後編
「怒鳴らないでよ、それに、最後だなんて言わないで」
縁起が悪いじゃないの。
そう言って顔を顰めれば、正論を言われた相手がぐっと言葉に詰まった。嘘だと断定しながらも、まさか、と思う気持ちもある、分かるわ、それが人間心理よね?
貴方は私が不治の病だと聞いた、そして、それがいつもの嘘だと思った。
だけど、もしかして、ひょっとしたら本当に――?
それを否定したくて、だから私に会おうと思ったのね?
――ああ、それなら分かるわ。
本当、嫌になるくらい、よく分かる――。
「――その話、誰から聞いたの?」
思わせぶりな間をおいて問いかけると、相手は不安げな色を瞳に浮かべて、馬鹿正直に情報源の名前を挙げた。
情報源は、我が家の主治医。
ふむ、それならこれ以上ないくらい、確かな筋の話じゃない?
どうしてそれを嘘だと思ったのかしら?
だけど、――いいの。
私は嘘月姫。だから嘘を吐くの。
一世一代の嘘よ? 絶対失敗なんか出来ない。
この嘘だけは、絶対見抜かれたらいけないの。
「貴方は、それを信じるの?」
含みを持たせて笑顔を作ると相手はキリリと眉を吊り上げた。
「やっぱりですか!!」
私は肯定も否定もせずに、ただ可愛らしく小首を傾げて見せる。このポーズはなかなか人気があるのに、怒ったこの相手には通じない。面白くないわね?
「事もあろうに医師まで巻き込んで、貴女は何をやっているんですか!」
「はいはい、ごめんなさい。私が悪かったわ。だからそんなに怒らないで」
「貴女がそんなだから、私だって怒りたくもないのに怒らなければならないんです!」
叱られたって、右から左に聞き流せば何てことない。慣れれば、何でも出来ないことなんてないのよ。
――だけど、胸が苦しい。
分かってる、貴方に怒られてるせいね、自分の気持ちくらい分かってる。
でも、それだけじゃないってことも、分かってるつもりよ?
この痛みは覚えがある。
あの口の軽い医者が言うには、次の発作が来たら危ないのですって。
――慣れれば何でも出来ると言ったけれど、さすがに死ぬことを回避するのだけは、出来なかったみたいよ?
あなたのお小言を聞き流しながらそんなことを考えている私を知ったら、貴方は卒倒するんじゃないかしら。
嫌だ、可笑しい。
我慢しようと思っても、顔が笑っちゃう。
胸は苦しくて、目の前が暗くなってきてるっていうのに、顔が緩んじゃうわ。
――どうしよう、貴方と一緒にいるせいかしら?
「何を笑ってるんですか、ちょっとは反省してください! 縁起でもない嘘を吐いて!! 貴女が本当に病気なら、私はこの任を断ろうと思っていたんですよ!?」
ええ、知ってる。
あなたは優しい人。私が不治の病だなんてことになったら、きっと、片時も離れず、ずっと傍にいてくれるわね?
胸を押さえて、息を調えて、必死で何気ない調子で言葉を紡ぐ、努力をする。
令嬢と呼ばれる人種として、鍛えられた演技力をここぞとばかりに発揮する。
「なら良かったじゃないの。私の病気が嘘だと分かって。これで安心して国境に行けるわね?」
――お願い、もって。
この赴任は、あなたの出世の第一歩。
それを、そんなことで棒に振って欲しくはないのよ。だから。
「ええ、安心して任務に就くことが出来ますとも!」
その言葉を、聞きたかったの。
騎士として国の役に立つことは、あなたの夢だったでしょう?
「――おめでとう」
この気持ちだけは嘘じゃない。
その気持ちが伝わるように祈りながら笑って告げると、一瞬言葉に詰まった相手が、数拍おいたあと、呆れたような苦笑を浮かべた。
「ありがとうございます」
「嘘じゃないわよ?」
これを嘘だなんて言われたら、いくら私だって泣くわよ?
「分かってますよ」
「本当かしら」
「本当ですよ」
――なら、嬉しいわ。
そこから先は、少し記憶が飛んでいる。
だけど、貴方が不審に思う隙もないくらい、私は無意識でもきっちり振る舞ったらしいわね?
ふふ、それはきっと貴方の目が在ったからよ、って言ったら、貴方はどう思うかしら。
「いつ、出発するの?」
「月明けです」
「もうすぐじゃないの。準備は出来ているの?」
「必要なものは団のほうで用意してもらえます。自分の用意なんてたかが知れてますよ」
「そうね、私たちみたいにドレスが何枚も必要、なんてこともないものね?」
「姫、」
「なあに?」
「――私がいなくても、おとなしくなさっていてくださいね?」
「まるで私が手のつけられない暴れ馬みたいな言いぐさね?」
「そう間違いでもないでしょう」
「まあ!」
「姫、」
「なあに?」
「――私がいなくても、」
「お説教は充分よ?」
「そうではなくて、」
「じゃあ、なあに?」
「――いえ」
「なによ? あ、私に会えなくなるのが淋しいのね?」
「っ、それは姫のほうでは?」
「あら、私は平気よ? むしろ清々するわ!」
――ああ、そんなの、嘘よ。嘘。
私の言葉はどれもこれも嘘ばかり。
――本当、笑っちゃうわ。
「――あ、ねえ、ちょっと、」
部屋を出て行こうとしていた相手を呼び止めて、私はニコリと笑った。
「貴方に会えて、本当に良かった」
嘘じゃないのよ、これだけは。
本当に、本当なの。信じては、もらえないかもしれないけれど。
「はいはい、それは光栄です」
相手はやっぱり信じなかったみたいで、そう、軽く流して片手を挙げた。
見慣れた、軽い挨拶の仕草。
「じゃ、またあとで」
そして私が答えるのも待たずに部屋を出ていく。
また、あとで。
その言葉を噛みしめながら、自分もそう言えたら良かったのに、と思った。
扉の陰に消えていく背中を目に焼き付けながら――強く、強く。
カチリ、と扉が閉まる音が耳に届き、同時に、がくんと膝から力が抜けた。
やり切った満足感で、一気に意識が遠のく。
この暗闇は知ってる。これに囚われたらもう二度と戻ってこれないってことも。
でもね、私は満足してる。
貴方に会えて、本当に良かった。
嘘月姫、と言われた私だけれど、これだけは誓って本当。
貴方に会えて、本当に良かった。
――それを伝えることが出来て、本当に良かった。
扉を閉じて廊下を数歩進んだところで、何か重いものが崩れ落ちるような、低く、くぐもった音が聞こえた。
息をつめて背後を振り返る。
音は、部屋の中から聞こえなかったか。自分がたった今、出て来たばかりの部屋の中から。
中にいるのは、彼女一人だけのはず。
嘘月姫、と自分があだ名を献上した、嘘ばかり繰り返して、自分をからかい続けた、あの令嬢だけが。
「――姫っ?」
そのことを認識した途端、頭の中が真っ白になって、気がつけば力いっぱい扉をあけ放っていた。
「姫!!」
部屋の中の光景を、自分は一生忘れることが出来ないだろうと思う。
毛足の長い絨毯の上に、倒れた彼女の姿。
ドレスの裾と、長い栗色の髪の毛が床の上に弧を描くように広がって。
窓から差し込む午後の日差しが、彼女の体の上に窓の桟を十字に浮かび上がらせていた。
まるで、一枚の完成された絵のような光景。
それを前に、立ち竦んで息をのみ。
――私は、馬鹿みたいに、突っ立ってその光景を食い入るように見つめることしか出来なかった。