表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

rotoio人外ものシリーズ

狼の神子と兎の騎士

作者: riki

 スーツに着替えて「さあ出勤するぞー」とドアを開けたら、どこでもドアでした。

 頭がおかしいわけじゃなくて、ホントに! そこに広がっていたのはアパートの狭い廊下ではなく、白い石床だった。だだっ広いその床一面に朱色で見たこともない文字と記号が描かれ、これまた白いローブを着た十人ほどの人間が私を注視していた。

 私って動物的本能がないんだなー。見知らぬ光景に人間ときたら、怖気づいて後戻りするでしょ? 間抜けなことに私は一歩踏み出していた。まあ外に出ようとしていた勢いもあったからなんだけど。

 パンプスが床に触れた瞬間ドアノブの感触は消え、私は「ドアを開けた瞬間」と題名がつくパントマイムみたいな格好で立ち尽くした。


「○○××▽△」


 日本語ではない何かを誰かが言った。

 それが合図だったように、背後でパタンとドアが閉じられたような音が聞こえたのは幻聴だろうか。

 無情にも、こうして私は異世界に召喚されてしまった。



 異世界召喚ってさ、こう、勇者とか聖女とか、あるいは魔王とか。

 それでなくても王様の花嫁候補とかあると思うんですが。


「ええと、もう一度言っていただけます?」

「天敵の神子としてお呼びいたしました」

「テンテキ……点滴? 私は看護師じゃありませんし。天敵? あなた方コスプレしていらっしゃいますが、人類でしょ。人間でしょ。私は人肉食べたりしませんよ」

「コスプレではございません。この耳は自前です」


 翻訳コンニャ、キャンディーをペロペロしてから意思疎通が図れるようになった神官さんは、プルプルと茶色のウサミミを揺らした。短くみっしり生えた毛はさぞかし冬場に需要がありそうだなーと眺めていたのだが、本物でしたか。


「それは失礼しました。召喚という非現実的な体験をして取り乱していたようです。身体的特徴をあげつらって人外扱いはいけませんよね」

「わかっていただけましたか。人外とおっしゃいますが、神子とて同じお姿ですからね」


 渡された手鏡には見慣れた顔と、その上に見慣れぬブツ。ぎょっと目を瞠った感情につられるように三角形はピンと立ち、黒い毛がぶわっと逆立っている。

 黒髪に黒耳だから同化している――と思える奴がいたら、そいつは頭がどうかしている!!


「な、なんですかこれ」

「天恵です。神の恵みが我らに注がれている証ですよ。この世界の人間ならば誰もが頭に持つものです」


 誇らしげに神官は語り、周りの神官たちもケモミミを揺らして同意している。

 天恵……だからあなた方は人間の耳がある上に、ウサミミがあるんですか。体の器官じゃなくてオプションなんですね。


「この世界には人間に天恵を与える三柱の神がいます。ウーの神は天恵として、わたくしのように兎の耳を人々に与えられます。よって我らは《ピョンの民》と呼ばれます」

「ちょっ! ちょっと待ってくださいっ、今ルビおかしくなかったですか!?」


 ピョンて! 名前じゃなくて動作だよね!? 変だと思わないのかこの世界の人間は!

 私のツッコミはウサミミの横に並んだ神官が口を開いたことでスルーされた。彼の耳には三角のケモミミがある。


「そしてわたくしはネーの神によって天恵を与えられし、《ニャーの民》です」

「……もういいです、猫なんですよね要は」


 反論しかけたネコミミを片手で制し、進み出た神官の頭には猫よりも細長く先の尖ったミミがあった。

 パッと見ではわからない。このケモミミは何だろう?


「最後に、わたしはウマーの神から天恵を与えられし、《ヒヒンの民》です」

「一人可哀想なのがいる!? まんますぎるから考え直した方がいいって!」

「我らは一番数が少なく、貴重な民ですよ」


 ウマミミの神官は不愉快そうな顔をした。

 でもさ、神の名前から民の名前までアレなんだけど。どうなってるのこの世界のネーミングセンス。

 一人アウェーの私は「ウマー神に対する侮辱ですよ」とちくちく嫌味を言われて「スミマセン……」と謝るはめになった。


「それで、天敵の神子とはなんですか」

「私たちの世界では、ウー神、ネー神、ウマー神、三柱のバランスがとれてこそ世界が安定します。しかし、それぞれの神によって天恵を与えらえる人数に偏りがあるのです」


 ちょっとわかる気がする。子どもの数に比例しているんじゃないだろうか。

 兎は多産だというし、馬の四つ子五つ子とか聞いたことないし。


「今はウー神の天恵が多く、ウマー神の天恵が少ない。天恵の偏りは気候の乱れや農作物の収穫などに影響します。そこで我らはオーの神の天恵を与えられし存在、あなた様を召喚することにしたのです」

