わたしの血を飲む者は、永遠の命を持つ
拝啓 騎士レイナルド・コラン
キリスト教世界における人口の半分を死に至らしめた忌まわしき黒死病を、私は不幸にも乗り越えてしまった。あれから三度、あるいは四度、流行の兆しを見せたが、私はこの通り健康である。多くの死を見てきたが、病によるものもあれば人の持つ罪によるものもある。それは悲しいことではあったが、悪ではないのかもしれないと思った。正義とは決める者にとっては簡単であるが、見る者にとっては複雑であるものだと、あの裁判でつくづく思わされたからだ。それと同時に貴殿を思い出す。正義とは願いのようなものなのだろう。
先にあれから何があったかを話すべきだろう。世間に疎い貴殿のことだ、誰かが言って聞かせなければ忘れてしまうだろう。かつてはそれでも許されたが、顔の皺が両頬を合わせて十を越えた頃には冗談では済まなくなってくるぞ。
〈テンプル騎士団の呪い〉はもはや聞くこともなかった。噂をする者がそもそもいない、というのがアヴィニョンの当時の状況であった。復興にはどれほどの時間を要するかなど考えたくもない。もしかすると、貴族や教皇を頂点においた政治はすでに限界を迎えつつあるのかもしれないが、私も貴殿ももはや関係のないことである。口にしないほうがいいだろう。あれからテンプル騎士を名乗る者と数人接触したが、貴殿が何か言伝でもしているのだろうか。貴殿の名を知らぬと言いながらも、私を頼ってくるのは困りものであった。
ナポリ女王はあれからというものの、四年をかけて自らの国を奪還した。しかし金で陣営を変える傭兵団にいいように使われてしまったようで、戦況は最後まで改善しなかった。都市のいくつかを手放し、残ったのは教皇からの無罪であったが、まあ彼女にとって最も大事なものであったのかもしれない。しかし、夫も子も次々と亡くし、晩年にはハンガリー人に暗殺されたという。ハンガリーの者たちはとても物覚えがいいことを覚えておいた方がいいかもしれない。
教皇は誰になろうと大きな差はなかった。が、教皇庁は悲惨な者だ。大学を出たという時間だけを余らせた者たちが、聖書の数節を暗記した程度で聖職者になる。無論、金のためであった。人はいなくなるというのに、不思議と教皇庁や教会に物が集まるのは変わることがなかった。教えに真っ先に背く者は聖職者であると言われるほどで、民草などはもはや神を信じていても、教皇庁や教会を信じる者などはいないのではないかと思うほどだった。まともな教えを唱える者は教皇庁にはほとんどいないし、私も現に修道院へと逃げ延びることとなった。
そう、私の近況だ。私はいま、さる修道院にいる。シトー会の修道院である。いまでは数多に分裂してしまったが、ここではまだ厳しい教えが残っており、私には心地よいところである。困ったことに白い修道服は、日課である農業をする上ではいささか躊躇いを持ってしまうが、いまとなっては気にしなくなってしまった。そして私はいま、いつの間にか念願となっていた葡萄酒を作っている。
葡萄の管理は難しく、一年の歳月をかけるが、ひとつとして同じ味のものができたことはない。農業など同じことの繰り返しと思っていたが、これがなかなか悪くない。特に葡萄酒は、出来による差が大きく出る。楽しむものではない、というのはわかっているが、些細な変化でも楽しく思うほどに歳をとってしまったということかもしれない。もし立ち寄ることがあれば、一口飲んでほしい。もしかするとどこかで飲んでいるか、と思えば力も入るというもの。老体に鞭を打って勤しむとしよう。
紙面も少なくなってしまった。もっとまともなことを書けばよかったと思っても、染みた墨を拭き取ることはできない。届かない手紙は虚しいものではあるが、心の整理にはなった。
あれから貴殿は聖地まで行けただろうか。私も行こうかと思ったが、ついぞその決心はつかなかった。こちらから貴殿に会いに行くよりも、待っていた方が会えそうな気さえしたよ。
では、息災で。
オリヴィエール
