第194話 上に立つには、人を使いこなさなければならない
「やだやだやだやだ、そんなのボクぜ~~ったいに嫌だし、認めないからねっ!!」
「じゃ、ジャスミン落ち着けって。何もずっとってわけじゃないんだぞ」
俺はまるで子供のように床で駄々をこね、嫌がっているジャスミンに言い聞かせるよう説得をしていた。
自称俺達よりも年上である彼女が何故このように子供に戻ってしまったのか?
それは言わずもがな、彼女の夢であるはずの『道具屋』そのすべての運営を新参者のウルフへと委譲させてしまったことに端を発する。
本来ならばそれは互いに話し合いで決めるべきなのだろうが、シズネさんは勝手に一人で決めてしまい、彼女はそれが納得いかないと憤慨しているわけなのだ。
「むぅ。主殿よ、俺様もまさか先任者が既にいたとは思いもしなかったぞ。これでは彼女が怒るのは無理もないことではないか?」
「そ、そうなんだけどさ。そこはほら、ウルフも知ってのとおりシズネさんが勝手に決めたことだし……」
ウルフは人手不足から自分が選ばれたと思っていたのに、道具屋には既に店の運営を任されていたジャスミンが居たのだ。
これでは話が違うと彼に言われても、文句は言えないだろう。
またウルフは俺のことを『主殿』と呼んで敬ってくれていた。
それはシズネさんを自分の主だと認めたため、その旦那である俺のことも同様に扱ってくれていたのだ。
ちなみに最初はシズネさんのことも『我が主』などと呼んでいたが、俺と同じ呼び方だと紛らわしいために『シズネ様』と呼ぶようになっている。
「お兄さんっ! 何でボクを追い出すような、そんな意地悪なことをするのっ!! も、もしかして兄さん……ボクのことが嫌いなの!?」
「ち、ちげーってジャスミン。こんなに頑張ってくれてるジャスミンのこと、俺が嫌うわけねぇだろ」
「じゃあ、なんでなんでなんでなんでなんで……」
ポカポカ。先程よりも更に暴れるようジャスミンは、猫のように丸めた手で左右交互に俺の胸を叩いてきた。
その程度ではダメージにすらならないのだが、反対に心のダメージは計り知れないものがあった。
「おや、どうかなさったのですか旦那様?」
「シズネさんっ! いいところに!!」
ちょうど別の従業員の面接が終わったのか、シズネさんは冒険者達が自ら書いてくれた洋紙の束を持ちながら「何事か?」っと訊ねてきた。
「実はさ……」
「なーる。ふむふむ……」
俺は事の詳細を説明しようと耳打ちするのだったがシズネさんはちゃんと理解しているのか、はたまた聞き流してるんだか、よく分からない適当な相槌を打っている。
「そういうことでしたか。なるほど……それではワタシから説得してみましょうか?」
「ほんとに!?」
「あら、何を驚かれているのですかね旦那様?」
「いや、別に……じゃあお願いします」
「はい」
まさかシズネさん自らジャスミンの説得に乗り出すとは夢にも思わず、少しだけ驚いてしまった。
「ジャスミン……」
「つーん、だ」
シズネさんが名前を呼んでもジャスミンは膨れっ面になって、ぷいっと明後日の方を向いてしまう。
「ジャスミン、貴女は少し勘違いしていますよ」
「…………何を?」
「自分の何が間違っているのか、そしてシズネさんは何を言いたいのか?」っと、ジャスミンはぶっきら棒な口調なのに、ちょっとだけ興味を惹かれた様子。
「ジャスミンの夢はなんでしたっけ?」
「……大商人になること、だよ」
「今更何でそんなことを聞くの?」っとジャスミンはまたもや、ソッポを向いてしまった。
だがシズネさんはそんなことに臆することなく、語りかけるように言葉を口にしていった。
「大商人になるならば……人を上手く使うことも当然の如く必要になりますよね?」
「……うん。ここみたいな都会だけじゃなく、地方なんかにもお店は欲しいし、それに何店舗もお店がなきゃ、大商人になれないもん」
「それはジャスミン一人で運営できるものなのですか?」
