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もう一度ふたりで

 二○一三年十月二十九日、午後四時八分。

 潮時だ。そう思いながら、朔也は電池の残量が残りわずかとなったスマートフォンの電源を落とした。

 数日前に聞いたハヤトの話が事実なら、早ければ明日にも接界が始まる。


 ぎりぎりだった。これを逃せばチャンスは二度と無いだろう。

 明日の正午を過ぎれば、現世は十月三十一日ハロウィンを迎える。遅くともそれまでには、儀式を実行し成功させなくてはならない。


 一つ大きく息をつき、朔也は目の前のドアをノックした。返事は無い。すっかり暗くなった窓の外で、花火の上がる音がする。

 今夜は街の中央広場で、明日から始まる祭の前夜祭が営まれているのだった。朔也達のいる宿は広場の熱狂からやや遠い。それでもじっと耳をすませば、光の芸術に沸く人々の喝采が、わずかだがここにも聞こえてくる。


「ライ。入るぞ」


 一応の断りを入れ、朔也は静かにドアを開けた。案の定鍵は開いている。

 微かに軋んだドアの向こうはまったくの闇で、明かり一つ灯っていなかった。その闇の中に凝然と座り込んだ人影を、夜空に咲いたいくつもの花が照らし出す。


「ライ」


 手にしていた小さなランプを掲げ、朔也はライの座る寝台へと歩み寄った。役所での事情聴取が終わり、二人が宿へ戻ってきたのは夕方のことだ。

 それきりライは放心し、何を言っても上の空だった。ただ辛うじて、一人にしてくれ、という呟きがその口から漏れたので、朔也もしばらく彼女の傍を離れていたのだ。


「ライ。お前、晩飯は?」

「……」

「服、着替えた方がいいんじゃねーか。アベルの血がついてる」

「……」

「墓の件、どうするか決めたのか?」

「……」

「ライ……隣、座るぞ」


 どうせ答えが返ってこないことは分かっていたので、朔也はライの返事を待たず、彼女の横に腰かけた。

 ライの姿は朔也が最後に見たときから少しも変わらず、同じ場所、同じ姿勢で座り込んだまま、死んだように動かない。


「……。ライ。俺さ、お前に謝らなきゃなんねーことがあるんだ」

「……」

「俺、一つ嘘ついてた。この国には、あの絵の女を探しに来たって言ったけど、本当は違うんだ。探しに来たんじゃねえ。取り戻しに来たんだ」

「……」

「あいつ、美世っていうんだけどさ。俺の姉貴だったんだ。だけど、一年前に殺された。美世は俺にとって、たった一人の家族だった」


 ぴくり、と、隣のライが、微かに反応を示した気がした。

 しかし朔也は敢えてそちらを振り向かず、闇色に塗られた壁の一点を見つめながら言う。


「『アレセイア記』って本を探してた。その本があれば、死んだ人間を生き返らせることができると聞いた。それが今、この国にあるって噂を聞いて旅してきたんだ。そして俺はその本を見つけた。そこにはあの世へ渡るための儀式の手順が書かれてた。上手くいけば、あの世から死んだ人間を連れ戻せる。ハヤトの件が片付いたら、その儀式を実行しようと思ってた」

「まさか……そんなことが、本当に?」


 ライが、ようやく口を開いた。声はいくらか掠れていたが、その響きは少なくない驚きを孕んでいる。

 朔也はライを振り向いた。わずかに光を取り戻した彼女の目を見つめ、小さく頷いてみせる。


「俺にはもう、それしかねーんだ。美世は俺のすべてだった……あいつがいない世界なんて、無くなっちまえばいいとさえ思った。だからわずかでも望みがあるなら、俺はそれに賭けたいんだ。たとえ禁忌の術だと言われても、俺は……」

