最初で最後の
三日前に街を出たときよりも、プルーリオンは更に賑やかになっていた。
古王国の神を信じる人々が≪感謝祭≫と呼ぶ祭は、早くも明日に迫っている。
城から街の東門へ真っ直ぐに伸びる大通りは、行き交う観光客や馬車でごった返していた。頭上には通りを跨ぐソーテリアー神の旗、その下にはいくつもの露店が並び、既に祭は始まっているのではないかと思うほどの盛況ぶりを見せている。
ほとんど人の出入りが無い西門からプルーリオンに入った朔也達は、あまりに違う街の東と西の活気に驚きを隠せなかった。
なるほど、街の西門から先にあるのはいくつかの農園と手つかずの原野、そして危険まみれのトイコス山脈だけで、そちら側からわざわざ街を訪れる物好きなどいるはずもない。
その点、街の東門や北門の先には太い街道が伸びており、通りがここまで賑わっているのもそのためだろうと判断できた。
朔也達が宿泊していた宿は東の大通りの陰にある。二人は既にお祭り騒ぎとなっている通りの雑踏を抜け、横道に入った。
「おかえり、ライ姉!」
宿へ戻るなり二人を迎えたのは、一人で留守番を強いられていたアベルだった。どうやら彼は、外から聞こえた話し声だけで朔也達の帰りに気が付いたらしい。
二人が部屋へ戻るより早く廊下へ飛び出してきたアベルを、ライが年長者らしい笑顔で迎えた。正面からライに飛びついたアベルはさも心細かったと言いたげに、ライの体へ顔を埋めている。
「ただいま、アベル。私達がいない間、ちゃんといい子にしていたか?」
「うん! 宿のおじさんが、いろいろ親切にしてくれたから……って、ライ姉、その腕どうしたの? けがしたの? だいじょうぶ!?」
「ああ、これは大した怪我ではないんだ。きちんと手当てもしたし、心配は要らないよ」
「本当に? 本当に痛くないの? ……グレイシィもいないよ? 何があったの?」
アベルは思いの外、周囲の変化に敏感な少年のようだった。初めはライの右腕に巻かれた包帯を見て動揺していたようだが、次にはグレイシィの不在に気付き、どこか不安げな顔をしている。
それはグレイシィの身に何かあったのでは、という心配でもあったのだろうし、朔也とライの間に走った不穏な空気を察したのかもしれなかった。
グレイシィの行方については、二人とも口を閉ざして答えない。トイコス山脈麓の森で別れたグレイシィはそのまま、朔也達の前から姿を消してしまったのだ。
「ねえ、ライ姉、グレイシィは? やっぱり山で何かあったの?」
「いや、違うんだ、アベル。グレイシィは……」
「だからぼく、あの山へ戻るのはいやだって言ったんだよ。あそこがどんなに危ない場所かは、ライ姉とふたりで旅してようく分かってたもの。きっとまた強い魔物に襲われたんでしょう? ライ姉のけがも……」
アベルは二人の沈黙を、彼が想像し得る上で最も最悪な事態が起こったものと解釈したようだった。そうして声を震わせたアベルの目が、そのとき、朔也へと向けられてくる。
ドクン、と、一度だけ心臓が大きく鳴った。アベルが朔也へと注いだ視線は、幼いながら紛れもなく朔也を嫌悪した眼差しだった。
男のお前が付いていたくせに、何故。何故グレイシィが命を落とし、大好きな姉までこんな怪我を負わなければならなかったのか。
半分は誤解とは言え、朔也を睨んだアベルの顔にははっきりとそう書かれていた。途端に朔也の胸裏には、どす黒い感情が広がっていく。
――このガキ。思わず口に出しそうになったその感情は、やがて怒りや憎悪となって朔也の思考を支配した。
てめえに何が分かるんだ。姉貴を横取りしたくせに。
「アベル。グレイシィは生きているよ。ただちょっとした行き違いがあって、別行動をすることになってしまったんだ。それにこの怪我は確かに魔物に襲われて負ったものだが、その魔物を追い払ってくれたのはサクヤだ。そんな顔をするんじゃない」
