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影に差す剣

 オリヴィエールはアヴィニョン市内のある教会から出た。

 この市にある教会はすべからく教皇庁の下にあった。独立して運営などはしているが、命じられれば言うことを聞かざるを得ない。

 そして、それはまた伝令についても同じだ。

 オリヴィエールの手には、一枚の勅令書があった。

 その内容がどうにも、頭を悩ませる。思わず項垂うなだれた。

 街中を歩くと目にするのはそこらで寝て震える人々、空へと登る篝火。雲に覆われた空は、街を天に御座おわす神の目から隠しているようにも思えた。

 救えない無力さに、自分の存在意義さえ揺るがされているような気がした。

 自分が司祭になった理由は、いったいなんだったのか、今となっては思い出すのも難しい。

 過去の歴史が爪痕を残す町並みを、オリヴィエールは歩く。

 まずは情報収集が先決である。

 オリヴィエールは酒場へと入った。いつもなら活気があったはずの酒場も、悪疫の影響ですっかり沈んでいた。

 ふと、目に付いたのは端に座っている男だった。オリヴィエールはその隣に座った。


「もし、お尋ねしたいのだが、いいかね」


 そう尋ねれば、エールを一杯奢る。座っていた男は、つまらなそうに頷いた。


「巷で呪いなるものが流行ってるらしいが、知っているかね」

「呪い? 魔女の言うあれか、異教徒の戯言か?」


 眉唾な話だ、と訝しがられる。それも仕方あるまい、おとぎ話の類だと思われるのは承知の上だ。

 オリヴィエールは、ため息を吐きながらも言った。


「〈テンプル騎士団の呪い〉だ」


 それこそが、オリヴィエールの任であった。

 巷で蔓延っている怪しい噂。ギュスターヴも冗談で言った、テンプル騎士団の呪い。

 教会で渡された書状の中身。アヴィニョンで流行っている怪しげな噂の追求だった。

 オリヴィエール自身はアヴィニョンの世間に疎い。

 しかし、かつての英雄たち、いまでは咎人とがびととなった彼らのことを知っている。

 テンプル騎士団。

 かの騎士団はかつて聖地を奪還した英雄的、伝説的活躍をした。

 その弛まぬ修練と精強なる精神からヨーロッパ最強の武装集団とさえ言われており、国の属する騎士団ですら歯が立たないほどだった。

 正面切って戦えるのだとしたら、それは東方にあるイスラームの屈強なる戦士たちにおいて他ならない。

 十字軍として出陣した彼らは聖地奪還までの間にいくつもの都市を占領し、有名な聖槍を見つけたなど到底信じがたい話まで伝わっている。だが、それほどまでに彼らが力を持っていたのは、想像に難くない。

 が、彼らは突如として表舞台から姿を消した。フランス王によって、男色や悪魔との交流など数多の罪が告発された。テンプル騎士団の強靭な武力はそれを頷かせるほどのもの……異常であったのだろう。オリヴィエールはそのように予想していた。

 そうして彼らは当時の教皇によって裁かれた。

 さて、テンプル騎士団総団長を含めた幹部たちの火刑が行われたのはパリで行われた。彼は多くの恨みを叫んで灰になったそうだ。一方で、国外へと逃亡した者も多くいた。現在もフランス国外、主に反フランス王国の各地で名を変えて生き残っている。

 ……その罪についての真偽のほどはいかほどかわからない。何せ、そのときの裁判は不透明であり、当時から教皇はフランス王室の配下にあった。教皇の地位はいつだって不安定なものであり、強力な力を持つ者を後ろ盾としなければならなかったのだ。

 騎士団の資金が慢性的な資金不足だったフランス王室に渡ったり、度重なる戦争、聖戦によってテンプル騎士団への負債を抱えていたことも含めて、背景に何らかの三文芝居があったのは想像できなくもない。

 口にはしなくとも、知識を持つ者は腹にそうした鬱屈した思いを抱えているだろう。

 それがおおよそ、三十数年前のことである。オリヴィエールが生まれるより前だ。

 すでに彼らを糾弾したフランス王と教皇は、テンプル騎士団総長ジャック・ド・モレーの死と同年に天に召されたものであったが、彼らの恨みが再び呪いとなってアヴィニョンを襲う。考えられない話ではない。

