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未来という呪い

 共同墓地の帰り道に、レイナルドは己がテンプル騎士団であることを告白した。

 公式にはテンプル騎士団は解散したことになっている。フランス国王の告発によって、教皇は彼らを異端であるとし火刑を宣告したのであった。かつて教皇に忠誠を誓いキリスト教世界で最強の名を冠していたテンプル騎士団であったが、それは教皇が西欧世界で最も権威ある存在であったからだった。テンプル騎士団解散当時から今に至るまで、教皇はフランス国王の下にあった。その教皇の庇護下であるテンプル騎士団の地位を失墜させたのは、なにも十字軍の失敗のみではないのだ。

 だが、その裁判を有効と認めたのは、フランス王国と付き従う国のみであった。スペインやキプロスなどでは存命であり、神聖ローマ帝国の一部所領では正式に裁判がなされた上で無罪を宣告されていた。このことも、教皇庁の権威が失われていることの証左でもあった。信仰と政治のどちらをも司っていた教皇庁ではあったが、イングランドとの戦争が始まるまでは信仰のみを司る、危うい均衡の上で延命をしていたのだ。

 では、レイナルドはどこのテンプル騎士団か。そのことを問えば、彼は顔を曇らせたのだった。


「どこの、などというものはありません。テンプル騎士団は、テンプル騎士団なのです」


 それはかえって、彼の高潔な信仰を証明していた。彼が言うに、自身はテンプル騎士団でも稀有な地位にあるものであり、上も下もなく、脈々とその使命を全うする者であるそうだ。使命については不明であるが、オリヴィエールには遠きものに思えた。

 騎士の模範であるかのようなレイナルドの振る舞いを考えれば、テンプル騎士団の中でも有数の優れた教徒であることが伺える。

 オリヴィエール自身、彼がテンプル騎士団であることに驚きはしなかった。この時代に、一人で旅をする騎士でありながら、略奪などを以ての外とする者は、騎士団の中でも高潔な教義を持つものである。そして、彼は「〈テンプル騎士団の呪い〉について解明しにきた」と言っていたから、その関連は疑っていたのであった。

 本来であれば、テンプル騎士と名乗る者と手を組むのは、よくないことだろう。オリヴィエールはそれを理解している。どのような背景があれど、テンプル騎士団はフランス王国と教皇庁からしてみれば異端であり、それはキリスト教世界の総意と扱われてもおかしくなかった。他の国がどのように扱っていようと、オリヴィエールは教皇庁に仕える司祭であり、アヴィニョンで活動していたからだ。

 まして、知識階級と言われていても、テンプル騎士団について知っている者は、どれほどいるだろうか。誰もが、彼らを異端だと叫んで終わりにするだろう。知ろうとすら思わない者も多く、下手に裁判について疑義を唱えようものならば、次に異端の身に堕とされるのは自分だった。

 そんな事情があれど、オリヴィエールはレイナルドを突き放すことをしなかった。むしろ、テンプル騎士を知り、彼を知ったからこそ、突き放すことはできなかったのだった。命も何度救われたかはわからない。そして自分の使命である〈テンプル騎士団の呪い〉を解決するためには、レイナルドの力は必要不可欠だった。


 この日は、雨が降っていた。南フランスと言えど、冬がすぎたばかりの時期の雨は凍える。

 仕事を終えたオリヴィエールはやはり、ギュスターヴに声をかけられたのだった。またもや遊戯ゲームの誘いである。枢機卿という仕事はよほど暇なのか、などとは口が裂けても言えない。

 書記官たちはいま、仕事に追われている。書物の写し、翻訳、そして指令の書き出し。日が昇り朝の祈りを終えてから、日が暮れるまでずっと仕事であった。肩も凝れば、酒も恋しくなるだろう。このアヴィニョンはいまでこそキリスト教世界の首都であったが、元は片田舎であり、娯楽に欠けている。娼館通いの者も少なくはない。

