クィツィレアの相談
「まぁ、これがクッキーですのね?」
「はい。側近の真華……リッフェルヴィが焼きました」
ここは、クィツィレアの自室。クィツィレアと、筆頭のアリナーラ、そしてユニフェンという側仕えが迎えてくれた。後ろには珠蘭と煌紳、陽満や笑照が控えてくれている。今は、来てから六日目の夕方。夕焼けは、天乃雨にいるときに見た夕焼けと変わらない。
さくりと音を立ててクッキーを齧るクィツィレアは、今日も美女。美女っぷりは、変わらない。
「まぁ、お母様が好まれそうなお味だわ。ユニフェン、すぐに持って行って差し上げて。ヒュフォマに渡せば、分かってくれるわ」
「畏まりました、心梨様」
クィツィレアは、嬉しそうに微笑んで、またクッキーを口に運んだ。
「甘いわ。それに、齧る時の歯ごたえはあるのに、口に入れるとほろりと溶ける感覚も好き。レムーテリン様、とても素敵なお菓子をご存じなのね」
「有難う存じます、クィツィレア様。そう言っていただけると、とても嬉しいです」
わたしが出来るだけ笑顔で答えると、クィツィレアは幸せそうに頬を緩め、すぐに冷静な表情になった。
「クィツィレア様?」
「アリナーラ、水晶を使いますわ。一度、離れて下さいませ。レムーテリン様も、側近の方にそう命じて下さいませんか?」
「えっと、珠蘭、煌紳、陽満、笑照、下がりなさい」
「はっ」
五人が、一斉に部屋の隅による。アリナーラの顔が、「水晶」という響きに一瞬口を開いた。そして、すぐに部屋の奥の天幕を開け、すぐに戻ってきた。
「クィツィレア様、どうなさったのです?」
「良いわ、アリナーラ。わたくしの意思で決めたこと。レムーテリン様にお話したいことがございますの」
「あ、はぁ」
わたしは戸惑いつつも、クッキーを口に一枚放り込む。
うん、甘し。美味し。幸せし。
クィツィレアは、後ろに立つアリナーラの方を向いて、両手で何かを受け取った。それは、水晶。透明で、少し水色がかった、綺麗な水晶玉。
何の問題があるの?故障品?もしかして、罅入りとか?その厄介物を、わたしに預からせよう、と⁉
彼女は、その水晶玉の上に両手をかぶせ、口元で言葉を転がした。わたしは耳を済ませ、出来るだけ多くの言葉を聞き取ろうとする。
「……により、天帝の……に風の囁き、新王……に白鳥と青鳥のさえずり……の故、今」
な、何をおっしゃった⁉てっ、天帝っ!宗教系なの、露河さんはっ!初耳ですっ。
「さぁ、レムーテリン様。この水晶に、左手を」
「ぅえっ⁉あ、はい」
ボーッとしていた。クィツィレアの静かな声に驚いて、大声を出してしまった。言われるがままに左腕を水晶の上に伸ばす。すると、水晶がぼわんと淡く光って、紫色にカッと光った。
「きゃっ!」
「大丈夫です。もう手を離して構いませんよ」
クィツィレアの声の通りに、手を瞬時に引っ込め、震える指を必死に動かして、クッキーをつまむ。
ファ、ファンタジィィにも程があるぅぅ!
「上を見て下さいませ、レムーテリン様」
「へ?上?」
わたしが即座に首を上に向ける。瞳には、薄い白と紫のドーム型の壁が見えた。
「何ですか、これっ!」
「盗聴防止透明不可視型ドームです」
「と、盗聴防止……?」
長い名前に苦戦しているわたしを見て、クィツィレアはクスリと笑って、嬉しそうに言った。
「ここでは何も言っても、どんな態度を良いのよ、ミズキちゃん。だって、盗聴防止透明不可視型ですもの!」
「みっ、水樹ちゃん?えっと、とにかく、言葉は崩しても良いんですよね」
「敬語も構わないわ。ふふっ。わたくし、相談があるのよ、ミズキちゃんに」
「そうなの?わたしで良いなら、聞くよ、もちろん。心梨ちゃん、わたしにも悩み?うーん、相談があってね」
「それなら、先に聞くわよ。何?」
「心梨ちゃんが先だよ。どうぞ」
なんて気安い。楽しい。心梨ちゃんと呼べる場所があったことに、驚きつつも喜びを隠せない。同い年の子に様付けは、違和感たっぷりだったのだ。
「水樹……スイジュのことで。何かの秘密があるはずよ」
「スイジュの、秘密?わたしが天乃雨から来た時の、あの気味の悪い木?」
「ミズキちゃんにとっては気味が悪いのね。わたくしにとっても気味が悪いわ。スイジュから出てくる方が、わたくしに分かるの。一月、六月、十二月は天乃雨からいらっしゃるのよ。そして、二月、五月、八月は、甘楽……カンラからいらっしゃって。天乃雨からいらっしゃる方は、レイカかユラクソウに来るのよ。甘楽からいらっしゃる方は、他のところに行くの。露河の人間は、天乃雨から来る人間はラッキーとして迎え入れるのだけれどね」
クィツィレアが一気にまくしたてた。わたしは、頭の中で懸命に処理をしたが、なかなか整理が付かない。
「天乃雨からいらっしゃる方で、善を背負う方は、少ないの。5%、くらいで」
「5%……わたしは、悪を背負っているかもしれないんだね。了解」
クィツィレアは、俯いていた顔をバッとあげて、頬を紅潮させてわたしを見つめた。
「何故そう冷静に対処できるの⁉わたくしはずっと不思議だったわ。向こうからいらっしゃる方で、動揺しない方はいないと聞いていたから。もしわたくしが異世界に飛ばされても動揺するわと思って、納得していたのよ。そしたら、わたくしと最も身分的立場が近い移民のミズキちゃんが、楽しそうに生活をして、料理人の方にクッキーの作り方まで教えて、サラッと側仕えも揃えて……。ミズキちゃん、怖くないの⁉自分が不運をもたらして、周囲を困らせるかもしれないという環境の中で、何故そう平然としていられるの⁉」
クィツィレアの苦しそうな顔が、目の前にあった。きっと、想像していたことをしないわたしに驚いて、尊敬しようと思っても出来ない立場に苦しみ、疑問を抱き、胸がざわざわとしていたのだろう。何故驚かない。何故苦しまない。何故動揺しない。何故泣かない。何故悲しい顔をしない。何故状況が分からない中で、平然と生きていける?
