第116話 偽の記憶
ラティス、否—―氷魔リヴァイアサン。
氷の魔女の前に立つはソラとイリス。
――黒の魔剣と白の聖剣を手にしたイーディスの英雄。
――薄桃色髪をもつ豪炎の魔女。
気絶するミリィを抱えたイリスが一歩前に出た。
「あなた――やっぱり裏切り者だったのね」
ラティスは顔色一つ変えない。
「やっぱり――? それはどういうことかしら」
「お前はレクセア王国でルシファーとの戦闘になったとき、自らの兵の動きを制してルシファーへの攻撃を中断させた」
ソラが続けて宣言する。
「そしてその後ラティスさん――いや、氷魔。お前、俺に朝這いしただろ!」
「あら、あの時は惜しかったのですわ……せっかく、えっちなことができる寸前でしたのに――」
「お前がしたかったのは世継ぎなんかじゃない。俺の記憶を改ざんしようとした――あってるよな?」
「……」
ラティスが押し黙る。
「そうね――正解ですわ」
「やはりな……」
「ソラ様は魔導士の中では最強ですわ――」
「何だと?」
「ソラ様の記憶を改ざんすることで魔王側へと引きずり込む――これがわたくしの計画」
「そうか、ならそんなこと――お前ならあの朝にできた筈だ。なぜしなかった?」
レクセア王国全国民の記憶を改ざんし、『神聖魔導団』の座についたラティスなら朝、ソラと二人きりになっているときに記憶の改ざんなど簡単にできていたはずだ。
「あなたが、人間界の住民だからですわ――」
「わたくしの記憶を操る魔法は人間界の人間には通じませんの。あの朝、確信しましたわ――あなたは神の力を受け、魔導士になった」
「ああ、そうだ――」
「でも残念、その計画はもう廃棄ですわ。ソラ様が魔王側に来てくれない以上、最強の魔導士であるあなたには消えてもらいますわ」
ラティスの一言でその場にいた女生徒が唾を飲んだ。
隣にいたイリスでさえも、硬直している。
――いや、それは硬直ではなく。
「なあイリ――ッ!?」
刹那、イリスの右手からソラに向かって炎が噴射された。
「イリス! 何をやって――」
「彼女はわたくしのしもべになりましたの」
「はぁ!? わけわかんねぇよ!」
ソラがイリスの炎から時空間移動で避ける。
「ソラ様が人間界の者であると分かれば、一番近しい人に殺してもらうのが手っ取り早いのですわ。イリス様は既に記憶の改ざんをされていたのですわ」
「いつからだ!」
「レクセア王国でソラ様を襲ったあの朝ですわ」
「何――」
ソラの中で葛藤が起こる。
これまでイフリートを倒すまでは、ソラを抹殺すべき敵ではなく恋人としてみていたからだ。
「時間差で記憶の改ざんを起こすことは可能――つまり、種を植えていたのです」
「それが今になって発動したということか――俺を殺せ。と」
「そうですわ」
「ちっ、――イリス! 目を覚ませ! 俺はイリスの敵なんかじゃない!」
「無駄ですわ。彼女はもうわたくしの記憶操作によって――」
「クソッ!」
ソラがそう吐き捨てると、聖剣シリウスの柄でイリスを押し返す。
イリスは傷つけたくない。
――極めて厄介だ。
――だったら、術者本人を倒すのが早い。
ソラは紅血の剣でラティスを薙ぐ。
「いい時空間移動ですわ」
ラティスの氷で止められるが、魔剣の力は倍増する。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「――ッ!?」
(なんですの。この力は……!)
ソラは天に聖剣シリウスを投げ、左手に魔力を込め――
「兇閃牙迅拳!」
漆黒の魔力がラティスの腹を襲う。
「うっ――」
(強い……)
ラティスがソラの時空間移動の速さについてこれていない。
ソラは既に吸血鬼モードになっていた。
本気を出している。
ラティスが吐血しながら学院の建物に飛ばされる。
ソラは再び手にした聖剣シリウスで追撃をかけた。
(また、時空間移動――!?)
「剣技――ホーリースペクトル!」
聖剣シリウスを振り上げ、巨大な閃光の斬撃がラティスを襲った。
――ドォォォォォン!
(悪い――アイリスさん、学院ぶっ壊しちまった……)
学院が半壊するほどの威力――。
「ありえないですわ、このわたくしがッ!」
ソラはラティスを殺すことに焦っていた。
一方からは「すごい」と女生徒たちの感嘆の声が漏れる。
ただ、焦っていたことが原因で――
――ドドドドドドドドドドドドドン!
「ぐっ――!?」
ソラの周囲に浮遊していた微小な魔力が大爆発を起こす。
イリスの断罪の爆砕だ。
「ふふふ、敵はわたくしだけではないのですわ!」
断罪の爆砕を直撃したソラにラティスが追撃した。
鋭い氷柱がソラの腹部を貫く。
「うああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
体が軋む激痛に襲われ、膝をつく。
だが、ソラは瞬発的に氷柱を抜き取り、ラティスに投げつける。
「乱暴ですわね……」
ラティスに自分の造形した魔法はきかなかった。
ラティスが体を起こすと、ソラの目の前から姿を消す。
「時空間移動かっ!」
「上です! ソラさん!」
叫ぶ女生徒の声に反応し、ソラは後退し避けた。
ラティスが手にしていたのは聖剣と同じ規模の氷の剣――氷剣だ。
と、ソラに向かって炎が再び放たれる。
「二度同じ手は喰らうかよ!」
ソラが宙に舞うと魔力の足場を思い切り斬り飛ばし、ラティスに紅血の剣で一閃。
「仙鶴ノ雨!」
滑り込むような一突きがラティスの腕を斬り裂いた。
(また、時空間移動ですわ――)
時空間移動はかなりの魔力を消費する。
膨大な魔力を持つソラにとっては時空間移動など微塵も大きな魔力消費ではない。
ラティスは己の反射速度で急所を避け続けている。
心臓を貫かれば人は即死だ。
――が、その刹那。
ラティスの腕、腹――ソラの斬撃を喰らった部分から漆黒魔力の浸食が始まる。
「――刻参り」
斬り裂いた場所から漆黒の魔力を発生させ、黒刻が体を侵食するソラの魔力の特性。
「なんですの!? これは!」
「チェックメイトだ――」
「こんなもの!」
と、ラティスが自身の体を凍らせ、浸食を抑えた。
「ちっ――お前、厄介だな」
以前、イフリートにも同じ手を使ったソラだったが、刻参りは制されてしまった。
《六魔》にはそう通用しないのか。
――その刹那だった。
ラティスの心臓から一つの手が突き出される。
「――は?」
一瞬、ソラは何が起きたか理解できなかった。
「くっふっふっふっふ……」
ラティスの背後から聞こえる嗤い声。
その声には聞き覚えが――あった。
「まさか――嘘だよな……」
ラティスからは声が出てこない。
心臓が一人の男の手によって貫かれているのだから。
――ラティスは即死だった。
「あなたはここまでのようですね、リヴァイアサン。あなたの使命は終わりました。世界樹の書、渡してもらいます」
男は、ラティスから一冊の本――ラティスが《クレア学院》から奪ってきた世界樹の書を懐から取り出す。
そして、男はラティスをゴミを投げるように地面に叩きつけた。
「お前――ルシファー……」
「くっふっふ……再び堕天して参りました」




