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「おや、どうやらドラゴンに見つかってしまったようだね。まあ、彼らもまた魔術の造詣が深い生き物だから、あれだけ派手な魔術を使えば見つかって当然なのだけれども」

「っておい、それならそうと先に言えよ! お前、なんつーことしてくれてんだ!」

「まあまあ、そうがならないでくれたまえ。とにかく新居を探してくれたことには礼を言うよ、ありがとう。と言うわけで契約完遂だ。それでは諸君、ご機嫌よう。君達の健闘を祈っているよ」

「は? おい待てハヤト、お前――」


 呼び止めようとした朔也の声を無視し、にこりと笑顔を見せたハヤトが、悠然とドアの向こうへ消えた。次の瞬間、足元から現れた黒い煙がドアを呑み込み、どろんと音を立てて消えてしまう。


「あ、あいつ……!」


 自分だけ逃げやがった。朔也がその事実に気付いて飛びついたときには、直前までドアがあった場所はただの岩に変わっていた。


 そんな方法があるのなら、自分達も匿え。硬い岩を叩いてそう声を荒げても、目の前の岩はうんともすんとも言わない。

 薄情者。そう怒声を上げてから、朔也はようやくハヤトが〝悪魔〟であったことを思い出す。


「サクヤ、ここにいては危険だ! 逃げるぞ!」


 切迫したライの声に振り返ると、後ろにいた二人は既に南へ向けて駆け出していた。見れば山頂から猛スピードで滑空してくるドラゴンは、真っ直ぐに朔也達のいる場所を目指している。

 これはまずい。本能の警告に従い、朔也もまた駆け出した。

 ドラゴンは、自分達の縄張りに人間が入り込んだことがよほど気に食わないのだろう。空を裂くような咆吼は怒りに満ち、上空から朔也達を追ってくる。


「見て! 向こうに森が見える! 何とかあそこまで逃げ切れば……!」


 と、ときにグレイシィが駆けながら、三人の行く手に見え始めた森を示した。草原の先で岩山に寄り添うように密生した木々は東へと伸び、それなりに広大な森であることを示している。

 グレイシィの言うとおり、あの森の中へ逃げ込めば、何とかドラゴンの視界から外れることができるかもしれなかった。朔也達が現在いる場所は右手に岩山、前方に森がある以外は丘も無い平原で、他にドラゴンを撒けるような地形は見当たらない。


「よし、あの森へ急ぐぞ! 二人とも、遅れずについて――」


 と、先頭を行くライがこちらを振り向いて叫んだとき、三人の頭上を巨大な影が通り過ぎた。その影を追ってやってきた突風が背後から朔也達を襲い、あまりの衝撃に朔也は足を縺れさせて倒れ込む。


 小山ほどもある岩が、空から降ってきたような音がした。青ざめた顔を恐る恐る持ち上げる。

 真っ先に視界に入ったのは、岩山と同じ色の鱗に覆われた脚だった。その先に鋭い爪が見える。

 鼓膜を突き破るような咆吼を浴びた。赤黒い口、蠢く舌、ずらりと並んだ鋭利な牙。更には猛獣を思わせる金色のが、燃え上がるような怒りを帯びて朔也達を睨み据えている。


「お……おいおい、マジかよ……」


 俯せに倒れたまま起き上がることもできず、朔也は片頬を歪ませて笑った。それは笑ったと言うよりも、もはや引き付けを起こしたに近い悲惨な顔になっている。

 遥か上空から降り立ったドラゴンは、最悪にも朔也達の行く手を塞ぐ形で大地に君臨していた。威嚇するように両翼を広げ、更に一声吼えたその全長は、先刻ハヤトが逃げ込んだ崖を横倒しにしても足りないに違いない。


「く、くそ、退路を塞がれたか……!」

「どうするの、ライ!? 他に逃げ場なんて無いわよ!?」

「分かっている。こうなったら戦うしか……」


 言って、背中に括りつけていた戦斧を手にしたライを見たとき、朔也は何を言っているのかと眩暈がした。


 いくらこちらは三人がかりとは言え、こんな規格外の化け物と戦って勝てるはずがない。先程そう言っていたのは他ならぬライだ。

 加えてハヤトも、軍隊すらドラゴンを恐れてトイコス山脈には近づかないと言っていた。それはつまり、数百人という人間の力を以てしても、ドラゴンを倒すということがいかに至難かということではないか。


