密入国
今日の天気は晴れ、気温は二十六度という近年まれにみる暑い日の事、俺を乗せた一台のタクシーが「ギフトガーデン」へと向かっていた。
車内では、小太りの中年男性が白いシャツを汗でにじませながら運転しており、ラジオからはアイドルソングが流れていた。
見たところ、ご機嫌に見える小太りの運転手は、アイドルソングがお気に入りなのか指でリズムを取りながら上機嫌で運転していた。
一体、何がそれほど彼を上機嫌にさせるのだろうかと、社内に響くアイドルソングに耳を傾けた。
すると、耳に届いてきたのはかわいらしい女性の声とこぎみ良いリズム、確かに悪くはないかもしれない、そう思った俺は歌に合わせて貧乏ゆすりに新たなリズムを加えると、思いのほか心地よくなった。
そして、今更ながらに気づく、このアイドルは歌がかなり上手い。いや、うまいなんてものじゃない、特徴的な美声が、俺の脳みそにあるであろうしわに、こびりついてくる勢いで響いてくる。
そんな、洗脳に近い音楽をききながら、なるほど、この運転手が上機嫌になる気持ちがわかるかもしれないと思った。
ただ、小太りの運転手に共感するのはいいが、実のところ俺はこの曲にノッている状況ではない。そう思い、先ほどから読んでいる「ようこそギフトガーデンへ」という名のパンフレットに意識を戻した。
しかし、それを遮るかのように俺の持っていたパンフレットが突然宙に浮いた。いや、正確に言えばそれは浮いたのではなく隣に座るエミリによって取り上げられたのだ。
エミリは、北欧生まれ北欧育ちの生粋の北欧人と自称する、フルネームすらわからない異邦人。
モデル雑誌から飛び出してきたような彼女は、俺が中学生になったばかりのころ、突然居候としてやってきた。
それから、もう三年ほどの付き合いになるが、エミリから故郷の話なんて一度も聞いたことがないし、彼女から話したことも一度もなかった。
そんな、異邦人エミリは俺からパンフレットを取り上げ、その端正な顔立ちをにこにことさせながら「ねぇ、兵助」と流暢を日本語で喋って見せた。
日本語をかなり勉強してからこっちに来たというエミリ、言葉が流暢なのは感心するが、どうせならもう少し片言のほうがかわいげがあったというのに、これじゃスーパーウーマンにしか見えない。
「ねぇじゃない、パンフレットを返せ」
「あら、なんで怖い顔してるの兵助」
「別に怖い顔なんてしてないだろ、パンフレット返せ」
「えー、私には怖い顔しているようにみえるけど?」
何を馬鹿な、俺の顔が怖いだって?そんなわけあるはずがないじゃないか。
昨日まで、病院のベッドにお世話になっていたはずなのに、朝起きたら突然タクシーに乗せられていて、おまけに訳の分からないところに連れてかれてる途中だとしても、断じて怖い顔なんてしていない。
怖い顔っていうのはネガティブなものを引き寄せてしまう、恐ろしい顔なんだ、もしもそんな顔をしてしまったのなら、俺はこれから起こるかもしれない不確定な予定を、ネガティブなものにしかねない。
そう、だからすべてをポジティブに考えることが大切なんだ。
そう思い必死に笑顔を取り繕った、だがそんな俺の表情を、まじまじとみつめるエミリはなんだか目を細めていた。
「な、なんだよ?」
「兵助、その笑顔は嘘よ」
ずばり俺の嘘を見抜いたエミリは、大変見る目があるようだ。
まさに仏目と言ったところであり、少なからず日本に染まりつつある北欧生まれの彼女に俺は深く感心した。
「よくわかったな」
「兵助の笑顔はすぐに嘘だってわかるよ」
「なんでわかった?」
「わかるったらわかるのよっ」
怒っているのはそっちじゃないかと言いたくなったがこれも愛嬌、エミリは怒りっぽい人種なのかもしれないとゆっくりと心を落ち着けた。そう、すべてをポジティブに考えるんだ。
「じゃあそれでいいけど、俺は別に怒ってたりしてないって」
「そうかな?」
「そーだ」
「あっ、まって」
「なんだよ」
「怒ってないってことは、兵助もしかして緊張してる?」
どこに緊張する場面があっただろうか、むしろ俺の頭には怒りの感情がふつふつと沸き上がってきており、それが今にも爆発しそうな勢いだった。
だが、ここでそれを爆発させたところで何かが好転するわけでもないと悟っている俺は加熱された脳内を冷やすようにため息をついた。
「してねぇよ」
「そうか、緊張してるんだぁ、可愛いな兵助は」
「・・・・・・」
まるで決めつけるかのようなエミリの発言に俺の足の貧乏ゆすりはトップギアに入った。
もう我慢の限界、今まさに口を開き暴力的な言葉が出かかった。しかしその瞬間エミリという北欧人は何を思ったのか俺に抱き着いてきた。
幼いころから北欧で過ごしてきた彼女にとって、このスキンシップ能力はある種のステータスのようなものなのかもしれないが、なぜこの状況でそれを発揮したのかが分からず、俺の思考と身体はぴたりを動きを止めた。
そして一つの疑問が生まれた、北欧人とはスキンシップが多い人種なのだろうかと・・・・・・?
