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終わりに毀れた、その、カケラ。  作者: ヒバマリツ
第5話 雪を抱いて、君と眠る
9/14

01

15:「情けねぇ顔すんな、馬鹿」(いつまでそんな顔してる気だよ?)



切り取られた時間の中で、彼はいつも変わらぬ笑顔を浮かべている。


軍学校の卒業時に撮ったというセピア色の写真に納まる彼は、軍の礼装に身を包み、目深に被った軍帽を少し斜に流して、鍔の下から片頬を歪めるように、悪戯好きの子供のような、それでいてどこまでも男臭い、そんな笑みを浮かべている。

私の知っている彼よりも、少しだけ若い頃の彼。それでもやっぱり、私よりも年上で。


「でも、あの頃よりは随分近づいたでしょう?」


写真の中の彼に向かって問いかければ。

耳の奥で、少し耳に甘いハスキーな声が、ばっかじゃねぇの、と笑った気がした。



■■ 雪を抱いて、君と眠る ■■



彼が私の傍にいた頃、私は彼に軍属だった過去があることさえ知らなかった。

私にとっての彼は、“自分の一番傍にいる人”。それ以外の、何者でもなかった。

常に、自分の一番傍にいるのが当たり前だと思っていた。それが覆されることなど、あるはずがないと信じていた。


――何の根拠もないくせに、子供らしい傲慢さで。




私は元々孤児院出身で、五歳の時に、今の家の娘になった。


別段、ドラマチックな展開が何かあったわけではなく。

何の変哲もないただの孤児が、親切な施設の先生方に面倒を見てもらい、息子ばかりで女の子が欲しかったという仲睦まじい夫婦に引き取られた、それだけの話。


けれど。


彼は、私が引き取られた家の、近所に住まう“親戚”、だった。

そう、互いにどこでどう繋がっているのか、一言では説明できないような曖昧さではあるけれど、私と彼はその時、新しい“親戚”になった。


そんなこと、かつては意識したことさえ、なかったけれど。

今では、自分と彼の間に、どんなに茫洋としていようが、他人からも呼ぶことの出来る繋がりが確かに存在することに、泣きたいほど安心する。


――ただの“親戚”、なんて、蜘蛛の糸よりも儚い関係だって、分かっているけど。






彼は、先天的に体が弱い人だった。

どこが悪いというわけではないのだが、病気になりやすく、一度寝込むと中々治らない。


そして、生まれてすぐに、――短命の宣告をされていた。




彼が、私の傍にいたのは。

私が彼に懐いたせいもあったけれど。


――既に、彼の体がもたなくなって来ていたからだったのだと。


彼がいなくなってしまった後に、初めて、知った。




彼が、軍学校に進んだのは、彼の伯父に当たる人がとても優秀な軍人で、その人の薫陶を受けたのと。

自分自身の可能性を試すためだった、らしい。


実際、彼はとても優秀な成績で軍学校を卒業しており。

その優秀さに目をつけた上層部が、学生だった彼を何度か実際の戦場に連れ出したほどで。

彼が卒業後、軍人にならないことを決めた時は、慰留の声が随分あったのだという。


けれど、彼の体は誤魔化しが効かないほどにじわじわと弱り始めていて。

彼は、誰よりもそれを一番理解していて。

そして。

傍目には驚くほどあっさりと軍への道を諦め、実家の家業の手伝いを始めた。


――そこに、どれほどの葛藤があったのか、なんて、誰にも悟らせはしなかった。


彼は、そういう人だった。




彼が家に常時いるようになった頃、丁度、私が引き取られて来た。

互いの家にはそれなりの頻度で交流があり、まだ幼い私には誰かがついていなければならないのと、彼の気晴らしの意味合いも兼ねての抜擢だったのだろう。

私の遊び相手、という名の子守役は実質彼の専任となった――本人は酷く不満そうにしていたが。


その時、彼は二十三歳だった。






私はとてもお転婆で、彼を疲労困憊させるのが何よりも誰よりも得意だった。

一面に雪の積もった公園で二人きりの雪合戦をして、彼の体力が尽きるまで相手をさせて、粘り勝ちしたり、だとか。

あれは確か七歳の時の話だ。


あの頃はまだ彼も、外で駆けずりまわる私の相手をしてくれていた。


それからほどなく、彼は激しい運動を控えるよう医者に言われ、そのことを聞き知った私の保護者たちが、それとなく私を彼から引き離そうとするのだけれども。

その頃には既に、私は彼に懐き過ぎていて。

彼の傍にいられるなら、大好きな外遊びを封印したっていいと、思うくらいには。


――私は、彼の傍にいることを、望むようになっていた。


それは、まだどんな名前もついていない感情だった。

ただ。


彼と一緒にいたい、と。

ずっと、一緒にいたい、と。


――ただ、それだけを。






     *



「おおきくなったら、およめさんにしてあげる、ね!」


自分の身長の、半分にも満たないような小さな少女が、発した台詞に、素で彼の口は半開きになった。


「――――――…は?」


「きこえなかったの? あのね、わたしがおおきくなったら、ヒューのこと、およめさんにしてあげる、っていったのよ!」


天真爛漫で無邪気そのもの、といった笑顔で見上げられ、彼は「あ――――…」と疲れ切ったような、呻くような声を漏らした。

「…間違ってんぞ、ソレ」

「なにが?」

自分が言った台詞のどこに間違いがあるのか、まるで気づいていない様子の少女に、彼は呆れを隠そうともしない声音で「どこもかしこもだよ!」と言い放つ。

「ええー、どうして? だって、ケッコンしたいあいてのひとには、こういうんでしょう?」

「そりゃ男のセリフだろーがよ」

基本的な事実を突っ込めば、少女はむぅ、と眉根を寄せて考え込む風だったが、すぐに名案を思いついたように顔を輝かせた。

「じゃあ、わたし、おとこになる?」

「なんでそーなる…」


あくまで頓珍漢な答えを返す幼い少女に、ほんの僅かな悪戯心が湧いた。

そこに深い意味など何もない。


――表向き以上のことなど、決して、何も、ありはしない。



「手本、見せてやろうか」



「おてほん?」

こてり、と首を傾ける少女と目線を合わせるように、折った片膝を地面について、彼は小さくて柔らかな手をすくうように持ち上げた。

「そーゆーのはな、こうやってすんだよ。――――愛しいアンネリーゼ、」


その指先に、触れるか触れないかの、淡い口づけを落として。




「どうか、私の花嫁になってくださいませんか――――?」




手本という名目の下に、滲むように湧き出る本心を押し隠した、ままごとのような求婚の言葉を告げれば。

零れ落ちそうなほどに目を見張った少女の頬が、見る間に赤く色づいた。






――この言葉が、こんな公園の片隅ではなく、もっと違う場所で告げられたなら。


どんなにか、良かっただろう、なんて。



――決して、望んではならないことだ。






「ってな、フツーは男が女に言うもんなんだよ。だからお前のはどこもかしこも間違ってんの! 理解したか?!」


乱雑な口調で説きながら、世界の至宝のように捧げ持っていた小さな手をぽいっ、と放り出すように投げ出せば、相手はふうわりと色づいた頬のまま、嬉しそうに笑った。

「だから、わたしがおとこになれば、いいんだよね?」

「オレは女になる気ねーからな……」






例え、十八の歳の差が問題にはならずとも。


彼は遠からず、消えて、しまうのだから――――――







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