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忘れな草

作者: なかたたかこ
掲載日:2018/09/22

「愛は澱みなく惜しみなく、深く終わることなく続く…それはまるで…」

防波堤に並んで海を見ているみつきとありさの前の砂浜を駆けていく野球部員達。

その一人、前川は数日前にありさに告白をして…。

そこから始まる4人のお話です。

「愛は澱みなく惜しみなく…深く…終わることなく続く…それはまるで…。」

「ちょ、ちょっとあ~ちゃん、何それ?急にブツブツ…どしたの?…ポエム?なんかあったの?」

木崎みつきは心配そうな表情を浮かべ、親友の黛ありさの顔を覗き込んだ。

うっすら両目が潤んでいる様に見えるありさは、隣に座るみつきの方を向くことなく、そのまま真っ直ぐ水平線を見つめたまま無言だった。

「あのさ…あたしにも言えない様な悩み事とか?あ、べっ、別に何も喋りたくないんだったらそれでいいんだ、うん、いいの…親友だからってさ、お互いのこと全部知ってるって訳じゃないし、知ってるからって親友って訳でもないと思うからさ…え~と…あのさ…なんつうか…困ってるとか苦しんでるとか、そういう時助けたり、面白い話とか好きな人の話とかそういうのを一緒に共感しあえるのが親友って言うのか…あ、そだ…お腹空いてる時、1つしかない食べ物を分け合って一緒に食べたり…ほら、こんな感じで…。」

そう言いながら、みつきはここに来る前に寄ったコンビニで買った「ジューシー肉まん」を思い出した。

カバンの中から小さなウェットティッシュを出すと、さりげなく両手を拭いた。

その仕草はみつきの中で「当たり前」の動作だった。

肉まんの蒸気で中が若干濡れてしまった小さな袋から、いくらか温かさが残る肉まんを取り出すと、両手で二つに割って見た目少しだけ大きな方をありさにあげた。

「はい!どうぞ!あ、手は汚くないから大丈夫だから…ささっ…まだ温かいからさ、一緒に食べよう!ねっ!」

「ありがとね…みっちゃん…じゃあ…遠慮なく…いただきます。」

ようやくみつきの方を向いたありさは、そのままぺこりと頭を下げた。

「ああ、そんな…それより…これ…美味しいね。」

口をもごもごさせたままのみつきはふと祖母を思い出した。

「これっ!口の中にもの入れたまんま喋らないの!はしたないねぇ。あんたは女の子なんだから、そういうことは気をつけないといけないよ!」

脳内ではっきりと再生された祖母の声に、みつきの体はビクッと反応した。

「ん?どしたの?みっちゃん…。」

急に下を向き今にも泣き出しそうな顔のみつきに気づいたありさは、食べたばかりの肉まんの味が残るまま、隣にいる大事な友達が心配になった。

「あ…うん…ごめん…ちょっと…おばあちゃまの声、思い出しちゃって。」

「…そっか…ごめん…なんか…ごめんね、みっちゃん。」

そう言いながら、ありさは自分側にあるみつきの手の甲の青あざに目をやってしまった。

ここからでもはっきりと見える治りかけの青あざは、まだとても痛々しかった。

「えっ、ああ…ううん…こっちこそ急に沈んでなんかごめんね…折角美味しいもの食べてたのに…美味しい気持ちが小さくなっちゃったね。」

「ううん、そんなことない…すんごく、すんご~く美味しかった…あ、そだ…あたしばっかりもらっちゃってたね…次はこれ、一緒に食べよう!」

頼りない笑顔のありさは、やはりここへ来る前のコンビニで購入したチョコレートを出した。

透明の袋の中には、可愛らしいデザインで個別包装されている小さな四角いチョコレートがいくつも入っていた。

「あ、ちょっと待ってね。」

ありさは口の中の肉まんの味を消す様に、まずはペットボトルのサイダーをグビッと一口飲んだ。

「あ、あたしも。」

みつきもありさと同じサイダーのレモン味を、やっぱり一口グビッと飲んだ。

こんな風に瓶に直接口をつけて飲む行為は、みつきにとってやっと得られた「自由」な時間の象徴の様なものだった。

まだほんのりと冷たさが残っているサイダーの炭酸に喉がシュワシュワした二人は、目をギュッと閉じてから同時に「カーッ!」っと言った。

「あははははははは…美味しいけど炭酸…。」

「ね~…ゲフッ…あ、ごめん…ゲフッ…やだぁ…。」

みつきのゲップにつられて、ありさも「ゲフッ。」としてしまった。

ほんのひと時、二人はさっきまでの深刻さを忘れて笑った。

「は~、やっとこおさまった…そだ、これ…え~とね、ちょっと待ってね…え~と。」

ありさはみつきとの間を少し空けると、そこにポケットから出したハンカチを敷き袋からチョコレートを全部出した。

そしてみつきがじっと見守る中、ありさは手際よくチョコレートを分けていった。

「あ~ちゃん、1個でいいよ!1個で。」

「え~!なんで?みっちゃんとあたしで半分こだもん!」

「え、でも、それ、あ~ちゃん買ったチョコだし…。」

「い~の!あたし、みっちゃんと半分こ、したいんだもん!」

「わかった…ありがとね。」

「なんで?みっちゃんだってあたしに半分くれるじゃん!さっきだって肉まん…でしょ!」

強気なありさの勝気な表情に、みつきはなんだか照れ臭い様な嬉しさがこみ上げていた。

「えへへぇ~…はい、これ、みっちゃんの!」

そう言うとありさは自分よりも1つ多い方のチョコレートをみつきに渡した。

「あ~ちゃん、1個…。」

みつきがそこまで言いかけると、それを遮る形でありさは「いいの!」と強めに言った。

赤や黄色、緑に青にそれぞれ水玉模様やギンガムチェック柄の包み紙に包まれたチョコレートは、パッケージごとに味や中身が違う。

キャラメルが入ってる物もあれば、ビスケットやお餅の物もあった。

チョコレート自体の味も普通のミルクチョコレートから、ビター、イチゴ、抹茶、コーヒーなど。

アソートタイプのチョコレートは、「30+1」となっていた。

その書き方は消費者に「お得感」を思わせる。

「んふふ…これさ…お得だよねぇ…。」

「あ~、そうだねぇ…。」

正面にある海からの風が二人をふんわりと撫でていく。

「あ~ちゃん…これ、家で食べるね。家の弟と妹にも分けてあげていいかな?折角もらっといてこんなこと言うのなんだけどね。」

「あ~、うん、いいよ~!いいに決まってるよぉ!…たっくんとめぐちゃんにも分けてあげて!じゃあ、あたしもそうする…ちょっとやだけど、あたしもお姉ちゃんに分けてあげるかなぁ…うふふ、うふふふふ。」

薄青い空が微かに黄色身を帯びてきていた。

太陽の光が反射した波がキラキラと宝石の様に光っている。

防波堤に並んで座る二人の前の砂浜を、同じ学校の野球部が声を出しながら2列で走っている。

ファイオー!ファイオー!ファイオー!

こちら側を走っている列の前から3番目の男子が、二人の方を見てきた。

「きゃっ!」

ありさが声を出して両手で顔を隠した。

「あ…前川君…。」

みつきは冷静に男子の名前を呟いた。

そうしている間に野球部の連中はどんどんと遠くへ行ってしまっていた。

「もう、いない?」

「あ、うん…大丈夫…あっちに走ってったよ…。」

「そう。」

ふ~と大きく息を吐いたありさの顔は、茹でたたこの様な赤さだった。

みつきはありさの可愛らしい態度が少し羨ましかった。

「そうだ、あ~ちゃん、前川とはその後どうなの?」

約1週間ほど前の夜中、不意にありさからのメールで同じクラスで野球部の前川しゅうやから告白されたと教えてもらっていた。

「ちょっと素敵だけどただのクラスメイト」だと思っていた男子からの突然の告白で、それまで全くと言っていいほど彼のことを意識していなかったありさは、それから自分でも制御できないぐらい彼のことを意識せずにはいられないらしかった。

なかなか返事をもらえない間、みつきは先ほどのありさの妙なポエムの様な言葉が脳内を過ぎった。

(ああ、あ~ちゃん、前川となんかあったんだねぇ。そっかぁ。)

「親友」なのに自分だけ除け者にされた様な気分だった。

けれども、みつきはありさ達のこともさることながら、数日前、認知症で精神病院に入院した祖母のことが気にかかっていた。


(おばあちゃま…。)

祖父は「木崎医院」の院長で父も医院の医者、母は看護士として働いていたので、実際は家に居る祖母にみつき達は育てられたのだった。

代々続く「木崎医院」のお嬢さんだった祖母の躾は厳格で、お箸の使い方ひとつ行儀が悪いとなれば途端にどんなに幼かろうが、容赦なく祖母の愛用の竹製の定規で背中や太もも、時には手の甲をバチンと強く叩かれた。