 一方の司祭はというと、このときほど自由にできる時間はなかった、しばらくすれば、ナポリ女王ジョヴァンナがやってくる。教皇裁判が始まるのだ。それまでに、オリヴィエールは己の為すべきことをなさねばならなかった。


「今日は図書室にずっといたそうではないか。調べ物かね? 熱心だな。〈テンプル騎士団の呪い〉について、解明の糸口を掴んだのか?」


 畳み掛けるような口調はいつも通りであったが、その真意を図りかねたオリヴィエールは、いえ、と言葉を濁した。咄嗟に出た言葉に、少しの嘘を混ぜる。


「少し、興味があることがありまして。ギリシャやローマにおいても、黒死病が流行っていたようでもありますし、今回もその類似性があるのではなかろうと。しかし、成果はなく……」

「なるほどな。確かに、歴史から学ぶことも多くあるだろう。同じ過ちを繰り返さぬためにも、あるいは過去にすでに発明されたものを再発明するなどという手間を省くためにも、必要であろうな。それがわからぬ輩の多いこと。

 教義とは人の行く先を照らすのと同時に、それ以外の事柄を暗闇の向こうへと追いやってしまう」


 ともすれば、背信者の誹りを受けるような言葉をギュスターヴは言った。枢機卿の地位を買い取った目の前の元貴族は、キリストさえも恐れなかった。この時代は、見えもしない神の罰よりも、目の前に迫っている疫病こそを恐れていたが、それにしても不遜な発言が多い。オリヴィエールからしてみれば、冷や汗ものだった。

 葡萄酒を口に含みながら、彼は駒を進めていた。オリヴィエールは冷静に盤を眺めながら、十手、二十手先を読もうとする。チェスをしているうちに、思考の方法がわかりつつあった。それはどのように戦っていくかという考え方であった。

 目の前に広がっている光景から、これから起こりうることを想像する。

 自分の持つ理論から、どのような結末を迎えるのが良いかを考える。

 この二つを融合させることが勝利へ繋がるものであった。自らが操る駒とは、未来を変えるべく自身の意思による選択である。そうして変わっていく先で、描いていた勝利に繋がっていく。無論、相手も同じように駒を操る。だから自分の中に、たくさんの理論を溜め込んで、必要と思った時に吐き出す必要があった。

 ときにこれは、才覚の問題でもあったが、幸いにもオリヴィエールには大局について考える頭脳があった。それは過去の賢人たちの思考、思想を対立なく整理してきたがゆえに身につけたものでもある。

 ともあれ、恐ろしい勢いでギュスターヴの言葉と戦術を吸収していたオリヴィエールは、ギュスターヴと対等とは言わずとも、いい線で渡り合っていた。もしかすると、レイナルドという優れた剣客との出会いが、戦いの観点を与えたのかもしれなかった。


「ははあ、腕を上げたな」


 ギュスターヴは、悔しげな様子も見せなかった。そのことが彼の器を示していた。若者の成長を喜ぶことと、それでもなお自分は負けないという思いがあった。


「恐れ入ります」

「ここ数日で、目覚ましいじゃないか。〈テンプル騎士団の呪い〉ならぬ〈テンプル騎士団の祝福〉でも受けたかね?」

「……お戯れを」


 ぎくり、としたが、なんとか言葉を振り絞った。

 もしかすると、ギュスターヴは自分のことを全て知っているのではないか、とすら思わされた。しかしこの老獪ろうかいな人物のことであるから、様々な言葉の中で惑わせようとしているに違いない。


「指導、ご鞭撻べんたつのおかげです」

「なにもしていないがね。戯れているだけだ、君の言う通り」

「先ほども申した通り、先人の知恵に学ばせてもらっております」

「これは一本取られたか」


 ギュスターヴが笑うが、返ってくる一手は痛烈であった。盤面はひっくり返る。オリヴィエールは再び思考の海へと沈んでいった。


「ナポリ女王の検察側が到着したようだ。裁判は近いぞ」


 その宣告はあまりにも急であった。オリヴィエールの思考は止まり、顔をあげる。間抜けな顔を晒している自覚があった。

 いいや、そもそもの展開が急なのである。裁判は近々、とは聞いていたが、検察側が到着しているということは、数日もしないうちにナポリ女王ジョヴァンナも到着する。そうすれば即刻、裁判が行われる。