まぁ、とにかくそんな時間が停止したかのような状況はすぐに終わりを告げた、なぜなら女性の体というものは思いのほか熱気を帯びており、俺はそんな心地よくも抵抗のある感触にすぐさまエミリを跳ねのけざるを得なかった。
はねのけると、エミリは「ひゃん」だなんてかわいらしい声をあげながらシートのうえで体を丸めて楽しそうに笑った。
「な、なにやってんだよエミリ」
「いいじゃない」
「よくないっ」
「でも、兵助が緊張して可愛いと思ったんだから、抱き着いただけよ」
ウインクしながら、おちゃめにそんなことを言うエミリはとても可愛らしく、思わず「許す」言葉が脳内を駆け巡った。だが、暴力的な口だけはそれを許さないようで、すぐさま言葉が飛び出した。
「ふ、ふざけるのも大概にしろよ、俺はお前のぬいぐるみでもなんでもないだぞ」
「えー、でも日本のことわざに「かわいい子にはハグさせよ」っていう言葉があるじゃない?」
「その誤った言葉を二度と口にするな、極限につまらん」
「何よ、じゃあ何が正解なの?」
「かわいい子には旅させろとか、そんな感じの奴だ」
「ふーん」
まるで興味のない様子で返事するエミリはわざと間違えているようにしか思えなかった。
「エミリ、からかってるのか?」
「えへへ、そんなことないよ、ごめんごめん」
エミリは怒る気が失せるかのような笑顔でそういって見せると、ようやく静かになった。
そして、静かになったところで車内では再びアイドルソングがこだまし始めた。
小太りの運転手は、相変わらず指でリズムをとりながらご機嫌に運転しており、彼の世界では俺たちが騒いでいようとアイドルソングのことで頭がいっぱいなんだろう。
ともあれ、傍から見れば接点のないであろう俺たちをのせたタクシーは、渋滞どころか右も左も、前も後ろも車が通ることのない道路を快調に飛ばしており、気持ちが良いくらい自由に突き抜けていた。
まるで貸し切り道路とでもいうべき状況の中、前方の車窓からは目的地である「ギフトガーデン」とやらの一部が姿を現した。
車窓から見えるギフトガーデンの景色は多くのビル街で立ち並ぶまさに都会といった雰囲気だった。
パンフレットには、ものすごい金をかけたものすごい場所だって書いていたものだから、もっといろんなものを期待をしていたが、意外や意外、都会の一部分をそのまま抜き取り、そのまま海にうかべたかのような外見に少しだけがっかりした。
「なんか普通に都会って感じだなぁ」
そんな思いからか、ついそんな言葉を口にしてしまった。もちろん外観だけの感想だから中に入ってみればそれはもう驚きの連発だとは思うが、そんな言葉にエミリはものすごい反応を示した。
それはようやく寝静まった赤子が再び泣き始めたかのように唐突でうんざりしそうなものだった。
「えぇっ?」とわざとらしい声を上げたエミリは、すかさず俺に詰めよってきた。彼女が再び近づいたことに、俺は今度は引っ付かれないようにと押し返そうとしたのだが、その手は今にもエミリの大きく柔らかそうな胸へと接触しそうだった。
それゆえに俺はすぐさま万歳して、なにもされていないというのに、さながらホールドアップ状態になってしまった・・・・・・どうやら、女性は武器をもたずして男をホールドアップできるようだ。
「な、なんだよっ」
「兵助、ここは、ありとあらゆる分野の最先端が集まる世界で最も優れた場所なのよ、しかも周りには超能力者ギフテッドであふれかえっている。それをただの都会だなんて、兵助はもう少し感性を磨くべきよっ」
彼女の表情はムムッとした怒り顔であったが、その美しい顔立ちのおかげかそれほど怒っているようには見えなかった。
それゆえに彼女は損することもあると話していたことがあった様な気がするが、それはあながち間違いではないだろう。現にその怒った表情は少しばかり魅力的に見えてしまっており、俺の心臓は高鳴り始めていた。
「・・・・・・」
「ちょっと兵助、聞いてるの?」
そういうとエミリのデコピンが飛んできた。
長い指から放たれたデコピンはそれ相応の痛みを与えてきて、俺は思わずでこを抑えた。だが、お陰で変な気持ちが吹き飛び俺は目を覚ました。
「いてぇっ」
「ちょっと聞いてるの兵助?」