「お、おい、ここはやっぱり引き返して、ハヤトに助けを求めた方が……」

「あの卑怯者が大人しくそれに応じると思うか? やはり悪魔は悪魔だ、ここは私達だけで切り抜けるしかない!」

「――サクヤ、ライ、危ない!」


 そのとき、同じく剣を抜いたグレイシィが、声の限りに叫ぶのが聞こえた。

 はっとした朔也が目を上げた先、そこでドラゴンがこちらへ向け、大きく口を開けている。その赤黒い口の奥で、何かがちろちろと輝いている。


 それは姿勢を低くしたドラゴンが、何かの力を蓄えているようにも見えた。

 ――ブレスが来る。朔也の直感がそう告げる。が、朔也は未だ地にへばりついたままだ。起き上がろうとしたが、恐怖で腕に力が入らない。


「サクヤ――」


 グレイシィの呼び声が、ゴウッという低い轟音に掻き消された。

 想像を絶する勢いで、目の前に炎が迫ってくる。朔也はそのあまりの眩しさに目を背け、同時に己の死を悟った。


 が、瞬間、そんな朔也の腕を強引に引っ張り上げた力がある。

 ライ。

 見えたのは一瞬だった。


 すべてが閃光に呑まれる。

 巨大な熱の塊が、朔也のすぐ横を突き抜けていった。

 草原の草が燃え上がる。朔也は束の間立ち上がったものの、腕が抜けそうなほど強く引かれた反動でつんのめり、何かを巻き込んで倒れ込んだ。

 柔らかい感触。視界が戻ってきた。

 隣に倒れているのは、ライだ。


「ライ!」


 朔也は思わず悲鳴を上げた。倒れたライが、焼け爛れた右腕を押さえ込んでいるのが見えた。

 自分を庇ったせいだ。朔也は瞬時に状況を把握する。自分を助けたがゆえに、ライは逃げ遅れて負傷した。


 ドラゴンの咆吼が響く。もう一発炎が来るかと身構えたが違った。

 グレイシィ。果敢にも斬りかかっていく。その横顔に恐れが無い。猛禽のような眼差し。その眼差しが獲物ドラゴンを射抜き、軽やかに宙を舞って弧を描いた。


 銀色の一閃。血飛沫と共にドラゴンの悲鳴が上がる。グレイシィの剣が、ドラゴンの右目を斬り下ろしていた。硬い鱗に覆われたドラゴンの巨体の中で、唯一守りの薄い弱点だ。


「サクヤ、ライ、今よ!」


 痛みに苦しむドラゴンから目を逸らさず、グレイシィが冷静に叫んだ。その声に促された朔也はライを扶け起こし、彼女の左腕を自らの首に回して立ち上がる。


「逃げるぞ、ライ」

「あ、ああ……」


 右腕に走る痛みのためか、ライは額に汗を浮かべていたが、思いの外意識ははっかりしているようだった。戦う意思も萎えてはいないらしく、彼女の右手は今もしっかりと戦斧を握り締めている。


 よくも。右目を失ったドラゴンの死角に入るよう回り込みながら、朔也は怒りに燃えていた。

 よくも美世ライをこんな目に遭わせやがったな。腹の底で燃え上がった怒りは、理不尽なドラゴンの襲撃に対する怒りであり、自分達を裏切って逃げたハヤトへの怒りであり、ライに助けられなければ逃げることもできなかった自分へ向かう怒りでもある。


「グォォォォォン!」


 そのとき、再び森へ向けて駆け出した朔也達の背に、獰猛なドラゴンの吼え声が当たった。振り向けば、ドラゴンは右目から血を流しながら舞い上がり、今度は上空から朔也達を狙ってくる。


