正義の使者の訪問
山の天気は変わりやすいと言うが、それは本当のことらしい。朝はあれだけ晴れ渡っていた空が、今は真っ黒な雲に覆われている。まだ雨こそ降ってはいないものの、遠くから雷の響くような音が聞こえてくるし、降り出すのも時間の問題と思われる。
鬼道院は時折窓の外を眺めつつ、藤城に水を与えていた。
「どうですか、藤城さん。そろそろ気分は落ち着いてきましたか」
いまだにほんのりと顔を赤くした藤城は、ぐったりとした様子でベッドに体を預けながら答える。
「多少は良くなってきたけど、まだ頭ん中がガンガンするわ。つうか教祖様はかなり酒に強いんだな。酔ってたせいで教祖様にもたくさんワイン飲ませちまったと思うのに、顔色一つ変えずにぴんぴんしてるじゃねえか。酒が好きじゃねえとか言ってたの嘘だったんだな」
「いえ、嘘ではありませんよ。私の場合、いくらアルコールを摂取しても全く酔うことができないのです。味だけで言うならお酒よりもおいしい飲み物なんてたくさんありますし、酔えない身としては、酒を飲むことが好きにはなれないのです」
「へえ、それは羨ましいことですわ。俺はむしろいくら飲んでも酔わずにいられる酒豪になりたかったけどなぁ。すぐに顔が赤くなって酔っちまうから、友人と飲みに行ってもすぐに酒をやめるよう言われて面倒だしよ」
「私としては、その方が安全だし健康的だとも思いますよ。酒は百薬の長と言いますが、飲み過ぎるのはどうにしたって良いものではないでしょうからね」
「はあー、やっぱし教祖様は教祖様なだけあって真面目でございますねー。俺は今が楽しければのちの健康なんてどうでもいいって考えだわ」
だるそうにそう言うと、藤城は目を閉じ会話を切り上げた。
鬼道院は彼のそばから離れると、近くの椅子に座り、自身もそっと目を閉じた。
お互いに落ち着いた状態で口を閉じたことで、ゆったりとした静寂が部屋の中を流れる。しかし、それはこの殺人ゲームを舞台とした館には似合わない静謐さ。血命館がその空気を拒むかのように、すぐさま扉を叩く武骨な音が響き渡った。
閉じて数秒と経たずして破られた静寂の中、鬼道院は憂鬱な思いと共に立ち上がる。橋爪の死体を見つけてから常に緊張状態を強いられてきた二日目。ようやく少しばかりの休息が取れると思っていたところに現れた来訪者に、内心ではかなりの苛立ちを募らせる。
しかし勿論そんな気持ちなどおくびにも出さず、鬼道院は静かに扉を開けた。
「どちら様でしょうか――と、これは少し意外な訪問者ですね。何か私に御用でしょうか、宮城さん」
「ああ。これから行動を起こす前に、気になった人物とは話をしておこうと思ってな。中に入っても構わないか」
「ええどうぞ。それにしても宮城さん、今日はまた半裸なのですね。昨日秋華さんに言われたことを受け、てっきり服を着るようになったのかと思っていましたが」
不意の訪問者は宮城濾水。昨日大広間にいた時と同じ海パンの如きショートパンツ一枚の格好で、扉の前に仁王立ちしていた。
常人なら顔をしかめるか逃げ出すところだが、そこは流石の鬼道院と言ったところ。笑顔で部屋の中へ招き入れつつ、驚いた様子もなく質問までして見せた。
宮城は警戒した様子もなく堂々と部屋に入ると、その筋肉で武装された裸体を鬼道院にアピールした。
「確かに奴――秋華嬢の言うことは俺にとって盲点だった。悪人ではないことを示すためのこの格好。時に変質者と間違われることこそあったが、ダサいなどとは思っていなかった。むしろワイルドでかっこいいものだと思っていたのだが……。いや、今はそんなことはどうでもいい。俺がここに来たのは腹を割って貴様――いや、鬼道院殿と話をしたいと思ったからだ。そのためにはまずこちらの誠意を示すべきと思い、正義の使者としての正装で訪ねた次第。いくつか質問をしても構わないだろうか」
「ええ。いくらでも尋ねてください。ただ、今この部屋では藤城さんが眠っています。もし長くなるようでしたら談話室でお話ししませんか?」
「何! 藤城だと!」
宮城は急に険しい顔つきになると、部屋の中を見回し藤城の姿を探し始めた。特に隠すつもりがあったわけでもなく、普通にベッドに寝かせていたため当然すぐに発見される。