まだ小さかった弟や妹を庇う形や兄弟の行いの許しを請う形で、みつきが祖母から叩かれることもしばしばだった。

だがそうせねば、まだ兄弟達が小さかった時は大きな声で泣き叫ぶ。

そうなると「静かに!」と、祖母から更に容赦なく定規が振り下ろされてしまう。

強い音と同様に、定規で叩かれた場所は青く腫れあがる。

それが一度で済めばいいが、大概は一度で済まされない。

多い時には、何十回も同じ場所ばかり叩かれた。

洋服に隠れている背中や太ももなどは、青あざが消えることはなかった。

自分達を庇って祖母からの制裁を受けてくれた姉に、兄弟達は涙しながら何度も何度もみつきに謝った。

3つ年下の弟の体は小学校高学年になる頃からどんどん大きくなっていった。

激しい折檻をする祖母なんかよりもずっと大きく、大人の男性となんら変わらないほど背も伸びた。

その気になれば自分よりも小さな祖母に逆襲することだっていくらでもできるほどなのだが、物心ついた時から刷り込まれてしまっている祖母の恐ろしさの前には、やられるばかりで何をすることもできずにいるのだった。

祖母からの折檻を、みつき達は決して祖父や両親には話さなかった。

話すと「告げ口」とみなされ、もっとキツイおしおきが待っていたから。

だが、今にして思うと、実は大人達全員、祖母の「奇行」に気づいていたのではないだろうかとみつきは思う。

けれども、強すぎる祖母には誰も何も物が言えなかったんじゃないだろうかとも思うのだった。

特に「娘」であるみつきの母なぞは、もしかすると未だに祖母からみつきと同じ様なことをされているかもしれないという懸念があった。

そう考えると、みつきはどうにもならないこの現状から早く逃げ出したい。

早く大人になりたいとも思っていた。

もしくは一刻も早く祖母が自然な形で死なないだろうかとも考えたりした。

そこまで願っていたのは、みつきだけじゃなく、お互いに口には出さないだけで祖母を除いた家族全員が共通してそうだったのかもしれなかった。

実際、そんなことがいきなり訪れる訳もなく、祖母との時間を極力減らす努力をする、つまりは家に居ない様にすることでそれぞれがなんとか自分を保っていられるのだった。

祖父も両親もみつきには特にやたらお小遣いをくれたり、物を買い与えてくれた。

それはまるで祖母からの虐待の対価のようでもあった。

みつきはそんな「弱い大人達」につけこむ様な真似をする子では決してなかった。

なので、必要以上のお小遣いなどは受け取りを断ることもしばしば。

受け取ったとしても、休日に兄弟達を連れてどこかへ遊びに行く資金としてきちんと使った。

本当は「お金」をもらうぐらいなら、祖母以外の家族とだけ一緒に暮らしたいと願っていた。

祖母のいない、安心して過ごせる世界を夢見ていた。

そんな「強い存在」だった祖母の様子が普段よりもややおかしいと気づいたのは、丁度1年ほど前のこと。

みつき達はとっくに薄っすら気づいていたけれど大人には言わず、一緒に暮らす祖父と母がようやくという形で祖母の異変に気がついたのだった。

それからデイサービスだの、ショートステイだのを繰り返し、ヘルパーも頼んだりしたのだけれど、祖母の状態は一行によくなる気配を見せなかった。

それどころか悪化の一途を辿り、入院が決まったつい数日前も大人達が見ていない隙に祖母はあの「定規」を振りかざすと、叱られることなど何一つしていないみつきの手の甲を、親の敵でもあるかの様に何度も何度も強く打ちつけた。

激しくみつきの手の甲を打つ祖母は、まるで鬼の様な形相だった。

それが祖母からの最後の折檻だった。

さすがに祖父や両親に隠せないほど腫れて、破けた皮膚から血が滲んだ手の甲を、みつきは「学校で転んじゃって。」でやり過ごしていた。

事情をちゃんと知っている弟と妹は、そんな姉の腫れあがった手を哀しそうに見つめ涙をこぼしながら、静かに傷の手当てをしてあげるのが精一杯だった。


じっくりと哀しそうな顔で包帯が取れた自分の手の甲に残る青あざを見るみつきに気づいたありさは、ふんわりと優しくその手を撫でた。

「痛そう…あ、ごめん、触ったら痛いよね…ごめんね、みっちゃん。」

「あ…ううん…大丈夫…あ~、それよりあ~ちゃん、前川とはぁ?どうなのぉ~?」

「あ、ごめん、ごめん…その返事すんの忘れちゃってた…えへへ…あ…。」

二人の話を遮る様に、不意にありさのスマホが鳴った。

「あ!」

「どした?」

「あ、うん…。」

「いいよ、気にしないで、見てよ!」

みつきはまだ祖母のことを思い出しながら、真正面の海を見つめた。

「あっ!あの…みっちゃん…。」

頬を乙女の様に赤らめたありさがもじもじと何か言いたそうだった。

「何?」

「あ、うん…あのね…前川君…なんだけどね…部活終わって…それで…あの…それで…今ね…こっちに向かってるって…。」

「ふ~ん…そっかぁ、そうなんだぁ…じゃ…あたし、先に帰るね…あ~ちゃん、チョコいっぱいありがとね…。」

みつきはありさと前川の邪魔をするほど、自分は野暮じゃないと心で呟いた。

「あっ、あっ…みっちゃん…あっ…ちょっ…あっ…ちょっ…待っ…。」

スッと立ち上がり制服のスカートを少しだけほろったみつきに、待ったをかけようと慌てたありさは勢い余って座っていた防波堤の上から2メートルほど下の砂浜にドスンと落ちた。

「えーっ!嘘ーっ!あ~ちゃん!あ~ちゃん!大丈夫?大丈夫なの?ちょっ、ちょっと待ってて…今、そっちに行くか…。」

みつきが下に飛び降りようとした時、どこかから駆けて来た誰かが先にありさの元に飛び降りて行った。

「えっ?嘘っ!」

驚くみつきをよそに、すぐさま砂浜に落ちたありさの無事を確認していたのは、噂の「前川君」だった。

「ありさっ!」

心配している前川が自分の名前を呼び捨てにしかけた時、ありさは一瞬キッとキツイ表情になった。

「あ…ありさ…ちゃん、大丈夫か?どっか痛いとことかない?」

「あ…う、うん…大丈夫だけど…あっ…。」

立ち上がろうとしたありさは、右の足首にズキッと強い痛みを感じた。

「痛っ…。」

顔をしかめるありさの足首は見る見るうちに腫れあがってきた。

「どらっ…俺に掴まれ!」

前川は男らしくありさをおぶると、上から心配そうに見守るみつきに声をかけた。

「木崎さんさぁ、そこにありさ、ちゃんのカバンとかある?」

「あ、うん、あるよぉ~!あたし、持つ持つ!それより、前川君、あ~ちゃんをあたしの家までおんぶして連れて来てくれる?」

「いいけど、なんで?」

「ほら、家、内科だけど一応病院だから、あ~ちゃんの足の手当てしたいから。」

「そっか…わかった…じゃあさ、俺の荷物はそいつに持ってもらって!」

「えっ?」

前川におんぶされているありさが、静かに泣きながらみつきの後ろの方を指差した。

振り向くとそこには、さっき目の前を走って行った野球部の部員の一人、隣のクラスの牧原こうが申し訳なさそうに立っていた。

「あ、え~と…。」

みつきが名前を言おうと頑張っていると、業を煮やした牧原から「あ、牧原こうです。そだ、それ貸して。」そう言うとすかさずみつきの手からありさのカバンを持ってくれた。

「重いでしょ?」

「えっ…あ、ううん、大丈夫。」

「そう?なんなら君のも持たせてもらえる?」

牧原の優しい笑顔に、みつきは思わず照れてしまった。

「あ、あの、自分のは大丈夫…自分で持つから…あ~ちゃんの分と前川君の分、お願い…します。」

「あの二人の分も持つけど、木崎さんの分も持たせてよ。」

「えっ?どして?」

「だって、木崎さん、手、怪我してるみたいだから。」

みつきはハッとして青あざがある手の甲をさっと隠した。

「どれどれ、遠慮しないで!ほらっ!貸して!」

少し強引な牧原に持ち物を全部任せると、みつきはぺこりと頭を下げた。

「えへへ、ごめんね、ちょっと強引だったね…ホント、ごめんね。」

牧原の優しさに、みつきは泣きそうになった。


みつきは自分の隣を歩く、背の高い爽やかな笑顔の男子が気になって仕方がなかった。

普段から野球部で体を鍛えている牧原は、「トレーニングになるね。」と笑いながらみんなの荷物を持ってくれている。

そんな牧原のことを「感じいいな。」と思った。

後ろではありさと彼女をおんぶして歩く前川の会話が薄っすら聞こえてくる。

みつきも何か話さないと間が持たないと感じていた。

「あ…あのね…牧…。」

「牧原だよ。」

みつきは彼の名前を忘れた訳ではなかった。

ただ、いきなり初対面の様な彼の名前を呼ぶのがいくらか恥ずかしかっただけ。

照れ臭い気持ちがみつきの言葉を詰まらせた。

「あ、ごめん、牧、原君…確か野球部…だったよねぇ。」

「うん、そう…いっつも、君達二人楽しそうに喋ってるとこ見かけててさ…なんか可愛いなぁって思っててさ。」

「えっ?」

驚いたみつきは、心の中で(どっち?)と尋ねていた。

「木崎さん。」

みつきは自分の心の声が漏れているのではと、激しく動揺した。

(嘘、そんなの絶対嘘に決まってる。あたしなんかよりも、あ~ちゃんの方がずっとずっと可愛いもの。あたしなんか…すごいブスだから…可愛いなんて絶対嘘に決まってる。こんなあたしなんか、誰も好きになってなんかくれる訳ない。あ~ちゃんは、あ~ちゃんは優しい子だから…あたしが可哀想だと思って、無理してつきあってくれてるところがあるだろうから。)

