第157話 掃除こそ、仕事の基本である!
それからすぐに店内の空いている席へと外で待っている客達を次々と招き入れ、再び忙しい仕事が始まる。だがそれも調理場と洗い場に余裕ができていたせいなのか、あれ以降特に目立った混乱もまた料理を提供するのに滞りもなく、お昼の忙しい時間帯をなんとか乗り切ることが出来たのだった。
「さて、そろそろ店も空いてきた感じだなぁ」
そうしてお昼のピーク時が過ぎ去ると、先程まで騒がしかった店内が嘘のようにパラパラと空席が目立つようになり、客足が落ち着き少しずつ手が空くようになっていた。
これまでと違いアリアとアリッサの二人が入ってくれた事、厨房にジャスミンが入ってくれた事、そして店が回らなくなった際にシズネさんが機転を利かして、時間稼ぎをしてくれた事が一番の要因であろう。正直アレがなければ、今尚混乱しながらも仕事に追われていたに違いない。
「なぁシズネさん。もう昼も過ぎてこれ以上客も増えないだろうから、そろそろあっちの店の片付け始めようか?」
俺は店が一段落したのを見ながら、厨房から出てきたシズネさんへとそう声をかけてみた。一応はジャスミンとアリッサの店は明日開店する予定になっているのだ。それに宿屋側も当然あるし、むしろ今頃まで掃除をしているのは遅いくらいである。
「そうですね、とりあえずは旦那様お一人でお願いできますか? もう少しお客様が減ったら、店の主であるアリッサやジャスミンをそちらへとい送りますので……」
「はいよ! じゃあ二階の武具屋は一通り掃除し終えたから、今度は一階の道具屋を掃除するから……」
「おや、もう終えていたのですか? お早いですね……後でチェックして差し上げますからね♪」
「ははっ……お、お手柔らかにお願いします」
俺が担当していた二階にある武具屋は午前中の内にある程度掃除をし終えていたのだ。その事を告げると、シズネさんは楽しそうに掃除の出来具合を確認し出すと言い始めた。
たぶん姑の如く窓枠を、右の人差し指の腹でそっとなぞり「あら、旦那様。ここはまだ掃除していらっしゃらないのではないですかね?」などと嫌味を言うに決まっている。
俺は愛想笑いを浮かべながら、一階を掃除する前に二階の窓枠だけは念入りに雑巾掛けしようと心に決めた。
「ふぅ~っ。確かにアリッサの言うとおり、商品を並べる棚とかの備品があるとこりゃ~掃除も捗らねぇわな」
俺は少し高めの棚を上から下へと埃を落とし、床を箒で掃き、そして今は棚の雑巾掛けをしている。
『掃除』とは基本的に、上から下へと汚れを落とすものである。これが下から上へと掃除をすると、綺麗にしたばかりの下が上からの埃などで汚れるために再度下も掃除しなくてはならなくなるわけだ。
だがそれも基本中の基本であり、窓や壁を水拭きする場合はその限りではない。むしろ逆に下から上へと掃除をするのが基本となる。これは上から雑巾掛けをすると、洗剤を含む水がまるで涙を流しているかのように垂れるため、跡筋が残ってしまう場合があるからである。
「跡筋が残っても拭けばいいのでは?」と思うだろうが壁生地などは水分を含み易く、すぐに『シミ』となってしまう。そうなってしまえば、元に戻すのはほぼ不可能になる。特に洗剤を含み水ならばそれは余計に……。
また木で作られた棚も雑巾掛けする際には注意が必要になる。あまり水分が多すぎると木が水を吸収してしまい、湿ってしまうのだ。当然それも時間が経てば乾くのだが、その前に商品を置いてしまえばダメになってしまうだろう。特に紙製品やジャスミンが取って来た薬草などはよりその注意が必要になるわけだ。
だからと言って空拭きをすれば、今度はちゃんと汚れが落ちなくなってしまう。それと同時に床板も当然木なので水拭きの際には同様の注意が必要になるし、箒で掃く際にも特に目(木と木の繋ぎ目)に汚れが溜まりやすい。
掃除とは仕事をする際の前段階、基本と言っても過言ではなく意外と難しいものである。
「……っと。こんなものかな?」
俺は回想交じりに掃除の何たるかを考えながら、どうにか一通りの掃除を終えようとしていた。これならば、後は商品を搬入するだけですぐにでも営業が始められるはずだ。
「……にしても、ジャスミンもアリッサも遅せぇよなぁ~」
俺は未だ現れない店の主達に対し、そんな苦言を呟いてしまう。
「あっ、ごめんごめん~。お兄さん、遅くなっちゃってぇ~……おわっとと!!」
タイミングを見計らったように、ジャスミンが何かを大量に抱きかかえながら走ってきた。だが余程慌てていたのか、足を捕られてしまい前のめりに倒れこもうとしていた。彼女は物を持っているため、このままでは顔から硬い床へとダイブし、抱えているものまでも周囲にブチまけてしまうだろう。
「ん……っと! 大丈夫かよ、ジャスミン? 怪我はねぇか?」
だがその寸前、俺は自然に体を前へと動かすと、どうにか彼女を正面から受け止め事なきを得る。トン……っと俺の胸へと当たるジャスミンの頭。だが見た目同様に体重も軽いのか、彼女を受け止めた衝撃はとても軽いものだった。
「にゃはははっ。ごめんねぇ~お兄さん~。あっそれとそれと……その、ありがとうね♪」
「い、いや……別に何てことねぇさ。このくらいは……それよりもそれ大丈夫か?」
ジャスミンは照れたように少しだけ顔を赤くし、それを誤魔化すようにいつものように笑い顔を見せてそんな感謝の言葉を述べた。
俺はすっぽりと自らの体に収まる彼女をいつの間にか抱きしめる形となり、少しだけ心が乱されてしまう。それを誤魔化すためあくまでも冷静さを装いつつも、彼女が胸に抱いているものを心配するのだった……。
もしかしてジャスミンとも……などと、ちょいハーレム風味を見せつつ、お話は第158話へつづく