さすがは姉弟と言うべきか、ライはアベルの思惑を瞬時に感じ取ったらしく、朔也へ向かうアベルの視線を遮るように腕を伸ばした。
そうして肩に触れられたアベルは、本当か、と問いたげにライを見上げている。その視線を受け止めたライが、私がこれまで嘘をついたことがあったかと尋ねれば、アベルは返す言葉を失ったように顔を伏せる。
「それじゃあ、サクヤ。これからの予定は、さっき話したとおりでいいな」
「……ああ、それでいい」
「レオフォロスまではまた長旅になる。今のうちにしっかり疲れを取るようにな」
今日はこのままプルーリオンに留まり、一日休む。レオフォロスへ向けて出発するのは明日の朝、と、ここへ来るまでの間にライと話はついていた。
だが朔也は、そうして一度ライやアベルと別れてからも、胸中に黒い感情が渦巻いていることを自覚する。
あのガキ、あのガキ、あのガキ。朔也の目にはアベルの嫌悪に満ちた表情が焼き付き、それを思い出す度に物を殴り倒したいような衝動に駆られる。
グレイシィが去り、一人で使うことになった宿の部屋で、朔也は腰から外したボディバッグを寝台へと叩きつけた。それでも気は治まらず、部屋の隅に置かれていた一本脚の円卓を蹴り倒す。
荒い息をつき、部屋に一つだけある窓を開けた。朔也の部屋は大通りから逸れながらも、それなりに人通りのある通りに面した位置にある。
白に近い灰色の石畳で丁寧に舗装されたその通りへ、俄然、大通りの方から一台の馬車が進入してくるのが見えた。二頭立ての箱型馬車で、朔也の目にはそこそこ大きなものに見える。
その馬車が大通りから角を曲がってきた勢いもそのままに、二階にいる朔也の眼下を猛然と通り過ぎていった。大きな車輪に踏まれて敷石が割れ、巻き上げられた破片が派手に宙を舞っている。
「おい、危ねえな! こんな狭い道で飛ばすんじゃねえ!」
直後、朔也のいる窓の真下から、いきり立った男の声が聞こえた。思わず身を乗り出して見下ろせば、そこには通りを歩く二人組の男がおり、馬車が去った方角を見て悪態をついている。
そのとき不意に、朔也は何かを閃いたような気分になった。ぼんやりとした頭の中に、大通りから聞こえる遠い喧騒だけが響いている。
――これだ。
何ともなしにそう思った。そのまま窓辺に立ち尽くし、漠然と考えを巡らせていると、ときに隣の部屋からドアの開く音が聞こえてくる。
「ライ?」
それに気付いた朔也が廊下へ出てみれば、そこには部屋を後にしようとしているライの姿があった。彼女は隣から顔を覗かせた朔也に気が付くや、ちょっと困ったような苦笑を向けてくる。
「どこに行くんだ?」
「いや、その……やはりグレイシィのことが気になってな。少し探してこようと思うんだ」
「グレイシィを? だけど、あいつは……」
「分かっている。だが私も多少の責任を感じているしな。グレイシィがあれからどこへ向かったにしても、あのとき所持していた装備だけじゃ、あまり遠くへ行くことはできないはずだ。だとしたら地理的に考えて、彼女もきっとこの街へ立ち寄るに違いない」
「責任って、あれはお前のせいじゃねーだろ。グレイシィが勝手にキレて出ていったんだ。そりゃ、俺もちょっと言い過ぎたかもしんねーけどさ。どっちにしろ、お前が気に病むようなことじゃねーよ」
思ったままのことを朔也が淡々と口にすると、ときにライが、何故か複雑な表情を浮かべた。
彼女は何か言いたげに口を開きかけ、しかしすぐにそれを閉ざすと、一度は引っ込めた苦笑を再び呼び出して言う。
「サクヤ。私はてっきり、君はすべて分かった上でやっているんじゃないかと思っていたんだが、どうやら本当に気付いてなかったようだな」
「気付くって、何を?」
「グレイシィがあんなに怒っていた理由だよ。自覚が無いと言うのなら、まあ、それは仕方のないことだが、このままではグレイシィに申し訳ない。やはり彼女を探してくるよ。本当の理由は本人から聞いた方がいいだろうしな」
