ACT4:死神と廃墟の犬
とある星の戦闘が終了した帰り、オルデン傭兵部隊はゲリラ鎮圧の為、部隊の移動の最中だった。ヒカルが隊長に就任してから早4年、オルデン傭兵部隊の名を知らない軍人は居ないほど、その名は全宇宙の隅々にまで広まっていた…。
6人のチームリーダーの中で、とりわけリュオンと仲がいいのはチェイサーである。ケインも仲がいいと言えばいいのだが、彼の場合、八方美人な所があるので、一番にはならないだろう。
最後尾の車両で警備もそこそこに、チェイサーとリュオンの2人は話し込んでいる。
「…って言うかさぁ、隊長が呼ぶから俺らも13(サーティーン)って呼んでるけど、何で13な訳?」
「恐らく、私のIDナンバーからではないでしょうか。上官の息子を部下に使うという難しい立場なのでしょう、サージェント・カトーも」
「そうかなぁ?出世には興味無いでしょ、あの人は」
「そうですね…。けれど私は、あの方に13と呼ばれるのを、嫌とは思いませんよ」
「ふーん、そうかぁ。俺はリュオンって名前、いいと思うぜ。ま、全宇宙のバイオロイド共を排除出来たら、お前も大手を振って歩けるんだろうな」
「ええ、そうなればいいですね」
そんな2人の背後から突如、声が掛けられる。
「こらこら!警戒を怠るな、お前達」
「クラース」
「リュオン、今夜の宿営地の事、隊長から何か聞いてるか?」
「いいえ、特に何も言われてませんが…。サージェントが何か?」
リュオンの問い掛けに、クラースは難しい顔をする。
「う~ん、ケインがさっきから呼んでるんだが、休憩に入ったきり部屋から出て来なくてね」
「「え?」」
意外な言葉に2人は唖然となるが、すぐにチェイサーが気楽に言った。
「珍しい、隊長がサボりなんて!働き過ぎなんだから、たまにはいいんじゃないの」
「…お前ねぇ」
「隊長ー!聞こえてますぅ?たーいーちょー!!」
バタン!!
勢い良くドアが開けられた為、ケインは鼻を思いっきりドアにぶつけてしまった。中から慌てた様子で、ヒカルが飛び出して来たのだ。部屋の外で顔を覆って立ち尽くすケインを見上げ、ヒカルは素直に謝った。
「す…すまないケイン!それより、今何時だ?」
「…もう17時です。16時40分から呼んでたんですよ?」
「悪い、寝過した!クラースは何処だ?宿営地を決めないと」
「クラースなら、貴方の事を訊きにリュオンの所へ…あ!戻って来た」
ヒカルの姿を確認したクラースは、急ぎ足で2人の元へとやって来て言う。
「隊長。今夜の宿営地をどこにするか、決めてしまわないと」
「そうだな、前へ行こう」
歩きながら、クラースはヒカルに訊く。
「どうなさったんです?」
「すまん、寝過した」
「珍しいですね、貴方が遅刻なんて」
「ちょっとな。…それより、先頭に居るのはベンだったな?-ベン、もう少し行った辺りに街があるはずだ、今夜はそこで宿営するぞ」
腕に装着した通信機に向かってヒカルが声を掛けると、すぐに返事がくる。
Pi!『街って…、前方のですね?了解』
「なんだ、もう手前まで来てたんだな。ヤバい、ヤバい…」
ベンの返事に苦笑いを浮かべるヒカルへ、ケインが言った。
「隊長、疲れが溜まってるんじゃないですか?今夜辺り、一度救護班の所へ行って下さいよ?」
「仕事が増えなければな。クラースとケイン、街へ着いたら住民に宿営の許可と、水を分けて貰いに行くぞ」
「「了解」」
それから15分ほどして、移動部隊は街の入口に到着した。車両からヒカルとケインとクラースが飛び降りて、街の中へと入って行く。街の様子は閑散としており、住民が居るかどうか微妙だ。
