第32話 更なるフラグの足音。
「ま、まぁいいでしょう。マリーは背伸びをしているお子様なのですから、大人であるこの私がい、イチイチ気にするほどでも……」
シズネさんは「私、別に貴女のことなんか全然気にしてませんからね!!」っと強気になっていたのだったが、声がとてもどもっていた。
「あら、それではそんなお子様に先を越されたのは、一体どこの誰だったかしら……ねぇ? ふふふっ」
「ぐっ! ぐぬぬぬっ」
マリーは意地悪な笑みを浮かべ「あら、もしかして妻のクセにキスもまだだったの? 貴女の方が全然お子様じゃなくて♪」っと挑発し、シズネさんを丸め込んでいた。またシズネさんも言葉の隙を突かれたとばかりに、何の反論もできずにいた。
「(すっげぇー。あのシズネさんが言い包められてやれてるぞ。さすがギルドを束ねるだけはある、ってことなのか……)」
俺は本当にマリーがギルドの長だと思い知らされた気分になっていた。
「…………」
「…………」
シズネさんもマリーも一歩も引く様子もなく、黙って互いを目だけで牽制し合っている。もしかするとこのまま『仁義在るモブ男争奪戦争』が勃発しかねない、一触即発の状況に発展しようとしていた。
ぐぅ~っ。っとそのとき、場を和ませるようなお腹の鳴る音が聞こえてきた。
「あっ、すみません……」
どうやらその音の主はアヤメさんのようだ。彼女は恥ずかしいのか、少し顔を赤らめながら下を向いて話の腰を折ったと謝罪している。
「ぷっ……ぷっくくくっ。こ、この状況で、なんですか? ぷっ」
「ふっ……ふふふっ。あ、アヤメいくらなんでもそれは狙いすぎでしょうが。ふふっ」
そんなマヌケな音に気が殺がれたのか、先程まで一触即発の緊張感を持っていたシズネさんもまたマリーも笑い出した。
「はぅ~っ。す、すみませ~ん(照)」
二人に笑われ、アヤメさんは所在無さ気に顔を真っ赤にしてテーブル下を向いている。それくらいお腹が鳴ってしまったのが、恥ずかしいのだろう。
「「ほっ」」
俺ももきゅ子も、それを見て安心するように肩の力を抜き、一息吐き出した。
「(この分なら、大丈夫だよな? にしてもアヤメさんが食いしん坊キャラだったなんて……ちょっと可愛い女性なんだなぁ)」
俺は安堵の笑みを浮かべると、「アヤメさん、年上の美人お姉さんなのに、マジ可愛くねぇ?」っと改めて惚れてしまいそうになる。
「そうですね。今日のところは一時停戦……といきますか?」
「ええ、そうね。私もアヤメではないけれど、お腹が空いたわ。今日はとりあえず、この店のオススメって言う『ナポリタン』を2ついただけるかしら?」
シズネさんもマリーも、今日のところは『ただの店の店員』と『そこに来た客』に徹するっと言っているようだ。そしてマリーは右手で指を二本立てながら、ナポリタンを2つ注文した。
「はい。ナポリタンをお二つですね。かしこまりました……旦那様」
「あ、ああ。代金か……あっいや、それは既に受け取っていたか。うん、すぐ作るから待っててくれな!」
シズネさんは注文を承ると丁寧に頭を下げた。ここら辺りはさすがは『おカネを頂くプロ』っと言った感じである。すぐさま気持ちを切り替え、接客に望んでいるのだ。そしてシズネさんは俺を呼び頷いた。
それはマリー達に対する接客の言葉はもちろんだが、「一緒にナポリタンを作りましょう!」と言っているのだろう。
「あのアヤメさん、お客にこんなこと頼むのは非常に悪いんだけど、その、もきゅ子を……」
「あっ、はい。お預かりしておきますね。さぁこちらへ」
俺は厨房に向かうため、右腕に抱き抱えているもきゅ子をアヤメさんに預けることにした。さすがに今から表にあるプロモーション用の樽に戻してる時間は無い。またもきゅ子一人では、あの大きな樽はよじ登る事ができないだろう。
「貴女、可愛いですね~。お名前はもきゅ子ちゃんって言うのですか? あっ抱きしめるの強くないですかぁ~?」
「もきゅもきゅ♪」
アヤメさんは俺からもきゅ子を受け取ると、大事そうに抱き抱え子供をあやす様に話しかけていた。またもきゅ子も暴れることなく、まるでぬいぐるみのように大人しく抱かれている。