咄嗟に下を向いたみつきは、次に続く牧原の言葉をじっと聞いた。

「黛さんといつも仲良さそうで可愛いなぁって…前川は最初っからずっと黛さんだったけど、俺はどっちかっつうと木崎さんの方が好みだなぁってずっと思ってたから…それで今日こそ前川に紹介してもらおうって思ってさ…。」

「…嘘っ…。」

「ホント…だから、前川について来たんだぁ…まぁ、こんな形だけど…俺、木崎さんとちゃんと喋れて…不謹慎かもだけど…嬉しいんだよね。へへへ。」

そこまではっきりと自分の気持ちを素直に言うと、牧原はみつきから顔を背けて照れを隠した。

「そ…そうなの…。」

「うん。」

間髪入れずに返事をする牧原が清々しくて、みつきはそれ以上何も言葉が見つからなかった。

自分の中にあるどす黒くて暗い背景を、何故かこの人にだけは絶対に知られたくないと思った。

沈黙が続く中、坂の途中に「木崎医院」の看板が見え始めていた。


医院ではなく、自宅の方に皆を案内すると、みつきはすぐさま救急セットを用意した。

祖母からの折檻で作った怪我の手当てによく使った救急セット。

みつきは複雑な気持ちでその中から自分が使っていた湿布や包帯などを素早く出した。

「いたたたた…。」

痛がるありさの足に優しく湿布を貼ると、締め付けがきつ過ぎない様気をつけながら、みつきはゆっくり包帯を巻いていった。

「多分、骨折はしてないと思うんだけど…暫くは腫れとか痛みとか続くと思う…だからね、なるべく歩いたりしないで安静にしてた方がいいよ!」

みつきの見立てに皆、納得していた。

「歩けそう?」

みつきの問いに、ありさは渋い顔で「まあ…うん…ゆっくりなら、大丈夫そうだけど…。」と答えた。

するとすかさず前川が「俺がおんぶしてやるから!なんならお姫様抱っこでもいいし!治るまで学校の送り迎えするから!俺にできること、全部するし。」と宣言。

「男らしい!」

牧原の褒め言葉の後、皆で拍手して前川を称えた。

「あ、あのさ…トイレとかはあたしが担当するね!」

みつきの宣言に、ありさの目は潤んだ。

「みっちゃん…。」

「えっ!俺は?ありさぁ!」

「ん?」

ありさは前川をキッと見た。

「あ、ありさちゃ~ん。」

「ん、よろしい!」

あはははははははは。

誰からともなく笑いが起こった。


「あ~ちゃん、足、どう?」

風呂上りのみつきは濡れた頭にタオルを巻いたまま、ありさに無料通話アプリ「セーン」を送った。

牧原や前川達と作ったグループセーンではなく、元々の二人だけのグループセーン。

「みっちゃん、心配かけてごめんね、お風呂は痛すぎて無理だったからとりあえずシャワーで。」

「そっか、ちゃんと湿布貼ってね。」

「うん。」

「そんでさ、どうしてもだったら、やっぱちゃんと病院に行った方がいいよ。」

「うん、そだね。ママもおばあもお姉ちゃんも明日病院に行けって。」

「ほらぁ。」

「うん、でね、おばあが病院に付き添ってくれるってことになったんだけど…。」

「どしたの?」

「前川君も一緒に付き添うって。」

「えっ?」

「それでね、病院が終わったら学校まで自分が連れてくからって。」

「へ~、良かったね~。」

「えーっ!そう?」

「うん、良かったじゃない。前川君、優しいねぇ。あ~ちゃん、愛されてるねぇ。」

「えーっ!やだ、みっちゃん、そんなんじゃないのに…。」

「そう?」

「うん、だって、あたしと前川君、まだ別に付き合ってる訳じゃないもん!」

「う~ん、じゃあ、これを機に付き合えば?」

「えーっ!」

「嫌いじゃないんでしょ?」

「うん。でも、まだ、好きって訳でもないから…それより、みっちゃんは牧原君どうなの?彼といい感じにしてたでしょ。」

「あ~、うん…牧原君ね~…まだ、わかんない。だって、彼のこと全然知らなかったし。」

「そっか、そうだよねぇ…あたしもね、前川君のことクラスメイトってだけで、ちゃんと話したことなかったな。班活動とかではちょっと喋ったことあったけど。」

「だよねぇ。」

「だってさ、前川君、どっちかっつうと北村さん達のグループと仲良くしてるでしょ?だから、てっきりあの中の誰かと付き合ってるんだって思ってたんだよね。」

「あ~、わかるわかる…そうだわ。」

「でしょ~。なのに、まさかあたしなんかに告白してくるとはさ~。」

「それは…。」

その後、長々と二人のセーンは続いた。

みつきはスマホで返事を送りながら、ありさは可愛いから男子にモテてるのにと思っていた。


黛ありさは祖母と母と姉の女ばかりの4人家族。

姉とありさの父はアメリカの軍人だった。

日本に駐在していた時母と知り合い結婚した。

本国に帰還することになった父は、母と姉とありさも一緒にアメリカに連れて行こうと考えていたらしいのだが、母は仕事を理由にそれを断ったそうだった。

別に嫌いになって別れた訳じゃない父と母。

今は「親友」として連絡を取り合っている。

母は父の新しい家族とも友好な関係を築いているのだった。

きちんと自分達姉妹を認知してくれている「父」には、幼い頃に別れたきり一度も会えてはいない。

なのでありさは高校を卒業したら姉と一緒に父に会いにアメリカへ行こうと、子供の頃からお小遣いを少しづつ貯めているのだった。

ありさの祖母はとても穏やかで優しい人。

みつきはありさの家に遊びに行く度、「この人がおばあちゃまだったら、どんなにいいだろう。」といつも思っていた。

そんな女ばかりの家で育ったありさは、突然現れた前川のたくましさや男らしさに若干の戸惑いを感じていた。

ハーフのありさは小学生の頃、ありさに気があるであろう一部の男子やありさを快く思わない一部の女子からいじめに遭っていた。

学校に行くのが苦しすぎて死にたい気持ちが膨らんだ小6の秋、ありさは学校へ行くフリをしてそのまま海にやって来たことがあった。

その時、祖母からの折檻が辛すぎて海で死のうと思いつめていたみつきと出逢った。

お互いひと目で「死ぬつもり」なのがわかった。

偶然にも同じ学校でクラスが違うだけというのも知った。

死ぬ前にどうしてそうしようと思ったのかと、お互いのことを包み隠さず話した。

そうすると、だんだんゆっくりと心が軽くなっていった二人は、「死」を選ぶことをやめた。

それからはありさとは違う理由でクラスで一人ぼっちだったみつきとありさは学校の休み時間や放課後など、窮屈な教室を出て一緒に過ごすようになっていった。

クラスが違う二人がとても仲良くしている様子が広まると、ありさのいじめは自然と収まっていった。

そして、二人だけではなく他にクラスで一人ぼっちにしていた女の子が何人か声をかけてくれ仲間に加わると、残り少ない小学校生活がいくらか楽しいものとなった。

中学校の3年間はみつきとありさ、仲良くなったあややみちえ、まきとゆかはクラス替えがあってもずっと同じクラスだった。

暗かった小学校時代を知らない他校からの合流組も加わると、みつきとありさ達はそこそこ大きなグループになった。

自分達に意地悪していたいわゆる「一軍」の女子達やありさをいじめていた男子達は、相変わらずつるんではお決まりの「グレる」コースを辿っていった。

なので、当然、教師達から毎日のように「指導」を受け、いじめのリーダー格だった男子は教師を殴ったり、「先輩」と一緒にスクーターを乗り回しては校舎のガラスを割るなど数々の問題を起こし、ついには少年院に入れられたらしいと噂が流れた。

「一軍」女子の中の一人は中学3年の夏に妊娠しているとわかり、子供を下ろしたからもう学校に来られなくなったんだって。と誰かから聞いた。

みつき達と一緒に「や~ねぇ、怖い~!」と言っていたありさは心の中で、(ざまあみろ!自業自得だ!)と吐き捨てた。


「病院終わったから、これから学校に行くよん!待っててケロ!」

授業中、ありさからのセーン。

みつきは古文の石垣先生に見つからない様にそうっとスマホを覗いた。

「ラジャー!石垣に見つかりそうだから、後でね!」

送信した途端、「木崎、次のところから読んで。」と当てられてしまった。

教室にざわざわと失笑の様な音が沸いた。

真後ろの席の相沢みちえがこっそりと読む場所を教えてくれた。

「サンキュー!みっち。」

相沢みちえは小学校から仲良くなった友達の一人なのだった。


「あのね…前川君…あたし…もうね、歩けるから!大丈夫だから!」

「いやいや、昨日の今日だからまだまだ足痛いでしょ?ありさ、ちゃん。」

前川は当然のごとくありさをおんぶした。

「あらぁ、あ~ちゃんいいわねぇ、素敵な王子様ねぇ…おばあ、羨ましいなぁ、ふふふふふ。」

「あ、やっ…おばあ、そんなんじゃないってぇ~!」

「あら、そうなの?」

にこやかな顔のおばあは前川に尋ねるように見つめた。

「あ、やっ…あっ…自分はありさ、ちゃんを全力で守るって決めたんで…だからっ…えっと…え~…。」

急に失速して口ごもる前川は見る見るうちに顔中から汗が滲み出てきた。

「あらあら、ほら、これどうぞ。」

おばあから忘れな草の可愛い刺繍が入ったガーゼのハンカチで顔を拭いてもらうと、前川は「ありがとうございます。」とぺこりと頭を下げた。

「きゃっ!」

「あわわ、ごめん!ごめん!」

その拍子に背中におぶっていたありさを落としそうになった。

慌てて体勢を立て直すと、前川は改めてしっかりとありさを落とさないようにおぶった。

「じゃあね、あ~ちゃん、無理しないでね。前川君、あ~ちゃんのこと宜しくお願いしますね。そうそう、今度家に遊びにいらっしゃいね。」


牧原と同様に背が高い前川の背中はがっちりとしていた。

幼稚園にあがったばかりの頃父と別れたありさは、正直「男の人」の背中がこんなにも頼もしいことを知らなかった。

ありさはしっかりと肩に腕を回して落ちぬ様に気をつけながら、さほど知らない前川をおんぶされている背中からみつめた。

これほど近い距離にいる前川から漂う男の匂いや、息づかい、背中に耳をつけると聞こえる心臓の音。

それら全てが新鮮だった。

(あたし、前川君の匂い、嫌いじゃないかも。)