「サクヤ、避けて!」


 力強く羽ばたき、高度を上げたドラゴンが牙を剥き出しにして滑空してきた。地面すれすれまで滑り降りてきたドラゴンは、その巨大な顎で地上にいる朔也達を攫おうとする。

 人の頭ほどもある牙に体を貫かれそうになったところで、三人はぎりぎりドラゴンの攻撃を回避した。

 ガチン、と上下の牙が噛み合う音がする。朔也達がその音にぞっとしている間にも、ドラゴンは再び上昇し、狙いを定めて空から滑り落ちてくる。


「おい、このまま森へ向かって走れ!」


 猛烈な勢いでドラゴンが突っ込んでくるのを見ながら、朔也は叫んだ。その声に打たれたように、剣を握ったままのグレイシィが森へ向けて走り出す。

 ライも、ようやく自分の足で走れるようになっていた。朔也の首からするりと腕を外し、右手に掴んでいた戦斧を左手に持ち変えて走り出す。


 そのライの腰から、朔也は瞬時に弓と一本の矢を盗んだ。悪魔を討つため、ライが譲り受けてきた銀の矢だ。

 ライは数歩先まで駆けてから、朔也がそれを奪ったことに気が付いたようだった。驚いた彼女がこちらを振り向いたとき、朔也は既に弓を引き絞り、ドラゴンに狙いを定めている。


「サクヤ!」


 ドラゴンもまた、一人立ち止まった朔也に狙いを定めていた。対する朔也は弓の使い方など何も知らない。せいぜいテレビで弓道の試合を見たことがある程度だ。


 それでも朔也は、怯まなかった。真っ赤なドラゴンの口が近づいてくる。来るなら来やがれ。そう口の中で吐き捨てた刹那、引き絞った弦を放す。


 銀の矢が、音を立てて風を引き裂いた。大きく開かれたドラゴンの口の中に、銀の鏃が吸い込まれていく。

 その鏃がドラゴンの上顎を貫き、鼻のやや後ろへ突き出すのが見えた。途端にドラゴンは悲鳴を上げ、横倒しに地面へ落下する。


 突進の勢いを殺せず、そのまま豪快に地を滑ってきたドラゴンを、すんでのところで朔也は躱した。

 命中した矢はもちろんだが、何より落下の衝撃が堪えたのだろう。地に伏せたドラゴンは喘ぐのにも似た呻きを上げ、起き上がることができずにいる。


「ざまあみろ、クソ野郎」


 抑揚も無く吐き捨て、朔也は身を翻して駆け出した。見様見真似で放った矢が当たったのは相手が巨大なドラゴンだったからだろうが、そんなことを知らないグレイシィとライラルティアは、唖然と朔也を見つめている。

 三人はそのまま森へと駆け込み、茂みの中に伏せてしばらくドラゴンの様子を窺った。傷ついた上標的を見失ったドラゴンは、やがてよろよろと起き上がると、もはや朔也達には見向きもせずに飛び去っていく。


 助かった。その姿が岩山の遥か高みへ消えていくのを確かめ、三人が安堵の息をついたとき、不意にぽつりと水滴が弾けた。雨だ。

 初めはぽつぽつと森の木々を叩くだけだった雨は、やがて視界を遮るような大雨になった。何とかそれを凌げる場所はないかと森の中を進んでいくと、幸いなことに小さな丸太小屋を発見する。


「大丈夫か、ライ?」


 びしょ濡れになりながら三人が駆け込んだ小屋は、半分朽ちかかった無人の建物だった。入り口のドアは上の金具が外れて斜めに傾いていたし、たった一つだけある部屋の前の廊下は天井が崩れ、惜しみ無く雨を迎え入れている。

 それでも部屋の奥はまだ壁や天井がしっかりしていて、何とか雨を浴びることは避けられそうだった。とは言え三人はここまでの道で、既に濡れ鼠になっている。


 右腕を火傷したライにはそれが堪えるだろうと、朔也は壁際に座らせた彼女の前へ跪いた。元々剥き出しになっていたライの右腕は、今や右半分が真っ赤に爛れ、まるで人間の皮膚ではないもののようになっている。

