凛赤の家
城から凛赤の家までは徒歩でも近く、おしゃべりをしていればすぐに着くそうなのだが、今回は王のご息女のクィツィレアがいるため、馬車を使うことになった。馬車の使用は、王の許可がなくてもクィツィレアの身分で使えるため、3つの馬車に全員を乗せて、凛赤の家に向かって行くことになる。
「馬車なんて、優雅ですね」
「あら、ミズキ様は馬車に乗られたことがなくて?」
「えぇ、わたくしはまだ。なので今回が初体験ですよ!」
思ったよりも馬車は滑らかに進む。本で馬車はガタガタ、と書いてあることが多かったので、小さな覚悟を決めて乗り込んだのだ。横から少し当たる風が心地よくて、ついついうとうとしてしまう。気が付いたら、立派な豪邸の前だった。
「ここが、あたくしの家ですわ」
「こっ、ここが?!大きくて、立派ですね……」
「ふふっ、ネーリンワーナ様は、効率よくここのお家をご利用ですから、歩いてみればそのように感じることはありませんわ」
どうやら一度クィツィレアは来たことがあるらしく、慣れた様子で玄関に向かって行く。
「失礼致します」
靴を脱いで広々とした玄関にそっと揃えると、わたしたちはゆっそりと廊下を進む。凛赤は軽い足取りで長く広い廊下をただただ真っすぐに進んでいく。しばらく行くと、大きな扉があった。
「トゥセールン」
「畏まりました」
トゥセールンが扉を開けると、凛赤は一歩進んだ。
「階段ですわ。ここを上って、左へ行くとわたくしのお部屋、右に行けば側近部屋。そして、後ろは横に引いて開けるドアがあります。どこを開ければリビングですわ」
リビングどんだけ広いの。
クィツィレアはにこにこしながら階段を上がって行く。
「レムーテリン様、参りましょう?」
「あぁ、そうですね。広くて大きいものですから、驚いてしまいまして」
クスリと笑ってクィツィレアは階段の上から手招きをした。わたしは出来るだけ優美に急いで階段を上がり、リビングのドアに手をかけた凛赤の元へ急いで向かう。
「トゥセールン、開けて」
「はっ」
ガラーッと思いっきりトゥセールンが引くと、ドアがゆっくりと開いて行く。
「はぁ、このドアったら重いのよね。トゥセールンが嘆くのも分かるわ。ふふっ」
凛赤はリビングの中を舞うように歩き始める。左にも右にも長い長いソファがあり、真ん中に会議に使われるようなテーブルがあった。よく見ると、奥の方に誕生日席のように一つ、豪華な椅子がどでんと置いてあった。多分あそこが凛赤の席だろう。
「わぁっ……凄い、豪華」
「ふふっ、ミズキ様、ソファに座って下さる?お茶を運ばせますわ。ケンヴァフォク」
「はっ」
側近の一人がさすっと動き始める。すぐに、香りと湯気が立ち上る澄み切ったお茶が運ばれてきた。
「あら、いつものお茶ではないのね、ネーリンワーナ様」
「えぇ、そうですわ。こんなこともあろうかと、ミズキ様が持って来てくださったお茶をご用意致しましたの。そうですわミズキ様、こちらのお茶、とても美味しかったですわよ」
「それは良かったです。わたくしもそのお茶は好んでおりますので、嬉しく思います」
わたしたちの会話を聞いて、心梨が急いで口に紅茶を運んだ。
「まぁっ……始めて飲みましたわ、こんなお茶。わたくし、うふふ、大好きになってしまったかもしれません」
「そうなのですか?わたくしとしてはとても嬉しいです。それに、凛赤様の側近の方のお茶の淹れ方が上手いのも、美味しさに磨きをかける一つの原因だと思います」
凛赤はパアッと顔を赤らめて、「あら、嫌ですわ」と笑った。こういう時の凛赤は、素直に可愛い。少し恥ずかしそうにはにかんでいる。
だってぇ、いつもの凛赤、ちょっと裏がヤバそうで怖いんだもーん!顔ばっかり可愛いのにぃ!