ありさは心の中で呟いた。

そして今度は自分の胸のドキドキが前川に伝わってしまっているんじゃないかと、少し心配になった。

(べ、別にまだ好きとか、そんなんじゃないのに…なんでかわかんないけど…ドキドキしちゃう。)

「ありさ、ちゃん…ちょっと一旦休んでいかない?」

「えっ?」

「もうさ、4時間目には間に合わないと思うから、ちょっとここで休んでいこうよ。」

そう言うと前川は自動販売機の横の木陰のベンチにありさを大事に下ろすと、「何飲む?」と聞いてきた。

「えっ…あっ…じゃ、あの、紅茶で…お願いします。」

「わかった…あ、ごめん…何紅茶がいい?なんか3種類あるけど…普通のとレモンとミルク、どれがいい?」

「えっと、ミルク。」

「わかった、じゃ、俺はレモンにすっかな。」


「はい、あのさ…おんぶされてんのも疲れるでしょ?ごめんな、足痛いのにさ…おばあさんと一緒にタクシーにでも乗った方が良かったかな?」

「え、あ、ううん…逆にごめんね、あたし、重たいでしょ?後、ジュース…ごちそうさま…です。」

前川はありさに紅茶を渡す前、ペットボトルの蓋を少し緩めてからくれた。

ありさはそういうさりげない優しさも嬉しかった。

「ごめんね、前川君…授業、出られなくなっちゃって…。」

「ああ、なんも、そんなの俺が勝手にやってることだから、ありさちゃんは謝んないでよ…それより病院時間かかっちゃったね。」

「あ、うん。」

「しゃあないか、救急車で運ばれてきてたもんね~…あの人、大丈夫かねぇ…痛そうに唸ってたでしょ?」

「あ~…ね~…交通事故って言ってたね…。」

「ああ、うん…。」

前川の顔が曇った。


前川しゅうやの父は、前川が小学生の頃に遭遇した多重衝突事故で脊髄を損傷し、それ以来仕事をやめざるを得なくなっていた。

長距離トラックの運転手をしていた父は、後ろの車が起こした追突事故に巻き込まれ前方の車に追突する形で運転席に挟まれ重症を負ったから。

全国区のニュースで報道されるほどの大事故。

前川の家族はまさか自分達の身近な人間がこんな酷い目に遭うなんて、それまで全く想像もしていなかっただけにショックは計り知れなかった。

幸い一命を取りとめた父だったが、それからが本当の事故の過酷さだと思い知った。

保険金と見舞金などで父の手術や入院などの費用は賄われたが、その後家族が生活していく為の最大の収入源を失ってしまったことはとても大きな現実問題だった。

懸命のリハビリで車椅子での生活が出来る様になったのはいいけれど、そんな父の世話を家でしなければならない。

どこか病院か施設にでも入ってくれているのなら、母が働きに出られたのだが、そういう訳にもいかなかった。

前川の7つ年上の兄は家の事情を熟知した上で、それまでコツコツとしていた受験勉強を急遽とりやめ、大学進学を断念。

すぐさま学校に就職の相談をすると成績が良かったこともあり、高校を卒業するとすぐに内定していた地元の信用金庫に勤めるようになった。

兄のおかげで家族は前ほどではないにしろ、ある程度普通に生活できていた。

だが、前川は兄ばかりに家計の負担をかける訳にはいかないと、中学に入学してすぐから朝の新聞配達のアルバイトを始めた。

義務教育の間で許されたアルバイトはそれか、春から秋にかけての朝の農家の収穫作業ぐらい。

通える場所に丁度いい農家がなかった前川は、新聞配達を選んだのだった。

新聞販売店は自宅から自転車で5分ほどの場所。

最初は「ちょろい」と思っていたのだが、なかなかどうして。

雨の日もあれば、風が強い日、両方とも強い台風の日など、様々な困難が待ち受けていた。

雪は降らないものの凍てつく冬の間は毎日が地獄だった。

自転車を漕ぐと全身に冷え切った風を浴びる。

特にハンドルを握る手や顔全体、そして耳はちぎれるほどの痛みを帯びた。

毎年冬はやけに長い。

けれども、前川は家族それぞれが必死に頑張っている姿を見ると、これぐらいのことで泣き言を言う自分が情けないと思った。

だから、頑張れた。

そして、今もほぼ毎朝、新聞配達を続けているのだった。

本当は好きな野球を諦めていた前川に、兄が「続けろよ!費用は俺がなんとかする。」と言ってくれたことが今も心に強く残っている。

進学の道を諦め、自分を含めた家族の為に就職を選んだ兄を、前川は世の中で一番尊敬している。

そうして兄の勧めもあり、入学した高校で真っ先に野球部へ入部したのだった。

強豪校と違ってさほど強い訳でもない野球部だが、前川はそれでも精一杯部活動に励んだ。

一生懸命励むことが兄への恩返しになる様な気がしたから。

3年の先輩達に代わり、今度は自分達が野球部を引っ張っていく番だという気持ちが、前川の中で熱く燃え上がっていた。

だが、クラス替えで一緒になった黛ありさをひと目見た時、前川のハートはもろくも打ち抜かれた。

(なんて可愛いんだろう。)

最初はそれだけ。

他の女子よりも幾分白く透ける様な肌に、やはり薄めの茶色がかった緩いウェーブの長い髪、光の加減で薄い緑色に見える目、長くて細く頼りない手足。

絵の中から飛び出して来た様な美しい乙女に心奪われた前川は、彼女に気に入られたい気持ちが高ぶって、今までより一層部活動に励んだり、授業中積極的に発言したり、わからないところを先生に尋ねる姿をありさに見てもらおうと随分努力した。

ありさを目にする時間が増えていくのと比例して、前川の気持ちもどんどん膨れ上がっていった。

夏休みが終わり、新人戦や中間テストを控えているこの時期、前川の中でどうしてもどうしても告白して、一旦自分の気持ちにきっちりとけじめをつけたいと思い始めていた。

そこで思い切って告白してみて、きっとあっさりふられるだろうから、そうなったら彼女のことはきっぱりと諦め、気持ちを切り替えて今度は野球や勉強に全力を尽くそうと決めていたのだが、実際、きちんとありさの目の前で「好きです。」と告白してみると、「ありがとう、嬉しいな。」と予想もしない返事が返ってきたのだった。

「えっ?それどういうこと?」

「あ、いや、だから、ありがとうって思って…好きですなんて、男の子から今まで言われたことなかったから、嬉しいなって…駄目?だった?」

「えっ?」

思いも寄らない返事から「付き合う」とかよりもまずはお互いをよく知ろう、話をいっぱいしてみないかとありさの方から提案され、なんやかんやで今に至るのだった。

告白したと牧原に報告し、こういう展開になったと伝えると、「ホントに嫌いだったら、そうはならないんじゃない?」と言ってくれた。

牧原の発言はなかなかの説得力があった。

そんな牧原を前川は崇拝する様に信じた。


「前、川、君…どしたの?なんか怒ってる?」

「あ、いや、こっちこそごめん、ちょっとボーっとしちゃって…ホント、ごめん。」

そう言うや否や、前川はペットボトルのレモンティーをゴクゴクと全部飲み干した。

「そう?あの…もう行く?」

「あ、やっ…ありさちゃんに任せるよ。」

「そう?じゃあ、もうちょっとだけここで休んでもいいかなぁ。」

「あ、うん、全然大丈夫、大丈夫。」

「そ…良かったぁ…ふふふ、ふふふ。」

ありさは照れ臭そうに頭を掻いている前川をじっと見つめた。

少し伸びた形のいい坊主頭の前川の横顔。

こんなにちゃんと見たことがなかった。

よく見るとスッとした高めの鼻。

彫りがやや深い目元。

案外くっきりした二重の目から生えるまつ毛は長い。

加工してない自然な太めの眉。

満遍なく日焼けした肌。

喉仏がくっきり見える首。

捲り上げているワイシャツから見えるたくましい腕に入る筋肉のすじ。

ごつごつとした男らしい大きな手。

肩幅なんて、女の自分よりもずっと広い。

(あ~、うふふ…なんかかっこいいな、前川君。)