「待てよ、それなら俺も行く。ついでにアベルも連れていってやらないか?」
「え?」
「グレイシィを探すついでだ。あいつ、今日までずっと一人で留守番だったろ? 明日から祭が始まるってのに、それもろくに見物できそうにねーし、それならせめて今日だけでも遊ばせてやった方がいいんじゃねーかって……」
朔也がそんな提案をすると、ライは案の定ぽかんとして朔也を見つめてきた。その反応は何となく予想できていただけに、朔也は少々決まりが悪いのを感じながら、横を向いてぼそりと言う。
「まあ、何だ、その……俺もこの機会に、子供嫌いを克服したいっつーか……これ以上お前に余計な気遣わせたくねーし……」
「サクヤ……」
「あのくらいの歳のガキなら、祭とかそういうの好きだろ。生憎本番は見れねーけど、今なら通りに露店とかも出てるし、それなりに楽しめるんじゃねーかな」
「……そうだな。思えばこちらに来てから、あの子にはあまり子供らしいことをさせてやれていないような気がする。だとしたら、たまにはそういうのも悪くないかもしれないな」
――だから君もこんな異国の地まで、幼い弟を連れて遥々旅してこなければならなかったのだろう?
そのとき、眼差しに微かな憂いを乗せたライの姿が、トイコス山脈で聞いたハヤトの言葉を不意に脳裏へ蘇らせた。訳ありなのはお互い様だ。レオフォロスで初めて会ったとき、ライ自身もそんなことを言っていたような気がする。
彼女がアベルとたった二人で、あれほど危険な山を越えてきたのは何故なのか。今頃になって、そんな疑問が頭をもたげた。
ライの零した言葉は、オロス帝国へ来てからの生活が、幼い弟を遊ばせてやることすらできないほど切迫したものだったと言っているように聞こえる。ライとアベルの旅の理由など今まで興味も無かったが、一度気になるとちょっと尋ねてみたい気もした。
だが、朔也が頭に浮かんだ疑問を口にするよりも早く、ライが自分の部屋のドアを開ける。そうして、何故か促すように朔也を見てきた。
見ればその口元に、少々悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。どうやら朔也に、アベルを誘ってみろ、と言っているようだ。
「どうしたの、ライ姉?」
街へ行くと言って出ていったはずの姉がすぐに戻ってきたことを、訝しむアベルの声が聞こえた。そこへ朔也が横から顔を覗かせれば、アベルは露骨に表情を硬くする。
舌打ちしたくなる衝動を、朔也は寸前で捩じ伏せた。アベルは寝台の上に俯せに横になり、何か書物を開いている。読書中だったようだ。
「なあ、アベル。俺達、これから街にグレイシィを探しに行くんだが、良かったらお前も一緒に来ないか?」
可能な限り柔らかい口調と言葉を選び、朔也は慎重に声をかけた。そんな朔也から急な誘いを受けたアベルは、果然目を見張って固まっている。
が、朔也はその状況に、妙な既視感を感じていた。――ああ、そうか。この状況は緋雨を廃墟に誘ったときと似ているのだ。
ならば今回もあのときと同じように振る舞えばいい。既にリハーサルは済んでいる。そう思うと急に気が楽になり、朔也は口辺に微かな笑みさえ浮かべて言う。
「さっき通りを見てきたら、珍しいものがいっぱい並んでたぞ。明日からの祭は見て行けないから、今日のうちに雰囲気だけでも楽しもうかと思ってな。どうだ?」
「う、うん……」
これまで自分につらく当たってきた朔也の豹変に戸惑ったのだろう。アベルはその困惑を正直に顔に乗せ、意見を求めるようにライを見やった。
ライはそれに、ゆっくりと笑顔で頷いてやる。朔也はアベルに歩み寄ろうとしているのだ。姉の笑顔が言外にそう言っているのを感じたのか、アベルはおずおずと体を起こすと、朔也を見て頷きを返してくる。