「あ、あぁ、ギフテッドな」
「そう、ギフテッドよギフテッド、兵助はうれしくないの?」
エミリは嬉しそうにギフテッドという言葉を連呼し、今度は満面の笑みになった。
エミリと初めて会った当初は、こんな笑顔の一つにも照れてしまうほどかわいらしさを感じて、彼女の虜になってはいたのが懐かしいが、今日という日まで培ってきた彼女との生活のせいで、この笑顔は少し煩わしいものとなってしまったのは非常に残念な限りだ。
「嬉しいもなにも、こちとらこの状況がまるで理解できないんだよ、巻き込むな」
「巻き込む?」
「それとな、なんで俺はタクシーに乗って変なパンフレット読まされてるんだよ?」
「あぁ、それなら説明してあげましょう、あなたは今日からあそこでギフテッドの仲間入りを果たすの、これは現実、けっして夢ではないわ」
「夢であってほしかったんだが」
「何を言ってるの、夢なんて馬鹿げたこと言わない」
「そんなこと言われても、昨日まで病院でベッドにお世話にならなきゃならないような人間が、突然訳も分からない理由を付けられ、挙句の果てには訳の分からないところに連れて来られるとか、しかもそれを現実と思えって言われても信用できないだろ」
「そうかしら、ギフテッドという存在が見つかった時から現実なんてとうにぶっ壊れてると思うんだけど?」
「・・・・・・」
「そうよね、言葉に詰まるわよね?」
あまりに的を得た言葉に俺は何も言い返せなかった。そして目の前では「でしょう」とでも言いたげなエミリがどや顔を見せていた。
確かにそうだ、エミリのこの態度に俺は何の反論をすることも出来なかった。なぜなら今日まで「ギフテッド」という言葉を聞かなかった日はなかったからだ。
そして、ギフテッドっていうのは所謂超能力者であるということと、幼い頃に知っていたうさんくさい超能力者とは比べ物にならないくらいの活躍をしていることを知っていた。
だからこそ俺のこの状況が現実離れしているなんてのは取るに足らない事実だった。だが、それにしてもこの唐突な展開に俺は驚きと動揺、それから不安がぬぐいきれずにいた。
「そ、それにしたってこの状況はおかしいですよ」
「でもね兵助、ここでギフテッドとして迎え入れられることはとても素晴らしいことなのよ、もう少し喜ぶべきだと思うけど?」
「素晴らしいも何も、ギフテッドってのは先天的なもんなんですよね、それがどうしてこの歳にもなっていきなり超能力者なんですか、明らかにおかしいとおもうんですけど」
「あら、兵助よくわかってるじゃない」
「なにがですか?」
「だから連れてこられたのよ」
「どういう意味だ?」
「わからない?あなたは世にも珍しい後天性突然変異型ギフテッドなのよ」
エミリはさも素晴らしいことのように晴れ晴れとした表情で言った。
だが、そんなエミリとは裏腹に俺の心は墨かなかんかで塗りつぶされていくかのように暗くなっていくような気がした。思えば、昨日からずっとエミリに言われ続けてきている「後天性ギフテッド」という言葉。
この言葉が俺の頭にこびりつき、まるでメリーゴーランドのようにぐるぐると脳内を回り続けていた。そして、それはここ最近の俺を最もネガティブにしてくる嫌な言葉にしか思えなかった。
だから、俺はすぐさま反論することにした。
「あ、あのさ」
「なに?」
「まだ、突然変異型とかギフテッドとかはっきり決まったわけじゃないんだから、人を何かの化け物みたいに言うのをやめてくれないか?」
「どうして?」
「どうしても何も、俺は普通の人間だからだよ、そんな言い方はないだろ」
「違うわ」
「ド直球だな・・・・・・」
「そりゃそうよ兵助、だから今あなたはここにいるのよ、本当なら兵助はあの治安が悪い場所で、治安の悪い高校へ行く予定だったけど、あなたが特別だから、こうしてギフトガーデンに向かっているのよ」
「いや、だから俺はそのことについて同意したわけでもなんでもなくてな」
「おばあちゃんからの命令なのよ、私はおばあちゃんから任されてるのよ、だから私は絶対に兵助をギフトガーデンに送り届けるわ」
「い、いや、だからと言って・・・・・・」
「だからと言って何?」