ありさの心の声が聞こえたかのように、不意に前川がこちらに振り向いた。

「あっ…えっと…。」

前川と目が合うとありさは急に恥ずかしくなり、それ以上何も言葉が出なかった。

急に顔を赤らめたありさの可愛らしさに、前川も照れて下を向いた。

ほてった二人を冷やす様に、そよそよと心地いい風が通り抜けていった。

ありさは思った。

(あたし、前川君の声、好き。)


「まさか…まさかだとは思うんだけどね…。」

こう切り出したのはみつきだった。

「え、何?みっちゃん。」

「あのね、実はこの間なんかのテレビだったかな?何かで見たと思ったけど…忘れちゃったけど。」

「何?何?」

「なんかね、男とか女とかどっちもあるらしいんだけど…急にね、ターゲットにしたクラスメイトとか部活で一緒の人とかにね、好きなフリしてわざと告白するんだよね…いじめとかって訳でもなかったんだけど…。」

「えっ…。」

「でね、告白が成功するとするでしょ?」

「うん…。」

「そしたら、付き合ってキスとか、それ以上とか…するんだけど…。」

「…。」

「それをね、告白する場面から全部、こっそり仲間が動画とか撮ってて…。」

「…。」

「それをネットで流すっていう悪質なやつで…。」

「ええっ!」

「それで…まさか…とは思ったんだけど…あ~ちゃんの前川君はちゃんとした告白だと思うんだけどね…でも、牧原君がさ…なんか怪しくない?」

ありさはみつきが放った「あ~ちゃんの前川君」の部分に照れた。

「いや…べっ…別にさ…前川君は…あたしのって訳じゃ…ないんだけどね…まだ、付き合ってもいないしさ…その…なんだろ…。」

「あ~ちゃん!ちゃんと聞いてる?」

「あ、うん、ごめん…ちょっとデレデレしちゃってた。」

「牧原君…あれから何かと前川君と一緒に4人で会ったりするけど…でも、前川君があ~ちゃんのこと好きなのはすんごく納得だし本物だってわかるけど…あたしはさ…あ~ちゃんみたいなかわいこちゃんじゃないから…いきなり現れて可愛いなんて言われても…正直、あんま信じられないんだよね…そういう悪い話も仕入れちゃってるから余計に…どう思う?」

「え~っ…あたしはみっちゃんのこと、可愛いっていっつも、あの頃からずっと思ってるよぉ~…お世辞とかじゃなくって、客観的に見て本当にそう思うけど…その辺にいる女子より…そうそう、北村さん達みたいな派手系のパリピ軍団よりもずっとずっと可愛いよぉ~!あたし、みっちゃん大好きだもん!」

「ホント?あ~ちゃん…褒めてくれるのはすんごく嬉しいんだけど…あたしに気を遣って言ってくれてるんだとしたらやめてね。」

「ううん!あたし、みっちゃんに気なんか遣ってない…って、ちがっ…違うから…そういう変な意味じゃなくって…みっちゃんの可愛さをちゃんと客観的に見て言ってるの。真実なの!みっちゃん、あたしの目ぇ見て!目!」

「うん。」

みつきはありさの目をじっと見つめた。

「あ!」

「えっ?何?」

「あ、なんかね、今、急に思い出したんだ…あ~ちゃんが怪我する前、防波堤のとこに座って一緒に海見てた時さ、あ~ちゃん、愛は澱みなく惜しみなく…だっけ?え~と、その後…え~と、何だっけ?」

「ああ、それ…愛は澱みなく惜しみなく、深く終わることなく続く、それはまるで全ての人々に平等に降り注ぐ天からの光のごとく…っていうやつ?」

「そうそう…へぇ~、それってそういう続きなんだねぇ…なんか素敵!あ~ちゃんが作ったの?その詩。」

「あはは、みっちゃん、違う違う…あたしこんな素敵な詩なんて絶対に作れないよ…。」

「そう?なの?」

「んふふふふ…この詩ね、日曜礼拝の時にね、牧師さんの娘さんがね、教えてくださったんだぁ…。」

ありさは毎週の日曜日、家族で近くの教会に通っている熱心なクリスチャン。

それは別れたアメリカ人の父の影響というよりも、おばあが元々そうだったから家族全員小さいうちに洗礼を受けているのだった。

「ふ~ん、牧師さんの娘さんが作った詩なの?」

「あ、ううん、どっかの誰かが作ったって…確かどっか外国の人が作って、それを日本語に訳したんじゃなかったかなぁ…すんごく古~い詩だと思ったけど…ちょっと、詳しくはわかんないや、ごめん。」

「ううん、そうなんだねぇ…。」

「…って、ちょっとみっちゃん…話はぐらかさないで!」

急に真顔になったありさの気迫に、みつきはちょっぴり驚いた。

「みっちゃん!ちゃんと聞いて!」

「あ、はい。」

「みっちゃんは可愛いよ!」

「…。」

「あたしと違ってシャンプーのCMみたいな真っ黒くて真っ直ぐな黒髪に、赤みがかったほっぺたと控えめな唇、あたしとは少し違うけど白い肌に細い手足、ぱっちりした大きな目はお人形さんみたいに可愛いって思ってる。」

「え…へへへへ…あ~ちゃんにそこまで褒められるとなんかすんごく恥ずかしい…。」

真っ赤な顔を両手で隠すと、みつきはしゃがんでいる膝の間に埋めた。

「あ~ちゃんもフランス人形みたいに綺麗な子だなぁって、あたし、いっつも思ってた。」

「え~…へへへへ、やだ、嘘~!」

ありさも照れるとみつきと同じく膝に顔を埋めた。

「っはぁ、苦しい、ごめん、この話もうやめていいかな?」

「はぁはぁ…そだね、やめようやめよう…それより、みっちゃん見てこの辺り。」

ありさに促されしゃがんだ手前に目をやると、そこの花壇一面に小さなわすれな草が可愛く咲いていた。

「あたし、この花好き。」

「あたしも。」

みつきは入院した祖母がいつも怖いばかりの人ではなかったことを思い出した。

「木崎医院」の玄関先と自宅の玄関先に、祖母が植えて手入れしていた綺麗な花壇がある。

そこに植えられていた花の一つがこのわすれな草だった。

「わすれな草って…ロマンチックな名前だよね。」

「そうだねぇ…。」

ありさは前川が告白してくれた時のことを思い出していた。

「好きです。」と言う言葉と共にくれたのが、この忘れな草の小さな花束。

その時、「これ、どしたの?」と尋ねると、「家の庭で父さんが育ててて。」と答えた。

ありさはその時、前川の返事がなんだかとっても素敵だなぁと感じたのだった。


みつきとありさ、そして前川と牧原の4人グループでのセーンのやり取りはあっても、牧原から直接みつきに連絡はなかった。

足がすっかり治ったありさからは、前川と毎日の様にやり取りしていると聞いている。

(いいなぁ、あ~ちゃん、なんやかんやであの二人の関係って付き合ってるってことだよねぇ…それにしても牧原君、やっぱあたしのことなんかどうでもいいんだろうなぁ…可愛いとかって褒めてくれたけど…別に好きって言われた訳じゃないしさ…あ~あ、なんだろ…このもやもや感。)

ありさに相談と言えるほどではないにしろ、薄っすらと牧原のことを話していた。


「みっちゃん、そんなに気になるんだったら、自分から連絡してみたら?」

「だってぇ、あたしはさぁ、別に牧原君のこと好きでも何でもないんだよぉ…あっちから勝手にあたしのこと可愛いだのって言ってきただけでさぁ…あ~ちゃんの前川君みたいにちゃんと好きですとか言われた訳じゃないからさぁ。」

「そうかもしれないけど…でもね、でも、前と違って4人で一緒に帰ったり、どっか行ったりすること増えてきたじゃない?」

「それはさぁ…あ~ちゃんと前川君とあたしの3人じゃ変だから、人数合わせ要員で牧原君が呼ばれてるだけじゃない?」

「ん~…それはぁ、どうだろ?」

「えっ?」

「だってね、あたしが怪我した時のこと覚えてる?」

「あ~…まあね。」

「あの時、みっちゃんのこと紹介してもらう為にあそこに来てたでしょ?」

「あ…。」

みつきはようやくはっきりとあの時のことを思い出した。

「ねっ!思い出した?牧原君、みっちゃんのこと好きだから紹介してって言ってたんじゃない!ねっ!」

「あ、あ、でも、でもね、あ~ちゃん、でも、でも…でもね…まだ、好きって言われてない…よ。」

「あ~、う~ん…そっかぁ…もしかしてもう言ったつもりになってたりして。」

「えーっ!嘘ーっ!そんなのヤダー!」

「じゃあ…そだ、前川君に相談してみよっか?牧原君に直接は恥ずかしいでしょ?」

「う…うん…そうだね…じゃあ…あの…あ~ちゃん、お願いします。」

「ラジャー!うふふ、みっちゃん、可愛い!」

「へへへ、それほどでも…あ~ちゃんこそ、前川君と仲良くなってからますます可愛くなっちゃって…。」

みつきとありさはお互いをくどく褒めあった。

例えそれが冗談だとしても、面白ければそれでよかった。


みつきはありさを通じて前川に相談してもらったのだが、牧原との関係になんら変わりはなかった。

逆に前川から「えーっ!木崎さん、まだ告白されてなかったの?」と驚かれたぐらいだ。

牧原から「好き」と告白されていなくとも、4人で過ごす何気ない時間はやけに楽しかった。

「もう、そろそろ終わると思うんだけど…。」

野球部の練習が終わるまで待つのが、みつきとありさの「普通」となっていた。

汗と泥まみれになった男子達と合流すると、ほんの僅かな距離を4人でだらだらと歩いた。

同じ街で暮らしながらも学区が違った前川と牧原。

彼らの家は途中からみつき達の家がある方角とは逆の方にある。

なので、高校に入学するまでちゃんと出逢うこともなかったのだ。

「じゃ~ね~!バイバ~イ!」

前川はありさを家まで送ってくれた。

みつきと牧原は彼らと別れると、それぞれ一人っきりで家路につくことになる。

笑顔で手を振って別れると、みつきは途端に真顔になった。

(あ~ちゃん、いいなぁ、前川君、優しいんだねぇ。)

