きみのとなり。
中学生になって、カズキとツバサは出逢った。
カズキは明るい性格でモデル並みのルックスを持ち、女子によくモテた。
一方のツバサは、いつも一人だった。綺麗な顔をしているが、全てを見透かしているかのような灰色の瞳に皆怖れに似たものを感じ、誰も彼に近付こうとする者はいなかった。そして彼自身も、誰かに話しかけるようなことはしなかった。
そんなツバサに、カズキは一目惚れした。
思い切って話しかけると、彼はこう言った。
「珍しいね。俺に話しかけてくるやつなんていないよ」
そう言った彼は、カズキには寂しそうに見えた。
「そうみたいだね。どうしてかな」と言うと、
「さあね。俺がそういう雰囲気出してるんじゃないかな」
と彼は返した。
「小学校では、どうだったの?」
「小学校でも、同じだよ」
「……そっか」
「あぁ」
今度はもっと沈んで見えた。
そんな彼に、カズキはこう言った。
「じゃあ、俺が傍にいるよ」
その瞬間意外そうにカズキを見た彼の瞳が、キラキラと輝いて見えた。
その日から、二人は一緒に行動した。動教室の時も、昼食の時も、帰る時も。
初めて一緒に帰った時、カズキの家までツバサの帰り道も一緒だということがわかった。
「カズキ、家ここなのか」
「ああ。ツバサはどの辺?」
「向こうに、茶色いマンションが見えるだろ? あれ」
「へぇ、結構近いね」
「そうだな」
その翌日からは、朝も一緒に学校に行くようになった。
カズキの隣には、ツバサがいる。
ツバサの隣には、カズキがいる。
そんな構図が、当たり前になっていった。
そうして二人で過ごしているうちに、ツバサはカズキに惹かれていった。
カズキの隣にいる時が一番楽しいと、そう感じていた。
だが、カズキがツバサに一目惚れしたことも、ツバサがカズキに惹かれていったことも、それが恋愛感情からくるものだと気付くのに、お互い二年という歳月がかかった。
そして、同じことを考えていた。
「男から好きって言われても、『友達としての好き』としか思わないだろうな……」
「『恋愛の対象として』と説明したらしたで、嫌われるのは嫌だな」
こんな思いがあって、言い出す勇気を持てずにいた。
自分の気持ちに気付いてしばらく経った、中三の初め頃。二人の関係に、変化が訪れた。
カズキが、彼女をつくりだしたのである。
以前からもカズキは何人もの女子から告白されていたが、彼女をつくって一緒に過ごすよりもツバサといたほうが断然いいと思っていたため、全て断っていた。
しかし、今の関係が崩れることを恐れたのか、ツバサに対する特別な想いを忘れるために、相手の女の子には申し訳ないと思ったが「仕方なく」付き合うことにしたのである。
それからというもの、二人が一緒に過ごす時間はなくなっていった。
カズキのほうは、「同じクラスだし近くに存在してくれればいい」と思っていた。しかしツバサにとっては、それだけでは済まなかった。
カズキに彼女ができたと知った時はショックだったし、とても哀しかった。それでも、自分の隣にいてくれればいい。そう、思っていた。
だが、カズキは彼女といてばかりで、少しも自分の隣にいてくれない。
なんだかとても、淋しかった。
そして、こう思った。
「俺……また一人だな」
涙を流すことはなくても、心は泣いていた。
それからというもの、カズキはツバサに声をかけることさえしなくなった。
彼女と別れてもすぐにまた別の彼女をつくるため、二人は近くにいるのに離れ離れになってしまった。
そしてそのまま、卒業を迎えた。お互い進路をどうしたのかということも知らないわけだが……二人共、同じ高校を受験し合格していた。
そして、高校に進学して学年が一つ上がった今。
カズキとツバサは、今年も同じクラスだった。
何か、深い縁で結ばれているのではないだろうか……。
二人はそう思った。
ツバサは、高校にあがれば何か変わるだろうか、と思っていた。また、カズキの隣にいられるだろうか、と。
しかし、何も変わらなかった。
高校でもカズキは彼女をつくり、ツバサの傍にくることもなかった。
彼女をつくる度に、ツバサがどんな気持ちを抱いているのかも知らずに。
教室の中、男子と女子の会話が聞こえてくる。
「ねぇカズキ、今度の休み遊びに行こうよ」
「あぁいいよ。どこがいい?」
「んーとねぇ……」
それは、少し離れた席に座っているツバサの耳にも入ってくる。
(また、彼女と一緒か……)
相変わらず、カズキはいつも恋人と一緒にいる。思い起こせば、高校にあがってからは一度も彼と会話をしていない。
(中三の頃は、彼女をつくってもたまに一緒に帰ったりしていたのに)
(どうしてだろう?)