次なる言葉が出てこない俺はその場で黙りこくるとエミリは満足げな顔をした後「あっ、そんなことより兵助、そろそろ着くみたいよ」などという空気の読めない言葉を発した。
あまりの空気の読めないエミリに、もうあきらめて車窓に目を移した。
そうだ、こんなネガティブに導いていくような人間とは関わりあわないのが得策だった。そう思い、車窓から外を眺めると、晴天のおかげか海がキラキラと輝いており、それはもう絶景であった。
それからは、エミリとの間で会話が行われることなくタクシーは軽快に飛ばすこと数分、タクシーが少しづつ減速していくのを感じた俺は、タクシーの正面を覗き込んで様子を伺った。
すると、タクシーの前方には検問所らしき建物が見えた。それは、まるで高速道路にある料金所のようにこじんまりとしたものだった。
そして、そんな検問所らしき場所の手前でタクシーは停車した。
すると、こじんまりとした建物からギフトガーデンという名にふさわしくない、鬼のように険しい顔をした男の警備員が飛び出してきた。彼はプロレスラーのような巨体を動かしながら大股でのっしのっしと歩いて来た。
警備員らしいといえばそうなるかもしれないが、巨体ゆえに、まるで個室トイレから出てきたような登場の仕方に、少なからず嫌な予感を感じていた。
そして、警備員はタクシーの近くまでやってくると車窓をこんこんと優しく小突いた。体格のわりにとても繊細な様子の警備員に思わず眉をひそめざるを得なかった。
「エミリ、俺は刑務所にでも入れられるんのか?」
「ふふ、ほんとだね、あ、ほら見て見て兵助、警備員がものすごい顔で私たちをみてるわよ」
まるで子どものようにはしゃぐエミリは、俺にすり寄りながらそんなことを言った。
つくづく人にくっつくことが好きなものだとあきれつつ、すぐにエミリをはねのけた。するとエミリはなぜか嬉しそうに笑った。
「何が面白いんだよ」
「ふふふ、兵助はビビりだなぁと思ってさ」
「ど、どこがビビッてるように見えるんだよ」
「ふふっ、ビビりビビりー、ほれほれ」
まるで俺をからかうようにエミリは俺の頬をツンツンしてきた。そして、俺のほっぺたを大福などという例えを出しつつ、エミリはまるで中の餡をぶちまけさせるかのような勢いでつついてきた。
いつもの事とはいえ、少なからずストレスがマックスになりそうな相手に、平然とこんなことをやれる無頓着で憎めない行動に、再び口が勝手に動き始めた。
「やめろっ」
「ひゃー」
たまらず怒鳴るとエミリは勢いよく離れた。
そしてなぜかエミリは嬉しそうな笑顔を振りまきながら頭を隠すしぐさを見せた。そんな他愛もない戯れの最中、タクシーの運転手が額の汗をハンカチでぬぐいながら話しかけてきた。
「お客さんちょっといいかい?」
運転手の言葉に、エミリが敏感に反応して返事をした。
「は、はい、なんでしょう運転手さんっ?」
先ほどまでキャッキャウフフと騒いでいた人間はこうも簡単に取り繕うことができるものかと感心していると、エミリは真面目な顔して乱れ髪を整えていた。
「あのぉ、タクシーはここまでだから」
「あ、はいわかりました、じゃあ少しだけ待っててもらえますか、帰りもお願いしたいので」
「はいよ」
優し気にそういったタクシー運転手は、その止まることない汗を拭きとりつつ笑顔でそういった。
俺たちはタクシーから降りると、厳しい顔つきの警備員がすぐさま駆け寄ってきた。駆け寄ってきたところで思いのほか大きな体をしていた警備員に俺は思わず身構え、エミリはすぐに俺の背後に隠れてきた。
しかし、そんな俺達の様子にも、相変わらず険しい顔つきの警備員を前にたまらず生唾を飲んだ。
そして、それはエミリからも鮮明に聞こえてきた。まるで、今にも戦闘が始まりそな緊張感あふれる状況の中、ようやくといっていいほど警備員が口を開いた。
「猫宮 兵助さんと、その保護者の方ですね」
まるで何かの楽器のように響き渡る低音ボイスに、エミリはびくんと反応した。すると、なにを思ったエミリは突然俺の前に立ちはだかった。
「は、はい、私が保護者のエミリでこの子が兵助です、間違いありませんっ」
「改めて言わなくてもわかるだろ」