「だが、そんな本を一体どこで? まさか、あの悪魔が集めていた……」

「……」

「だから真実を黙っていたのか。悪魔と取り引きしたんだな」

「ハヤトを見逃せば、儀式の方法を教えてやると言われた。あいつは今まで何人もの人間を使って、儀式とあの世の研究をしてたんだ。だからあの世に渡ることができるのは本当だって……ただ、そこから美世を連れ戻せるかどうかは分かんねーし、生きて戻れる保証もねーけど、それでもいいって言うなら教えてやるってこれをくれた。この魔法陣を使えばあの世に行けるって」


 言って、朔也がライの前に差し出したのは、自らがこちらへ来る際に描いた魔法陣のメモだった。メモには儀式に使った緋雨の血がべったりと付いていて、黒ずんだそれが〝悪魔のメモ〟と呼ぶに相応しい雰囲気を醸し出している。

 ライにそれを見せるのは初めてのことで、メモを受け取った彼女は実に複雑な表情をしていた。その横顔には嫌悪と不信、そして何よりはっきりとした動揺が見える。


 無理も無かった。悪魔の囁きに耳を貸すのは人としての理性が拒むだろうが、彼女もまた最愛の家族を失ったばかりだった。

 それだけではない。ライは無実の罪で国を追われ、アベル以外の家族も皆殺しにされている。もしも朔也の話が事実なら、非業の死を遂げた家族全員を救えるかもしれないと考えるのは当然だろう。

 その甘い誘惑が、ライの心を惑わせている。


「本当に……本当にその儀式を行えば、死んだ人間を取り戻せるのか? あの悪魔が人の魂を食らうために考えた、作り話ではないのか?」

「それは俺にも分からねえ。けど、俺にはもうこれしかねーんだ。たとえ罠だとしても、美世のいない世界でのうのうと生き続けるよりずっといい。そんな世界で、たった一人で生きてたって意味がねえ。だから明日、俺はこの儀式を試そうと思う。――ライ、お前はどうする?」


 朔也を見つめたライの瞳が微かに揺れた。朔也はそんなライから目を逸らさず、淀み無い視線をじっと注ぐ。


「本気……なんだな」

「ああ。たとえ一人でも俺はやる。やっぱり悪魔の言うことなんか信じられねえって言うなら来なくてもいい。そのときは俺が、アベルのことも一緒に探してきてやるよ。だから、お前は……」

「冗談はよしてくれ。自分の命惜しさに、危険を他者に押し付けて傍観していろと言うのかい? 私はそんな虫のいい人間ではないつもりだよ。それならば私も、君と共に禁忌を犯そう」

「ライ……」

「谷であの悪魔との取り引きに応じてしまった時点で、どのみち私も共犯者だ。それもすべてはアベルのためと思ってしたことだが、あの子がいなくなってしまっては意味が無い……だから、サクヤ。どうか私も共に連れて行ってくれ。たとえ罠でも後悔しない。それがアベルの弔いになるのなら……」


 そう告げたライの瞳から、一筋の涙が零れた。悲愴に濡れたライの頬を、朔也はそっと拭ってやる。

 視線が絡み合い、愛する者を失った傷が共鳴し、共に堕ちる覚悟を決めた二人の間に何かが生まれた。静かに目を閉じたライの唇に、朔也は自分のそれを重ねる。


 二○一三年十月三十日、午前九時十七分。

 こちらではまだ夜も明けきらぬ頃だった。


 薄明かりに包まれた街は、静まり返っている。祭の開始には少し早い。

 宿の主人も寝ている時間だ。その静寂の中、朔也とライは物音を忍ばせ、黎明の街へと繰り出していく。


「行こう」


 周囲に人気が無いことを確かめ、朔也はライに手招きをした。まずはこの街のどこかで儀式を実行できそうな場所を探すという手筈になっている。

 最後の問題は生け贄だった。ライにはまだ、儀式に人間の生け贄が必要だということは話していない。

 真実を打ち明け、やはりそんな儀式はできないと拒絶されるのが怖かった。だがやりようはいくらでもある。適当な場所で隙を見てライを気絶させ、その間に生け贄を探せばいいのだ。