そして俺とシズネさんは互いに頷くと、急ぎ足でバーカウンター奥にある厨房へと向かうことにした。
「っとと。あら、アマネ? そんな所でしゃがみ込んだりなんかして……一体何をしているのですか、貴女は? 既にお客様が来店して、注文を受けているのですよ! お冷を出しておいてくださいね! いいですか? 分かりましたか?」
「あっ、いや、これはそのぉ~……」
その途中、バーカウンターの裏側で隠れるようしゃがみ込んでいるアマネがいたのだ。シズネさんは「時間がありませんので、この場は旦那様にお任せいたしますね!」っと、一人急いで厨房へと向かって行った。
「店の中にいるはずなのに全然姿を見せないと思っていたら、こんな所に隠れたいたのかよアマネ? シズネさんじゃないけどさ、何してたんだそんなとこで?」
「しーっ。しーっ。声が大きすぎるぞ、キミは!」
アマネは右人差し指を自らの口元と鼻に押し当て、静かにするよう俺に向けそう言った。
「一体なんだってそんなこと……おうわぁっ!?」
ガバリッ。そして俺の右手を強引に引っ張ると、アマネのように俺までも隠れるようカウンター裏へとしゃがみ込ませたのだ。
「(しーっしーっ。静かにしてくれ。見つかってしまうではないか!)」
「(コクコク)」
アマネは誰から隠れているのだろう? そんな疑問を思うときもあった。だが今はそれどころの話じゃなく、目の前の出来事を前にしては疑問もどこかへ吹き飛んでいた。
何故ならアマネは俺の口を塞ぐよう右の掌を押し当て、顔もまるでキスするかのように近づけていたのだ。そして俺にできるのはただ頷く事しかできない。
「(あっ、すまない。苦しくなかったか? あっ……)」
アマネは自分の手で喋ることが出来ないと気付き、俺の口から右手を離した。そしてアマネ自身も今のこの状況を理解したのか、俺の目をじっと見つめている。
アマネの潤んだ赤い瞳がゆらゆらっと揺れ動き、互いを見つめる目から離せなくなっていた。
「(……ゴクリッ)」
(アマネも他の娘に負けないくらいの美少女だよな……)
アマネは言うまでもなく美少女だった。それもシズネさんの手前影を潜めているが、メインヒロインクラスと言っても大げさではないだろう。
赤く長い髪に柔らかそうな唇、そして前屈みにしゃがんでいるため胸が押しつぶされ、その柔らかさと大きさをより強調していた。そんな美少女が俺の目の前、ほんの数センチほどの距離にいて互いに見つめ合っているのだ。ほんの少し顔を突き出し前に出せば、キスも出来てしまう距離である。
「(アマネ……いいよな?)」
「(……ああ)」
強気攻め真っ最中の俺は「いっそのこと……」っと決断し、了解を得るように目で合図をして確認を取る。アマネも俺の意図が分かったのか頷き、そして互いに顔を近づけていった。
あとほんの少し。もう既に互いの吐息が、鼓動が聞こえる距離になっていた。あとはこのまま体が求めるままに身を任せてしまえば……
「……貴女達、何してるのよ?」
そんなとき頭上からそんな声が聞こえてきた。
「うわっ!?」
「な、なんだっ!?」
「『うわっ!?』とか『なんだ?』ってのはないでしょ。私は魔物かっつーの!」
それはマリーだった。その小さな体をバーカウンターから身を乗り出し、俺達を見下げていたのだ。何気に背が足りないのか、足をブンブンっとバタつかせているのが泣ける努力。
「あ、これはその……」
今日何度目か分からない戸惑いの言葉を口にするアマネ。
「そ・れ・よ・り・も! アマネ……私達から隠れていたというのは本当なの?」
「あの、マリー……これは違うんだ。決してそういう意味じゃなくてだな……」
マリーの質問にうろたえるアマネ。
「えっ? マリー達から隠れてたのかよ? なんで……」
っと口にしそうになり、そこで改めてアマネの言葉を思い出してしまった。
「(確かアマネはギルド所属の勇者様で、酷い扱いを受けてるとかじゃなかったか? でもマリーが……いや、マリーなら全然しそうだけれども、アヤメさんがそんなこと許すかよ?)」
俺は少し考えるような素振りをしつつ、実は何にも考えていなかった。そもそもっんなもん、考えても分かるわけないねぇよ(謎の逆ギレ)!!