誰が見ても俺をエミリ、エミリを俺と思うやつはいないだろう。そしてエミリはというと突然振り返ったかと思うと。不満げな顔で俺をにらみつけてきた。
「えー、どうして?」
「エミリが兵助なんて名前してたら、それこそ疑われるだろ、ほら、不法入国とか最近流行ってるんだろ?」
「あぁ、なるほど、頭いいねぇ兵助」
エミリはそういいながら声高々に笑い声を上げた。その様子から再び彼女らしい姿を取り戻したようだ、そして、それと同時に警備員が口を開いた。
「それでは入門口へと案内します」
そういうと警備員は先導を取り始めた。そんな、淡々とした様子の警備員についていくこと数分、検問所を抜けてしばらく歩いたところに入門口のような建造物が見えてきた。どうやらあそこがギフトガーデンへの入り口らしい。
すると、そんな大きなゲートの近くに、白衣を身にまとった女性がぽつんと立っていた。こんな炎天下の中よく待っていられたなと思っていると、彼女は小走りで俺たちの方へと向かってきた。
そして真っ先に俺のもとへとやってくると突然握手を交わしてきた。あまりに突然の行動に、ただ目の前の白衣の女性に身を任せていると彼女は笑顔で口を開いた。
「こんにちは兵助君、待っていたわ」
満面の笑みでそういわれた俺は心臓がドクンと高鳴った。そして動悸のように高鳴り続ける心臓にすぐに左手で胸元を抑えた。
女性を前にすると大概こうなるのだが、どうにもこの人にはエミリに似た動悸に近い心臓の高鳴りを感じ、そのついでに目の前の白衣の女性に見とれた。
まるですべてを見透かすかのような切れ長の目に、嘘偽りない見事な曲線の笑顔は見とれるに値するものだった。
だが、そんな夢のような光景からたたき起こされるかのようにエミリが声を上げた。
「ちょっと兵助、ぼーっとしてないで挨拶しなさいっ」
まさに目を覚ますかのような良く通る声は俺の耳にしっかりと届いた。
「あ、えっと初めまして猫宮 兵助です」
「こちらこそ初めまして、私はこのギフトガーデンでシンボルギフトの研究をしております四方 奏と申します。あ、ちなみに教授よっ」
笑顔でそう答えた四方教授は、俺の手をぎゅっと握りしめたまま離そうとしなかった。エミリとは違い、妙に冷たい手に心地よさを感じつつ、改めて目の前の四方教授に目をやった。
四方奏と名乗った白衣の女性は黒髪長髪の女性で、身長もすらっと高くモデルのような体型をしていた。思わず見とれてしまうほどのスタイルに、どこかエミリと似た雰囲気を感じていると、ふと何者かの視線を感じた。
得体のしれない視線のもとへと目を向けると、そこにはものすごい形相で俺をにらみつけるエミリの姿があった。
そんなエミリの視線を横目に、再び四方教授へと目を向けると、俺同様にエミリの視線に気付いた様子の四方教授は、突如として俺のもとから離れてエミリのもとへと向かった。
そうして、エミリのもとまでたどり着くと四方教授は深々と頭を下げた。
「四方奏です、はじめましてっ」
大きな声でそういうとまるで時が止まったかのようにあたりがしんと静まった。そしてエミリはびっくりした様子で四方教授に釘付けとなっていた。
「あ、えっと、四方教授さん?」
「はい、このたびは突然の事で、非常にご迷惑をおかけしました」
「いえ迷惑だなんて」
「そのうえ今回の件についてのご理解もいただけたようで本当にうれしく思っております」
「こ、こちらこそ兵助のことをよろしくお願いします、四方教授さん」
エミリは四方教授に圧倒されたのか、何なのかはわからないが動揺した様子ですぐに深々と頭を下げた。その態度に四方教授は少し驚いた顔をしたものの、再び笑顔になり、彼女もまたエミリ同様に頭を下げた。
それからはというと、エミリと四方教授は互いに深くお辞儀をしあい、ついには、二人は終わらないよろしくお願いします合戦をおっぱじめてしまった。
大人というのはこうしたやり取りが大好きのようだが、これに一体何の意味があるのかと思いつつ、さんさんと照り付ける太陽のもと俺は額に汗がにじんでいるのをかんじた。
そんな中、エミリと四方教授は何度かお辞儀合戦をやった後、ようやくそのお辞儀合戦に区切りがついたのか、エミリがいそいそやってきた。エミリは何やら真剣な表情をしていて、それはどこかもの悲しさを感じさせるものだった。