「オーの神って?」

「ウー神の天敵とされる神です。なぜかオー神はこの世界の人間には決して天恵を与えられない。オー神の天恵を受けられるのは異なる世界から来た人間のみと決まっているのです。オー神の天恵をその身に現す者がいれば、ウー神の天恵は少なくなります。古来よりそのようにして天恵の偏りを調整してきました」


 つまりバランスを調整するために必要な天恵は、異世界の人間にしか与えられないから呼び寄せた、と。


「どうして神子が私だったんですか?」

「神のおぼしめしかと。……わたくしの推測でよろしければ、御髪の色が関係しているのかもしれません」


 ええ? 黒髪だからってこと?

 それなら地球上に五万といるじゃないかと理不尽な思いがこみ上げる。ていうか、黒髪だから選ぶってどんな神様だ。


「オー神って何の神様ですか? ネコ、イヌ?」

「オー神は、その咢は半日で昼を喰い尽くし、一夜で世界の半分を駆ける四肢を持つという漆黒の獣。オー神の天恵を持つ存在を、わたくしたちは《ガブリの神子》と呼んでいます」


 ……なんか一周回って格好良く思えてきた気がする、そのセンス。

 オー神、黒い狼の神様ね。オッケー、飲み込めました。


「で、私は何をすればよくて、どうしたら元いた場所に帰してもらえるんですか? 報酬はいくらぐらいですか? あと、待遇の保証も!」


 召喚されてしまったものは仕方がない。自分で帰る手段がない以上、変に逆らったりごねたりせずに、協力して貰える物をもらってさっさと帰りたい。

 私の思いは通じたようで、神官たちは帰す方法はありませんなどと言うこともなく、具体的な条件を上げてくれた。

 神子としての仕事はなく、この世界にいるだけでいいという、息を吸って吐くだけの簡単なお仕事です。

 報酬は金一山でいいかと聞かれ、よく聞くと金鉱山一山で「持って帰れるか!」と金塊一山に変えてもらった。

 待遇は国賓としての扱いをしてもらえるらしい。基本的にどこでも自由に出入りでき、身辺警護のために護衛騎士もつけてもらえるらしい。

 期間は未定。世界規模の人口調整だから一年や二年では終わらないらしい。

 この条件だけは悩んだけど、私が日本に帰るときには元いた場所、元いた時間、元の年齢まできっちり戻して帰してくれることで判をつくことにしました。

 普通のOLであれば夢でしか叶わない、海外、じゃなかった異世界ロングバケーションができるわけですよ、しかも日本に戻っても年は取っていないというオマケつき。こんな美味しい話はない、グリコを超えたね!


「護衛っていうのは必要なんですか?」

「お恥ずかしいことに数の多さを種の力ととらえる愚か者がおりまして。《兎の民》が減ることを良しとしない勢力が、神子を害そうとするかもしれません。もちろんそんな真似は決して許しませんが、備えあれば患いなしと言いますから」

「私がいることによって、出生率が変わってくるということですか?」


 強制的不妊なんて悲惨な事態に関与するぐらいなら今すぐ帰りたいと思っていたら、ウサミミ神官は驚いた顔で否定した。


「いいえ! 神子の天恵は人の生死を左右するものではありません。ウー神の天恵が少なくなるかわりに、ネー神やウマー神の天恵を与えられる子どもが増えます。数の偏りをなくすことが世界の調和を保つことだというのに、まこと愚かな連中です」


 物見遊山で色々行こうと思っていたけれど、異世界観光は神官に相談してからの方が賢いようだ。




 ++++++++++




「はじめまして、《ガブリの神子》様。わたしはサイラス・ラビットファーです。本日より神子様付きの騎士としてお仕えいたします。卑小な我が身ではございますが、身命を尽くし、ご帰還まで神子様をお守りいたします」


 名は体を表すイケメン来た!

