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ドラゴンの巣へ

 翌朝、日が昇ると共に朔也達は宿を発ち、プルーリオンを後にした。

 アベルは今回も宿で留守番だ。トイコス山脈付近はやはり危険が多いというのと、これ以上無理をさせたくないという理由で、ライが宿の主人に心付けを渡し、自分達がいない間のアベルの世話を頼み込んでいた。


 お陰で今回の旅はすんなりと進む。目障りなアベルが目の届く所にいないというだけで、朔也は身も心も格段に軽くなったような気がした。

 前日までの旅の疲れがたった一晩で癒えるはずもないが、それでも硬い地面の上ではなく、柔らかな寝台の上で眠れるということがどれほど重大なのかということが今ならば朔也にも分かる。プルーリオンを出てから一日目の野営で、朔也は早くも街へ帰りたくなっていた。


「――! 二人とも、伏せろ!」


 と、ライが唐突に鋭い声を上げたのは、一晩の野営を終えて旅を再開した直後のことだ。


 一体どうしたのかと問う暇も無く、朔也とグレイシィは平原に突き出た岩の陰に、ライによって押し込められた。

 二人に覆い被さるようにして隠れたライはひどく緊張した様子で、体を強張らせている。


 まだ夜も明けきらぬ払暁の空を、何か巨大なものが分厚い羽音を立てて飛び去っていった。

 地面に伏した朔也にはその影と羽音しか確認できなかったが、それが遠のくまでライはじっと息を凝らしている。


「今のは……ドラゴン?」

「ああ、そのようだ。やはり、トイコス山脈の山々にドラゴンが棲み着いているという話は本当だったんだな。私達が故郷から山を越えてきたときは、幸いキマイラ程度の魔物にしか遭遇しなかったんだが……」

「キマイラ? それだけでも充分脅威よ。そんな山をよく越えてこれたわね」


 朔也にはそのキマイラというのがよく分からなかったが、グレイシィの方は心底驚いたという様子でライを凝視していた。その横顔にはライへ向かう負の感情は無く、純粋に彼女の強さを称賛しているのだということが分かる。


「俺にはそれがどれだけすげーのかよく分かんねーけどさ、この辺りで一番ヤバいのはやっぱりドラゴンなんだろ? そいつらは人間を襲うのか?」

「いや、ドラゴンは一般の魔物とは違い、高い知性を有する種族だ。理由も無く闇雲に人間を襲うということは無い。だが彼らは人間に対して決して好意的ではないし、ときには餌として人を狩ることもある。その巨大さと強靭さは、矮小な人間が正面から馬鹿正直に立ち向かったところで、到底勝てるものではないよ」


 答えたライの口調は冷静だったが、朔也は背筋を走った悪寒に思わず身震いした。グリフォンやキマイラといった生き物のことはよく分からない朔也でも、ドラゴンくらい有名なものになれば知っている。

 日本でありふれたゲームや漫画に登場する〝ドラゴン〟は、そのどれもが巨大な肉体と蝙蝠のような翼、岩をも噛み砕くような顎、そしてボスクラスの凶暴性を併せ持ち、中には火や氷のブレスを吐くものまでいた。


 この世界に棲息するドラゴンもまさしく同じ姿、能力を有しているというのなら、なるほどそれは勝てる気がしない。あるいはドラゴンの存在は、既に弱点を把握している悪魔ひさめのそれよりも脅威になり得るのではないかと思うと、朔也の顔色からは早くも血の気が引いていく。


「ゲームだと大抵、こういう前振りの後にボスと戦うことになるんだよな……」

「げえむ? 何の話だ?」

「あ、ああ、いや、何でもない。ただそういうことなら、こっから先は慎重に行かねーとなと思って……」

「怖じ気づいたのか? それなら君は、先に街へ戻っても構わないぞ。ハヤトの目さえ渡してくれれば、後のことは私が始末してくる」

「馬鹿言うな。だったら俺も一緒に行く。お前に何かあったら困るからな」


 と、朔也がわずかにむっとして答えたとき、束の間目を丸くしたライが、次いで小さく笑いを零した。

 それを見た朔也は思わず怪訝そうな顔をして、笑っているライに視線を据える。


「何だよ、何が可笑しいんだ?」

「いや、すまない。ただ、どうも君は変わった奴だなと思ってさ」

「変わった奴? 俺が?」

「ああ。好意的な言葉で表すとすれば、女性尊重主義者とでも言えばいいのかな。気に障ったら申し訳ないが、戦いに関しては、どう見ても私より君の方が経験に乏しいだろう。なのに君は、自分より私の心配をしている。アベルのことがあったから、てっきり私達姉弟は嫌われていると思っていたんだがな」

