第113話 世界樹の書
ラティスは妖気な笑みをアイリスに向けた。
アイリスはラティスに畏まった目を向けるが、小さくため息をつく。
「私は当学院の学院長を務めています、アイリス・エーヴェルクレアです」
「ふふふ、知っていますのよ。あなたのことは――」
「そ、そうなんですか……。光栄です」
アイリスは謎に包まれたラティスという人物に少し動揺していた。
何故こんな学院に来たのか――。
目的が全く見当がつかなかったらから――。
アイリスは周りに群がる女生徒たちを見て、ラティスに向き直る。
「では、学院長室に招待しましょう」
「私が案内を――」
アイリスをここまで案内してきたセリーヌが名乗り上げると、アイリスはそれを目で制した。
「ええ、大丈夫です。セリーヌ、ここまでご苦労様でした」
「は、はぁ……」
セリーヌはよくわからないと示唆するような怪訝な顔を見せながら後ずさった。
アイリスは彼女ラティスを警戒していたからだ。
まだ、ラティスが本人であるという確証もない。
わざわざ大事な生徒を危険な目に遭わせるにもいかない。
こうしてアイリスは今まで生徒たちを母のような目で保護してきたのだから――。
「あらあら、アイリス様。そのような目を向ける必要はありませんのに――わたくしはこう見えて信頼が厚いと国民から称されているのでしてよ」
アイリスが警戒心むき出しであることをラティスに悟られはっとした。
返す台詞もなく、そのまま学院長室へ案内した。
*
「豪勢な部屋ですわね……」
「え、ええ。ありがとう……ございます……」
「緊張してらっしゃるのですか?」
「い、いえ。少し慣れていないだけです。話を続けましょう」
ラティスの発する雰囲気にアイリスは正直ついていけてない様子だ。
アイリスは学院長室の接待机に「どうぞ」と示唆し、ラティスを椅子に座らせると、自分も向き合うように椅子に座った。
「では、本日はどのようなご用件で?」
アイリスが説明するとラティスが真摯な目を向ける。
さっきまでの妖美な雰囲気とは一瞬オーラが変わったかのようだ。
「世界樹は知っていますか……?」
「――ッ!?」
その言葉を聞いたアイリスが驚愕していた。
「なぜ、それを……あなたが……?」
「詳しい事情は王国の機密事項なので話せませんが――」
それは嘘だ。
とアイリスは勘づく。
「世界樹――そんな言葉、アインベルク王国のごく少数の人しか知ることができないはずです!」
バンッと机を叩きながらアイリスが立ち上がる。
ラティスは驚く様子を見せない。
「し、失礼しました」
「ふふふ――」
アイリスが椅子に座り直すと次に口を開いたのはラティスだった。
「アインベルク特殊情報機密機関――そこに属しているのがあなた。これは間違いではないですね?」
「なぜそんなことまで……」
存在自体知ることのできない言葉までラティスは知っていた。
アインベルク王国が国王のみだけが知ることを許されるはずの情報を厳選された5人の魔導師に譲渡される情報を保管する機関だ。
――それがアインベルク特殊情報機密機関。
10年前に国王が急死し、情報が消滅したときのために備えて設置された。
そして、その情報は紙などの媒体に記録することも許されておらず、機関に務めている魔導師の記憶上に封印するというのが原則で、かなり情報には厳しい。
これは外部の人物――例え『神聖魔導団』でさえも知ることができない。
「たまたま耳に入ったのです……ただそれだけですよ、ふふ」
「あなた――何者ですか」
アイリスの警戒心が最高潮に達し、ラティスを睨めつけた。
「そして、召喚魔導士であるあなたは世界樹の書を持っている――いえ、隠し持っているはずです」
「質問に答えなさい!」
再びアイリスは勢いよく立ち上がる。
「あなたも世界樹という存在が何を示すのか知っているはず――」
「くっ……!」
「……魔王の誕生の地――《メフィスト》へ通じる魔物」
「――ッ! まさか、あなた……」
「さあ、世界樹の書がどこにあるのか――今すぐ差し出しなさい……アイリス、様」
アイリスの言葉を制し、ラティスの妖気な笑みが戻り、アイリスに近づいた。
「降臨せよ。黒き暴食の――うっ!?」
アイリスが召喚詠唱をする間もなく、ラティスの手は彼女の首を力強く掴んでいた。
「離して……」
「いやよ――ふふ」
アイリスの体が宙に浮き、無抵抗になる。
「さあ、あなたの記憶を覗かせて貰いますわ……」
突然、ラティスの碧眼が紅血の色へと変わり、アイリスの目を鋭く見つめた。
――次の瞬間、学院長室に奇怪な静寂が訪れた。
*
今から2億年前――ある小さな王国に一人の男の子がいた。
当時には魔界と呼ばれていた世界は存在していなかった。
魔力の存在しない、争いなど起こらない平凡な世界。
ある日、男の子には好きな女の子ができた。
男の子と女の子は幼馴染で毎日大きな樹の下で、二人きりで遊ぶ日々を過ごしていた。
男の子にとってその日々は夢のようで、絶対に離したくないかけがえのない人生の欠片の一つとなっていた。
――女の子と遊び始めて1年が経った。
ある日を境に女の子はいつもの遊び場である大きな樹に来なくなった。
それでも男の子は少しの可能性を信じ、毎日女の子が来なかったとしてもいつものように遊んでいた。
女の子がいない日々はつまらなく陳腐だった。
それでも女の子は姿を見せてくれなかった。
男の子は泣いた。
何時間もその樹の下で大粒の涙を流して――。
夜になっても家に帰ってこない息子を心配した母親が男の子を探しに外に出た。
男の子は大きな樹の下で泣いていた。
「あら、こんなところにいたのね……」
母親が男の子に近づき、手を差し伸べると、
「来るなッ!」
男の子は母親の手を振り払って、母親の目を睨めつけた。
母親は驚愕した。
男の子の目が血で滲んでいたから――。
男の子が流した一筋の血の涙が大きな樹に染み込む。
怖くなった母親は男の子を諦め、涙を流しながら去っていった。
――孤独。
これが男の子を悲しませた理由だった。
男の子は大きな樹の下から離れなかった。
好きな女の子が戻ってくるのを待って――。
ずっと。
ずっと涙を流しながら待ち続けた。
男の子は大きな樹の下で命を絶った。
その後、男の子の姿を見た者は誰一人として存在しなかった。
*
《クレア学院》の地下には広い空間が存在した。
それも隠し通路を通じないと侵入することのできない空間。
その空間に一人の妖美な女性が一人――。
ラティス・レシスト。
「学院長のアイリス様だけが知る空間――ここに世界樹の書が……魔王様に会える……」
一人ラティスは呟くと、そこには一つの祭壇が存在していた。
「これは……」
祭壇の中心には巨大な箱があり、何重にも封印鍵が施されている。
ラティスが封印鍵に触れると、一瞬にして鍵はボロボロに崩れていった。
箱を開けると一冊の魔導書――世界樹の書があった。
「間違いないですね……」
妖気な笑みを書に向けた後――
――《クレア学院》は氷の地と化した。




