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とある廃墟にて

「――おにいちゃん、早く早く! こっちにおへやがいっぱいあるよ!」

「あんまり一人で先に行くなよ、緋雨ひさめ


 はしゃぎ声を上げて瓦礫の上を駆け回る少女を、朔也はやんわりと諫めた。その声は少女に届いているのかいないのか、彼女はなおも飛び跳ねながら無邪気な声を上げている。

 花柄のワンピースの裾を舞わせ、くるくるとよく動く愛らしい少女の姿は、さながらお伽噺に出てくる妖精のようだった。が、それはあくまで、そこが美しい花畑や神秘的な森の中だったなら、の話だ。


 少女がはしゃいでいるのはそんな情緒とはまるで無縁の廃墟であり、彼女の無垢な容姿とおどろおどろしい心霊スポットと言うのは何ともミスマッチな画であった。

 とは言え少女は、ここが一部の心霊マニアの間では有名な心霊スポットだとは露知らず、朔也の告げた〝宝物の眠る場所〟だと信じている。


 少女の名は緋雨と言った。半年ほど前に朔也が偶然出会った少女で、近くの小学校に通う二年生だと言う。

 今日は土曜日で学校が休みだと言うので、〝探検〟と称して郊外にある山中の廃墟へとやってきた。数年前までホテルとして使われていた建物のようだが、今は天井が崩れ壁紙も剥がれ、かつての壮麗な高原ホテルとしての面影は微塵も無い。


 外はまだ明るい時間帯だったが、生憎の曇天ということもあり、廃墟の中にはそこはかとなく薄気味の悪い空気が漂っていた。だがその空気より重く今の朔也にのしかかっているのは、ある種の高揚と緊張だ。


 美世が社会を震撼させた連続強盗殺人犯によって命を絶たれたのは、もう一年以上も前のことだった。朔也は未だに、あれから一年以上の時が流れたのだということを信じられずにいる。

 朔也の時間は、自宅で美世の死を目の当たりにしたあの瞬間からずっと止まったままだった。つい先日、警察から美世を殺害した犯人が捕まったとの連絡があったが、それとて今の朔也にはどうでもいいことだ。


 犯人の名は斉藤さいとう柾毅まさきといった。当然ながら朔也とは何の接点も面識も無い男である。

 斉藤は美世を殺害した当時、有名な宅配会社に勤務し、美世の勤め先にも出入りしていたドライバーだった。そこで見かけた美世に目をつけ、後を尾行けて自宅を割り出し、いつも客先に納品している社名印字済みの伝票を使って宅配を装い美世を襲ったというのだ。


 犯行に及んだのが美世の誕生日前日であったのはまったくの偶然だったようだが、斉藤に狙われ殺されたのは当時美世で三人目だった。

 被害者は皆十代から二十代の若い女で、斉藤は強盗、殺人だけでなく強姦の常習犯でもあったようだ。


 その後も斉藤は犯罪を重ねながら各地を転々とし、逃亡を続けていたが、先月ついに警察の地道な捜査と追跡によって逮捕された。そのニュースは全国で大々的に報じられ、斉藤も自らの犯行を全面的に認めているという。

 けれども朔也は、見も知らぬ凶悪犯の動向になど興味は無く、彼に最愛の姉を殺された苦しみを味わわせてやりたいなどという普遍的な被害者心理とも無縁だった。


 斉藤に対しては、〝美世を殺した男など勝手に捕まって勝手に死ねばいい〟という程度の感情しかない。胸中にあるのは、たった三年の間に七人もの人間を殺した異常者など、どうせろくな死に方をしないだろうという哀れみにも似た思いだけだ。


 今の朔也には、そんなことよりもっと重大かつ絶対的な使命がある。


「あっ、見て、おにいちゃん。このおへや、他のおへやよりもきれいだよ。もしかしたらここが宝物のおへやかも!」


 と、ときに緋雨が期待にときめいた声を上げたのは、廃墟となったホテルの二階奥にある客室でのことだった。確かに緋雨の言うとおり、その部屋は他の客室に比べて天井や壁の残骸が少なく、肝試しにやってきた心霊マニアらに荒らされた形跡も無い。