クィツィレアは、本当に優しいと思う。疑問だらけの中、不安だらけの中、ほにゃっと笑っているわたしを見て、救ってくれた。普通に生きているわたしに、尊敬したいけれど疑問が阻止する生活を、四日していた。きっとそうだろう。
わたしは何と声をかけて良いか分からずに、ただただ真っ赤なクィツィレアの顔を見ていた。
しばらくしてわたしは、言葉を見つけ、繋ぎ始めた。
「わたしも、不安じゃない訳じゃないよ。むしろ、怖いよ。不安だよ。何をすれば良いかもわからないし、天乃雨の様子も分からないし、わたしは今何の立場なのか、全然分からないし」
でしょう?と言いたげなクィツィレアの顔を見つめて、わたしはいつも通りに笑って見せる。
「今日心梨ちゃんに聞きたかったのは、わたしは今から何をすれば良いかなの。わたし、この世界で知っていることも何もないから、専属教師のオーヴォシュリさんを雇ったの。心梨ちゃんにも、何か聞けたら良いなって思って、この面会はグッドタイミングだ!とか思ったりして」
クィツィレアは、幸せそうにはにゃっと笑った。そして、また不安げな表情に戻った。
「でも、わたくしには何も出来ないわ。そんな、こんな立派なミズキちゃんの手助けなんて……」
「わたしには、生粋の貴族育ちが必要だよ、心梨ちゃん。心梨ちゃんの助けが、必要。手伝ってくれる?」
「……わたしで良いなら、もちろん、手助けさせて頂くわ。出来る範囲でね。お父様やお母様にも相談してみると良いわよ。お二人の方がお顔も広いし、世界のことをよく存じていらっしゃるから」
「なるほどね。分かった、有難う。ふふっ、同時に二人の悩み、解決しちゃったね!」
クィツィレアも嬉しそうに笑って、そして、目の輝きを増やしてわたしを見た。
「実はね、もう一つあるのよ、ミズキちゃん。わたくし、お父様……王様のお役に立ちたいの」
「わざわざ言い換えたってことは、政治面や社交面で手助けしたいってことかな?」
「よく分かるわね。そうよ。わたくしは、社交が上手いといわれることが多いから、得意分野でお手伝いをさせて頂きたいの。例えば、夢楽爽の特産品、名産品を作ったり。でも、王様がご迷惑ならば、したくはないわ。ねぇ、ミズキちゃん」
「お伺いを立てて、聞いて来てもらえないかしら?でしょ?もちろん、良いよ。ただ、心梨ちゃんも一緒にね?」
クィツィレアは、驚きながら笑って、大きく頷いた。
「じゃあ、心梨ちゃんがやるべきこと、三つ!一つ目は、わたしと一緒に、スイジュの調査。二つ目は、押しつけがましいわたしの手助け。お願いします。三つ目。王様と、わたしと二人で面会の予約を申し込んで、色々と聞いて来ること。どう?」
「分かったわ。それじゃあ、お願いね、ミズキちゃん」
「任せてよ!あと、心梨ちゃんには申し訳ないけど、手助け、よろしくね!」
わたしたちは、ニコッと笑って、水晶の上に手を置いた。バヒュッと周りの膜が解けて、わたしの目の前に、王の娘クィツィレアと、王の娘の筆頭側仕えアリナーラが現れた。
わたしは、凛々しい顔をしているクィツィレアに笑みを浮かべ、ふふっと声を漏らした。
「では、これからよろしくお願い致しますね、クィツィレア様?」
「えぇ、こちらからも頼みますわね、レムーテリン様!」