(なぜカズキは、俺から離れていったのだろう?)
(……嫌われたのだろうか。俺、何かしたんだろうか?)
そんな想いが、何度も何度も脳裏で繰り返される。その度に、淋しがり、深く傷付く。
(もう、前のようにはならないんだろうか)
一緒に学校に行き、一緒に行動し、一緒に帰っていたあの頃のように。
せめて、朝カズキが一人で学校に行っている時だけでも一緒に行きたいが、すぐ前を彼が歩いていても、なぜだか声を掛ける勇気が出ない。
もともと自分から声を掛けるようなことはしないのだが、それよりも、何か距離を置かれるようなことを言われたりするかもしれない、と思うと恐ろしかった。
そんなことをされるくらいなら、近くにいるだけのほうがまだマシだった。
しばらくカズキと彼女の声を少し向うに聞いていたが、やがて居た堪れなくなり、静かに立ち上がり教室を出た。
そんなツバサに声を掛ける者はなく、カズキもちらっと視線を寄越しただけであとは気配を追うだけである。
それを見た彼女が、カズキにこう言った。
「ねえ、カズキ……たまにあの人のこと見てるけど、なんか気になるの?」
呼ぶ機会がないからか、クラスの誰もがツバサを「あの人」呼ばわりしている。それは、中学の頃からそうだった。
カズキは心臓がビクリとし、どう答えようか迷った。結局、
「……んー?」
判断のつけようもない曖昧な唸り声を返した。そんな彼に、彼女は小さな声で言った。
「まぁ別にいいんだけど……あの人ってさ、なんかこう……怖いじゃん? 目を合わせるのも、ちょっと意味違うけど、恐れ多いというか……」
そんな彼女に、カズキは静かに言った。
「ツバサは、全然怖い奴じゃないよ。みんな見た目で判断してるだけでさ。すげーいい奴だよ」
それを聞いた彼女は、驚いた。
「えっ……カズキ、下の名前で呼ぶほどあの人と仲よかったの!?」
彼女の言葉に、周りのクラスメイトたちも驚きカズキのほうを見た。
「…………」
カズキは、彼女の言った言葉に複雑なものを感じた。
『仲がよかった』
それはまるで、今は仲がよくないみたいな言い方だ。
(いや……そんなはずはない。ツバサならきっと、今も俺のこと友達だって思ってくれてる。近くにいてくれればいいっていう俺の気持ちも、わかってくれる)
そう思い、カズキは彼女に言った。
「……仲が『よかった』んじゃない、仲が『いい』んだよ」
絶対そうだ。間違いない。
「……でも、話してるとこ、一度も見たことないけど……」
「…………」
確かにそうだ。だが、
「いやそれは……心で通じ合ってるというか……」
そう信じている。
クラスの皆が驚いていると、ツバサが戻ってきた。ポケットからハンカチが少しだけはみ出ている。御手洗いに行ってきたようだ。
皆見ぬ振りをして、彼の様子を窺っている。
妙に静まり返った教室に違和感を感じ、ツバサはちらりと周りを見て、視線をカズキに向けた。目が合い、カズキはほんの少し微笑んだ。
すると、ツバサが歩きながら、左手の人差し指で自分の右の二の腕辺りを指した。
(? 何だ? ……あ)
カズキがふと自分の右腕を見ると、シャツの裾から糸が一本出ていた。
(さっきから痒いと思ってたら……これか)
糸を引き抜き床に落とし「サンキュー」と言った。ツバサはそのまま席に座り、本を読み始めた。
その様子を見ていたクラスメイトたちは、本当に意外そうに「ほお……」と感心していた。
カズキも安堵し、彼女に「な? 言った通りだったろ?」と囁いた。
一方のツバサも、自分の言いたいことが伝わったことに安堵した。
そして、お互いに思った。
(よかった……友達としての関係は変わってないみたいだ)
ほんの些細なことだったけれど、二人の繋がりを示すには十分だった。
だが、カズキは思った。
「ツバサの笑顔が見たい」と。
ツバサはもともと仏頂面気味で、感情を表に出すこともほとんどないため笑うことも滅多になかった。
それでもカズキといる時には、本当に僅かだが笑顔を見せることがあった。
それは、初めて見る者には笑っているかなんてほとんどわからないほどで、ずっと近くに居たカズキだからこそ読み取れる表情の変化だった。