「…………ううん。ボク一人じゃ無理……だと思う」
ジャスミンは既にシズネさんの言いたいこと、そして意図を悟ったかのように自然と真正面に向き直していた。
「ですよね? 大本の経営などはジャスミンが指揮するにしても、各地方にある店は誰かに任せなればならない。これは言わば、その予行演習のようなものだと考えてみてはどうですか?」
「…………」
そこでようやく俺もシズネさんが言っている意味を理解する。
人が上に立つには部下を上手に使わなければならない。だから今はその修行のときだと言いたいのだろう。
組織の頂点に立つ人間とは優れた能力や努力、それに資金や権力はもちろんのこと、人をいかに上手く扱い制御できるか、それが大切なのだ。
ただ一店舗を運営する商人ならば自分だけの話で済むのだが、ジャスミンが目指しているのはこの世界で一番の大商人なのである。人を育てるのはもとより、人を扱うことにも長けていなければ大商人になれないだろう。
「ボクだって、シズネさんの言いたいことは最初から理解してたもんね」
ジャスミンは渋々ながらと言った感じに、そんな言い訳をしていた。
「ええ。聡い貴女ならそうでしょうね。それに自分のお店だからこそ、お客様と顔を会わせながら一つ一つの商品を売りたい気持ちも理解できます。かくゆうワタシだって、昔は人を頼るのが嫌いでしたからね。だから今の貴女の気持ちは痛いほどに理解できます」
「ぅぅっ」
シズネさんにそう言われてしまうと、ジャスミンは俯き唸ってしまった。きっと図星だったに違いない。
けれども、今のこの状況を素直に受け入れたくないだけなのだろう。
「ですが人間一人では、物事を成すには限界があるものです。人を育て、扱う……それが出来てこそ一流の大商人というものではないでしょうか? ジャスミンならばきっとこのワタシの意図を汲んでくれると思いましたからね。だからこそ、ワタシも敢えて事前には説明しなかったのですよ」
「そう……だよね。そのとおりだよ、うん……。ごめんね、シズネさん……わがままばかり言って……ごめんなさい」
シズネさんのその言葉が心に響いたのか、ジャスミンは大きく頷くと顔を上げ、謝罪の言葉を口にしながら頭を下げた。
「いえ、別に良いのですよ。ワタシも言葉が足らないところもありましたし、お気になさらずに。それにこういう時にウチでは、謝罪などの言葉よりも感謝の言葉を述べる……ですよね旦那様?」
「あ、ああ……そうだぜジャスミン。そんな気にすることねぇさ。それに元気がウリのお前に、こんな落ち込んだ顔なんて似合わないぞ。ほらほら~♪」
「うにゃにゃ~っ。ほにゅしゃ~ん、ほれはひたいよ~」
(うにゃにゃ、お兄さん、それは痛いよ~)
俺は泣きそうになっているジャスミンの頬を引っ張り、強制的に笑顔にしてやる。
些か強引だろうが、こんなときには有効な手段と言える。
「旦那様、引っ張りすぎじゃありませんかぁ~……ね、っと♪」
「ほにゃにゃ~、しふねさ~ん、ほれはやりすきー」
(おわっと、シズネさん、これはやりすぎ)
これ幸いとばかりにシズネさんが空いている俺の両頬を引っ張りまわし、円を描くよう捏ね繰り回していたのだ。
俺は思わずジャスミンの頬から両手を離してしまい、シズネさんの成すがまま、猟師に捕らわれたウサギのような心境である。
「にゃはははっ。お兄さん、変な顔してるぅーっ」
「いえいえ、ジャスミンそれは違いますよ。逆ですよ、逆。変な顔をしているのではなく、旦那様の顔が変なのですからね!」
「そっかー♪ じゃあ仕方ないよね~♪」
「ほ、ほまえらーっ!!」
(お、おまえらーっ!!)
いつものようにジャスミンも笑顔を取り戻し、俺達はまた一つ大きくなったのかもしれない。
「ふむ。我が主は良識だけではなく、茶目っ気までも備えているのだな。ふっ」
ただ一人、ウルフだけは難を逃れ、キザな笑みを浮かべながら俺達を眺めていたのだった……。
第195話へつづく




