第183話 回りまわった代償(ツケ)の行方
『歪み』『皺寄せ』というものは、ある日突然やってくるものである。
しかもそれは俺達の都合などお構いなしに降りかかってくるものだ。
俺達がクランを開いてからというものこれも相乗効果なのか、レストランにも道具屋、武具屋、宿屋に今までより多くの客が訪れるようになっていた。
通常ならばそれは嬉しい悲鳴となるべきだったが、今の俺達にとって文字通りの『悲鳴』をあげてしまう事態に陥っていたのだった……。
「もう昼過ぎだってのにマジで今日は昨日よりも人、多くなってねぇか? こんなときにジャスミンとシズネさんは何してんだよっ!!」
俺は人手が足らない厨房に入りフライパンを振りながら、そんなことをボヤいてしまう。
そうジャスミンは自分の店である道具屋へ、シズネさんはクランの仕事をで大忙しなのだ。
しかも間の悪いというべきなのか、今日はお昼の混雑時を過ぎても客足がまったく落ちずに、自分達が昼食を食べる暇すらもないほど混雑している。
月に一度ほど、このように客がダラダラと途切れることなく続くことがあり、今日がまさにその日だったわけだ。
「おい、君っ! アリアの洗い場の方にも、なんだか人が足らないみたいだぞ!! どうすればいいのだっ!?」
「あ~っ、もう~っ!!」
これまで俺が担当していた調理補助……いわゆる野菜切りや乾麺スパを水で戻す『仕込み作業』や、盛り付け皿などを準備する『補助作業』などをアマネが代わりにやるようになっていた。
俺は料理を作るのに専念しているにも関わらず、アマネからそんなことを言われてしまいパニックに陥ってしまっていた。まさか作りかけのナポリタンを放置して洗い場に向かうわけにも行かない。
「アマネ! こっちはいいから、アリアの方を頼むっ!! 皿がねぇと、いくらこっちで料理を作っても意味がねぇ!!」
「わ、わかった!」
これまでと同じく、来店する客がに対して洗うのに一番時間がかかる鉄皿だけが圧倒的に不足していたのだった。
単純な解決策としては、その分多くの鉄皿を購入すればいいだけである。
だがそれも極度の資金難からシズネさんから無理だと言われてしまい、結局は今の今まで買えずじまいとなり、今の状況に至るわけだ。
これなら少しくらい鉄皿を増やして欲しい……そう心の中で苦言を呈してしまう。
そうして調理補助であるアマネが居なくなったことで、調理に専念できていた俺の負担がより大きなものとなった。
このような状況に至ってもなお、ジャスミンもシズネさんもまだ来てくれない。
給仕をしているアリッサやもきゅ子、それにサタナキアさんだっていつまで持つか分からず、このままでは飲食店としての形が根底から立ち行かなくなってしまう。
「なんだいアンタ! 料理が出来てから、あたいの注文が間違ってたって言うつもりなのかい! あ~あ~、上等さね! その喧嘩、買ってやろうじゃないか! 表に出なっ!!」
「も、もきゅ! もきゅきゅ~っ」
「忙しいのじゃ~、忙しいのじゃよ~。なんだか妾ぁ~、目が回るのじゃ~。ふぁ、ふぁ~ん、ふぁ~ん」
……どうやら俺のその杞憂は現実のものになりつつあるようだ。
聞こえてくるアリッサの怒声から察するに、たぶん注文の聞き間違えか何かがあったのだろう。それを仲裁しようともきゅ子が立ち回り、サタナキアさんに至ってはその場に浮遊しながら、クルクルと無駄に回っているに違いない。
ホールを仕切る人間も居なければ、調理を仕切る人間も居ない。
これではいくら仕事に慣れてきたアリッサ達とはいえ、右往左往するのも無理も無いことだ。
「ご、ごめんねぇ~お兄さん! 遅くなっちゃってぇ~」
「おせぇよ、ジャスミン! それとシズネさんは? シズネさんはどうした!?」
「う、ん。シズネさんは今、ホールの方を立ち直らせてから厨房に来るって言ってたよ!」
どうやら遅ればせながらもジャスミンとシズネさんが、ようやく戻ってきてくれたみたいだ。