カズキはそれを、自分だけの宝物のように思っていた。自分だけにわかる、自分だけが彼の感情を理解できると、慢っているのである。
しかし、どんなに「笑顔が見たい」と願っていても、ツバサに近付く勇気はなかった。
彼への想いを忘れるために彼女をつくっているのに、あの笑顔を見たらきっとまた、いや、もっと……彼のことを好きになる。
仮に告白したとして「男同士でなんて」と言われてしまったら、友達という関係さえも崩れかねない。
そう思うと、怖くて。
自分の気持ちを悟られまいと、あの日からずっと、ツバサから一定の距離をとり続けている。ツバサに対する気持ちが、恋によるものだと気付いた、あの日から。
一方ツバサは、たとえカズキとの繋がりが絶たれていないとわかっても、心を病まずにはいられなかった。
『好きになってほしいなんて贅沢なことは思わない。ただ、彼の隣にいられればそれだけでよかった。けれど、彼が彼女をつくるようになって、彼と二人でいる時間もなくなっていって。とても、淋しい。彼の隣にはいつも彼女がいて。俺の居場所は、なくなってしまった。何度も諦めようとしたけれど、やっぱり大好きで。彼への想いを忘れるなんて、できない……』
この苦悩が何度も何度も繰り返され、ツバサの心は擦り切れていった。
夜、寝ようとしてもカズキのことばかり考えてしまって、一晩中眠れない日も少なくなかった。
ツバサの体力も精神も、限界まできていた。
二人の擦れ違いの日々が過ぎていく中、その出来事は起こった。
この日の六限目、二年五組と六組は体育館でバスケットボールをしていた。夏の最中、照りつける太陽の熱で建物の中はとても暑い。皆こまめに水分補給をしていたのだが……。
授業が始まって二十分が経った頃、ドタッと何かが倒れる音がした。
ボールが床を打ち付ける音かとも思ったが、
「誰か倒れてる!」
と叫ぶ声が響き渡り、皆そちらへ目を向けた。同じように視線を向けたカズキは、
「ツバサ!」
側にいた者が飛び上がるほど大きな声でそう叫び、孟スピードで走り寄った。
「ツバサ! おい、しっかりしろ! ツバサ!」
ツバサは顔が火照り、呼吸も僅かに荒く、カズキの必死な呼び掛けにうまく応えることができない。
「おい、どうした! 熱中症か!?」
教師も急いで駆け寄ってくる。
「先生、俺が保健室に運んでいきます!」
「あぁ、頼む!」
カズキはツバサをお姫さま抱っこの形で抱き抱え、体育館の目と鼻の先にある保健室へと急いだ。
数分が経ち、保健室の先生が教師とカズキに向かって言った。
「……軽い熱中症ですね。しばらく横になってたほうがいいでしょう」
実のところ、倒れた原因はそれだけではないのだが……ツバサ本人(と著者と読者)以外は知る由もない。
「そうですか……どうもありがとうございました。じゃあ南瀬、先生は一旦授業に戻るが……谷戸倉に付き添っているか?」
南瀬というのはカズキの苗字で、谷戸倉というのはツバサの苗字である。
「はい、そうします」
「わかった。終わったらまた来るから、それまでよろしくな。……先生、あとお願いします」
「わかりました」
教師はちらりとツバサを見て、保健室を出ていった。
しばらくして、バスケで温まっていた身体は優しい冷房の風で徐々に冷めていった。
《プルルルル……》
保健室の電話が鳴り、先生が受話器を素早く取った。
「はい、……はい、すぐに向かいます」
どうやら他に患者が出たようだ。先生は受話器を置き、カズキに「谷戸倉君のこと頼んだよ」と言い急いで保健室を出ていった。
保健室には、カズキとツバサの二人だけとなった。
「うっ……うぅ……」
ツバサは、まだ苦しそうに唸っている。
(ツバサ……大丈夫かな……)
カズキは心配で心配でたまらず、ベッドの横に椅子を持ってきて座りじっと見つめていると……
「……カズキ……」
ツバサが小さく名を呼んだ。
「! 気付いたのか!?」
しかし、ツバサは目を閉じ苦しそうにしているだけだ。どうやらうわ言を言ったようだ。
「……うぅっ……カズキ……どうして……」
(……ツバサ?)