入口近くの、明らかに廃墟となっている建物は避けて、ヒカル達は街の中心部の比較的綺麗な建物へと足を運んだ。建物の中はすっかり荒らされており、壁には弾痕がハッキリと残されている。恐らく、ゲリラか夜盗に襲われたのだろう。
「酷いな」
呟くケインの横で、ヒカルは2人に指示を出す。
「クラースとケインは生存者の確認を。俺は奥の方から調べてくる」
「「了解」」
3人は別れると、手分けして生存者の探索に当たった。建物内に残された住民達の遺体はすでにミイラ化しており、ここが襲われてから、かなりの時間が経過している事を物語っていた。
Pi!「そっちはどうだ、クラース?」
ZZ…『駄目ですね、遺体しか残されていません。貴重品、食糧などは全部持ち出された後のようです』
ZZ…『隊長、街の西側もクラースと同じ状況ですよ?』
「そうか…。クラース、全員を動員して遺体を街の中心辺りに埋葬してくれ。この際、数が多いから、地面へ爆破で穴を開けて、合同で弔うしかないだろう」
『そうですね、了解しました』
Pi!「13!街の外にゲリラが居ないか、しっかりセンサーで見てろよ」
ZZ…『了解です』
ヒカルは辺りを見渡して、街の外にもう一軒、家が建っている事に気付いた。部隊から少し離れる事になるが、ヒカルは建物の方へ行ってみた。
その家は、木造1階建ての一軒家で、元は綺麗に入口がガーデニングされていたのだろう、枯れ果てた草木の残骸だけが僅かに残っている。アーチ型の門柱に【T・マイヤー】のプレートが付いていた。
呼び鈴を押したが、誰も出て来る様子はない。ドアノブへ手を掛けると鍵が開いていたので、ヒカルはそのまま中へ入って行く。
「マイヤーさん?ミスター・マイヤー、おられますか?」
玄関の側がリビング、奥にキッチンが見えたので、そちらへ足を向ける。キッチンのテーブルの上に、“旅の方へ。庭の井戸をご自由にお使い下さい”と書かれたメモが残されていた。
ヒカルがメモを読んでいる時、風が吹いたので顔を上げると、キッチンのドアが開いていて、そこから裏庭へ出られるようになっていた。ドアを抜けて裏庭へ出ると、明らかに街の住民達によって埋葬されたと思しき墓標が1つあった。そして、その前に伏している毛むくじゃらの、薄汚れた1匹の犬の姿が目に入る。
「お前…、生きてるのか?」
ヒカルの意識は、ここで途絶えてしまった…。
「あれ?混線か?」
「どうした、ケイン?」
「隊長に無線が繋がらなくなったんだ」
「もうすぐ日が落ちるからな、そろそろ磁気嵐の影響が出てきたんだろう」
クラースの言葉通り、日はすっかり傾き、辺り一面夕闇が迫っていた。この惑星は砂漠の気候にとてもよく似ていて、昼間は40度近く気温が上がるが、夜は一気に氷点下まで気温が下がるのである。
風も強くなったみたいだ。建物のそこかしこから、風の唸る音が聞こえている。
「なぁ、今何や聞こえんかったか、クラース?」
いつの間にやら、2人の側に出て来たポールが、クラースに訊く。
「いいや」
「おかしいな?確かに、何や聞こえたと思ってんけど…」
首を傾げるポールに、ケインが返す。
「風の音だろ、ポール。それよか、隊長遅いなぁ」
「シッ!静かに!!」
2人の会話を、急にクラースが止めた。ポールとクラースとケインが耳を澄ませると、風の音に混じって確かに何かが聞こえてくる。それは犬の鳴き声だった。
「犬の声?」
訝るポールの横で、慌てたようにクラースが走り出す。
「向こうからか?隊長に何か遭ったのかもしれん!ポール、後は任せた。ケイン!俺と一緒に来い!!」
「ああ!」