「おい、マ……」
「はぁ~っ。どうせ貴女のことだから、オジ様の言うなりに仕事をしていたんでしょ? だから言ったじゃないの、私のところに来なさいって。はぁーっ。も~うっ!!」
俺が文句を言おうとしていたら空気を読んだのか、マリーが簡単に事の概要を述べていた。
二人のやり取りを察するに、どうやらアマネはマリーのオジさんのところにやっかいになっていた様子。で、そこではあまり良い待遇はされていなかったようだ。そんなアマネをマリーは自分のところへ来るように言っていたが、拒否したってところだろう。
「す、すまない……マリー。キミに迷惑がかかると思って、ついそのぉ~……」
アマネはバツが悪いのか、指をくっ付けたり離したりしてマリーと顔を合わせられないでいる。
「はぁーっ。もうほんと貴女らしいわね。……でこの子、今はここで働いているのかしら?」
「あ、ああ。アマネも行くところが無くて困っているから、シズネさんが住み込みで働くように、って」
アマネでは埒が明かないと思ったのか、マリーは俺に今のアマネの状況を質問してきた。俺はアマネが置かれている状況を簡単に説明する。
「……そっ。ふふっ。ならいいわ。でも何かあったら、私を頼りなさいよね。いいわね、アマネ!」
「は、はい!!」
マリーが少しだけ強めに言うと、アマネは立ち上がり返事をした。
「アマネー! お客様にお冷はお出ししたのですかー? 働かないのなら、お昼は抜きになりますよー」
「あ、はーい! ただいまっ!!」
厨房奥に居るシズネさんからアマネへ向け、そんな声がかかった。アマネは急ぎマリー達にお冷を出すため、厨房へと駆けて行ってしまう。
「ふふっ。あのアマネがね」
マリーは目を細めまるで喜ぶように、アマネが駆けて行った厨房へと目を向けて微笑んでいた。
「マリーはその、アマネのこと詳しいのか?」
「そうね。少しは、ね。それにしても貴方、ウチのアヤメだけではなく、アマネにまで粉をかけるだなんて……」
俺は先程のやり取りを誤魔化すため、慌てながらマリーとアマネの関係を聞いてみる。するとマリーは少し言葉を濁し、話題を逸らすように「やるじゃないの」っと俺の横腹を肘で突いてくる。
「いや、別にさっきのアレは事故というか、なんというか……」
「ふふっ。別に怒っていないわよ。むしろアマネまで引き入れたとなると、私にとっても好都合な事だわ。それに……」
マリーは口元に軽く握った右手を当て何かを考えるよう少し視線を下に向け、言葉を途切れさせてしまった。俺はそれが少し気になり、続きを促すようにマリーの言葉を繰り返す。
「それに?」
「……あっいえ、なんだか面白くなりそうな予感がするのよ。これから先、貴方を中心にしてね」
マリーはとても愉快なのか、少し口元を上げそんなことを言っている。
マリーが言ってるその意味を俺が理解するのは、もっと先の話になるのだった……。
などと実は一切考えていない物語展開を決して読者にバレによう工作し、思わせぶりな伏線としてあちらこちらへと張り巡らせつつ、お話は第33話へつづく
※どもっていた=声が上手く出せない、スムーズに発声できないなどの意味合い
※お冷=いわゆる食堂で無料提供されているのお水の符丁(お店側の合言葉)。お寿司屋さんで言えばあがり(お茶)に属する。
※粉をかける=気を惹かせる、またはツバをつける、自分に好意を持たせるなどの意味合い。




