第70話 レクセア賭戦Ⅲ
「はぁ……はぁ……はぁ……」
レクセア王国の雪地の中をルークはただ一人走っていた。
ある一つの人物からただ遠ざかるように――逃げるように。
「逃げていいのか? 最強の『神聖魔導団』が情けないな……」
ゼクスは既にルークの身体を双剣で斬っていた事実に気付いたルークはただ逃げる。
――ゼクスの魔法。
それは、斬りつけた対象物を支配する魔法だ。
その効力は十分間。
ただ十分間だけできるだけ遠くに逃げようとしていた。
「無駄だ。俺の魔法にかかっちまった者はどこに居ようと――どの世界にいようと俺の支配から逃れることはない……」
ルークは魔眼の使用を既にやめていた。
逃げることだけを考えて。
その刹那、走っていたルークの身体は動くことをやめた。
――やめさせられた。
「あまり、逃げるな……」
「ゼクス……。ふざけているのか……」
「ふざけている? 笑わせるな。貴様をただ殺したいだけだからな……」
ルークは体を動かそうとしても、ゼクスに支配され、身動き一つとれない。
ただ話すことはできる。
「俺の右肩をやったお返しだ。ルーク」
「何を……――っ!?」
ルークの右腕は勝手に動いていた。
短剣を手にしながら真上に上げられている。
――グサッ。
短剣が右肩に勢いよく突き刺さると吹きだすような血飛沫が雪の白を染めていた。
「アアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
ルークの叫び声がレクセア王国に響く。
「ゼクス、正気か……? 『神聖魔導団』が『神聖魔導団』を殺せば……」
「レクセアの不法入国者が偉そうな口を利くな……」
「ちっ……」
「俺に逆らった罰だ――最強こそがすべての支配権を持つ」
――グサッ。
再び、ルークの右肩に短剣が突き刺さる。
「アアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ! ゼクス!」
必死に抵抗するも手足は微動だにせず、ただ、鋭い金属の痛みを体で受け止めるだけだった。
「自分で自分の肩を潰している光景は味がいいな……永遠に拝んでいたい光景だ。どうだ? ルークよ。俺は貴様を完全支配している――今からでも心臓を潰すことは可能だぞ」
ゼクスの狂気に満ちた笑みを見たルークは本当の意味での死を連想する。
「何の真似だ……」
「俺は人の真似など好まない。ただ冥界に生きる死神の思想に従っているだけだからな」
「ふふっ……。ははははは――」
絶望に瀕していた筈のルークが突然笑い出す。
「気でも狂ったか……」
「冥界の死神? お前は戯けかよ――なぁゼクス。お前がそれに従うのなら――俺は未来に従うぜ」
「レクセア王国の最強たるお前が周りを見れないとは情けねえな……。――堕ちろ、虚無世界からの落とし子よ――獄殺流星群!」
「馬鹿な!」
ゼクスがそれを悟った刹那、頭上を見上げたところ、巨大な炎を纏った隕石のようなものが迫っていた。
――ドォン!
隕石のような物体はゼクスに直撃。
雪を通り越して砂煙が立つほどの大爆発が起こった。
まるで、その地で巨大な活火山の噴火が起こったかのように。
地面は半径10M程の球形の形に抉れている。
あまりにも強すぎたその衝撃にルークは爆風で吹き飛ばされた。
爆風とゼクスのダメージとともに支配の力が解けたらしい。
「どうだ? 流星群を直に浴びた気分は……」
ルークが呟くと、砂煙の中にゆっくりと立ち上がる人影が一つ見えた。
ゼクスは血と傷を浴びながら堂々と立ち上がっていた。
(危なかった――俺が魔力で結界を張っていなかったら危うく死んでいた……)
「何をしやがった……貴様ァ……」
「俺のこの常に五秒先を予知する魔眼には二段階あってな。地獄眼――十分に一度だけ、五分先を予知できる眼だ。最悪と言っていいほど魔力を消費しちまうがな……」
「ふざけるな! そんなこと一度も聞いていない」
「この地獄眼を一度使うと俺の魔力を半分以上持ってかれるんでな……できれば使いたくないのさ――実はあの時一発のみ空に撃ったと見せかけ、二発撃っていたんだわ」
「――ッ!?」
「一発は五秒先に落とすための魔力弾。二発目は五分先に落とすための魔力弾だ。五分先――つまり、その分だけより高く銃弾は打ち上げられる。二分三十秒で折り返して落ちてきた銃弾は空気中の分子と衝突しながらとんでもない熱と威力を帯びて落下する」
「まるで隕石とでも言いたいのか?」
「そうだな。その隕石を直で受けて生きているお前はもっと怖いけどな……」
隕石を受けて生き残った人間など過去にいない。
ルークは五分後にゼクスがいる位置を正確に予知し、その場所に正確に魔力弾を落とした。
故に、ルークは自分がゼクスの支配を受けるであろうことを少なからず予知していたことになる。
即ち、ゼクスはルークの演技に、術中にはまっていたのだ。
「ゼクス。俺はな……お前に勝つためがだけにここまで戦法を練り、修行を積んだ。何か……文句あるかよ……」
「ちっ――」
ゼクスは初めて悔しがる表情を見せた。
ルークは少し驚いたが、正直、残りの魔力をほとんど切らしている。
これ以上戦闘を続ければ確実に死ぬことだろう。
「何はともあれ、俺にもう戦闘を続ける魔力なんて残っちゃいねぇからな」
ルークが観察する限り、ゼクスの魔力は半分以上は確実に残っている筈だった。
「いや、貴様の勝ちだ――」
「お、おい、お前……。嘘だろ……?」
ゼクスが負けを認めた。
そんなことは過去に一度としてなかった。
「貴様の戦術の方が俺より上だったということだ。俺は一方の体力が尽きるまでやり合うのは嫌いだ。よって、俺は貴様と戦う気が失せた――ただそれだけだ」
「はっ、そうかよ……」
本当のところ、ルークは胸を撫で下ろし安心していた。
仮に、ゼクスと体力勝負をするなら勝ち目が皆無だ。
「俺を動かしたいならば、貴様が俺より強いことを示せ。強者が支配できるものは弱者のみだ」
「え……?」
「俺は貴様との戦闘を交わす際、そう言った。強者は弱者を支配することができる。それがレクセア王国としての――俺としての仁義であり、ルールだ」
「……いいのか?」
「ああ、貴様の交渉を受けよう。ただし、一回限り――だがな」
「まさか、お前がそう言ってくれる日が来ようとは……助かるぜ、ゼクス」
その刹那、レクセア王国に吹いていた雪吹雪が止んだ。
雲間から冬場の日輪の光が射しこんでくる。
ゼクスが雪地に座り込んだルークに手を差し伸べると、ゆっくりルークを引き上げた。