十五世紀ももうすぐという頃、ブルゴーニュ地方のある修道院に隣接した墓地に一人の騎士がいた。甲冑を身に付けた姿を見れば、誰もがこれから出兵するのだろうと思うだろう。イングランドとフランスの戦争は未だ続いているのである。誰かが口にしたように、百年も続くのではなかろうかとすら思われた。断続的に襲ってくる黒死病に飢饉によって、戦争どころではないはずなのに、貴族たちはそれをわかっていながらも戦いに臨んでいくのだった。
いま、墓の前に佇む者もその一人だろう、と修道士の一人は思った。しかし、彼が見ている墓に眠る者を考えると、どうにも不自然に思えてしまった。
「もしもし、騎士さん。その方とお知り合いですかね」
声をかけられて振り返った騎士は黒髪であった。イタリアの出身だろう、と思わせる顔をしているが、傭兵出身の親を持つならばわからない。しかし見たところ、教養の深さがうかがえた。濃い髭に大きな鼻は視線を集めるだろう。その視線を迎え入れるのが、野生的ながらも優しい瞳であれば、女のみならず男でも気を許してしまうだろう。
「いや、知っている名だったので気になってな」
「そうですか。しかし、よくある名です。何か聞かせていただければ、知っている限りでお話ししますが」
「そうだな……アヴィニョンの教皇庁に勤めていたようだったが」
確かに、この墓で眠る者は元は教皇庁の職員であり司祭だった。修道士自身も本人の口からそのように聞いているだけであったが、当時の修道院長は喜んで迎えていたというから間違いではないだろう。
それにこの騎士の年齢は、どれだけ上でも四十も半ばだ。墓に眠る男がアヴィニョンにいた頃には生まれてもいないはずだ。
「ああ、すまない。俺の師から聞いた話だ」
「左様でしたか。であれば間違いないかとは思います。どのような話を?」
「自身の師と、さらにその師を遡って話すことがほとんどだった私の師である騎士が、数少ない友として語った男なのだ」
「ははあ、なるほど」
修道士はそう言ったが、いまいち落ち着かなかった。騎士は視線を墓に落としたまま、声をかける。
「どんな修道士だったか、聞かせてもらえるか」
「と言いましても、彼は多くを語りませんでした。教皇庁で勤めていたといいますから、若い修道士たちは話を聞かせてもらおうとよく尋ねていました。かくいう私もその一人。娯楽もない修道院ですから。彼には話を求める私たちのことが、騎士道物語を請う子どものように見えていたのかもしれません。それにしても、うかつに聞けば呪われるぞ、などと冗談とも本気ともとれぬことを口にしていましたな。
しかし、よく慕われていました。手足が痩せ細っても理性的な目をしていました。そこまで堅くはない気性が人を微笑ませるのです」
「シトー会では珍しかろう」
「そうでもありませんよ。厳しいのは戒律についてです」
風が吹いた。葡萄畑から葉の擦れる音が聞こえる。この地の葡萄から作られる葡萄酒は有名だった。フランス王家や貴族たちが欲するほどだ。パリまで近く、川も伸びていることがあって、この地域の葡萄酒はよく飲まれている。
墓に眠る男もそうだったが、この辺りの修道士たちはみな葡萄畑の管理をしていた。葡萄酒とは救世主の血のことであった。その栽培と生産を教義に重ね合わせていた。
「ああ、そういえば、彼は葡萄酒で口を滑らかにすると、ときおり漏らしておりました。かつて知り合った騎士の名だそうです」
「そうか……いや、聞かないでおこう。知らぬともいいことだ。手を煩わせたな」
「いえ。どうでしょう、このあと、修道院へ寄られては」
「やめておこう。先を急いでいる」
騎士はそう言って、背を向けた。どちらへ、と聞けば、彼はパリへと言った。その後はスペインの方へと行くつもりらしい。聖地巡礼であれば、このあとに行くのはサンディアゴ・デ・コンポステラだろうか。キリスト教徒であれば、憧れずにはいられない。
丘を下りていく騎士の外套がはためいた。風が強い。砂が目に入りそうであったが、視線を外してしまえば、彼はいつの間にかいなくなってしまいそうであった。
これにて完結です。お読みいただきありがとうございました。