 召喚から一夜明け、モソモソ朝食を終えた私の前に跪いたのは、神官たちが護衛にとつけてくれた神殿騎士だった。

 淡い金髪はすっきり短く刈られ、キリリと凛々しい眉の下には澄んだ青い瞳。少し厚めの唇がセクシーで、かっちり着込んだ騎士服は鍛えられた体にフィットして筋肉がね、ムキムキじゃなくて細マッチョ。脱ぐとすごいんですか? それに加え、やばいのが頭の上にあるモノ。真っ白でふわふわなウサミミとかどんなギャップ萌えだ!?

 笑える。いや、ラブリー。顔だけ見れば近寄りがたいなーという厳めしい系なのにさ、可愛いとか思えちゃうの。

 ダメだ。私はこの世界に馴染めそうにない。


「私の名前は丹後たんご観月みつきです。観月って呼んでください。こちらこそ、よろしくお願いします」


 小学校時代のあだ名はお察しの通り、月見団子でしたよ。名前は気に入ってるんだけど、そこはつなげちゃいけないでしょお父さん!

 サイラスさんは「神子様を御名でお呼びするなど」と困った顔で名前呼びを辞退してきた。


「神子と言ったって何かしているわけでもありませんし。居るだけで意味はあるんでしょうけど、私自身は実感もありませんから普通に接してもらえた方が嬉しいんです」

「そういうわけにはまいりません」

「職務上そうですよね……」


 騎士というからには厳しい訓練を経て、己を磨き律してきた人なのだろう。

 わがままも言えないかなあと肩を落とすと、「神子様のご命令とあらば」とか折れてきて、いや、命令とか重いんですけど。

 でも。

 誰かが名前で呼んでくれるなら、私は自分を見失うことなくやっていける気がする。

 「……命令ってことにします」と呟いた声は我ながら情けないものだったけれど、サイラスさんは引き結んでいた唇をゆるめ、「承知いたしました、ミツキ様」と胸に拳を当てて頭を垂れた。



 翻訳ペロペロキャンディーはいい仕事をしてくれたから、この世界の文字も読めます。

 私は殺されるかもしれないと聞いて、ノコノコ出歩けるほど強心臓は持ってません。なんせ天敵の神子は生きていればどこで何していてもいいらしいので、大人しく神殿の図書室に入り浸っていた。

 神殿って想像と違って、お堅い神話以外にも俗世の娯楽本が山ほどあった。童話はいいよ、神話もこのジャンルだし。冒険小説は英雄譚みたいなものだし、恋愛小説もいいけどさ。エロ本を置くのはいいんですか、ねえ? 女性の入浴シーンはヴィーナスとか絵画でくくれるとしても、官能小説やエロ漫画は完全アウトじゃないの。どうなの。

 知らずに十八禁コーナーに入ったとき、サイラスさんが言葉を濁しながら止めてきたけど、濁されてたからわからなかった。表紙には「男性とは何を思う生き物か」「女性は海なり、すべてを受け入れる母なり」、と云々書いてあって、何冊か暇つぶしに借りて帰って目を剥きましたよ。

 サイラスさんに「違いますから!」と涙目で釈明して、「わたしがご説明申し上げなかったことが原因です!」と、二人して謝罪合戦したのは生温かい思い出です。


「どうぞ、ミツキ様」


 ソーサーが音もなく視界の端に現れる。私だったらガチャンとかゴトッとか音を立ててるだろうな。所作は言うまでもなく、入れるお茶の味まで文句なしのサイラスさんは護衛以上の存在だ。

 図書室の本選びから自室への運搬まで手伝ってくれ、ティータイムには手ずからお茶を入れてくれる。お茶請けは厨房で作られた物だと聞いて逆にホッとした。料理もできたらパーフェクトすぎて畏れ入るしかない。

 週に一回という彼の休日は別の護衛騎士がつくけれど、ほとんど出歩かず迷惑をかけないようにしている。サイラスさんになら迷惑をかけていいと思っているわけではなく、彼が「どこでも付き合います」と私に甘い顔を見せるのだ。