犬の声が聞こえる方へ2人が走って行くと、街の外の家に辿り着いた。開け放たれたドアから屋内へ入り、キッチンから裏庭へ出て、庭に倒れたヒカルを発見した。クラースがヒカルを抱き起して名前を呼ぶが、意識は回復しない。額へ手をやって…、彼が高熱である事に気付く。
「隊長!?なんて熱だ…、すぐにドクターの診察を受けないと!…その犬に、何か病原体をうつされたのかもな。ケインはその犬を運べ」
言われたケインは頓狂な声を上げる。
「俺が?俺まで倒れたらどうするんだよ?!」
「その時は、その犬が原因だと解るから、対応はいくらでも出来る。心配するな」
「そうじゃなくて!俺の心配をしろよ!」
ヒカルは夢を見ている…、幼い頃の記憶だ。麦畑が見渡す限り一面に広がる、戻りたくとも今はもう存在しない光景、…火星だ。
ヒカルの祖父は火星一の大地主で、実に農地全体の3分の1は祖父の経営する農地であった。麦の収穫期には、街からこぞって日雇いの人間が訪れる。家の前の麦畑は、ヒカルの遊び場であった。
いつものように畑で遊んでいると、家から母の呼ぶ声が聞こえた。幼いヒカルが振り返ってみると、額に赤い飾り石を付けた母が、眩しそうに目を細める姿が見えた。
「輝!お昼ご飯よ、戻ってらっしゃい」
「はーい、母さん」
「まぁ、また泥だらけにして。さぁ手を洗いますよ、輝」
母は優しくヒカルの髪をなでる。目を細める母を見て、ヒカルが訊いた。
「母さん、どうしたの?目が痛いの?」
すると母は、笑顔で首を横に振る。
「ううん、違うわ。母さん、麦が黄金色に染まるこの季節が一番好きなの」
「どうして?」
「だって、輝の髪と同じ色だもの。お日様の光を反射してキラキラ輝いて…、とても綺麗だわ」
「僕の頭、麦じゃないよ?」
「クスクス…、輝ったら」
ヒカルを見つめる母が微笑む。額の石が赤く光を反射した。…ああ、この家にはもう二度と戻る事は出来ない。それを思うと、胸が重苦しくなるのであった。
「ただの宇宙風邪ですね」
「「は?宇宙風邪?」」
「一応念の為、犬の方も調べてみましたが、犬の方は至って健康。カトー軍曹は宇宙風邪にかかっただけですよ」
ヒカルを救護班の居る医務室へ運んですぐ、医師の診断は非常に早いものだった。ヒカルの寝るベッドの横でうずくまる犬を見下ろして、医師が言葉を続ける。
「けれど、こじらせましたね。もっと早くに来ていてくれれば、注射1本で治ったものを。完治するのに、かなりの時間が懸かりますよ?完治するまでは、絶対安静ですから」
「は…、宇宙風邪か。良かったぁ」
ほっと安堵するケインに、医師は猛然と抗議する。
「良くないです!いいですか?本来、宇宙風邪に地球系が感染した場合、まず1~2日で激しい嘔吐に見舞われ、嘔吐が治まったら今度は全身の関節が炎症を起こし、立って歩く事さえ困難な状態になる。炎症がピークに達すると発熱、それも高熱が出る為、治りが遅いとそれだけ後遺症の恐れがあるんです!何故もっと早くに連れて来ないんです、こんなになるまで放っておいて!?」
「いやっ。だって隊長、いつもと変わらず仕事してましたよ?具合が悪いなんて、一言も言ってなかったし」
「問答無用です!これより1週間の間、カトー軍曹にはここで休んで貰いますから!あなた方もそのつもりで、宜しいですね?」
医師の剣幕にたじろぐケインを余所に、クラースは他のみんなに状況を伝える。
「まぁ、今回の任務は移動部隊の警護だからな、隊長抜きでも余裕だろう。…リュオン、早速だがチームの組み換えを設定してくれ」
ZZ!『了解です、レイドリック伍長』
(う~ん…。何だ、この息苦しさは?)