異変に気付いたのもつかの間、エミリは突然抱き着いてきた。
あまりの突拍子もない出来事に俺はなすがままでいた。
これがいったい何のための行為なのかはエミリと出会った時からわかったものじゃなかったが、この時ばかりは少しだけエミリの気持ちが分かったような気がしていた。そう、きっと彼女は別れの挨拶をしに来てくれたのだろう。
しばしの抱擁の後、エミリと何か会話をするわけでもなくただただ抱き着かれていた。
そして、そんな時間に終わりを告げるかのようにエミリは突然パッと離れた。すると、彼女は笑顔になっており、目は少しだけうるんでいたように見えた。
「じゃあ私はここで、元気でやるのよ兵助」
エミリは少しぎこちない笑顔でそういった。
そんな彼女の笑顔に俺も思わず苦笑いになった、まぁつまりはこういうことだ、さっきまでエミリが俺にじゃれついてきていたのはこういう理由があったからなのかもしれない。
しばしの別れ、長年寄り添うように生きてきたエミリとの時間がついに途切れてしまうことに、思いのほか俺は少しだけ寂しく感じていた。
だからこその、先ほどまでの茶番、普段の日常をあからさまに見せつけあっていたのかもしれない。
普通ならあんなことタクシーの中でできないし、するもんじゃない、今日ばかりは無言のタクシー運転手には感謝してるし、また会う機会があったら、アイドルソングの良さでも語ってもらうことにしよう。
「まぁいいよ、わけわかんねぇけど、こんなこと今に始まった事じゃないからな、せいぜい与えられた運命を存分に楽しむとするよ」
「そうよ、それでこそ兵助よ」
「あぁ」
「元気でね兵助」
「エミリも元気でな、ばあちゃんと仲良くやってくれ」
「もちろん」
エミリは名残惜し気に手を振って見せた後、二度と振り返ることなく離れていった。
それはまた会えるから安心して背中を向けて「さよなら」をできるというものなのか、それとも、最後のお別れにと俺の抱擁を背中で待っているのかはわからなかったが、とにかく物悲しい光景に俺はただ立ち尽くした。
そんな感情的な状況の中、俺は突然肩を叩かれ、俺は思わず声を上げてしまった。
「うわっ」
振り返るとキョトンとした様子の四方教授がいて不思議そうに俺を見つめていた。
「どうしたの兵助君、そんなに驚いて?」
「い、いやなんでもないです」
「・・・・・・うーん」
「え、なんですか?」
「いや、兵助君って、意外と礼儀正しいのね」
「どういうことですか?」
「いやぁ、見た目のわりにはちゃんと敬語使ってくれるし、しっかりとした態度というか・・・・・・うん、見た目のわりにね」
「そりゃ、目上の人には敬語ってのが基本じゃないかと」
「そうね、まぁ、じゃあ行きましょうか兵助君」
「あ、はい」
エミリとの別れを告げた後、俺は四方教授につれられるまま入門ゲート横にある扉へと向かい、屋内に入った。
屋内は少しひんやりとしてた。何も物がおかれていない廊下を歩きつつ、心地よい空間を歩くこと数分、殺風景な廊下にようやく扉というものの存在が姿を現し、その扉の前で四方教授は立ち止まった。
下手すりゃ異世界にでもまよいこんでしまったかと思える状況にドキドキしていたから、突如現れた扉に俺は少し安心した。しかし、安心したのもつかの間、扉の掲げられたプレートによって俺の安心はすぐにどん底へと叩き落されることとなった。
「第一実験室」扉のプレートにはそう記されていた。その五文字に脳内では拘束台にドリルやらメスやらチェンソーやらと物騒な想像でいっぱいになった。
いや、椅子に縛り付けられて電流を流されるというのも・・・・・・いやいや、まさかそんなことがあるわけない。
「ま、まさかとは思いますけど、解剖とかされないですよね?」
恐るおそるそんな言葉をつぶやいた。
すると、四方教授はまるでフクロウのように首だけを向けてきた。不気味を通り越してもはや人間業に思えない四方教授の行為に戦々恐々としていると、志方教授は不気味な笑みを浮かべた。
「うふふ、兵助くんは解剖されたいのかしら?」
「い、いや勘弁してください」
「へー、解剖されたいのかぁ」