 私、サイラスさんに甘やかされまくっています。


「夢中になられるのもよろしいですが、少し休憩も挟みませんと、お疲れになりますよ」

「はい……」


 集中すると時間の感覚がなくなるから、バキバキに凝った腕と肩に泣かされたのはつい先日のことだ。

 思い出しても恥ずかしい。サイラスさんがマッサージをしてくれたのだ。剣を握る人らしい節くれだった手は驚くほどに繊細に肩に触れた。筋肉の凝りをほぐすことは職業から慣れていますので、と断りを入れて触れてきた指は気持ちよすぎて、別世界に連れていかれそうになった。ヨダレ垂らして眠りこけるのはマズイと自制していても、カックンカックン船をこいでしまう戦慄のテクニック。

 醜態はさらすまい。大人しく栞を挟んで、カップを手に取る。

 美味しいなあ。自分では見えないけど、きっと頭の上のオオカミミミもリラックスしてへたれてることだろう。


「やはり早期のご帰還を願って、歴史書を調べていらっしゃるんですか?」

「いえ。ある程度の年月が必要なことはわかっていますから、急いではいません。過去の神子はどこから来たのかなと思って調べていたんです。はっきりとは書いてないんですが、同じ世界からかなーという記述が見つかりました」

「それはどのような?」

「芋を薄くスライスしてパリパリに揚げて塩をふって食べるのが好きだったとか、他愛もないことですけど」


 これポテトチップスだ、絶対。干した海藻をかける趣味って、のりしお食べたかったんじゃないの? 一度だけスープに浸けたことがあるって、コンソメパンチはそれでは無理でしょ。パンチ効いてない。

 この世界の人が奇妙に感じたからか、異世界人の食の記述は多かった。


「歴史書にそんなことが書いてあるんですか」

「はいっ! ちょろっとだけですけどね!」


 興味をひかれた様子で本を覗き込もうとしたサイラスさんの不審をかわない程度にさりげなく、歴史書を遠ざける。

 偉人の顔にヒゲを足すとか、真面目な教科書に悪戯したくなる気持ちはよくわかる。でもページの端にパラパラ漫画でナニの勃起から発射まで描いた精神年齢中学生は爆発しろ。


「わたしは見ない方がよろしいですか」


 さりげあったみたいです。

 苦笑いのサイラスさんはウサミミもへろりと垂れている。

 私は首をブンブン振りながら、「そういうわけじゃなくて、本にラクガキがありましてですねっ」と口ごもると、そっと本を取り上げた大きな手がパラパラとページをくった。あぁー……。

 こんなことか、というように眉根を解いたサイラスさんは「可愛いですね」とポロリとこぼした。

 ナニが? ……サイズが?



 この世界に来て、三か月経つわけですが。

 困ったことになってしまった。

 衣食住が保障されてて毎日のんびり過ごしてて、イケメンの護衛もいて、暇つぶしに娯楽本を読んでいるだけの私に困ったことなんてないだろう?

 それがあるんです!

 困っているのはサイラスさんにだ。

 彼は真面目で仕事熱心で、あれこれ聞いても嫌な顔一つせずに答えてくれるこの世界のガイドさん? 飲み物まで運んでくれるからもうウサギの執事さん? というぐらいに私の生活に欠かせなくて大切な存在なんですけど。

 転んで膝擦りむいたときにお姫様抱っこで治療室に運んでくれたこととか、ホームシックにかかって大泣きしていた時に泣き止むまで辛抱強く傍にいてくれたこととか、こんな優しくしてくれるなんて、惚れてまうやろー! というか、すでに好きになっちゃってるんですけど。

 一日のほとんどを二人っきりで過ごして、困ったことがひとつ。


 彼、めちゃくちゃいい匂いがするのだ、垂涎ものの!

 フェロモンなの? イケメンのいけないお色気フェロモンなんですか!

 サイラスさんが傍にいるとふんわりといい匂いがして、無意識に嗅いでいる自分に気づいて落ち込むこと数百回。じゃあ離れたら、とそれは恋する乙女心が引き裂かれてしまうからできません。

 傍にいたいのに、近くにいるとクンクン鼻を鳴らしそうな自分がコワイ。時すでに遅く、気づかない内にやってるかもしれない自分がさらにコワイ。もっともっと近くで匂いを嗅ぎたい。思いっきり抱きついて彼の胸に鼻を埋めたいとか、変態チックな思考に支配されて本の内容なんか頭に入らないし! 思春期の男子ってこんな気持ちなの!?