いくらか歩いて立ち止まり、みつきは後ろを振り向いた。

さっきまで一緒にいたありさも前川も、そして牧原の姿ももうそこにはなかった。


「ごめ~ん、遅くなっちゃって…ただいま~!」

古い一軒家の玄関の引き戸をガラガラと開けると、牧原を待ち構えていた様に弟のゆうが駆け寄ってきた。

「ただいま~、ゆう~!久しぶり~…でもないか、ははは、一週間ぶり~!」

「ブリー!」

そう言うと牧原はゆうと抱き合って再会を喜んだ。

「おかえり~!遅かったね~…ゆう、ずっとお兄ちゃんのこと待ってたんだよ~!」

「わりぃ、ちょっと色々…。」

「ふ~ん、ちょっと色々ねぇ…。」

母は含みのある言い方をするとスタスタと台所へ行ってしまった。


牧原こうの家は母子家庭。

こうの父は、生まれたばかりの2つ下の弟がダウン症と知るや否や離婚届に判を押すと、そのまま突然家を出て行った。

幼い二人の子を抱え途方に暮れていた母を助けたのは、母の両親。

つまりはこうとゆうの祖父母だった。

3人で身を寄せた祖父母の家は、今のこの古い一軒家。

幼い二人を祖父母に託すと、母は次の日から子供達を養う為必死で働いた。

朝から午後までの間は市内の病院などへの給食を作るセンターで働き、それが終わると夕方の4時から夜7時までの3時間は近所のドラッグストアで品出しやレジ打ちなどパートタイムで働いた。

そんな娘の懸命な姿を、年老いた両親は温かく見守った。

娘の代わりに祖父はこうの保育園への送り迎えを担った。

祖母は娘に代わって家事一切を引き受けてくれた。

ゆうは就学前は、送迎つきの児童デイサービスに朝から通った。

祖父母の愛情をたっぷり受け取ったこうも、ゆうも病気などすることなくすくすくと元気に育っていった。


こうが小学4年生の冬、突然の様に祖父が天国へ旅立ち、こうが中学2年生の春、今度は祖母が天国に旅立ってしまった。

母は相変わらず自分達を養う為、毎日必死に働いていた。

こうは頼っていた大事な祖父母がいなくなってしまってから、ある程度の家事を引き受けることにしたのだった。

ゆうは送迎バスに揺られ養護学校に通い、放課後はずっと通っている児童デイサービスに預けられていたのだが、中学に上がると同時に学校の寮に入った。

そして毎週の土日と祝祭日に家に帰って来る生活となっていた。

夏休みや冬休み、春休みなどの長期休暇の間もそれぞれの家庭の事情を考慮して、変わらず週に一度の帰宅。

それがやむを得ずできない場合は、ショートステイと決まっていた。


金曜日の今日は、ゆうが寮から帰宅する日。

毎週その日はシフトを休みにしてもらっている母が給食センターの帰りに、ゆうを迎えに行くのだった。

ゆうは母が運転する薄いピンク色の軽自動車が大好きだった。

牧原が家に到着する随分前から、外の辺り一帯にカレーのいい匂いが漂っていた。

予想通り、今日の夕食はカレー。

ようやく家族3人が揃うと、早速みんなで食べ始めた。

「美味しいね、ゆう。」

「オーシー!」

「そう?良かった、いっぱい作ったから、こうもゆうもいっぱい食べてね!」

「ハーイ!」

口にカレーとご飯が入ったまま、ゆうはスプーンを頭の上まで高く持ち上げると、そのまま立ち上がって元気に返事をした。

「いい返事ねぇ!」


「あ、そうだ、こう、これ、今度の土曜日なんだけどね…。」

母が出して見せてきたのは、ゆうの養護学校で行われるバザーのチラシだった。

「へ~、今年は…来週なんだね。」

「そうなのよ…毎年もうちょっと早い時期でしょ?でも、ほら、今年は台風あったから、それで一週間延期になっちゃって…母さん、すっかり忘れちゃっててさ…。」

へへへと笑う母の顔のシワが、こうには増えている様に見えた。

「なんかね、ゆう達みんなで歌とね、ダンスの練習とかしてるんだって…ああ、それで、バザーのね、ステージで披露するんだって!だから、来週は帰って来られないんだけどね…。」

一瞬母の顔が曇った。

「そうそう、母さんも金曜日はバザーの準備手伝うから帰り遅くなるけど…。」

「あ、うん、わかった。」

「ごめんね、一人でなんか食べててご飯代置いてくから、なんか適当に食べてちょうだいね…あ、そうそう土曜日もね、母さん手伝いあるから早めに家出るけど…今年もまたたこ焼き担当なのよ…みんなから焼くの上手いって、ふふふふ…そんなの、ねぇ…大したことでもないんだけどねぇ…そうそう、こうはどうする?見に来れる?良かったらお友達でも誘って…。」

「う~ん…まぁ、考えておくよ。」

「そう、わかった。」

明るく返す母に対して、こうは無理に笑顔を作るとそのまま自分の部屋に戻った。


(あ~、そっかぁ、ゆうの学校のバザーかぁ…行きたいけど…でもなぁ…。)

牧原は前川達を誘おうか迷っていた。

まだ、学校の誰にも話していないこと。

自分にはダウン症の弟がいるってこと。

仲良くしている前川の家族のことだって知らないし、あえて聞こうとも思っていない。

相手に聞けば、自分のことも話さねばならない。

それがどうした。

後ろめたいことなぞ何もないじゃないか。

話したければいくらでも話せばいいじゃないか。

そんなことは自分でもよくわかっているのに、何故か牧原の心の中でブレーキがかかっているのだった。

弟ゆうのことも、母のことも勿論大好きだし、大好きに決まっている。

人に隠すようなことなど一切ない。

胸を張って堂々とみんなに家族を紹介できるだけの自信は、ちゃんと持ち合わせている。

そんなのは百も承知しているはずなのに。

牧原は家族のことを考えた時、いつの頃からか無意識に隠そう隠そうとする癖がついてしまっている。

母はいい。

だが、弟を紹介した後の友人達の反応を考えると、とても怖くてできないと思った。

どんな差別的な視線を浴びるかもしれない。

おかしな同情の様なもので、自分を慰めるような真似をしてくるかもしれない。

自分は慰められる様なことなど一切ないのに。

弟を憐れんでいるのか。

そうなる自分を憐れんでいるのか。

牧原は怖かった。

家族を知られる。

たったそれだけのことで、今まで地道に構築してきた自分の人間関係が全て台無しになってしまうのではないか。

それがきっかけで人から嫌われるのではないか。

だから、折角仲良くなったみつきにも、まだ「好き」だと告白できずにいるのだった。

(みつきちゃん…どんな反応するだろう?ううん、みつきちゃんだけじゃなく、前川だって黛さんだって…どう思うんだろう?)

行動もしないうちから、先を読みすぎてしまう。

そうやって牧原は、自分の世界を自分で勝手に狭めているのかもしれなかった。


「ねぇ、あのね、今度の土曜日なんだけど、みんな空いてる?用事とかあったりする?」

それはいつもの様に4人で帰ってる途中のことだった。

「えっ?あ、俺は別に何もないけど…。」

前川は淡い期待を抱きつつ、そう答えた。

「あたしも特に用事ってないよ!大丈夫!」

みつきも笑顔で答えた。

「あ、俺は…その…特に…。」

牧原は歯切れが悪かった。

「あのね、実はね、通ってる教会にポスター貼ってたんだけど、今度の土曜日、市内の養護学校でね、バザーやるんだって…それで教会の人達もみんな行くって言ってて…それで…この4人で行けたらいいなぁって思って…なんかね、毎年行ってる人に聞いたら、美味しいたこ焼きとかクレープとかもあるし、手作りの可愛い小物とかもいっぱい売ってるっていうから…ちょろっと行って見たいなぁって…。」