 この際相手は選んでいられない。緋雨のときは、生け贄があの世で追っ手となるなら少しでも非力な者を選んだ方がいいだろうと考えたのだが、悪魔など存在しない現世へ戻るのだから今回はそんな心配も不要だろう。

 人間なら誰でもいい。どうせ儀式をやり遂げれば、この世界へ戻ってくることも二度と無いのだ。


「――待って!」


 そのとき、未明の空に響き渡った鋭い声に、二人は驚いて足を止めた。

 背後から駆け寄ってくる足音がある。一体誰だ。警戒し、腰の短剣へ手をやりながら振り返ったところで、朔也は目を丸くする。


「グレイシィ?」


 驚いたことに、突如として二人を呼び止めたのは、三日前に姿を消したはずのグレイシィだった。どこからともなく現れた彼女は微かに息を上げ、何故か険しい顔をしている。


「グレイシィ、無事だったのか。だが、どうしてここに?」

「あれから私も行く宛が無くて、この街に戻ってきたの。だけどどうしてもこの宿に戻る気にはなれなくて、別の宿に泊まってた。そしたら昨日、街で偶然あなた達の姿を見かけて……」


 それでやはり会いに行こうという気になったのか。朔也は鼻白んでそう思ったが、ライの方はグレイシィとの再会を素直に喜んでいるようだった。

 だが今は、感動の再会劇など演じている場合ではない。時間が無いのだ。まったく厄介なときに現れてくれた、と思いながら、朔也は軽くグレイシィを睨めつける。


「で? 今更戻ってきて何の用だよ」

「あなた達こそ、こんな朝早くからどこ行くの? 入れ違いになったら嫌だから待ち伏せしようと思って来たのに、まさかこんなに早く宿を出てくるとは思わなかったわ」

「そんなのお前に関係ねーだろ。悪ぃけど俺達急いでんだ。用があるならさっさと言えよ」

「それじゃあ単刀直入に言わせてもらうけど、朔也。あなた、本当のこと、ちゃんとライには話したの?」

「本当のことって?」

「昨日のアベルの事故のことよ」


 ――アベルの事故。突然グレイシィから突きつけられたその言葉に、朔也の心臓が大きく跳ねた。


 何故グレイシィがそのことを知っているのか。見開いた目が微かに揺れる。途端に噴き出してきた冷や汗が、音も無く頬を伝った。

 まずい。ここですべてをバラされたら、これまでの苦労が何もかも無駄になる。


「アベルの事故……? グレイシィ、まさか君もあの現場に……」

「ええ。街の中を歩いてたら、たまたま広場で朔也とアベルを見つけてね。傍にライの姿が無かったから、おかしいと思って後を尾行けたの。そうしたら……あの事故が起こった」


 ――やはりバレている。言葉と共に注がれてきたグレイシィの非難がましい視線に、朔也の背筋はますます凍り付いた。

 まずい。まずい、まずい、まずい。このままではすべてが無駄になる。あと一歩、あと一歩で美世に手が届くのだ。こんな所で邪魔されるわけにはいかない。失敗すれば、何のためにここまで我が身を危険に晒してきたのか分からなくなる。


 やはり神は人に与え、喜ばせておいて奪うのか。そうして人が絶望し、狼狽え嘆く様を笑うのか。


 この悪魔め。

 ならば今目の前にいるこの女は、さしずめ悪魔の手先ではないか。


「ねえ、朔也。どうなの? 本当はあのとき何が起こったのか、ライに全部話したの?」

「……」

「その様子じゃ、やっぱり話してないみたいね。いいわ、だったら私から伝えてあげる。――ライ、アベルが死んだのはね、事故なんかじゃない。朔也がアベルを殺したのよ。馬車の前にアベルを突き飛ばして、轢かれるように仕向けた。私はその現場を見てたの。最初は信じられなかったけど……だけどこのまま、真実を黙ってることなんてできなかった。だからそれを伝えに来たの。そうよね、朔也」