 教会で、この〈テンプル騎士団の呪い〉の究明の任を受けたとき、思わず顔をしかめてしまったものだ。

 ギュスターヴが口にした冗談が、現実のものになっている。

 いいや、彼のことであるから、この噂のことも知っていたのだろうとオリヴィエールは思った。


「そりゃあこの死神の蔓延ぶりはそうも言いたくなるし、言ってるやつもいるけどな。呪いとしか言いようがない。罰当たりなことをしたんだ、とな。

 ああ、だが、こんな話は聞くなあ」

「なんだ、聞かせてくれ」

「教皇様が増設した墓から、人が湧いて出て来るらしい。それも、そいつは真っ白な顔をして、恐ろしい風体を揺らして歩いてるってな」


 馬鹿な、と目を白黒させた。だよな、と男は笑った。


「死にそうなやつが墓を彷徨ってるだとか、子を失った親が狂って歩いている、なんてのが落ちだろうがな。だが、中には実際に地面の中から出て来るのを目にした……なんてことを言うやつもいる」

「それはなんというか」


 驚くほかない。屍体が動く、など思いもしなかった話だ。

 それが呪いと言われるかどうかは別である。しかし、放っておくこともできない。


「おや、行くのか。まさか共同墓地に行こうかって言うんじゃないだろうな。

 やめておけ、あそこは夜になれば豚が墓を荒らして回る汚ねえ場所だ。

 ああ、やだやだ。豚の世話もろくにできねえ貧しい余所者よそものに、病気を持ってくる風、場当たりなことばっかする教皇庁……やってられねえよ」


 そう言って男は酒をあおった。最後にオリヴィエールは、この男のためにパンとチーズを奢り、酒場を出た。自分は何も食べる気にはならなかった。

 それから数件回ってみたが「テンプル騎士団の呪い」という言葉が出てきても、その中で有力な手がかりになりうるものはなかった。

 しかし、気になる情報はある。それはやはり、墓場にあるという動く屍体のこと。

 皆が皆、否定的であったものの、現実としてそれを見たという人もいるらしい、というのはわかった。

 やはり踏み込んでみるしかないだろう。大丈夫だ、自分には主の加護がある……。オリヴィエールは自分の胸にかけられている十字架をつかんだ。

 そのままの足で、墓場へと向かっていた。曲がりくねった小道を進む。無計画な増築が招いた迷宮は、慣れた者でさえも不安にさせる。大通りという大通りもなく、歴史の建築家どもに毒を吐きたい気持ちにもなった。

 やがて人がいなくなる。おかしい、とは思わなかった。多くの人が家に引きこもっていた。路上生活者も多くいたが、いない場所だってある。

 怖がっているのは仕方ないことだろう。誰だって死は怖い。

 いくら「死を想え(メメント・モリ)」を唱えたところで、果たして神に身を捧げられぬ者のどれだけが実行できるのか。

 いや、主に仕える者だって……例えば自分は?