「それは……」


 と、朔也は数瞬言葉に詰まった。

 ライの口調に皮肉の響きは無い。ただ本心から朔也の言動を面白いと感じているようだ。それを察した朔也は何となく居心地が悪くなり、足元に視線を落とす。


「……悪い。俺は別にお前らを嫌ってるとか、そういうわけじゃねーんだ。ただ、その……昔から子供はどうも苦手でな」

「なるほど。ではアベルを連れての旅は、君達には迷惑だったかな。こんなことに巻き込んでしまってすまない」

「いや、俺がもう少しガキに慣れればいいだけの話だ。レオフォロスから無事に逃げ出せたのも、こうして記憶が戻ったのも、全部あんたのお陰だし」

「そう言ってもらえると、私も気が楽になるよ。ひょっとしたら私は、君達に対して余計なことをしてしまったのかもしれないと思っていたから」

「何言ってんだ、そんなことあるわけねーだろ。あそこでお前に会えなかったら、俺は今頃どうなってたか」


 それはレオフォロスでライに助けられたことに対する言葉でもあり、現世で美世に救われたことに対する言葉でもあった。

 やはり美世は朔也にとって、苦しいときに手を差し伸べてくれる存在なのだ。だからこそ彼女を失いたくなかった。自分も彼女を助けたかった。


 そういう思いを込めて朔也がじっと見つめると、ライも何かを感じたように朔也を見つめ返してきた。

 このまま、彼女に美世の記憶が戻ってくれれば。祈るようにそう思ったとき、俄然二人の背後からわざとらしい咳払いが聞こえてくる。


「ねえ、そんなことより、早く先へ進んだ方がいいんじゃない? あんまりのんびりしてる時間は無いんでしょ?」


 咳払いの主は、言わずもがなグレイシィだった。彼女は冷ややかな目つきで朔也とライを見比べると、ドラゴンはもういないと言って出発を促してくる。


 かくして三人は再び西へ向かって歩き始めた。プルーリオンの西にはトイコス山脈があるだけなので、そこから先へ伸びる街道は無い。

 ただひたすら、道無き原野を歩き続けた。とは言え三人の行く手には、街を出た直後から遠く聳えるトイコス山脈の姿が見えているので、方角を誤ることは無い。


「――ここだ」


 と、ライが足を止めたのは、朔也達の背後でようよう日が昇り始めた頃のことだった。


 立ち止まった三人の目の前には、灰色の岩の壁がある。絵に描いたような断崖絶壁だ。

 高さ十メートルはあろうかと思われるその岩の上には、更にいくつもの巨大な岩石が積み重なり、標高数千メートルにも達する岩山をいくつも地上に打ち立てている。


「なるほど。確かにここならハヤトの家もすっぽり入りそうだ」

「だろう? あとは本人が納得してくれるかどうかだ。早速確認してみてようか」


 ライに促され、頷いた朔也は腰のボディバッグに手をやった。レオフォロスを出る前、帯が千切れているのを見かねたライが切れ目を縫い合わせてくれたので、バッグは以前のように右肩から斜めに背負っている。

 そのバッグの中に手を突っ込み、布にくるまれたハヤトの目玉を取り出した。改めて見ると寒気がするような不気味さだが、その目がじっと手の上で朔也を見つめている。


「おい、ハヤト。約束どおり、お前の新居を見つけたぞ。西のトイコス山脈の麓だ。ここなら人も寄り付かねーし、引っ越し先にはちょうどいいだろ?」


 事前に言い含められていたとおり、朔也はそう話しかけながら、ハヤトの目に周囲の景色が映るよう腕を伸ばした。

 しかしいくらハヤトから指示されたこととは言え、所詮目玉は目玉である。本来なら視覚以外の機能を有さないはずのその物体に語りかけたところで、本当に自分の声が届くのだろうかと朔也は半信半疑だった。と、そのときだ。


 突然手の上の目玉から黒い煙が立ち上るのを、朔也は見た。それはか細く小さな煙だったが、異変に気付いた朔也が顔を近づけた直後、〝パン!〟という乾いた音を上げ、いきなり目玉が破裂する。

 と同時に中から黒い光が炸裂し、朔也は思わず悲鳴を上げた。視界が黒に埋め尽くされる。瞬間、とっさに閉ざした瞼の向こうで、ばさりと優雅な羽音が一つ、朔也の耳をくすぐるような距離で響く。


「――うーん、トイコス山脈かぁ。確かに場所は悪くないのだけれど、ドラゴンの巣の麓っていうのがちょっとなぁ。彼らは自分達の縄張りに余所者が近づくのを嫌うから……」


 次いで聞こえたのは、数日前に別れたはずのハヤトの声だった。それに気付いた朔也が恐る恐る目を開ければ、そこには宙に浮きながら悩ましげな――それも両目がしっかりと揃った――顔をしたハヤトの姿がある。


「は、ハヤト! お前、一体どっから……!」

「え? どこからって、君に預けた肉体の一部を介して谷から飛んできたに決まってるじゃないか。僕を呼ぶ君の声が聞こえたものだからね」

「本当に無茶苦茶な奴だな、お前……」

「しかし、トイコス山脈とはよく考えたものだ。確かにここなら人間はほとんど寄り付かないし、たとえ軍隊であろうと、山頂のドラゴン達を恐れてこの山に近づくことは無いだろう。問題はそのドラゴンが、人だけでなく僕の敵にもなり得ることと、ここの冬がえらく冷え込むことかな。この辺りは山頂から吹き下ろす風がひどく冷たいんだよ」