それからわたしたちは、リスタート・騎士特訓について軽く話し合った後、その場で解散した。わたしは明日に備えて早く寝なければいけないし、二人も早く昼食を摂らないと時間的にまずいそうだ。
「ねぇ、煌紳。明日は、また二人が運んでくれるのでしょう、天乃雨まで?楽しみね、久しぶりの我が家」
わたしがふいに煌紳に問いかけると、煌紳は一瞬驚いたような顔をして、少し寂しそうな笑みを浮かべた。
「ミズキ様にとっては、ここはまだ、我が家ではないのですね」
「あ……御免なさい。でも、ここは心梨様に借りているお部屋ですから」
「家を建てましょうか?借りるのが迷惑でしたら」
途中の会話しか聞いていなかった泰雫が案を出してくれた。
「凛赤様のように家を建てても良いですね。わたくしもそう思った時もあります。もちろん、引っ越しても構いませんよ」
わたしは、サティが整えてくれたベッドに腰掛ける。すると、泰雫がベルをチリンと鳴らし、煌紳がミニテーブルをわたしの前に持って来てくれる。すると、珠蘭が「失礼致します」と昼食を持って来てくれた。
「ミズキ様はご自宅をご所望ではないのですか?一般貴族は自宅が欲しいと考えるものなのですが」
「ふふっ、わたくしは一般貴族ではありませんから。天乃雨から来た、露河に何かを運ぶ者ですよ?」
「そうですね」
泰雫は苦笑いしながら頷いた。わたしはもしゃもしゃと昼食のパンを咀嚼する。
「クィツィレア様に対して、お部屋を借りるのが申し訳ないとお考えでしたら、ご自宅を立てられた方が良いと思います」
「そうね……家を建てようかしら。リスタート・騎士特訓やスイジュの調査などが終わってから、のお話ですけれど、ね?」
わたしはお茶をゆっくりと嚥下して、ベルを鳴らす。珠蘭が完食した昼食のお皿を見て満足げに頷くと、「失礼致しました」と言って出て行った。わたしはベッドに寝転がりながら、二人に言った。
「わたくし、ただ天乃雨に帰るのが楽しみなだけですのよ?向こうの状況も知りたいですし」
「ミズキ様、お言葉を崩されてはどうですか。天乃雨のことを考えられていらっしゃるときは、少し瞳が潤まれるものですから」
リラックスして喋って良いという言葉に、わたしは相好を崩して話し始める。
「わたし、凛子とさやかちゃんっていう友達がいたの。その二人はどうしてるんだろう、とか、さやかちゃんの風邪治ったかな、とか。もしかして時間、止まってるかな、いやそれはないな、とか。一時的にわたしの存在が脳味噌から消えるのかな、なんて。考えるだけでも楽しいんだよ。帰ったら本も読みたいな。三日も帰れるんだよね。ねぇ、二人には、露河のこと、話して良いと思う?」
「出来れば、話されない方が良いかと」
「そっかぁ、残念だなぁ。三日後に、あのスイジュ庭園天乃雨版に行けば良いんだよね?」
「はい、その日以外はあの路地は現れませんので。そういえば、あの車も男児も、露河の王が手配された架空のものですので」
わたしがこちらに来たきっかけは、あの飛び出した男の子だったと、今思い出した。
「あぁ……もう一回見たら消えてたから、あれあれ?とはなったけど、あのときは何かがわたしの中でぶれてたのかもね。もうすでに夢楽爽の王女の従姉妹としての何かが、芽生え始めてたのかもしれない。何かを不思議に思えなくなってたのかも。あはは」
わたしは煌紳に布団をかけてもらって、目を閉じる。
「それじゃあわたし、早めに寝るね。おやすみ。明日は、朝の0時に起こしてよね」
「はい、重々承知しております、ミズキ様」
「それでは、おやすみなさいませ」
わたしは軽く二人に手を振ると、また眠りの世界に落ちる準備を始める。だが、その準備が終わらないうちに、わたしは落ちてしまった。ふわふわの生クリームの中で、心梨や凛赤、凛子とさやかと一緒に笑っている夢を見た。寝ているときわたしは、涙腺を緩めていたらしい。朝起きると、枕がぬれていた。