 ここならいいか。そう思いながら、朔也はふと自らの腰にあるボディバッグに触れた。その間にも緋雨はちょこまかと、二つに結った髪を揺らして室内を駆け回っている。


「うーん、ないなあ。朔也おにいちゃん、その宝物ってどんなかたちをしてるの?」

「さあ、それは俺にも分かんねーな。けど〝宝物〟って言うからには、立派な宝箱にでも入ってるんじゃねーか?」

「宝箱かあ。その宝物を見つけたら、神さまがひさめのおねがいごとを叶えてくれるんだよね?」

「ああ、そうだ。ただし叶えてもらえる願いは三つまでだぞ。何をお願いするのか、もう考えたのか?」

「うん! えっとね、えっとね、一つめは、〝おかあさんともっといっぱいあそべますように〟。それから、〝おとうさんができますように〟っておねがいもするの。おとうさんができたらね、おかあさんと三人でとおくまでお出かけするんだあ。そのときは朔也おにいちゃんもいっしょに連れてってあげるからね!」

「はは、そりゃいいな。で、三つ目の願いは?」

「んっとねー、他にもおねがいたくさんあったんだけど、やっぱり〝ひさめにもおともだちができますように〟っておねがいすることにしたの。あ、もちろん朔也おにいちゃんはひさめのおともだちだよ! でも、おにいちゃんはひさめの学校には来れないから……」


 少し切なげにそう言って、立ち止まった緋雨は片足をぶらぶらと前後に動かした。その行動にさしたる意味は無いのだろうが、下を向いた幼い横顔には寂しそうな気配がある。


 朔也が緋雨と出会ったのは、春、自宅側の住宅街でのことだった。どうやら緋雨は母親の都合でこの町へ引っ越してきたらしく、小学校の学年が上がると共に転校を余儀なくされたらしい。

 住み慣れた町を離れ、まったく知らない土地で新しい生活を始めた緋雨を待っていたのは、いじめという残酷な現実だった。朔也はたまたま、彼女が下校途中に同じクラスの男児からいじめられている現場に行き合い、その男児を脅して追い払ってやったのだ。


 以来緋雨は朔也に懐き、朔也の存在に怯えた同級生からのいじめも絶えたようだが、相変わらず学校に友人はいないようだった。

 おまけに親は片親で、父親がいない。何故いないのかは知らないが、母親は夕方から仕事へ行き朝になると帰ってくると言うので、朔也はだいたいのことを察したつもりでいた。緋雨はそんな母親とは逆に朝早く学校へ行き、夕方に帰宅するという生活を送っているから、なかなか母親に甘えられる時間が無いようだ。


 その寂しさを埋めるように、緋雨はよく朔也に構ってもらいたがった。いつでも遊びに来い、と誘ったのは朔也の方だ。朔也の家はちょうど通学路の途中にあり、緋雨は学校帰りに朔也を訪ねてくることが多くなった。今や毎日と言ってもいい。

 朔也はそんな緋雨の遊びに付き合ってやったり、外へ連れ出して菓子や玩具を買い与えてやったりした。緋雨と出会って間も無くアルバイトを辞めたので、そうするだけの時間はたっぷりあったのだ。緋雨はそれが朔也の計画の一環とも知らず、無邪気に喜んで朔也を慕った。


 時は満ちた、と、朔也の中の冷酷な心が呟く。


「おい、緋雨。そのベッドの下は見てみたか? 案外、宝物はそういう所に隠されてたりするんだぞ」

「えっ、ほんとう? じゃあちゃんとさがさなきゃ!」

 そのとき、朔也が何気無く口にした嘘を信じ、緋雨は廃墟に放置されたぼろぼろのベッドへと駆け寄った。そうして床に両手をつき、夢中になってベッドの下を覗き込んでいる。

「うーん……おにいちゃん、ここ暗くてよく見えないよ。何かあかるくなるものがあれば――うっ」


 刹那、上から朔也に強く背中を踏まれた緋雨が、床に潰れて呻きを上げた。朔也はその緋雨の背に乗せた右足に体重をかけ、突然の出来事にばたばたともがく緋雨の姿を眼下に据える。


「お……おにい、ちゃん、なに……重い……苦しいよ、おにいちゃん……!」

「……」


 背中を圧迫され、途切れ途切れの言葉を発する緋雨を見下ろしながら、朔也は手にしたバタフライナイフを開いた。

 パチン、と、廃墟に乾いた音が響く。それに気付いた緋雨が微かに顔をこちらへ向け、そこに見えた銀色の閃きに凍りついたような顔をする。


「お……にい、ちゃん……それ、なに……」

「お前は何も知らなくていいんだよ」


 低く言い、朔也はナイフを頭上高く振り上げた。その姿を映した緋雨の目に、恐怖と絶望の涙が浮かぶ。


 鈍い音と、少女の濁った悲鳴が聞こえた。


 それきり廃墟は静まり返り、少女の無邪気な笑い声が響くことは、二度と無かった。


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