ヒカルが薄目を開けてベッドの上を見ると、自分の身体の上に見覚えのある毛むくじゃらが居るではないか。犬もヒカルに気付くと、「ワン!」と一声鳴いた。その声に、ベッドサイドのケインも、ヒカルに気付いたようだ。
「あ!目が覚めましたか、隊長」
「ここは…医務室か。何が遭った?」
「覚えてませんか?ミスター・マイヤー宅の裏庭で、倒れていたんですよ。宇宙風邪で、1週間は絶対安静だそうですよ」
「1週間もだって?いててて…」
「わぁ!身体は起こさない!全身の関節が炎症を起こしてるんですから!ただでさえ、まだ熱が下がっていないでしょうに」
ケインに止められ、渋々ヒカルは横になった。
「外の様子はどうなってる?」
「酷い磁気嵐で、俺達も街に足止めを喰らってます。迎えの艦も、ジャミングの影響で近付けないそうで、上から待機を命じられてます」
「待機か…、警備に抜かりはないな?」
「ええ。クラースが、しっかり隊長補佐を務めてますよ」
ベッドの横でくつろぐケインに、ヒカルは訊く。
「ところで…、お前さんはここで何をやってるんだ?」
「隊長の見張り兼、護衛ですけど」
「はぁ?」
思わず頓狂な声を上げたヒカルに、ケインは呆れながら言う。
「宇宙風邪の自覚症状があったにも関わらず、ぶっ倒れるまで仕事してた人ですからね。見張りでも付けないと、安静になんてしないでしょ?それと、隊長の寝込みを襲う不届き者を警戒してるんです」
「何で俺が襲われる?」
椅子に座りながら、ケインがこけた。座り直すとヒカルに言う。
「貴方ねぇ…。自分の事、自覚してないでしょ?貴方の事を【死神】だっつって怖がる連中は、本部の一部だけ。たいていの奴は、貴方に好意を寄せている。さっきだって、看護の女性陣が……」
~ケインの回想シーン~
「カトー軍曹がここへ来るのって初めてじゃない?」
「見て~!サングラスを外したお顔、初めて見た。寝顔が素敵だわ!」
「きゃ~!超可愛い♡」
「可愛過ぎて化粧したくなっちゃう!」
「この際だから、女物のネグリジェでも着せちゃう?」
「ウチの隊長に何する気だ?!出てけ~、女子達!!」
「え?着せ替えしないの?折角、カメラの用意が出来たのに…」
「ドクター、あんたもかっっ!!」
「ふっ、傭兵部隊の中で、貴方はすでにアイドルっすよ。……隊長?」
回想シーンから復帰したケインが、ベッドの方を見ると、寝息を立ててヒカルは再び深い眠りへと入っていた。その寝顔を兄のような眼差しで見ながら、ケインは静かに椅子へ座る。
「病気だからって、無防備にもほどがありますよ。…それだけ、俺が信用されてる訳かな?」
医務室の前は、黒山の人だかりだった。その対応に、ベンは手を焼いている。
「隊長の容態は?大丈夫なんですか?!」
「ただの宇宙風邪だよ。一応、安静にして貰ってるだけだから」
「宇宙風邪はこじらせると大変ですよ?これ、お見舞いです。風邪に良く効きますから!」
「解った、解ったから…。全員、すぐに持ち場へ戻れ!」
医務室のドアを閉めて、疲れた様子でベンが入って来る。
「…えらい事になってますな」
「それだけ、俺の人望が厚いって事だろ?…それより、持って来てくれたか?」
「警備のシフト表でしたな、どうぞ」
ベッドに身体を起こし、液晶ボードの画面をチェックするヒカルを見て、溜息と共にベンが呟く。
「病気になった時くらい、休まれたらいかがです?」
「コホ…。熱があるのと、体が多少言う事を利かない程度で、何が病気だよ。…これ、誰が組み直したんだ?」
