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騎士の意志

2017/08/31 07:34 一部修正

 吟遊詩人が祭りの中で唄う騎士物語に、こんな騎士がいたはずだ。誰かの危機に駆けつけ、その圧倒的な力で敵を打倒する。

 レイナルド、と名乗るその騎士は、オリヴィエールを思わず童心に帰らせるほどの勇姿を誇っていた。しばらく惚けて、はっとしたオリヴィエールは慌てて立ち上がる。その際にレイナルドは手を差し出してきたが、あえて無視をした。

 改めて、レイナルドを見る。若々しく、好青年だった。凛々しい顔立ちで見目もいい。そして戦士として逞しい体を持ちながらも、線の細さが威圧感を和らげていた。

 はじめは傭兵かと思った。戦争で戦っているのはなにも騎士たちだけではない。むしろ、傭兵こそが主役であった。金で雇われる兵士と言えば聞こえがいいが、結局は盗賊と変わりない。なかには惨敗した騎士崩れの者や所領がほとんどない騎士だってそうした荒事や悪事に手を染めたものだった。

 戦争をしているときは、契約主に従事するだろうが、それも報酬次第で主人を変えるといった具合だ。そしてずっと戦をしているわけではない。いまのイングランドとフランスのように休戦状態になれば、彼らは食い扶持を失うことになる。そうなればやることは決まって、略奪、誘拐だった。傭兵団を形成していることも多く、組織だって行うことだってある。

 戦においては最前線を支える誰よりも頼るべき存在であり、そうでなければ国中を荒らす存在となる。傭兵はこの時代において、悪疫と並ぶ災厄であった。誰も傭兵団を止めることはできなかった。騎士も将軍も王も、等しく恐れるものである。

 幸いにして、レイナルドはそういった輩ではなかった。むしろ、このように高潔な騎士たる振る舞いをする彼の方がおかしいとさえ言える状況において、彼が助けにきたのは、まさに幸運である。

 服を直しながら、オリヴィエールはレイナルドに言う。


「礼を言おう。レイナルド、貴殿がどこの者か聞いてもいいかね? 私は司祭のオリヴィエールという」

「なるほど、オリヴィエールというのですね。私は先ほども名乗った通り、レイナルド。現在は放浪の身です。

 訳あって身元を明かすわけにはいきませんが、神に誓ってこの身は潔白であると言いましょう」


 神に誓って。使い古され、ついには胡散臭いものになってしまった文句である。けれども、騎士然としたレイナルドが言うと説得力があった。加えて言えば、男が話したのは確かにフランス語であったが、北フランスで話されるオイル語だったのが余計に思わせたのだった。レイナルドが金髪の時点で彼の出身が北方であることは伺えたのだが、気づくのが遅れたのだった。

 命の恩人をあまり問い詰めるのも悪い、と思い、オリヴィエールはそれ以上なにも言わなかった。


「しかし、驚いた。こんなところに貴殿のような騎士がいるなんてな。おかげで助かったわけだが」

「それはこちらの言葉です、司祭オリヴィエール。

 よもやこんな行き止まりに貴方のような者が迷い込んでくるなんて、迂闊だ。ここはもはや、人のいていい場所ではない」


 レイナルドは厳しい言葉で言った。オリヴィエールは見渡して、なるほどと頷く。昼間だろうがろくに光の入らないであろうこの空間には、嫌な気配が充満している。長くいれば、性根も曲がってしまいそうだ。

 すまなんだ、と一言だけ言って、倒れている人影を見た。オリヴィエールを襲ってきたそれは、レイナルドの剣によって腹から横一文字に斬られている。溢れ出ている血にオリヴィエールは呻くが、しかし確かめないわけにはいかないだろう。自分を襲ったものの正体はいったい、なんなのかを。

 近づこうとして、レイナルドの手によって止められる。


「迂闊だ、と言ったはずです。近づいてはなりません」

「なら貴殿はこの者の正体を知っているのか」


 オリヴィエールの問いかけに、レイナルドは無言だった。そして気まずそうに視線を逸らす。さては、知らないのだな、とオリヴィエールは口にはしなかった。

 そっと、レイナルドの手を避けて遺骸へと近づいた。

 見たところ人と変わりはない。しかし、口元には明らかに吐き出したものではない血があった。口元いっぱいを覆う血は、血だまりに顔を突っ込んだことが伺えた。

 開いたままの口から覗ける犬歯は鋭く尖っている。異様だった。その大きさは普通の人の三倍はあるだろうか。暗くてよく見えていなかったが、そこだけは見て取れる。より詳しい調査は、明るい日の元で行う必要があるだろう。

 だが、それ以外に特徴がないと言えばない。人とそれほどの大差があるとは思えなかった。化け物と安易に呼ぶのが躊躇われるほどに。

 遺体から離れる。この時世、街中で誰がどのように死のうが関係なかった。むしろ関わっていると知られれば厄介なことになりかねない。最低限の祈りの文句だけを、オリヴィエールは残していった。


「なにかわかりましたか?」


 顔をあげたオリヴィエールを待っていたレイナルドが声をかけてくる。レイナルドもまた、剣を十字架に見立てて祈りを捧げていた。オリヴィエールは、ああ、と頷いた。


「まるで蝙蝠こうもりだ。犬歯が鋭くなっている。もはや牙と呼べるだろう。これで人の血を啜っていた場を私は目撃して、追われたんだ。本当に人かも疑わしい。レイナルド卿、人の血を吸う人……そんな存在に心当たりは?」

「いいえ、ありません。私も初めて出会った手合いです」


 彼もまた、背後の行き止まりにある闇を見ながら言った。

 