ツバサが何かを言い始めた。その声は小さく震えているため、聞き逃さないようにカズキは耳を近付けた。
「どう、して……彼女とばっかり……」
(?)
「……傍に、いるって、言ったのに……俺……また、一人に、なった……じゃねぇか……」
(……!)
カズキは、ショックだった。
自分だけがツバサの感情を理解できると、そう自負していたのに。
(俺は……ツバサの気持ち、全然わかってなかった……)
カズキはツバサが近くにいてくれればいい、と思っていたが、ツバサのほうはそうではなかった。そのことを思い知り、後悔した。
(……俺はっ……自分のことしか考えてなかった……俺が彼女をつくることで、ツバサを苦しめていたんだ……!)
カズキはツバサの左手を両手でぎゅっと握り締め、呟いた。
「ごめん……ごめんな……お前は自分から話しかけたりしないって、よく知ってるはずなのに……」
ポロポロと、頬を涙が伝った。
カズキはしばらく涙を流し続けていたが、
「……カズキ……?」
ツバサが目を覚ましたため、慌てて涙を拭いた。
「ツバサ……気付いたか……よかった」
そう言って、カズキは微笑んだ。それを見たツバサは、あたたかいものを感じた。しかし、ふと
「……俺……どうしたんだっけ……」
と言った。それにカズキは優しく答えた。
「お前、体育の時間に倒れたんだよ。……軽い熱中症だってさ。だからもうちょっと休んでろよ」
「そう、か……わかった、そうする」
ツバサは起こそうとした身体を再びベッドに横たえた。
「カズキ……ごめん、迷惑かけて……」
「迷惑なんかじゃないって。重症じゃなくて本当よかったよ」
「うん……ありがとう」
二人は、こうして会話をしたのはいつ振りだろう……と考えた。が、思い出せなかった。
しばらくの沈黙の後、カズキが言った。
「……なぁツバサ、今日は……一緒に帰ろう」
いきなりの言葉に、ツバサはちょっぴり目を見開いた。
「いいけど……どうしたんだよ? 急に」
「……なんだよ、『急に』って」
ツバサの返答に、カズキはなんだか引っ掛かった。
「いや……いつも、彼女と帰ってるから……」
そう言ったツバサの顔は、なんだか辛そうに見えた。それを見て、カズキも辛くなった。
「帰る途中でぶっ倒れたら大変だろ?それに、今日はお前と帰る気分なんだ」
「……そりゃどうも」
「……もちっと感謝しろよ……」
この、ちょっと冗談染みた会話。
なんだかとても、懐かしかった。
六限目が終わり、ホームルームが終わり……カズキとツバサは、幾許振りかに一緒に帰っていた。
他愛のない会話をし、冗談を言い合い。
ツバサはずっと、これを望んでいた。
カズキもまた、心の底ではこの感覚を求めていた。
この無愛想に見える彼の横に立ち、時々彼と視線を交え喋りながら歩く、この感覚を。
今、二人はお互いに心が満たされていた。そして、やっぱりこうでなければ、と思った。しかし、
(ちょっと、物足りない)
カズキは思った。
(まだ、ツバサの笑顔を見てない)
どうにか、家に着くまでに彼の笑った顔が見たい。
そう思いいろいろ話題を引っ張り出すが、なかなか表情が変わらない。
そうこうしているうちに、カズキの家の前に着いてしまった。
(残念……まぁ、いくらでも時間はあるんだし、ね……)
もう、今までのようにツバサを一人にはしない。
そうカズキは自身に誓った。
「それじゃ、またなツバサ」
カズキは家に足を向けた。それにツバサは、
「ああ、またな」
未だかつてないほどに微笑んで応えた。
こうして一緒に帰れたことが、余程嬉しかったのだろう……その笑顔は、誰が見ても「笑っている」と分かるほどのものだった。
(ああ……よかった、笑顔が見れた……)
カズキは満足し、家の中に入っていった。それを見送ったツバサは、自分の家へと向かった。
そして、心の中で、呟いた。
なぁカズキ、知ってるか?
俺にとって「一番幸せな居場所」は、
きみのとなりなんだよ。
END.