 慌ただしくなるな、とオリヴィエールは思いを馳せた。


「三月十五日、彼女は到着する予定だ。あと数日もない」

「やはり急ぎますか。当然と言えば、当然ですが」

「ああ、そうだろうとも。彼女の方から、クレメンス六世猊下に求めた裁判だ。女王でなければ検察より早く来なければならないところだ」


 この時代において、王が移動するということはすなわち、政治機能そのものを移動させるということであった。教皇がローマからアヴィニョンに移ることも遷都に等しい行為であったが、一国の王であれば、軍の天幕でさえ宮殿となる。

 ナポリ女王も同じだった。彼女のいるところはつまり、ナポリ宮殿なのである。大掛かりな移動になることは間違いなかった。枢機卿や、各領主などを引き連れての移動であるから、なおさらだ。


「各国からも大使がやってきている。さすが、キリスト教世界一の美女と言ったところかな?」


 それだけではないだろう。彼女を中心とした事件は、知識階級でも二分するほどのものだった。有罪か、無罪か。酒を飲んでは議論を交わしていたのも思い出だった。醜聞スキャンダルは、娼婦ほどの供給はなくとも、これ以上ない娯楽であった。

 それこそ事件が発生した二年前は、一ヶ月はその話題で持ちきりになり、聖職者であれど殴り合いの喧嘩になるまであったほどだった。


「そこまで言われれば、私でも興味が湧きますね。女王ジョヴァンナ、一体どんな人物なのか」


 氷上の雪に例えられる潔白さと、天使とさえ称えられる美貌というのは、肉欲に基づく興味ではなく、美に対する探究心を刺激される。

 噂ではあるが、夜会にて彼女と踊った騎士は誰もが等しく忠誠を誓ったのだという。中には踊ったすぐあとに膝をつき、騎士を二人、献上すると約束した者がいた。騎士は身柄を賭けて決闘することがよくあった。敗者は財産のみならず、身命を勝者に捧げなければならない。誓った騎士は、必ずや勝利してみせ、それを愛の証としようとしたのだ。ほどなくして、書状を携えた二人の騎士がジョヴァンナの元にやってきた。書状には、かつてジョヴァンナと踊った騎士の名が書かれており、約束を果たしたことを告げたのだった。ジョヴァンナは二人を自由な身分に解放したそうだが、これは有名なエピソードとなった。

 他にも多くの噂があるが、ここでは語るまい。ともあれ、オリヴィエールに時間は残されていなかった。ナポリ女王ジョヴァンナ、彼女がやってくる前に終わらせなければ、噂どころではなくなってしまう。

 嫌な予感がしていた。別々のものが、同時に押し寄せてくる。目が回りそうであった。

 オリヴィエールは盤上を眺める。自陣の女王クイーンを、聖職者ビショップ騎士ナイトが守っていた。黒の歩兵ポーンが確実に迫ってくる。怯えてはいられないのだ、と思った。

 〈テンプル騎士団の呪い〉、そして「竜の力を持つ」を言い放った牙を持つ者たち。この二つを解決しなければならない。オリヴィエールは使命感に燃えている。これほど熱い思いを抱くのはなぜだろうか。母を思い出したからだろうか。レイナルドの言葉によるものだろうか。あるいは歴史の奔流に飲まれていることに、男として浪漫があるのだろうか。

 自らも盤上の駒である。冷静な思考と、熱い使命がせめぎ合う。自分の中にある思いにも戸惑いながら、正しいことなどわからないままに、けれども確かにひとつだけ胸に確固たる思いがあった。

 先をわからないままに進むことは、やめたい。

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