「ちょ、ちょっと、怖いこと言わないでくださいっ、それに誰も解剖されたいなんて言ってませんよ」
「うふふ冗談よ、解剖なんてしないから、さぁ安心して入って」
「は、はぁ」
不安要素の残る四方教授の笑顔に警戒しつつ、部屋に入ると、そこには椅子が一つとそれに寄り添うようによくわからない機械がおかれているだけという、なんとも殺風景な部屋だった。
すると、四方教授がその一つしかない椅子に座るよう促してきた。
俺は指示通りは椅子に座り、あたりを見渡していると、正面には大きなガラスが張られていた。そして、そのガラスを隔てた先には、まるで俺を観察するかのように一人の女性研究者がじっと見つめていた。
なるほど動物園の動物たちはこういう気分なのか、これはなかなか気分の悪いものだ。
そう思いながらこちらも正面の女研究者を見つめていると、彼女はなにやら顔を歪めたかと思うと、いそいそとその身を隠した。
その相当な慌てぶりに、近くに置かれていたであろう紙やら、なんやらが舞い上がっている様子が伺えた。
「だ、大丈夫なんでしょうか・・・・・・」
「ん、なにがどうしたって兵助君?」
四方教授は不思議そうに俺の顔を覗き込んできた、そして、彼女の手には数多の機械やら線が絡みついており、さながら捕虜にでもなっているようだった。
「い、いや、何でもないんですけど、そのごっちゃになった線はなんですか?」
「あぁ、これからテストをしようと思ってるんだけど、これがなかなか厄介でね」
四方教授は必死に腕に絡みついたコードをほどいていた。
「ところでテストってなんですか?」
「入国審査みたいなものね、あなたに本当にギフテッドとしての才能があるかどうか確かめるのよっと、あともう少しよー」
なんだかワクワクとした様子の四方教授、その笑顔が最近見たホラー映画に出てきたマッドサイエンティストにそっくりだったことを思い出した。
「ち、ちなみにですけど、もしも、ギフテッドとしての才能がなかった場合はどうなるんですか?」
「勿論、強制送還よ、ここはあくまでもギフテッドのための場所だから容易に人の出入りが許されていないのと、へへへ、ほどけたわよぉ」
その笑顔は、先ほど解剖がどうのこうの言っていた時と同じ笑顔であり、少なからず恐怖を抱いた。
「へ、へぇ、そうなんですか」
「大丈夫よ、あなたにはちゃんと才能があるって聞いてるから強制送還はないわ、たぶん」
「たぶんですか?」
「あぁいやいや何でもない、ほら心配しないですぐに終わるから」
そういうと、四方教授はまるで俺の頭を抱きしめるかのように腕を回してきた。
そして視界に広がる四方教授の胸元。俺はそんな光景にたまらず目をつむった。布がすれる音と、四方教授のなまめかしい吐息、さらには脳がとろけそうな甘くて良い香り、それらが組み合わさり、俺の心にはもやもやとした気持ちがあふれてきた。
ただ、そんな中「スンスン」とまるで犬がに匂いをかいでいるような音が聞こえて来ており、俺はそれだけが不思議で仕方なかった。そして、そんな疑問を抱くことで何とか理性を保っていられたのも事実であり、俺の意識はすっかりその「スンスン」という音に集中していた。まるで犬の鼻息のような、そんな不思議な音。
「あら、兵助君なんだかいい香りがするわね」
「え?」
どうやら四方教授は俺のにおいをかいでいたようで、どんなことを 言いながら相変わらず鼻を鳴らしていた。
「いや、なんかすごくいい香りがするなって思ってね」
「そうですか、実は俺もすごくいい匂いがするなぁって思ってました」
まるで、匂いをかげといわんばかりに目の前まで来ている四方教授の匂いは俺の鼻孔を支配した。
「うふふ、私の匂いじゃなくてもっと違ういい匂いよ、うーん、何の香りかしら?」
「俺ですか、俺は香水なんてつけてないですよ?」
「そう、でもとってもいい匂いがするんだけど?」
「シャンプーとかそんな匂いじゃないですか?」
「うーん、そうなのかなぁ、とにかくすごくいい匂いよ」
そういうと、機械を取り付け終えた様子の四方教授はまるで俺の体をかぎ始めた。
「ちょ、ちょっと何やってんですかっ」
「いや、研究者としてこの匂いの根源を確かめたくて」
「や、やめてくださいって、早く能力テストとやらを始めてくださいよ」