「贅沢を言うな。こちらは本当ならお前を倒さなければならないところを、見逃してやる上に新居まで探してやっているんだ。だいたいどれだけ暑かろうが寒かろうが、悪魔は銀の武器で心臓を刺されない限り死なないのだから、そんなことはどうでもいいだろう」

「暴論だなあ。こう見えて悪魔だって繊細なのに……」


 不満げに口を尖らせてぶちぶちと文句を垂れながら、ハヤトはしばし辺りを飛び回っていた。

 どうやら朔也達の見つけた物件を値踏みしているらしく、時折難しい顔をしながらも、やがて三人の傍へ降り立ってくる。


「分かったよ。妥協しよう」

「不承不承といった顔だな」

「しょうがないだろ。これ以上時間をかけていたら、君達が悪魔退治に失敗したと判断したお偉方が、また新しい刺客を谷に送り込んでくるかもしれない。僕としても、暴力で問題を解決するのはあまり気が進まないからね。これで事が穏便に運ぶのなら協力するよ」

「まったく悪魔らしくない奴だ。だが、そちらがそう言ってくれるのならこちらも助かる。で、お前の方の準備とやらは整っているのか?」

「もちろん。君達は少し離れていてくれたまえ。今からここに僕の城を移すから」


 わずかに胸を張るような仕草で言い、ハヤトは新居にすると決めた崖から朔也達を遠ざけた。そうして三人が適度に距離を取ったことを確認すると、すっと片腕を上げ、目の前の岩に手を翳す。

 静かだった山の麓に、ざわり、と一陣の風が吹いた。それはハヤトが体を向けた方角から現れて、彼の髪をほんの少し舞い上げる。


 次の瞬間、岩壁に黒い文様が浮かんだ。小さな魔法陣だった。それはハヤトの目の前で意思を持ったようにくるくると回転すると、やがてすうっと薄れて消えていく。


 岩壁の麓から巨大な黒光の柱が噴き上げたのは、その直後のことだった。途端に朔也達は凄まじい烈風を浴び、飛ばされそうになりながら悲鳴を上げる。

 が、風が吹き荒れたのは一瞬だった。狂ったような突風が吹き過ぎてしまうと、辺りは再び静寂に包まれ、朔也達は銘々に何が起こったのかと目を丸くする。


「あ、あれは……」


 やがて朔也達が目をやった先に見えたのは、先刻までは存在しなかったはずの――三人が谷で見たのと同じ――一枚の小さなドアだった。

 ハヤトは両手を腰に当て、満足そうにそれを眺めている。どうやら彼の家を〝移す〟という作業は、無事に成功したようだ。


「よし、引っ越し完了だ。今日からはここが僕の城。谷にあった入り口は消えたよ。これで君達も大手を振ってレオフォロスに凱旋できるだろう」

「す、すごい……空間を丸ごと移動させる術なんて、よっぽど高名な魔術師しか使えないと言われてるのに、それをこんなあっさりと……」


 目の前に現れた見覚えのあるドアを見つめ、グレイシィが茫然と呟いた。

 その言葉を聞いたハヤトは得意気ににまりとし、悪魔のくせに随分と人懐っこい表情で言う。


「まあ、悪魔は往々にして、生まれつき人間より優れた魔力を有しているからね。この程度の転移術、僕にかかれば朝飯前さ」

「そんなに優れた魔力を持っているなら、その力を人間のために使ってみたらどうなんだ。そうすれば人々もお前に対する誤解を解き、共存の道を模索してくれるのではないか?」

「それは人格者の理論だよ、ライラルティア。すべての人間が君のように聡明であるのなら僕も協力を惜しまないけれど、人とは力のある者を恐れ、異端と見なせば敵意を剥き出しにする生き物だ。だから君もこんな異国の地まで、幼い弟を連れて遥々旅してこなければならなかったのだろう?」


 何でもないような口振りで言ったハヤトとは裏腹に、そのときライが浮かべた表情は驚愕に彩られていた。


 どうしてそれを知っている。ハヤトを映して見開かれたライの目が、確かにそう訊いている。

 ハヤトはそれに答えない。ただ静かに、そして妖しく細い笑みを浮かべただけだ。


「――クアアアァァァ……!」


 ライがそのハヤトに、何か言葉を返そうとしたときのことだった。俄然、どこからともなく鋭い咆吼が響き渡り、朔也達ははっと顔を上げる。

 まだ遠いが、確かに力強い羽音が聞こえた。何か巨大な影が、山頂からこちらへ向けて滑り降りてくるのが見える。


 ――ドラゴン。


 間違いない。それは朔也が多くのゲームや漫画の中で目にしてきたのと同じ、翼を持った肉食恐竜のような見た目の怪物だ。


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