 責めるような、祈るような口調で言われ、朔也は押し黙ったまま立ち尽くした。

 一方のライは驚愕に目を見開き、茫然と朔也を見つめている。その瞳には困惑と動揺、そして絶望が揺れている。


「ま、まさか……サクヤが、アベルを殺した? そんな、どうして……」

「……。なるほどな。そういうことか」

「え?」

「おかしいと思ったんだ。右からは馬車があんな派手な音を立てて突っ込んできてたのに、アベルがそれを確めもしないでいきなり路上に飛び出すなんて……ついでに言えば、あのとき俺がアベルから目を離したのは、後ろから誰かに肩を叩かれたような気がしたからだ。振り向いたときには誰もいなかったから、てっきり気のせいかと思ってたが――あれは全部、お前が仕組んだことだったんだな、グレイシィ」

「な……!?」


 まるで耳を疑うように、グレイシィが愕然と目を見張った。そうして絶句したグレイシィを、朔也は最大級の憎しみを込めて睨みつける。


「最初からそうやって話をでっち上げて、俺に復讐するつもりだったんだろ? そりゃあ憎いよな。お前が村を追われたのも、父親に見捨てられたのも、元はと言えば全部俺のせいだ。けどな、だったらアベルじゃなくて俺を殺せば良かっただろ。何であんな真似したんだよ? 俺とお前の事情にライやアベルは関係ねーだろ!」

「ち……違う、違う! アベルを殺したのは私じゃない! どうして……どうしてそんなことが言えるの、朔也? あなたはそんな子じゃなかった。不器用だけど優しくて、正義感もあるいい子だったのに……!」

「知ったような口を利くなよ。俺達が一緒にいたのはたったの数日だろ。それだけの時間で、俺の何が分かるってんだ。そんなくだらない思い込みのためにアベルを殺したのかよ、あ!?」

「思い込みですって? 私はあなたのことならこの世界の誰よりもよく知ってるわよ! だって、私は――」


 そのときだった。

 ばさり、と、朔也の頭上で黒が舞う。


 聞き覚えのある羽音だった。降り注いでくる禍々しい気配に、鳥肌が立った。漆黒の羽根が一枚、ゆらゆらと左右に揺れながら、朔也の前に舞い降りてくる。


「ミつけタヨ、おニイちゃン」


 濁った少女の声。顔を上げるまでもなく、緋雨だと分かった。


 まったく最後の最後に、どいつもこいつも邪魔してくれる。そう思うと、口元には笑みさえ零れた。

 悪魔の手先の次は本物の悪魔か。どうやら神は、朔也のことがよほど嫌いらしい。


「ねエ、おニイちゃン。アそボウよ。もウいちドアそンだら、ヒサメのこト、マたすキになッテくレルよネ?」

「緋雨……お前もしつこいな。俺はお前なんて好きでも嫌いでもねーんだよ。分かったらいい加減、別の友達を探しに行ったらどうだ?」

「ダーメ。ヒサメのオトもだチハおニイちゃンだケなノ。おニイちゃンはヒサメのモノなノ。だレにもワたサナイ……ヒサメはずっトおニイちゃンといっショ、いっショ――いっショなノォォォオオオ!!!!!」


 鼓膜が破れんばかりの絶叫と共に、真上から風圧が叩きつけてきた。その風圧に押し潰されそうになり、思わず膝を折った朔也の背に、黒い爪を振り翳した緋雨が襲いかかる。

 が、あと半瞬で朔也の背が貫かれるかに見えたそのとき、ライの振り回した戦斧が緋雨の上体に直撃した。その予想外の重量に緋雨の体は吹き飛ばされ、しかし刃が直撃したはずの胸には傷一つ無い。

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