「あぁ、それもそうね、始めるわ」
その移り気の速さに助けられつつ、俺の頭にはたくさんの機械が取り付けられているのに今更気づいた。
「じゃあ兵助君、ちょーっと待っててね」
「あ、はい」
そういうと四方教授は部屋を出た。
部屋の一人取り残されると妙に不安な気持ちがあふれ出し、今にもこの部屋を飛び出したくなった。ただ、四方教授の残り香が俺を少しだけ安心させてくれた・・・・・・いや、別に匂いフェチとかそういうのじゃないはずだが、いい匂いってのはだれもが安心するものだろう。
そして、今度は正面の大きなガラス越しの部屋、女性研究員らしき人物がいる部屋に四方教授は現れた。
二人は何やら俺のことを見たり、あっちこっちに目をやっている様子を見せながら、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃと口を動かしている様子がうかがえた。
そんな二人の表情は先ほどまでの気の抜けたものではなく、それこそ研究者の様な真剣でまっすぐな目をしていた。
そんな研究者モードの二人の会話がしばらく続いた頃、四方教授が突然俺に笑顔を見せてきた。
そして、彼女は部屋を出て再び俺のもとへとやってきた。勢いよく扉が開かれると四方教授はにこにこと笑いながら俺のもとにやってきた。
「な、何ですか?」
「兵助君、合格」
そうして四方教授はなぜかピースして見せた。それがまるでカメラを前にした無邪気な子どものようで、彼女の教授という役職に疑問を抱いた。もしや、ただ白衣を身にまとっているだけの詐欺師だったりしないだろうか?
「俺は合格なんですか?」
「そうよ、ありがとう兵助くん、テストはもう終わり」
なんともあっさり終わるものだ、こんなことで重要なことわかるものなのだろうか?
「え、あ、もういいんですか?」
「えぇ、あなたは確かにギフテッドとしての才能がありました、おめでとうございます、ぱちぱちぱちー」
「そ、そうですか」
「えぇ、歓迎するわ、ようこそギフトガーデンへ」
「え、あぁ」
わざとらしい拍手をする四方教授だったが、歓迎されること自体はさしていやな気分ではなかったし、むしろ、歓迎されていることに驚きと感動を覚えていた。
「あら、あまりうれしそうじゃないのね」
「いや、うれしいっちゃうれしいですけど、なんというか・・・・・・・」
そう、嬉しいのは確かだ、だが俺の脳内では「後天性ギフテッド」という言葉と「不安」という言葉、それから「良い匂いね兵助君」という単語がせめぎあっており、いまのこの状況を素直に喜べる状態ではなかった。
だからこそ、ギフテッド認定を受けてギフトガーデンとやらに入ることが許されたのは喜ばしいことだが、そう簡単に喜べるものではなかった。
「どうしたの?」
「いや、いろいろ急すぎてついていけないというか、なんでこんなことになってんのかなって思ったりして」
「そう、でもね兵助君、ギフテッドは世界中の人間からしたら憧れの対象なのよ、もう少し喜ぶべきだと思うけど?」
「いや、そうじゃなくて、なんというか実感がないというか俺は普通の人間として今まで生きてきたもんですから突然ギフテッドって言われてもあんまり素直に喜べないというか、よくわかんないんですよ」
「あぁ、そうね、いきなりだったものね」
「はい」
「まぁ大丈夫よ、いくらギフテッドといっても基本的にギフテッドはあなたと同い年の子たちばかりだから、上手くやっていけるわ」
「そうですかね?」
「そうよ、だからそんなに気負わなくても今まで通り過ごしていけばいい、ちょっとばかし環境は変わっちゃうけどね」
「そうっすかね?」
「そうよ、安心しなさい、あなたはちょっと変わった普通の高校生」
そういって、四方教授は笑顔で俺の肩に手をおいてきた。その笑顔がなんとも安心できる朗らかな笑顔であり、俺は少しだけ肩の荷が下りたのか下りなかったのかわからなかった。
ただ、普通の高校生でいいという言葉に俺は何よりも安心を覚えた。
「そ、そうですよね、普通に普通の高校生でいいんですよね」
「そうよ安心しなさい、私たちも兵助君のサポートをするから」
「はい、ありがとうございます」
「うむ」