「隊長が倒れてすぐ、クラースがリュオンに言ってシミュレートした結果ですよ」
「13か、甘いな。ここに常に誰か1人居る事を、インプットしてないんだろう?右後方の護りが浅いぞ」
言われて、ベンも画面を覗き込む。
「ん?そうですかな?現状のままでも、特に問題ないと思いますが」
「いや。襲撃を受けた際、ここの装甲が崩されるな。…6番のケイン隊と、4番のポール隊を入れ替えた方がいい。すぐに指示してくれ」
「了解。………部屋から出ないで下さいよ?」
「ああ、解ってるって」
「では、失礼致します」
念を押して部屋を出て行くベンを見送り、思わずヒカルは文句を付けた。
「ったく、俺は子供か?!あ~あ」
そのままベッドへ寝っ転がると、ヒカルは白い天井を見上げた。滅多に病気などしないので、体調の異常が解らなかったのだ。たかが発熱くらいでここまで大騒ぎになるとは、予想外の展開だ。云々と考えていると突然、視界に犬が入って来たので吃驚する。
「うわっっ!…何だ、お前か。また遊びに来たのか?」
「ワン!」
「どっから入って来たんだ、一体。…けど、お前には感謝してるよ。みんなを呼んでくれたんだってな?ありがとうな」
「ワン、ワン!」
ヒカルが犬を撫でてやると、犬は喜んでヒカルの顔を舐め出した。
「おいおい、よせって。こら」
ベンからシフトの変更を告げられたケインは、思わずムキになってしまった。
「結局、仕事を休んでなんていないんだから、あの人は!」
「そうぼやくな、ケイン。隊長は仕事人間だから、仕方ないだろう?」
「こんな時くらい、頭から仕事の事が離れませんかね、普通?」
「大人しく医務室に居てるだけでも、良しとしよう」
「へいへい」
「じゃ、シフトの件は任せたぞ、ケイン」
「しっかり見張っててくれよ、ベン」
ケインにチームの入れ替えを伝えて、ベンは医務室へと戻って行く。ドアノブに手を掛けた時、室内からヒカルの声が漏れ聞こえてきた。
「-やめろって、おい」
「たっ…隊長!無事ですか?!」
勢いよくドアを開けたベンの目に飛び込んできたのは、犬と戯れるヒカルの姿だった。ガクッと肩を落とすベンに、少年のような笑顔を向ける。
「…ああベン、早かったな」
「は…、早かったなって…」
「何?」
「いいえ、何も。…また入って来たようですな、その犬は」
「夜には見かけないのにな」
「昼間はここに居付いてますな。すっかり貴方を気に入ったようだ」
ベンがベッドサイドの椅子へ座ると、ヒカルは犬に話し掛ける。
「そう言やお前、名前は何て言うんだい?首輪の文字が古くて読めないよ」
「ワンワンワン!」
「わんわんって言われてもなぁ」
犬の体をクシャクシャになで回すヒカルを見て、ベンが訊いた。
「隊長、犬がお好きなようですな?」
「ん?犬だけじゃなくて、動物は全部好きだよ。昔から飼うのが夢だったからさ」
「自分も子供の頃は、家で犬を飼ってましたよ。懐かしいですな」
「それは羨ましいなぁ」
まるで少年のようなヒカルの笑顔に、ベンは軽い眩暈を覚える。
「………隊長。今の顔、他の連中にはしないで下さいよ」
犬と遊ぶヒカルを見ながら、溜息混じりにベンは呟くのだった。
発病から4日も過ぎると、ヒカルは昼間、出歩くまでに回復していた。しかし、まだ完治という訳ではなく、朝・晩2回医務室へ通っては、点滴を打たれていた。
依然、街の外には強い磁気嵐が吹き荒れ、部隊は待機を余儀なくされていた。結局、名前の解らない犬は、昼間はヒカルの元を訪れて、夜になるとマイヤー宅へ帰って行く。夕方になると、移動車両の外を並んで歩く、ヒカルと犬の姿がよく目撃された。