ここに戻る途中、二人で今のこの状況を冷静に踏まえ、ホールと厨房にそれぞれ別れて指揮するよう示し合わせたとのこと。
「おっし! ここが踏ん張りどころか! じゃあジャスミン、俺は仕込みの方やっちまうから調理の方、頼んだからな!」
「うん! 任せてよ♪」
見れば前もって仕込みをしていた具材などは、あと少しで無くなりつつあった。
俺は大急ぎでまず乾麺を水に浸し戻すと、その間にタマネギ、ピーマン、ソーセージっと次々に輪切りにしていった。
何故この順番なのか? これは仕込みに一番手間がかかる順から、作業をするというものだった。
タマネギは上下を切り落としてから茶色の表皮を剥き、更に縦半分に切ってから芯に包丁をバツで切込みを入れ外し、半月状にしてから千切りの要領で薄くも厚くもなく切らなければならない。
ピーマンは上下を切り落としてから、指を使って中に入っている種を出し、輪切りにする。
最後にソーセージはただ輪切りにして切るだけ。
食材一つ取ってみても、これだけの工程があり、また炒める際にも火の通りづらい食材から入れていかなければならない。
ここではピーマン、タマネギ、ソーセージの順である。最初にタマネギを炒める人がいるが、それだと変に余計な甘味が出すぎてしまうため、苦味と彩りがウリのピーマンから先に炒めるべきなのだ。
「はいはいはい……っと、はいお兄さん! 次のオーダー2つ分、上がったよ♪」
「あいよ!」
(にしてもほんとジャスミンは作るの早いよなぁ。大体半分ほどの調理時間でオーダー作れるだなんて、俺店の主として形無しになっちまうよ)
俺が調理する場合には一つのフライパンで具材を炒めてから麺を入れ、味付けをして再度炒める。
だがジャスミンの場合、二つのフライパンで同時に調理していたのだ。
一つは具材と麺とを合わせ味付けをし、もう一つでは既に次の分である具材を炒め始めている。
しかもそれだけじゃなく、それと並行する形で鉄皿を熱したり、受け皿である木のプレートを用意している複数同時作業もこなしていたのだ。
「ふんふんふ~ん♪」
まだまだ余裕があるのか、調理台まで鼻歌が聞こえてきていた。
「あっ、お兄さん。それが終わったら、洗い場の方行って来てもいいよ。こっちはボク一人でなんとかするからさ!」
「ああ、わかった!」
どうやらこの上、仕込み作業までする余裕がジャスミンにはあるようだった。
そして俺は言われるがまま、それに従いアリアとアマネが担当している洗い場へ急いで向かう。
「……って、あれ? 今はアリア一人なのか?」
だがそこにはアリアしか一人しか居らず、アマネの姿が見えなかった。しかも先程まで山積みになっていたであろう、食べ終わった食器まで数枚ほどと少ない状態である。
「これはもしかしたら……」そう思っていると、いつもの口調のアリアに声をかけられた。
「あら~、お兄さんじゃないの♪ もしかして手伝いに来てくれちゃったわけ~?」
「あ、ああ……厨房にジャスミンが戻ってきてくれたからな。にしても、これって……」
「あ~っ、それね~。洗い場が回らないから立ち直るまで、シズネがま~た入場制限してるってわけよ♪」
やはり以前と同じく、座らせる客を減らして外に行列を作らせているのだった。
確かにこれくらいの量ならば、アリア一人に洗い場を任せても大丈夫だろう。
「そっかそっか……シズネさんも戻ったのか」
「そっ♪ そういうことよぉ~」
俺はその場を後にすることにして、ホールに向かった。
「シズネさん!」
「旦那様、調理場の方はもうよろしいのですか?」
ホールにはシズネさんしか居らず、アマネ以下のみんなは外で宣伝及び余興をしているに違いない。
「ジャスミンが戻ってきたからな」
「そうですか」
俺達は互いに短い言葉だけで、その意味を察するような関係になりつつあった。
そうしてそれからも自分達の食事をする時間どころか、休む間も無いまま夕食の時間帯を迎えてしまい、結局その日一日は朝から閉店時間ギリギリまで店の混雑は続いたのだった……。
第184話へつづく




