの工房員。根は悪くないんだけど、口と性格が悪いのよ」
「沢波」
いや、根が悪いと性格が悪いってほぼ同じ気がする、と思いながら、わたしは工房員に挨拶をする。
「初めまして、お邪魔しています、羽葉澤水樹と言います。こちらは、友達の夏端凛子です。本日はこちらのペン工房に、見学という形で参りました」
「ほぉ……ま、見てけよ。沢波、お前、工房長に連絡したのか?」
「もちろんしたわよ。ねぇ、工房長?」
あぁどうしよう。いきなりいっぱい人が出てきた。
わたしは困惑しながら、一旦メモ帳をバッグに閉まった。その瞬間、奥から工房長が出てくる。どうやら女性のようだ。
「えぇ、許可は取ったよ。真琉亜、案内頼むよ。こんにちは、水樹ちゃん、凛子ちゃん。今日は自由に見て回ってね。それじゃあ」
工房長は、さっぱりとした女性で、肩辺りまでの髪をストンと切っていて、切れ長の目は優しい光を浮かべている。
「わー、工房長が来た途端、頬が赤くなった。いやーっ、やっぱりぞっこんだねぇ?アプローチの調子はどう?上手く行ってる?」
「チッ、お前ふざけんな。こいつらあいてに何言ってやがる」
「あははっ、まぁ頑張って。ほらほら、作業続けちゃってよ」
わたしは分かったかもしれない。完全に三角関係だ。工房員は工房長が好きで、工房長は不明、そして真琉亜は工房員が好きなのだ。
リアル!工房三角関係!わぁお。
今日以外、この三人とは関わりが無いだろうけど、一応皆を心の中で応援しておく。
「最後は裏側をカットするの。鉛筆を削る要領でね。切り込みの裏を切るのよ」
わたしは慌ててメモ帳を出して、すぐに書き込んだ。
「これで完成よ。字が丸まる時、インクが多く出ちゃうときもあるから気を付けて。実はボールペン何かでも、羽根ペンは作れるのよ?」
真琉亜がどことなく悲しい顔で、工房員をちらりと見ながら言った。
「この人が今作っているのは、ボールペンじゃないけど。さぁ、どうかしら?何か質問はある?」
先程とは対照的な、やり切った爽やかな笑顔で、真琉亜はわたしたちを見た。
「あの、羽根ペンに使う羽って、どんな感じのものなんですか?」
「房雅工房ではガチョウの羽よ。特徴なら話せるけど……」
「ぜひ聞きたいです!」
わたしは、メモ帳を新しいページにして、一番上に「羽の特徴」と書いた。
「まずは、ほら、ここの部分を触ってみて。これがあるとないとで、品質も値段も用途も、全部変わってくるわ」
「ほぅほぅ、なるほど……」
気が付いたことを全て書きとめ終われば、もうお昼時になっていた。
「今日は有難うございました、真琉亜さん、工房長。とても勉強になりました」
「それは良かった。ねぇ、真琉亜?」
「えぇ、そうですわね。それじゃあ、待たね。そうだわ、水樹ちゃん。何か聞きたいことがあった時には、ここに連絡して。房雅ペン工房の電話番号よ」
「有難うございます!それでは、失礼します」
「お邪魔しましたー」
わたしたちは、房雅ペン工房の工房員と工房長に頭を下げ、工房を出た。昼食は、近くのファミレスで、わたしはチャーハンを、凛子は見たことがないマカロニハンバーグを頼んで食べた。
帰りの新幹線の中で、わたしは夢楽爽の上層部に説明する分を考えていた。
「羽の選別はこのように行うので、専属の者を決めた方が良いかもしれません」
「どうした、水樹?お前、ペンの会社の社長にでもなんの?卒アル当たった?」
「ち、違うよ!もぉ、色々考えてたんだから。凛赤ちゃんは、自分からやりたいって言いだすかな、
それともお嬢様を取るかな、とか」
「『りんせったん』って誰だ?」
わたしは凛子に「もう、ポテチ食べててよ」と言って、メモ帳に向かった。
「誰かお試しになりたい方がいらっしゃいましたら、どうぞお気軽におっしゃって下さい」
「はーい、あたしー」
「もう凛子は黙ってて!」
「はーい」




