悪夢で始まる三日目
泣き腫らし、真っ赤に染まった目じり。髪は何日も風呂に入っていないかの如くぼさぼさで、ストレスからか顔のあちこちにニキビができている。そんな姿からも分かる通り、その男は今にも自殺してしまいそうな、絶望と、恐怖と、困惑と、そして自分自身への失望を抱え込んでいた。
周りの景色は全てぼんやりとしている中、その男の顔だけが視界にはっきりと映り込んでくる。
――ああ、これは夢だな。
明はすぐさまそのことに気づき、改めて目の前(夢の中)の男を見つめた。
人によって友人の定義は違うから、一般人が平均してどれだけの友人を持っているのか測定はできないだろう。しかし、例えば学校、会社、ジム、ネットなど、日々を生活していくうえで特に多くの時間を共有していた相手となれば、家族を除けばせいぜい一人か二人くらいのものではないだろうか。
まあそんなことはどうでもいい。とにかく目の前にいるこの男は、明にとってただの友人とは違う、最も多くの時間を共有していた相手だった。
高校時代。陰気で無口で、人と関わることを避けていた明に対しても分け隔てなく話しかけてきたクラスの人気者。両親ともに弁護士で、家族の団欒時間こそ少ないものの非常に裕福で満ち足りた家庭。親の血を色濃く受け継いだのか、彼自身も正義感が強く聡明であった。
そんな明とは住む世界の違う人間と、どうして仲良くなったのか。他にもっと将来性があり、一緒にいて楽しい人間はたくさんいたはずなのに。
その答えは今も、いや、これからも一生分からないままだろう。単に明のことを見下して優越感に浸っていたとか、彼も本当は孤独で、明にどこかシンパシーを感じていたからとか。理由はいくらでも考えられるが、所詮は勝手な妄想に過ぎない。
それにしても、今目の前にある彼の顔は、夢だと分かっていても明の心をざわつかせた。あれ程輝き、自身の未来に一点の曇りもないが如く笑顔でいたあいつの、悲壮すぎる表情。
弁護士をやっていた父親が強制性交等罪により逮捕され、母親もその影響を受けてか絶対に負けてはいけない、負けるはずのない裁判で敗訴し、そいつの家は一瞬にして崩壊した。
犯罪者の――それも強姦魔の息子というレッテルは、周囲の態度を一転させるに十分すぎるもの。当時のクラスにはそいつと張り合うリーダーがもう一人おり、この事件を機に完全に潰してしまおうとイジメが起きるよう執拗にクラスのみんなを扇動した。結果、そいつは不登校になり、二度と学校に復帰することは無かった。
ただ、彼が不登校になってから一週間がたったころ。突然そいつは明の家にやってきた。その時の表情が、今視界に映っている男の顔だ。
確か生きていくことがもう辛い。だから自殺したい。でも自殺をする踏ん切りもつかない。そんなことを相談された気がする。
――そこで俺は……
と、景色が変わり、今度はより凄惨な場面へと移り変わった。
今度は、先ほどとは違い、実際に見たことはない光景だ。
だが、直接見たことこそないものの、記憶のどこかで知っている、想像したことのある光景。
ナイフを右手に持った全身血まみれの男が、虚ろな目で高笑いを上げている。周りには血まみれの死体が四つ転がっており、男の左手にある白いスマホも、赤と白のまだら模様になっていた。
見たことはない。見たことはないけれど、これがいつの出来事でどこの場面かははっきりわかる。人生に絶望したそいつが俺に相談しに来た次の日のこと。親が捕まり傷心の身であったそいつを助けるでなく、逆にいじめの対象として追い出したクラスリーダーと、その家族を皆殺しにした場面だ。
俺はその時その場にいなかったから、具体的にどんな状況だったのかは知らない。あくまでニュースで流れていた話を、聞くともなく聞いただけ。
にも関わらずここまではっきりと現場をイメージできるのは、彼が皆殺しを行った後、俺に電話をかけてきたからだ。
『はははははは。明が言った通り、自殺する前に復讐を果たしたよ。今はとてもすがすがしい気持ちだ。ははは。あの日自殺せず、明に相談して本当によかった。でもさ、とてもすがすがしい気持ちのはずなのに、なんだか胸にぽっかりと穴が空いたような、虚しさもあるんだよ。は、はは。明。俺のやったことって、本当に正しかったのかな?』
俺がその質問に答える前に、電話は切られた。
勿論そいつがやったことに正しさなんて全くなかったわけで、仮に電話が切られなかったとして俺に何が言えたのかは分からない。ただあの日。相談された際に復讐を勧めた立場としては、何か一言答えてやるべきだったのかもしれない。
幸福な人生から、下に下にと落ち続け、俺と同じ場所までやってきてくれた彼に。俺はこれ以上ない幸せを感じていたのだから。人を殺したことで、いよいよ俺よりも奈落に近い存在になった彼を知り、俺は生まれて初めて幸福を感じていたのだから。感謝の言葉の一つくらい、かけてやるべきだったはずなのに。
だが、彼が俺に与えた物は、その初めての幸福以上に、もっと、ずっと、俺を強く縛る鎖であって――
肩を小刻みに揺さぶられ、意識が浮上してくるのを感じる。
明が悪夢から目を覚ますと、目の前には心配そうな神楽耶の顔があった。
「東郷さん、大丈夫ですか? 何やらうなされてるみたいでしたけど。まあそんな体勢じゃ気持ちよく眠るのは難しいですよね。背中、痛くないですか?」
優しげに背中をなでる神楽耶の手が気持ちよく、つい無言でされるがままになる。
二人の信頼関係を保つためには神楽耶が一人で誰かと接触するという事態だけは避けなければならない。そのため明は、ここ二日間、玄関の扉に背中を預けた格好で眠っていた。
元より神楽耶に明を裏切るという考えはないようで、それは無用の行いにも思えたが、どうしても今一つ人を信じ切ることができない自分がいる。
明は手でもう十分だというアピールをしてから、寝起きの体をゆっくりと立ち上がらせる。
何やら思い出すのも辛い、最悪な夢を見ていた気がする。だがそんなことを神楽耶に知らせる必要性は特にないだろう。明は小さく首を横に振ると、「もう大丈夫だ。気にするな」と声を出した。
「そうですか? まだキラースペルゲームが始まってから三日目です。場合によってはあと四、五日続くかもしれないですし、あまり無理はなさらないでくださいね。私が勝手に部屋の外に出ることが心配なら、私のことをロープなどで拘束して動けなくしてもいいですから。東郷さんが疲れて戦えなくなっては、私も困りますし」
気遣わしげな表情で、神楽耶はそう提案してくれる。だが仮に神楽耶をベッドに縛り付け動けなくしたところで、明が安心して眠れることはないだろう。自分が寝ている間に何が起こるか分からない以上、できることはしておかないと気が休まりはしない。
再び首を横に振ると、明は「大丈夫だ」と繰り返した。
「そんなことより、昨日言っていた通り三人チームが出来上がっているかもしれない。そこに即死系スペル持ちが二人はいないことが、今俺たちが生きていることから明らかではあるが……勿論油断はできない。今日はまた誰かの死体を見る可能性が高いと思うから、そこだけは覚悟しておいてくれ」
「はい。東郷さんの足手まといにならないよう、私も最善を尽くしたいと思います」
しっかりと明に視線を合わせ、神楽耶は神妙に頷く。
お互いに今日を戦い抜くための意思確認ができた所で、明は軽く支度をするために洗面所へと向かう――と、突然力強く、玄関扉を叩く音が聞こえてきた。