その日の朝、ヒカルはオペレータールームの、リュオンの元を訪れていた。
「13!磁気嵐が治まる気配は、依然ないのか?」
「あと2日は無理でしょう。上からも、引き続き待機を命じられています」
「そうか。コホ…、ミスター・マイヤー宅の井戸が枯れていないから水には困らんが、こうも長いと退屈でみんなの士気が下がるな」
たまに咳をするヒカルをセンサーで見て、リュオンが言った。
「サージェント・カトー、まだ少し微熱がお有りのようですね。医務室で休まれた方が宜しいのでは?」
「そうもいかない。俺が居ると、外野が煩くてね。…ケホケホ」
そんな2人の元へ、ケインがやって来た。
「あ~隊長、こんな所に居た!またあいつが遊びに来てますよ」
「ああ、解ったよ。13、現状維持だ。警戒を怠るな」
「了解です」
ケインと共に外へ出ると、他の兵士達に囲まれて犬が座っていた。ヒカルの姿に気付いたマークが、道を開けてくれる。
「こいつ、隊長からじゃないと、飯を食わないんですよ」
「ベンがやっても駄目なのか?」
ベンは頷き、お手上げのポーズをした。
「しようのない奴だ」
ヒカルが頭をなでると、犬は嬉しそうに彼を見上げた。
夕方、事態は一変する。あと2日は治まらないと予想していた磁気嵐が、多少強風ではあるものの、すっかり治まったのだ。磁気嵐が晴れるのと同時に、大気圏外で待機していた迎えの艦から、進軍の命令が出る。部隊は慌ただしく片付けを始め、撤収の準備が整った。
ヒカルの元に、チェイサーが報告にやって来た。
「隊長、出発の準備が完了しました」
「そうか…」
「あいつも連れて行きましょうよ?隊長!」
「あいつ?」
「何言ってんすか、犬に決まってるでしょ」
「そう言やあいつ、何処だ、チェイサー?」
彼に訊くケインに、ヒカルが告げる。
「…家に帰ったんだろう。ミスター・マイヤー宅はちょうど進行方向だ。悪いが、一度家の近くで車両を停めてくれ」
ヒカルの言葉の意味を理解したベンが、穏やかに頷く。
「解っていますよ、隊長」
夕日が大地を赤く照らす中、部隊は移動を再開する。マイヤー宅の前で一度車両が停まると、中からヒカルとケインとチェイサーの3人が降りて来て、家の中へと入って行く。初めてこの家を訪れた時もこうだったなと思いながら、ヒカル達はキッチンの裏扉を開けて外に出た。
裏庭のミスター・マイヤーの墓の前で、初めて会った時と同じ格好で犬が伏せている。ヒカルは静かに近付くと、犬の横に膝をつき、犬の眼を見た。
「俺と一緒に来ないか?」
「………」
どうした事か、あれほど懐いていたにも関わらず、犬はヒカルの声がまるで聞こえていないかのように無反応だ。穏やかな瞳で、ヒカルを見つめ返している。
(嗚呼、そうか。こいつは俺と同じだから、だから優しくしてくれたのか…)
ヒカルは立ち上がると、そのまま踵を返して戻って行く。咄嗟にチェイサーが、ヒカルを呼び止めた。
「隊長!何で無理にでも連れて行かないんです?あんなに仲が良かったのに!」
「あいつは俺と同じで、自分の死に場所をとうに決めている。無理には連れて行けない。…戻るぞ、2人とも」
「でも、隊長っ!」
「馬鹿、よせ」
更に言葉を続けようとするチェイサーの肩を掴んで、ケインが止めた。
「一番辛いのは隊長だよ、もう何も言うな」
3人は車両に戻ると、いつものように仕事へと戻っていく。
「出発だ!」
ヒカルの号令の下、移動車両は発進し、その車影はすぐに黄砂の大地へと消えて行った。