 日本に居たころはこんな残念女子じゃなかった。お一人様だけど、理性と分別はあったはずなのになー……。

 以前彼が神官と交わしていた会話で偶然恋人がいないと知って、気持ちに歯止めがかからなくなってしまった。フリーならアタックしちゃっていいのかなという欲望が日々つのっていく。


「ミツキ様は最近お元気がありませんね」

「そんなことないですよ」


 男なら「違うところが元気いっぱいで困っちゃって」とか冗談まじりに言えたのかな。いくらなんでもそれはないか。

 わたしでよければ相談に乗りますよ、とか気遣いを見せないでください。相談はいいからあなたに乗りたいですと口走りそうな自分を押さえるのに必死なんですから。


「体調はいかがです? ――熱はありませんね。喉の痛みは?」


 額に置かれた手にピキーンと身体が固まった。ややあって下へ降りた指が触れるか触れずの距離で喉元に留まる。

 一気に頭に血が上り、顔が熱くなった。


「や、やっぱりちょっと熱っぽいみたいです! すみません今日は休みますね!」


 ベッドに駆け込んだ私は頭から布団をかぶって丸まった。

 あなたにお熱なんですよ。惑わせないでくださいよ。



 悶々と夜も寝られない日々が続いたある日、見かねたのかサイラスさんがウサミミ神官を呼んできた。

 相談の内容がアレなので、サイラスさんに席を外してもらい神官と話をする。

 体調が神子としての使命が重圧でウンヌンというまどろっこしい私の言い訳を、「それで、率直にお話いただくと問題は何ですか?」と一刀両断された。三か月も経つと性格って案外見抜かれてしまうものらしい。仮面のような淡い微笑で告白を促す相手に観念して、サイラスさんへの思いを吐き出した。

 私が話すにつれて、神官の表情が「馬鹿らしい」と言わんばかりに白けていくのが納得いきません。こっちは真面目に相談してるんですよ。


「……これは恋でしょうか?」

「そうですね。食欲に似たものですが」

「どうしてあんなにいい匂いがするんでしょう」

「《狼の神子》よ、彼が何の民であるか考えれば不思議なことではありません」

「サイラスさんの匂いを嗅ぐと身体の中心がキュ~っとするんです」

「胃ですね」

「サイラスさんの傍にいると我慢できない気持ちになって」

「飢餓感ですね」

「仕事が終わって帰っていく後ろ姿を見つめていると、胸がドキドキして身体が疼くんです」

「狩猟本能ですね」

「私はどうしたらいいんですか?」

「襲ってしまえばよろしいのでは。騎士ですから、本当に拒む気があれば神子を止めるでしょう。そうでなければ」


 ――両想いでしょう。

 神官はそう言うと、「玉砕されたら、騎士の変更もいたしますので」と不吉な一言を残して去って行った。




 ++++++++++




「それではミツキ様、わたしはこれで失礼いたします。よい夢をご覧ください」


 夕食もお風呂も終わり、あとは寝るだけの時刻。

 私は毎晩お決まりの台詞で退室しようとしたサイラスさんの腕に飛びかかっ、縋りついた。


「帰らないでください、サイラスさん。ここにいて」

「何かご用がおありですか?」

「おありです! すっごく大事な用です! だからここに座ってくださいっ」


 私は必死に彼の腕を引っ張り、ソファーへと誘う。もちろん私の腕力では一ミリたりとも動かせなかったけれど、サイラスさんは素直にソファーに座ってくれた。

 私もその隣に腰を下ろす。密着最高にやばい。ちょーいい匂いがします。


「わたしでお役に立てることがあれば」

「話を聞いてくれるだけでいいんです!」


 心臓がエンジンなら300キロは出るスーパーカークラスでフル回転です。ドキドキを通り越してドッドッドッドッだ。顔が真っ赤なのはこの際仕方がないとして、鼻息が荒くならないように気をつけないと。


「わたしがミツキ様のためにできることはそう多くありませんが、何なりとお申し付けください」

「用事じゃありません。サイラスさんにはいつも本当に良くしていただいて感謝しています、って、そういう話じゃないんですっ」


 日本人気質で頭を下げたところで我に返った。

 日頃の感謝を伝えるのは大事だけど、私は告白をしたいのだ。勇気が残っているうちに、胸いっぱいに息を吸い込んだ。女は度胸っ、勢い前のめりでゴー!