ありさがそこまで言うと、すかさず前川が続けた。

「へ~、いいねぇ~、いいんじゃない?なぁ、みんなで行こうぜぇ!なぁ、牧原も、木崎さんもさぁ…そうしよう!そうしよう!なぁ!」

「そうねぇ、バザーなんて楽しそう!あたし達の学祭とっくに終わっちゃったものねぇ…お祭りも来年までないから…あたしも行きたい!みんなで…この4人で行きたい!」

興奮気味のみつきは、喋りながらちらりと牧原の顔を窺った。

当然、一緒に笑顔を見せていると思っていた牧原の表情は、硬く引きつった様な顔だった。

「どした?牧原…なんか都合悪かった?」

「あ、いや、ううん、大丈夫…行ける、行ける…うん…うん。」

いつもの牧原らしさが見当たらないと感じたみつきは、ちょっぴり不安になった。


「牧原君、どうしたのかなぁ?」

「さぁ、お腹でも空いてたんじゃない?もしくは金欠とか?」

「そうかなぁ…なんかいつもみたいじゃなかったなぁって思って…。」

「そう?」

「うん、あ~ちゃんは気づかなかった?」

「あ、ごめん…みんなでバザー行けるの嬉しくて…当日、何着て行こうかってことばっかり考えてたの。」

「えーっ!そうなのー!」

「うん、そうだよ…じゃあ、じゃあさ、みっちゃんは当日何着て行くつもりだった?そこまで考えてなかったぁ?」

「え…あ、うん…。」

「牧原君のことばっかり考えてたんだぁ~。」

「…うん。」

「そっかぁ…みっちゃん…牧原君のこと好きになっちゃったんだねぇ。」

「あ、やっ…まだ…そんなんじゃ…ない…けど…そういうあ~ちゃんはぁ?前川君のこと好きなんでしょ?もうちゃんと、正式に付き合ってんでしょ?」

「あー…んー…薄っすら…好きになっちゃったかもみたいだけど…でも、まだ、正式には付き合ってないの…まだ、そういう話はしてないの…。」

「えー、どうして!」

「ん~…わかんない…ただ…。」

「ただ?」

「ただ、あたしと前川君の二人っきりじゃなくて、みっちゃんと牧原君と4人でいるのが楽しいなぁって…できればずっとこのままでいられたらなぁって…ホントはそういうの駄目かもしれないんだけどね…でも、今の関係があんまり楽しすぎて…だから、前川君と付き合っちゃったらさ、きっと二人っきりになるばっかりになっちゃうだろうから…でもさ、あたしはみっちゃんや牧原君もいるから…なんつうか…このまんまがすんごく居心地いいからさ。」

「あー…なんかわかるぅ…あたしもそうだもん…そうなのはそうなんだけど…でも、牧原君には好きって言ってもらいたい…かなぁ…なんて…えへへへへ。」

「えーっ!みっちゃん、そうなの~!自分から好きって言わないのぉ?」

「うん、言わない。」

「なんで?」

「だって…最初に可愛いとか言って来たの、向こうだからね!」

みつきは鼻息荒く言い切った。

「そっか…そうだったね…近いうちに言ってくれるといいね!」

「うん…。」

みつきの中には未だにほんの少しだけ、牧原が自分に好意をもってくれている様子が「偽装」なのではないかと疑っている部分もあるのだった。

(だって…いつまでも言ってくれないんだもん…ただ、可愛いって…嬉しいけど…社交辞令みたいに思っちゃうよ…ホントは牧原君もあ~ちゃんのことが好きだけど、でも、親友の前川君のことを大事に思ってるから…だから、自分は身を引いてってのか、そういうので無理してホントは好きでもなんでもないあたしに、あ~ちゃんといつも一緒にいるから、だからあたしと仲良くしておけば…前川君の前でも自然にあ~ちゃんと一緒に過ごせるから…だから…だから…だからさ…きっと、そうなんだよ…そうだから…待っても待っても告白なんかしてくれる訳もないんだろうなぁ…。)

はぁ~。

ありさとセーンのやり取りを終えたみつきは、大きなため息を一つついた。

仰向けになっているから、いつの間にか勝手に出た涙が両方の耳に流れた。

「気持ちわる~い!ヤダなぁ…ヤダなぁ…。」

みつきはぶつぶつと呟きながら、そのまま手を伸ばすと寝たままの頭上にあるティッシュをとって濡れた耳を急いで拭いた。


土曜日は雲ひとつない快晴だった。

夏よりも涼しく、秋よりも少し暖かい丁度いい気温。

前日、遅くまでセーンで今日のダブルデートに着ていく洋服から靴やバッグ、持ち物なども話題がつきなかったみつきとありさは、やや寝不足気味だった。

そんな女子達ほどではないにしろ、前川と牧原の男子組みも、日付が変わる頃までセーンで今日の作戦会議をしていた。

待ち合わせのバス停で4人が揃うと、いつもの楽しさよりも若干テンションが上がった。

ただ一人、牧原だけは盛り上がる3人といくらかの温度差があった。

ありさや前川と笑顔で話しながらも、みつきは隣のぎこちない笑顔の牧原のことが気にかかっていた。

(牧原君…。)


バスで揺られること約20分。

目的地が近づくにつれ込み合ってきたバスが養護学校の前で止まると、あっという間にほぼ全員が下車し随分と身軽になったようだった。

学校の前にはハリボテの派手な門が設置されていた。

そこをくぐると賑やかな雰囲気が漂う店がずらりと並んでいる。

学校の親達だけじゃなく、地元の商店からも沢山出店していた。

4人でゆっくり見て歩いていると、出店の中ほどにあるたこ焼きブースから首にタオルを巻いたエプロンの中年女性に声をかけられた。

「おー!こう!来たの~?」

「えっ?」

3人の視線が一斉に牧原に集った。

「ああ…はい…。」

力なく手を振って答える牧原は、何となく気まずいと感じた。

「えっ?牧原?えっ?えっ?誰?知り合い?」

「あ…ああ…あの…家の…あの…母さん。」

「えーっ!」

他の3人が大声で驚くと、周りの視線が一斉に集中したことに気づいた。

「あっ、やっ…そ、そうなんだぁ。」

ほんの数秒、冷静さを取り戻した3人は慌てて牧原の母に丁寧な挨拶をしたのだった。

「あのっ…こんにちは!いつも牧原君と仲良くしてもらってます!ぼ、僕は前川しゅうやと申します、よろしくお願いします…えっと…で、こちらが…。」

「あ、はい、黛ありさです。牧原君のお母さんと知らずに、すみません…大きな声出しちゃって…あの…よろしくお願いします…えっと…この子は…あ、どぞどぞ。」

「あ、あの…木崎みつきと言います…。」

みつきが名前を言うと、牧原の母はすぐさま「あ~、もしかして木崎医院の?」と聞き返した。

「あ、はい、そうです…あの、牧原君とはこの仲間でいつも仲良くさせていただいてもらっています…たまに勉強とかも教えていただいて助かってます…はい…。」

「そう…みんな、今日は来て下さって本当にありがとうね…そだ、こう…これ、皆さんで食べて…どうぞ、ゆっくり見てってねぇ。」

「あ、は~い!」

牧原の母からたこ焼きを4パック受け取ると、4人は何も喋らずただ店をゆっくり見て歩いた。

途中、それぞれの冷たい飲み物を買うと、4人は大きなテントの下にある長机と折りたたみ椅子が用意された「食べる場所」に落ち着いた。

「まぁまぁ…とりあえず、温かいうちに食べよう!ほっほ~っ…美味そう!あ、ありさちゃん、ジュース…ふた開けてあげるよ!貸して!」

「あ、ありがとう。」

「あ、木崎さん…ふた開けようか?」

黙ったままのみつきに牧原は声をかけた。

「あ、うん…ごめん…お願いします。」

「あ、うん…。」

4人の間に妙な空気が流れた。

誰も喋らないまま、それぞれたこ焼きを食べ始めていた。


最初に口を開いたのは、みつきだった。

「あ…あのね…あの…牧原君のお母さん…手伝いしてたけど…あの、たこ焼きのとこ…商店街のとこじゃなかったけど…。」

みつきだけじゃなく、ありさも前川も同じことに気がついていた。

「あっ…あっ…もしかして…もしかしてさ…ここに知り合いとかいるんでしょ?そんで頼まれたって感じとか?」

「あ~、そっか…そっか…な~る…そういうこ…。」

ありさの推理に前川が納得しかけた時、思いつめた表情を浮かべている牧原が遮る形で説明を始めた。

「ここに…この学校に弟がいるんだ…。」

「そ、そうなんだぁ…。」

3人は声を揃えた。

「べ、別に隠してた訳じゃないんだけど…ダウン症で…それでここの寮で暮らしてる。」

他の3人はじっと牧原の話を真剣に聞いた。

「2つ年下で…名前はゆう…。」

そこまで話すと牧原は下を向いて黙ってしまった。

「そうなの…弟さん、離れて暮らして寂しいね。」

そう言ったのはありさ。

「そうだなぁ…ずっと離れ離れなのか?」

前川が続いた。

「あ、いや…毎週末には帰って来るけど…あ、でも、今週はこれがあるから…帰られないんだけどさ…なんか…ステージで歌とダンス披露するのに練習があるからって。」

「そっかぁ…ずっと会えない訳じゃないんなら…ヤダろうけど…ねぇ、会えるんならねぇ、ねぇ、みっちゃん…みっちゃん?あれ?みっちゃん?どした?」

さっきからずっと黙ったままだったみつきは、キッと牧原の顔を睨みつけるように見つめながら話始めた。

「なんで?牧原君、なんで教えてくれなかったの?」

「えっ…あ…だって…。」

「あ~ちゃんがバザーに行こうって言った時、弟さんがいるから、学校のこと知ってるから案内するよって…そういうのでも言って欲しかった…お母さんもたこ焼きのとこにいるからとか…弟さんのステージ見ようって…そういうの…ちゃんと言ってもらいたかったな…。」

