03
東京タワーでのできごとから二週間ほどたった日、二度目の奇跡がおきた。高校からの帰りの地下鉄の中で、彼の放つ白い光を見つけた。満員電車の一両先の人混みの奥にその光は瞬いていた。姿が見えなくても私には確信があった。満員電車の中で見る魂の星々は、曲がりくねって流れる天の川だった。彼の光が彦星なら私の光は織姫。この光の川をわたって彼の下へ。『だれかの心臓』が私を勇気づけた。私は彼が地下鉄を降りるのを待ちながら、その光に見とれた。
二駅ほど過ごすと、彼が地下鉄をおりた。私も人込みをかき分けて電車をおりる。ホームで私は彼に再開した。彼は改札をぬけると、駅前の交差点を左に折れて、住宅街の手前の美容院へと入っていく。私は不器用な探偵のように電柱に身を隠しながら彼を追った。
「どうする私」
そうつぶやいてから呼吸を整えて、彼の入っていった美容室の木製の扉を引いた。
カラン、カラン、カラン。
美容室の奥で準備をしていた彼が振り向いた。どうやら彼一人らしい。
「あのー。ここ、やって、ます?」
私の口から出たのはとぎれとぎれのつまらない言葉だった。彼は私のところまでくると、ドアのガラス窓にかかった看板を裏返して、「OPEN」の表示を外に向けた。ミント系のシャンプーの香りが私の鼻孔をくすぐる。
「予約とか、してないよね」
「あっ。はい」
「見かけない顔だけど初めてだよね」
「あっ。はい」
「今日は、まだ予約客がこないから切ってく。髪?」
「あっ。はい」
私のことばは同じ言葉の繰り返しだ。ずっと握りしめていた手のひらが汗でじっとりとしている。
彼に渡された用紙に名前と連絡先を記入し、小さなカードを受け取った。カードを見て私は初めて店の名前を知った。椅子に座った私は鏡の中の自分をじっと見つめる。
「おしゃべりはあまり得意じゃないほう?」
「あっ。はい」
彼がカットやシャンプーの道具をのせたワゴンを引いてくる。
「もったいないなー。美人さんなのに」
鏡の向こうで彼が人懐っこそうにほほ笑んだが、私は首を左右にふることしかできなかった。
目を閉じて彼の腕に頭を預けてシャンプーをしてもらっていると、顔の上に彼の魂の光が輝いて見える。白く優しい光に私は見とれた。カチカチに緊張していた私の心が少しずつほぐれていく。「きれいな髪だね」と褒めてくれる彼の言葉が嬉しかった。
ドライヤーで髪を乾かしてもらっているときに私は気づいた。彼の右腕に大きな傷跡があることに。私の目線を追って彼が言った。
「ああ、ごめん。これ。気になるよね」
「ごめんなさい」
「いいんだ。六年前にバイクで事故って」
彼は遠くを見るようなまなざしで続けた。
「後ろに乗せていた妹を死なせてしまった。これはその時に背負った十字架みたいなものだから」
私は目を閉じで彼の魂の光を感じた。普段ぽい口調で淡々と話す口ぶりとは裏腹に、彼の白い光は激しく震えていた。
「私も胸に大きな傷があります。6年前に受けた心臓移植の後が。誰かの命を犠牲にして生きる私の十字架です」
彼は驚いた顔をしてしばらく手を止めた。彼の魂の白い光がひときわ大きく輝くいた。それに呼応するかのように私の魂の白い光も今までにないようなくらい輝きだした。二人の光は重なり合い、やがてゆっくりと見えなくなった。
彼がポケットから財布を取り出した。中から大切そうに折りたたんだ小さな手紙を出して開いた。
『私に心臓を提供することに同意してくださった、ご家族の皆様。本当にありがとうございます。この心臓を大切にして生きます』
それは6年前に私が書いた手紙だった。
その瞬間をさかいに、私の中に根づいた心臓は『だれか』ではなくなり、目的を果たした能力も消えた。
でも私は寂しいとは思わない。
代わりに、ささえあえる運命の人を得たのだから。
おしまい。