 そこまで考えてやめる。今はそれどころではない。呪いなどないと証明しなければならない。

 目の前に、影が現れた。それだけならば問題はない。どうも様子がおかしい。

 壁に横たわっている者を探っている。寝ているのか死んでいるのかはわからない。もしかしたらその死を悼む者かもしれない。あるいは盗人だろうか。

 暗い中でもわかるほどに目がぎらついている。顔がゆっくりと、こちらを向いた。


「どうされました?」


 オリヴィエールの問いかけ。答える様子はない。

 恐る恐る、近づいていく。もしかしたら病にかかり、忘我の状態になっているのかもしれなかった。

 少しずつ狭まる距離。それとともに早くなる胸の臓器。

 やがて、はっきりとその影を捉えられるようになる。


「ひっ」


 振り向いたその影は、口から何かを滴らせていた。色のついた水、なんてものがここにあるわけがなく、それはまぎれもない血であった。

 血を飲んでいた? そんなことがあるものか。その行為はあまりにも背徳にすぎる。聖書に言う救世主の葡萄酒ではあるまい。人から直接、血を啜るなど。

 気づけば、悲鳴もあげられずに逃げ出していた。後ろからその影が迫ってくるのもわかる。

 わけもわからないままに走る。すでに日は暮れており、辺りには誰もいない。助けを求めようと、オリヴィエールは誰も見つけることができなかった。

 怪しい方へ怪しい方へと足を向けてしまう。

 それはまるで誘われているかのようだった。蛇となって現れた悪魔サタンのように、狡猾な罠なのではないかと思った。

 気づいたときには遅い。そこは魔の領土だ。人が踏み込んではいけない場所だ。

 足を止めた。行き止まりだった。計画もなしに作られた都市であるアヴィニョンには、無数の行き止まりがある。運悪くそれを引き当ててしまった。

 背中を見せてはならなかった。相手は深い闇である。背を見せてみろ、首を見せてみろ。そいつは鋭い牙で噛みついてくるぞ!

 振り返る間もなく、オリヴィエールに覆いかぶさってくるように、黒い影は躍り出た。まるでこのときを待ち、闇の中に潜んでいたように。

 石畳を転がった。取っ組み合いにもならない。オリヴィエールは貧弱であり、その影は強い力を持っていた。

 どうにかして影を見て、オリヴィエールは息が詰まりそうだった。それはとうてい、人の容貌ではない。朽ちており、理性の光はなく、そして凶悪だった。かろうじて人の形を保っているが、それはなおのこと恐ろしい。

 大きな牙があった。それは短剣ナイフのように、血管に刺すものだとわかった。

 殺される、そう思ったときに、思わずオリヴィエールは胸にかけられたロザリオを突き出した。

 鋭いロザリオの端が、その影に見舞われた。苦悶の声をあげて転がる人影を、オリヴィエールは後ずさりながら見ていた。

 凄まじい勢いでその影は飛び上がった。もはや、反撃の隙も与えないという、明確な殺意があった。

 これは間に合わない。そう思った。黒い死が迫っていた。

 が、しかし、またもや影は吹き飛んで行った。今度は家屋の壁にぶつかる。まるで力任せに投げられたような……。

 いや、まるでではない。それは投げられたのだ。目の前の男によって。

 オリヴィエールの前に立つ男。その男は輝くような金色の髪を持っている。ちらりとオリヴィエールの様子を見た瞳は、青く澄んでいた。まるで雲間から覗く青空のような色だった。


「危ないですから、下がってください」


 丁寧に言った男は、手に剣を持っていた。そう、この男は戦士だった。

 いいや、正しくは騎士だろう。重装備を外套マントの下に隠していることからわかる。

 それも格調高い騎士。どこかの貴族に仕えているのだろうか。それとも聖ヨハネ騎士団か。いずれにせよ、あの影を投げ飛ばしたことから並の戦士でないことはわかる。

 抜かれた剣は、見たこともないほど大きかった。男の背丈ほどもあるだろうか。正しい大きさは見て取れない。それに、複雑な形をしている。何らかの機巧からくりでも仕組まれているのかと思うほどにだ。

 影が立ち上がった。騎士は剣をまっすぐ構えた。まるで重さすらも感じさせないような、自然な構えだった。

 走ってくる影。その動きは人と言うより狼だ。獲物を食おうとしている獣だ。

 騎士はまったく動じることはなく、むしろその動きに合わせてみせた。オリヴィエールの目からも、弛まぬ鍛錬の末に身につけた技だとわかるほどの。

 影の腕は騎士のすれすれを掠めたが、空を切った。

 それが狙いだった、と言わんばかりに騎士は剣を縦に振り切った。

 一撃だった。あれほど強い力で暴れていた影は両断されて地面を転がり、もはや動く気配すらもなかった。

 オリヴィエールは驚きのあまり、開いた口が塞がらなかった。

 あの影が、一瞬で。畏怖すらも感じた相手を、何の躊躇もなく、苦戦もなく、斬り伏せてしまう技量。

 まさしく騎士の中の騎士だ。そう思わせるだけの者だった。

 騎士は振り返る。思ったよりも、ずっと若い、ともすれば自分より年下なのではないかと思わせる青年だった。


「大丈夫でしたか?」

「あ、貴方は……」


 尻餅をついていたオリヴィエールは感謝を言うのも忘れていた。

 騎士は笑うと、一礼をする。


「私の名前はレイナルド。レイナルド・コラン」


 その姿は、騎士物語から出てきたかのようだった。

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