藤城の姿を見た宮城は、肩を震わせ鬼道院を睨み付けた。
「鬼道院殿。なぜ貴殿の部屋で悪党が眠っている。まさかとは思うが、この男とチームを組もうなどと思ってはいないだろうな」
鬼道院は藤城に一瞬視線を向けた後、ほほ笑みながら頷いた。
「はい。確かに私は彼とチームを組もうと思っていますが、何か問題があるでしょうか。藤城さんは見た目に反してとても優秀で思慮深いお方です。彼と組むのがゲーム攻略の近道だと思っていたのですが、何かご不満がおありですか?」
筋肉を膨張させながら、宮城は怒鳴り返す。
「不満に決まっているだろう! この男は言動、見た目、雰囲気。そのどれをとっても悪人であることを物語っている! こんな悪と一緒にいれば、それだけで悪が感染し正義の心を失うことに繋がりかねない。鬼道院。貴様が教祖として俺と同じく善行を為すものであるというなら、今すぐその男と手を切れ。でなければ俺は、貴様も悪だと断定する」
「悪と断定する……。成る程。宮城さんは善人か悪人か判断の付かなかった人物を訪問し、その正体を探ろうと為されていたのですね。私も有難いことに悪人認定はされておらず、この場でそれを確かめに来たと」
宮城は大きく頷き、鬼道院の言葉を肯定する。
「そうだ。貴様は俺が見てきた悪人とも善人とも違う、特殊な雰囲気の持ち主だった。この館には数人、誤解され連れてこられた人物がいる様子。もしかしたら貴様もそのうちの一人かと思っていたのだが……」
「悪と手を組む以上、私も悪人であると判断したわけですね」
「ああ。貴様がこのままその男とチームを組むというのなら、そうなるな」
既に宮城の目からは、先ほど微かに見せていた友好的な光は消え失せていた。代わりに現れたのは、悪を決して許さないという正義(憎悪)に満ちた光。
これだけ大声で宮城が話している以上、現時点で藤城が眠ったままであるとは考えにくい。にも関わらずいまだに声を発さないのは、鬼道院がどちらの選択をするか窺っているからに他ならないだろう。
つまりこの場で藤城を選び宮城を敵に回すか、宮城を選び藤城を敵に回すか選ばないといけないということ。
鬼道院は数秒黙考した末、ゆるゆると首を横に振って見せた。
「申し訳ありませんが、私は藤城さんと手を切るつもりはありません。あなたが正義の使者であるのに対し、私は神の教えを伝える教祖です。正義の使者であるあなたの使命が悪人を裁くことであるなら、私の使命は善人悪人問わず受け入れ、彼らを正しい道に導くこと。ですから、悪であるという理由だけで藤城さんと手を切ることは、残念ながら承諾しかねます」
細まった瞳で、鬼道院はじっと宮城の目を見つめる。
それにたじろいだ様子で宮城は筋肉を震わせるも、交わった視線をそらすことはせず真っ向からそれを受け止めた。
時間にすれば数秒。しかし体感的にはかなりの時間睨みあった末、宮城はふと視線を外し、鬼道院に背を向けた。
そのまま無言で部屋の外まで出たが、扉を閉める直前つとその足を止め、ゆっくりと振り返る。そして彼の背中を目で追っていた鬼道院に対し、挑戦状とも取れる言葉を投げかけた。
「俺は悪人を救わない。奴らには更生する気など全くなく、隙あらば周りに毒を吐く生き物だからだ。そしてその毒は非常に強力。いかに正義の心に満ちた人物であろうと、長時間悪人といればその心はすさみ、いつかは悪に染まってしまう。もし本当に貴様がその男の毒に負けず、それどころか快癒させるというのなら。俺は正義の使者であることを止め、貴様の信者になることをここに誓おう」
その言葉は誠意に満ち溢れ、正義の使者としての偽らざる覚悟が宿っていた。鬼道院はそれを敏感に感じとると、礼を失しないよう丁寧に、それでいてお決まりの言葉を投げ返した。
「私の教団には『患者』はいても、『信者』はいません。ゆえに、既に道の定まっているあなたは、心洗道に来られる患者として相応しくありません。純粋に、友人として私の元を訪れてくれれば十分です」
「……そうか」
宮城は一瞬驚いたような表情を浮かべた後、僅かに笑顔を向けた。そして扉から手を放し、鬼道院の視界から姿を消した。