 サイラスさんの手をギュッと握りしめた。


「すっすすすっ好きです! 私、サイラスさんのことが好きなんです!」

「……ミツキ様が、わたしを?」


 青い瞳は驚きに丸くなっていた。ウサミミがフルフルと揺れている。


「はじめは格好良い人だなーと思っていただけでしたが、一緒にいるうちにサイラスさんが気になって。お仕事中だから本を読めないサイラスさんは、図書室通いなんてつまらなかったでしょう? でも嫌な顔一つせずに私に付き合ってくれたじゃないですか。この世界のことを何ひとつ知らないから、不安だったんです。なんで?どうして?って、私、小さい子よりも鬱陶しい質問魔でしたけど、呆れることもなく教えてくれましたよね」

「それは当然のことですよ。ミツキ様は異なる世界の神子様ですから」


 教えるのは仕事の一環ってこと? でも一から十まであれこれ尋ねてくる人間に付き合うには忍耐が必要だ。元来辛抱強い性質なのだろうが、笑顔で丁寧に教えてくれたサイラスさんはやっぱり優しい人だと思う。


「お茶を入れてくれたことも、マッサージをしてくれたことも、泣いた私に付き合ってずっと傍についていてくれたことも、サイラスさんのお仕事だったのかもしれません。でも、私は嬉しかったんです」


 辛い目にあったわけじゃない。神官たちも丁寧に接してくれたし、衣・食・住と賓客のもてなしを受けている。不満はなかったけれど、神子としてじゃなく、私個人を気遣ってくれる人はサイラスさん以外にいなかった。


「護衛の対象から言われて迷惑だと思います。黙っていたら困らせることもないんでしょうが、どうしてもこの気持ちを告げたくて……知ってほしくて。自分勝手な女ですよね、本当にすみません」


 全部言い終えたらガス欠になった。冷静になると、私は彼より身分が上になる。そんな女に好意を打ち明けられたら、脅迫になるんじゃないだろうか?

 ちらりと仰ぎ見た顔は無表情で、間違っても楽しそうには見えない。


「も、もちろん私の一方的な思いですっ。サイラスさんに何かしてほしいとかはありませんので! こっ告白できただけで満足ですから!」


 好かれたいと思ったわけでは、いや、正直思いましたけど! だからといって告白して嫌われたくない。護衛を外れちゃったらどうしよう?

 今さらながらの後悔に青ざめていると、サイラスさんがふうっと溜息を吐いた。


「ミツキ様は、わたしに何も求めるものはないということですか? ご自分の気持ちを告げられただけでよいと?」

「はい…まあ……」


 ううん? 何やら雲行きが怪しいような。

 いつも穏やかな声しか聞いたことがなかったですが、低い声で囁かれると凄味があります、よ?

 ずっと握っていた彼の手をそろりと放すと、あっという間に掴み直された。握られた指と指の間に節ばった長い指が差し込まれ、いわゆる恋人つなぎにかわる。


「わたしの気持ちを尋ねてはくださいませんか。ひどい人だ」

「ひどいって、そんな……」


 頭上のラブリーアイテムは威圧感を全く軽減していない。ピンと立ってピクピクと動いているのが不穏なんですけど。

 私の頭上のオプションは絶対伏せられているはず。心臓がさっきと違った意味で鼓動を速めているし。


「ミツキ様は歴史書を調べられますが、わたしたちこの世界の人間についてはほとんどお尋ねになりませんでしたね。興味をお持ちではなかった?」

「そんなことはありませんっ」

「そうですね。神官が杞憂だと申し上げたようですが、やはりオー神の天恵の効果が気になるのでしょう? 天敵の神子がもたらす影響は悪ではありません。それは歴史が証明しています」


 見透かされている。洞察力も騎士に必須というのなら、サイラスさんは有能だろう。


「ですがわたしは、貴女が歴史書ばかりを選ばれるのが辛かった」

「わかってます。どれもこれも重いですもんね。いつも運んでもらってありがとうございます」

「わかっておられませんね。歴史書で貴女が目を輝かせてわたしにお話しくださるのは異世界人のことばかりだ。早くこの世界を去りたい、そうお考えなのでは?」

「全く考えないといえば嘘になりますけど、私で力になれることがあれば協力したいと思っています」


 救世の神子だと己惚れるつもりはさらさらないけど、必要とされている間はこの世界にいたい。私の思いを黙って聞いていたサイラスさんは、「限られた時間ということですね」とどこか投げやりに言った。