みつきの目からポロポロと丸い涙がこぼれ落ちた。

「そ、そうだよ!水くせぇよ!牧原ぁ~!俺ら仲間だろ?仲間じゃんかよぉ~!」

前川の目もいくらか潤んだ。

「ホント、牧原君…あたし達折角仲良くなったのに…そういうの教えてほしかったよぉ~…ここに来るまで、ここのことまるで知らないみたいな素振りして~。」

つられて涙のありさも言った。

「…だって…だってさ…言ったら…もう、友達じゃなくなるかもって…そう思ったから…。」

牧原の脳内に中学の頃、仲良かった田村の顔が浮かんだ。

田村はそれまで牧原と大の親友だった。

たまたま田村が遊びに来た週末、帰宅していた弟を見てから態度が急変したことがあった。

田村に悪気はなかったのかもしれない。

けれども、そのことが牧原の中で激しいショックだったのは確かだった。

だから、怖かった。

「バカだなぁ、お前…そんなことで急に態度が変わる訳ないだろ?牧原さ、そんなことって言っちゃなんだけどあえて言うけど、そんなことずっと気にしてたのか?嘘だろ?」

前川の問いに、牧原は首を縦に振った。

「前に…中学の頃だけど…弟と会った…俺は親友だと思ってたやつがさ…裏切るってのか…手のひらを返したみたいに…俺を、俺や弟をまるで汚いものでも見るような眼で見て…離れて行ったから…だから…。」

「そいつはバカだ!そんなやつ、そのまま友達じゃなくて良かったよ…それよりさ、折角来たんだから、牧原、俺らを弟にちゃんと紹介してくれよ!なっ!頼む!なっ!」

「うん、あたしもちゃんと紹介してもらいたい…牧原君は牧原君だもん…家族は…ごめん…ちょっとは関係あるかもしれないけど…でも、こうして4人でいる時はさ…関係ないもん…あたしだって…お父さんアメリカ人だから…小学校の時いじめられたよ…学校に行くのが…ものすごく辛くて…苦しくて…だから…死のうって思ったこともあるんだよ…こんなこと、今言うことじゃないかもしれないけど…。」

ありさも泣き出した。

「ありさちゃん…大丈夫だから…そんな辛い時期あったんだなぁ…そっかぁ…ごめんな…俺、何にも知らなくて…実はさ、俺も…っつうか、俺んとこもさ、親父が交通事故で脊髄損傷しちゃって…ほぼ寝たきりってのか…そこまででもないか…そんで…母ちゃんが世話してんだけど…兄貴がさ…そういうんだから大学諦めてさ…働いてくれてて…俺もさ、なんかしなきゃ駄目だなって思ってさ…言ってなかったかもしんないけど…実は今も朝、新聞配達してんだよね…へへへ…だから何って話なんだけどさ…。」

「そっかぁ…みんなそれぞれ色々あるんだなぁ…ごめんな、黙ってて…なんか恥ずかしいとかって思ってた…正直さ、弟のこと…ホントは大好きで可愛い弟なのにさ…おかしいだろ?へへへ…なんかさ、こんな形で…みんなに辛いことカミングアウトさせちゃって…なんかごめん。」

そう言うと牧原は立ち上がってぺこりと頭を下げた。

「牧原君…あたし…まだ…言ってない。」

「え?あ、いいよ、そんなの…別にないんなら…無理して言うことないよ。」

明るい表情に戻った牧原は、目に涙をいっぱい溜めているみつきを見つめた。

「ううん、言いたい…みんなの事情、あたしだけ聞きっぱなしなのは…やかな…だから、言わせて…あ~ちゃんは知ってることなんだけどね…あたしは小さい頃からずっとおばあちゃまから虐待ってのか、躾ってことでいっぱいぶたれて…。」

そこまで言いかけると、みつきは涙で言葉が詰まった。

「みっちゃん…。」

心配するありさに軽く大丈夫と告げると、みつきはそのまま話を続けた。

「お行儀が悪いとか、言葉づかいが汚いとかもそうだけど…部屋に髪の毛1本でも落ちてたら…すぐにおばあちゃまから竹のものさしでぶたれるの…まだ小さい弟や妹までもぶたれる時があって…そういう時はなるべくあたしが守ってあげるようにしないとって感じで…背中とか太ももとか洋服で隠れる部分はいつも青あざができて腫れてて…だから…夏のプール授業なんか一度も出られなかったんだぁ…でも、でもね…ちょっと前におばあちゃま入院してくれて…認知症なんだけど…だから、今は誰にもぶたれることはないの…。」

牧原はみつきの手の甲の青あざがどういう理由でつけられたのかを、ようやく知ったのだった。

話が終わる頃、牧原の母が焼いたたこ焼きはすっかり冷めていた。


「なんかしんみりしちゃったな…あ、そうだ…牧原~、弟さんのステージ、何時から?」

前川は場を仕切るのが本当に上手いと、他の3人は感じた。

暗い空気を一変する前川の何気なさに、みんなはすぐに引っ張られた。

「あ、ごめん、11時半からだって…後、7分?ちょいかな…。」

4人は慌てて残りのたこ焼きを口に入れた。

「美味しいから、もっとゆっくり食べたかったぁ~!」

ありさが言った。

「ホント、そうだねぇ…あ、そだ、あたし帰りにお土産で買いたい!」

「あたしも!」

「じゃあ、俺も!」

「そんな…みんな…買うって…。」

牧原は困った様な嬉しさで複雑だった。

「だって…美味しいんだもん!ねーっ!」

きゃっきゃと笑うみつきとありさに、男二人は優しい眼差しで見守るのだった。


「はぁ~、楽しかった、今日はどうもありがとう…また、みんなでどっか行きたいね…ピクニックとかさ…ふふふふ…じゃ~ね~、バイバーイ!」

「じゃな、俺、ありさちゃん送ってっから…今日は…なんか良かったな…ははは。」

集合場所のバス停でありさと前川と別れた。

笑顔で手を振る二人はこちらに背を向け歩き出すと、自然に手を繋いでいるのが見えた。

「あの二人、もう付き合ってるよね。」

みつきの言葉に「だよね。」と牧原が答えた。

「さてと…じゃ、あたし、こっちだから…牧原君、今日は楽しかったネ…うふふ…お土産もいっぱい買えたし…うふふ…ホントにありがとう。」

笑顔で牧原に手を振ると、みつきはゆっくりと歩き始めた。

「あ、あ、ちょっと…。」

「え?」

振り向くとそこに緊張した面持ちの牧原がいた。

「あ、あのさ…送るよ…。」

「えっ?あ、いいよ…だって反対方向だし…。」

「ああ、いや…送らせてほしい…んだ…。」

「わかった…ありがとね…えと、じゃあ、お願いします…えへへ。」

「持つよ!」

「あ、大丈夫よ…そんなに重くないから…気持ちだけ…ありがとう。」

みつきは牧原の優しさに、照れ笑いが止まらなかった。

まだ「好き」と言われた訳じゃない。

でも、牧原のさり気ない優しさが、他の誰にでもしているそれではなく、自分だけの特別なものなのを最近知ったから。

だから、みつきはもう「好き」と告白してもらえなくても十分だった。

かと言って、自分から告白する勇気もまだ持ち合わせてはいなかった。

ただ並んで歩くだけでいい。

ただ話ができるだけでいい。

彼の声をこんなに近くで聞ける幸せ。

彼と僅かに触れる幸せ。

みつきは今、満たされていた。


木崎医院の看板が見えて来た所で、牧原の足が急に止まった。

「あ、じゃあ…この辺で…また、学校で…。」

もうこれ以上送ってもらえないのだと悟ったみつきは、そう言うと牧原に手を振って家に向かい始めた。

「あ、ちょ、ちょっと待って…。」

「ん?何?牧原君、どしたの?」

「あ、あのさ…ずっと言えずにいたんだけど…木崎さん、俺、君のこと好きです。」

「え…。」

「木崎さんは俺のことどう思ってるかわかんな…。」

「あたしも…。」

「へ?」

「あたしも牧原君のこと、好き…なの。」

「え…マジで?」

「うん、マジなの…。」

「やっ…。」

牧原は嬉しさのあまり両手の拳をがっちり握ると、つい大きな声で喜びそうになった。

心から「やった!」という喜びを表す牧原を見ると、みつきの中にまだちょっぴりしつこく残っていた「疑念」はあっという間に払拭されたのだった。

「そうだ、これ…告白する前に渡そうと思ってたんだけど…。」

そう言って牧原がカバンから取り出したのは、バザーに出店していた「手作り小物」の店の小さな袋。

駄菓子などが入っていそうな小さな白い袋の真ん中には、小さな花と店の名前の「忘れな草」というはんこが押されてあった。

「良かったら、どうぞ…あの、大したもんじゃないんだけどね…木崎さん、こういうの好きかなぁって思って。」

「え~、何?何?開けて見てもいい?」

牧原がこくんと頷くのを確認すると、みつきは袋が破けない様に綺麗にピリピリピリと袋の口に貼っている可愛いマスキングテープを剥がした。

テープの柄まで「忘れな草」だった。

中には小さな透明の袋に入った「忘れな草」のブローチ。

「可愛い!うふふふふ。」

「良かった。」

「ありがとう…うふふふふ…大事にするね。」

「俺も木崎さんのこと大事にするね。」

「きゃっ!うふふふふふふ。」

頬を赤らめる二人の頭上にオレンジがかった星空が見えていた。


最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました。

これからも、そして、他の作品もどうぞ宜しくお願いします。

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