「オリヴィエール様こそ、何か心当たりがあるのですか? こんな時間に司祭様が歩いているなんて、よほどなことでしょう」


 レイナルドは思ったよりもずっと鋭かった。戦士としての勘だろうか。先ほど見せた技の冴えが、どれほどのものであるかは素人であるオリヴィエールであっても理解できる。であれば、戦場などにおいてなにを信じなにを疑うべきかの目利きができるのも道理であるかもしれない。そしてそのことが、飼いならされた犬ではなく、放たれた獅子を思わせて、余計に傭兵を思わせたのだった。

 伝えるべきか、逡巡した。司祭という立場ではあるが、騎士が、ひいては力を持つ者が恐ろしいことに変わりはない。

 けれどもいま目の前に転がっている遺体は、ただの人ではなかった。理解のし難いものだった。もし彼のようなものがたくさんおり、それらが自分の敵であったらどうするか。

 であれば、味方は一人でも多い方がいい。レイナルドはそういう意味では、信用できるし、頼りになり、くみやすい。そんな打算を込めてオリヴィエールは口を開いた。


「〈テンプル騎士団の呪い〉というものを知っているか」


 途端、レイナルドの顔が曇った。何かしらの事情を知っている顔だ、とオリヴィエールは思う。

 少しの間があって、レイナルドは口を開いた。


「よければ協力させていただけないでしょうか。かく言う私も、その噂を追ってここまで来ました。

 私が呪いなる噂を最初に聞いたのはパリでした。それから行商人とともにここへ」

「はるばるパリから!? それは遠かろう。馬で飛ばしたとして、一週間はかかる」

「大した距離ではありません。テンプル騎士団の御仁の無念を思えば、ここまで馳せ参じることに疲れも苦しみもありませんから」

「簡単に言うな……並大抵のことではあるまい」

「そんなことより、その呪いと、今しがたの彼とはどのような関係があるのでしょう。私はその、〈テンプル騎士団の呪い〉なるものがあるとしか聞いていないのです」

「噂になっているのだ。これらの流行り病は〈テンプル騎士団の呪い〉なのだと」

「そんな馬鹿な!」


 レイナルドは大声をあげる。オリヴィエールはそっと諌めた。今度は小声でレイナルドが言った。


「かの御仁たちがそのようなことをするはずがありません」

「あくまで噂だ。だが、辿っていくうちに動く屍体についての話を聞いたのだ。この先にある共同墓地に埋葬された者が動いたというようなことをだ。それが真実かはわからないが、この者を見て、何かが起こっていることを確信した」


 世を暗黒に閉ざす黒死病、共同墓地にいる屍人、そして人の生き血を啜る者。〈テンプル騎士団の呪い〉とはこれらのいずれを指す言葉なのか、あるいはすべてをつなげるものであるのだろうか。まだ手がかりは少ない。オリヴィエールは、ここは慎重になるべきだと思った。


「いますぐ確かめましょう!」


 レイナルドは強い声で言った。その声には確かな怒りが潜んでいて、けれどもその主張は正当なものだと思わせるだけの力があった。オリヴィエールは思わずたずねる。


「貴殿はテンプル騎士団と関係でもあるのか?」

「それは言えません」


 きっぱり、とレイナルドは言うが、それは関係があると言っているも同然だった。訝しく思いながらもオリヴィエールは頷いた。命を助けてもらった恩は、これで相殺しておこうとも思った。

 武人肌なのか、決して愚かではないが、少し短絡的なところがこの騎士にはあった。ときに犬と揶揄されるものだが、レイナルドはむしろ猪のようだ。

 その彼は、うんうんと頷いている。


「生き血を啜る者、そして動く屍人ですか。

 ストリゴイなる蘇った死者が、夜な夜な人の血を吸うなどの話も聞きますが……」

「存外に詳しいのだな。肉体を持った死者の復活など、あり得ない。

 それこそ、主の御業なれば。だが復活が、こんな醜いものであるはずがない」


 オリヴィエールは言った。レイナルドもまた、頷く。

 噂が確実性を帯びはじめる。テンプル騎士団の呪いか否かはともかくとして、一刻も早い解決が望まれた。

 「行きましょう」と言って、レイナルドはオリヴィエールの背を押した。場所を知らないのにそんなに張り切っていたのか、とオリヴィエールは苦笑するしかなかった。


「ですが、共同墓地よりも先に行くべき場所があります」

「なるほど、噛まれた者も見なければならんな」


 レイナルドの言葉を受けて、オリヴィエールもほとんど同時に同じことを思った。

 この高潔たる騎士は、己の目的よりも他者の魂を慰めることを優先したのだった。オリヴィエールからすれば、事件の把握のためにいま一度向かう必要があった。

 ひとまず向かう先は、オリヴィエールが最初に牙を持つ人を目撃した、途中にある民家へ寄ることになった。共同墓地はその後に行くことになるが、その頃には月が天中を跨ぐことになるだろう。

 オリヴィエールの先導でゆっくりと向かったが、その静けさは結局のところ意味を持たなかった。


「火事だ、火事だ!」

「家が燃えてる! 中に人もいるぞ!」


 そう声があがった。誰のものかはわからない。声の主を探したが、人が殺到して見失ってしまう。次々と野次馬が押し寄せるか、被害者があぶり出されるかする。小火ぼや騒ぎだろうと高を括ったが、それは許されなかった。

 二人が慌てて向かった先には人だかりがあった。思わず顔を見合わせる。火の手があがっていたのは、牙を持つ人が血を貪っていた家であったからだ。

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