「限られた時間と言っても、いい加減に過ごすつもりはありません」

「ではこの世界について学ばれる気があるということですね?」

「教えていただければ……」


 スパルタで補講してくれた数学の教師を思い出した。無意識に公式を口走るレベルまでどっぷり数学漬けにしてくださった先生、あなたの人の悪い笑顔が今のサイラスさんと重なるのはなぜでしょう。


「では手始めに。わたしもミツキ様をお慕いしております」

「へ?」


 唐突に告白の返事をもらい、私は事態が呑み込めずにパチパチと瞬きをした。


「《狼の神子》の護衛を命じられたとき、単純に実力を認められたのだと喜びました。ですが、貴女の傍にいるうちに名誉よりも幸運を喜ぶようになりました。神子を守り、世話を許された我が身の幸運を。しかし、いずれお帰りになる方だというのにわたしは心惹かれてしまった」


 苦しげな声音に、「私だって……」という気持ちがこみ上げる。

 理屈で感情が抑えられるなら、彼を見ているだけで満足できただろう。


「いつか帰ってしまうとしても、サイラスさんを好きにならずにはいられませんでした」

「――まったく。貴女という人は」


 つないだ手がゆっくりとサイラスさんの方へ引き寄せられる。両腕を開くように引っ張られ、鍛えられた胸板が目の前にある。パッとつないだ手が離されたと同時に私は抱きしめられていた。背中に回された腕は力強く、身じろぎする隙もない。

 あわてて上を見ようにも頬擦りするように顔を寄せられ、うわ、わわわ、超、展、開! 彼の髪が触れて頭上のミミがピコピコ無意味に動いているのを感じる。

 スーパーサプライズですけど、心臓破れそうにドキドキしてます!


「あのっ、サイラスさん……!?」

「騎士の仕事は護衛です。ミツキ様の身を守ることは職務の内ですが、茶の支度や体調管理は下働きと神官の仕事です。見習い時代に仕込まれた技術がこういった形で役立つとは思いませんでしたが、下働きも神官も貴女に近づけたくなかった。わたしは狭量な男ですね」


 そういえば、最初はメイドっぽい人がお茶を入れてくれていた。神官が「最近調子はどうですか?」と尋ねてこなくなったのは、「ボチボチでんなぁ!」という異世界ギャグが滑ったからだと思っていたのに。


「貴女の告白がわたしにどれほど喜びをもたらしたか、知ろうともしてくださらない。それに、神官にだけお話しされた悩みとは何ですか。彼らにしか解決できないことですか。わたしには打ち明けてくださらなかったのに……妬けて、妬けて、貴女を手酷く問い詰めてしまいそうです」


 軽く食まれたミミに総毛立つ。オプションに神経を通わせる必要ってあるんですか、異世界の神様たち!

 ふにゃりと身体から力が抜けて私は目の前の胸にもたれかかり、あっさり白状してしまった。


「変なことだから言いにくかったんです……。サイラスさんからすごくいい匂いがして、もっと近づいてよく嗅ぎたいなあと思ってたんです。気を抜いたら鼻を鳴らしちゃいそうだし、サイラスさんが帰った後も残り香で悶えられるし、私っておかしいですよね……」


 匂いフェチじゃなかったのにすっかり変質者の態で、顔から火が出そうだ。

 引かれるのを覚悟していたけど、サイラスさんの体は笑っているかのように揺れている。

 腕がゆるみ、ようやく私は顔を上げてサイラスさんを見ることができた。

 青い目はこれまで以上に甘い色で私を見つめていた。


「ミツキ様がこの世界の人間について学ばれていたら、悩みはすぐに晴れたでしょう。我ら三柱の天恵を与えられし民は、意中の相手に対して体臭を変えるのです。とてもわかりやすい証ですよ。特に神子様に対して効き目があると言い伝えられています」

「どんな証ですか?」

「――貴女が好きで、欲情していますという証拠です」


 ウー神の天恵である真っ白なウサミミが目に眩しい。

 外見草食系の騎士様は、がっつり肉食系でした。


 《ガブリの神子》と、兎の騎士。食べられる側だった私は提案します。

 絶対属性反対だよね!? ケモミミ交換した方がいいよ!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