 その光景があまりに痛ましく、朔也は表情を歪ませた。俺のせいだ。無意識に零したその声が、ライの耳にも届いたらしい。


「そんな顔をするな、サクヤ。幸い雨に濡れたお陰で痛みが引いた。見た目ほど深刻な怪我じゃあない。きちんと手当てしておけば、数日で良くなるだろう」

「悪い。俺が足を引っ張ったせいで……」

「何を言っているんだ。あのドラゴンから逃げ切れたのは君のお陰だ。グレイシィの剣捌きも素晴らしかったが、あのままドラゴンに追われていたら、我々はこの小屋まで辿り着くことすらできなかっただろう。恥じることはない」


 曇りの無い口調で言い、ライは闊達に笑った。

 そんな彼女の笑顔にいくらか救われた気分になりながら、朔也はいつも彼女が携帯している革の荷袋へと手を伸ばす。


「お前、確か薬と包帯を持ってたよな? 俺が手当てする。やり方を教えてくれ」

「ああ、すまないな。薬は白い二枚貝の中に、包帯は茶色の油紙に包んである」

「これだな。おい、グレイシィ。俺がライの手当てをしてる間に、そこの暖炉に火を入れといてくれ」

「――……のに……」

「あ?」

「この前あたしが怪我したときは、全然心配してくれなかったのに……」


 朔也が振り向いた先で、俯いたグレイシィが自らの左肩に触れていた。

 そこには今も巻かれたままの包帯がある。数日前の緋雨の奇襲で傷を負い、それをライが手当てしたものだ。


「おいグレイシィ、今はそんなことどうでもいいだろ。それよりさっさと火を……」

「どうでもいい? あたしだってあのときは、サクヤのせいで怪我したんだよ? あの悪魔がサクヤを追ってきたから、あたしまでそれに巻き込まれて……」

「俺のせい? 確かに追われてるのは俺だが、緋雨がお前を狙ったのはたまたまだろ。お前だってそれを承知で俺についてきたんじゃねーか」

「ついてきたって何よ。どっちかって言ったらついてきたのはあなたの方じゃない。記憶を失って行く宛が無いって言うから、その手がかりを探すためにレオフォロスへ……!」

「ああ、そうだな。そしてそこでお前の親父に殺されかけた。所詮親なんてそんなもんなんだよ。なのに記憶が無いからって、お前の言うことをほいほい信じた俺が馬鹿だった」

「……何ですって? もう一度言ってみなさいよ」

「お前の言うことを信じた俺が馬鹿だったって言ったんだよ。親なんて結局、ガキの存在が邪魔になれば簡単に捨てちまうんだ。もっと早く記憶が戻ってれば、レオフォロスになんか絶対に行かなかった。まあ、お陰でライに会えたことには感謝してるけどな――」


 ――パンッ、と乾いた音が、廊下を叩く雨音の中に響いた。

 涙を浮かべたグレイシィが、眦を決して朔也を見下ろしている。

 じわり、と、そのグレイシィに叩かれた左頬が熱を帯びた。睨み上げてもグレイシィは怯まない。されど怒りと悲愴に肩を震わせ、グレイシィは唇を噛み締めている。


「最低……見損なったわ」


 震えた声でそれだけを言い、グレイシィは身を翻した。そのまま彼女が出口へ向かって走り出すのを見たライが、慌てたように立ち上がる。


「グレイシィ、待て――」

「――来ないで!」


 ライがとっさに追いかけようとしたのを察したのか、一声叫び、廊下の向こうにグレイシィは消えた。

 やがて足音が遠ざかり、グレイシィが小屋を飛び出していく気配がある。拒絶されたライはどうすればいいのか分からないといった顔色のまま立ち尽くし、グレイシィの消えた出口を見つめている。


「ほっとけよ、ライ。そんなことよりお前の治療が先だ」


 言って、水避けのための油紙から包帯を取り出した朔也は、怪我人のライを促した。そんな朔也を、ライがひどく複雑な表情で見下ろしてくる。

 その日、強い雨は夜まで止まず、朔也とライは半壊した小屋で一夜を過ごした。

 結局、グレイシィが二人のもとへ帰ってくることはなかった。

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