「妹の火傷を引き取れ。お前は嫁に行かないだろう」と父に言われたので、妹の婚約者にお願いしました
「妹の火傷を引き取れ。お前は嫁に行かないだろう」
父が求めているのは、私の魔法で妹の火傷を私の頬へ移すことだった。痛みも傷痕も、引き受けた人のものになる。
父がそう言ったので、私は妹の婚約者へ椅子を勧めた。
「では、アルベール様。こちらへどうぞ」
「……なぜ僕が?」
「昨日、仰ったそうですね。セシルのためなら、何でもすると」
妹の頬を覆う白い包帯を見て、私は治療鞄を開けた。
「お喜びください。その何でもが、本日見つかりました」
婚礼の打ち合わせに集まった人々が、いっせいに彼を見た。
アルベール様は笑わなかった。
よほど嬉しくないらしい。
*
私、リゼットは二十四歳。二十歳のセシルは、父も母も同じ実の妹だ。
父は男爵で、母は五年前に亡くなった。父が再婚したことはない。
セシルの婚約者であるアルベール様は、子爵家の次男だった。以前は私の婚約者だったが、半年前、両家の合意で婚約を解消した。
彼の望む妻には、私が向いていなかったからだ。
『往診を断れないようでは、僕の妻にはなれない』
治療院での夜勤を終えた私へ、彼はそう言った。
その隣でセシルが、両手で彼の手を握っていた。
『お姉様にはお仕事があるもの。私なら、いつでもおそばにいられるわ』
私は二人の手を見て、それから自分の手を見た。
消毒薬で荒れた指。肘の内側には、小さな傷痕が三つある。
この手で助けられる患者が、明日も治療院へ来る。
『分かりました。婚約は解消しましょう』
彼が少し戸惑ったことだけは、覚えている。
私は男爵家に住みながら、王都の共同治療院に勤めていた。
治療師の仕事には、二種類の方法がある。
傷ついた本人の身体が治るのを、薬と魔力で助ける方法。
もう一つは、傷そのものを、別の人の身体へ移す方法だ。
後者を『代受け』と呼ぶ。
同じ傷が、同じ場所へ移る。痛みも、治るまでの時間も、そのまま引き受ける。
傷は消えるのではない。
持ち主が変わるだけだ。
術者は移す先になれるが、なる必要はない。受け手は健康な成人であればよく、施術前の説明と、本人の同意が必須だった。
私は災害の現場で、命に関わる傷を二度だけ代受けしたことがある。ほかの治療師が到着するまで、患者の身体が保たなかったからだ。
その二度で、自分にも限界があると知った。
今は自分の身体を傷の行き先にせず、通常の治療を続けている。
けれど家族は、私の限界より、私の便利さをよく覚えていた。
鞄には、同僚の薬師ユアンが調合した軟膏が入っている。
『君の手にも使ってくれ。患者の分と一緒に、ちゃんと用意してある』
瓶を渡すときの彼の声を、私は思い出した。
私たちは三か月前から、二人で診療所を開く準備をしている。先月借りた建物には、住む部屋もあった。
私は早く、あの棚へこの鞄を置きたかった。
*
セシルが怪我をしたのは、昨日の午後だった。
婚礼衣装に合わせる宝石を買った帰り、彼女とアルベール様の馬車が急停車し、暖房用の小型火鉢が倒れた。
顔の右側を火傷したセシルは、近くの治療院で応急処置を受けた。命に危険はなく、目も無事だった。
ただ、十日後の婚礼までに、赤みは消えない。
それが父にとっては、命に関わる傷より重大だったらしい。
今朝、私は父の使いに呼ばれて、屋敷の客間へ来た。
婚礼を執り行う司祭、衣装店の仕立師、アルベール様とその母君。そして父とセシルが待っていた。
父は私に相談する前に、皆へ説明を終えていた。
『長女の力で傷を消します。婚礼は予定どおりです』
なるほど。
私の頬を、もう使ったことにしたのだ。
「リゼット。余計なことを言うな」
椅子の前で動かないアルベール様を見て、父は眉を寄せた。
「セシルは花嫁だ。傷が残れば困る。お前は治療師なのだから、自分で治せるだろう」
「自分の傷も、妹と同じ日数がかかります」
「お前には婚礼がない」
「はい。ですから私の頬が空いていると?」
父は黙った。
代わりにセシルが、包帯の端へ指を添えた。
「お姉様。私、一生に一度の結婚式なの」
「ええ。痛みが強ければ、先にお薬を使いましょう。通常の治療なら、昨日の先生の処置を引き継げるわ」
「それでは間に合わないじゃない」
「日を延ばす方法もあるわ」
「招待状を出してしまったもの!」
「それなら、包帯に合わせた髪飾りを作れますよ」
仕立師が控えめに口を挟んだ。
セシルは顔を背けた。
父も衣装の話には乗らなかった。
本人を治療する。婚礼を延ばす。傷を隠さず装いを工夫する。
三つの方法が、私の頬を使う方法より、父たちには受け入れがたいらしい。
「誰にも知られず、綺麗な顔で嫁がせてやりたいという親心が、分からないのか」
父の言葉に、アルベール様の母君が首を傾げた。
「私たちは、傷があっては嫁に迎えられないとは申し上げておりませんが」
父は、今度こそ黙った。
「アルベール。あなたは昨日、皆の前で立派なことを言ったでしょう」
母君の問いに、彼は困ったように笑った。
「もちろん。セシルを守るためなら、何でもします」
「ありがとうございます」
私は椅子を、もう少し彼の近くへ引いた。
「それなら、お父様の親心も、セシルの希望も、あなたの誓いも、すべて叶いますね」
*
私は鞄から、施術説明用の鏡を取り出した。
裏側の小さな魔石へ触れると、鏡面に人の顔の輪郭が浮かぶ。
傷を受けた患者と、代受けを希望する人へ、傷の位置を示す道具だ。傷を移す力はない。
「失礼しますね」
セシルの許可を得て包帯を少し外し、診た範囲を鏡へ映した。
右のこめかみから頬へ、赤い筋が広がっている。
セシルは自分の顔を見ると唇を噛んだ。私はもう一度、包帯を戻す。
「現在の状態では、治療しても、赤みが引くまで数週間はかかります。薄い痕が残る可能性もあります」
「傷痕が?」
アルベール様が尋ねた。
「はい。代受けした方にも、同じ可能性があります」
私は鏡を彼へ向けた。
「右の頬です。痛み止めは処方できますが、術そのもので痛みをなくすことはできません」
彼の右手が、そっと自分の頬へ上がった。
「それは……仕事に差し支える」
「子爵家の会計のお仕事でしたね。外出を控える日が必要かもしれませんが、室内での帳簿作業ができない傷ではありません」
「人と会う仕事もある」
「では、その予定も含めて、ご判断ください」
私はペンを置いた。
急かさなかった。
施術を受ける人には、考える時間が要る。
アルベール様はペンを見た。鏡を見た。それから私を見た。
「君が引き受ければ済む話だろう」
「私は引き受けません」
初めてはっきり断ると、セシルが息を呑んだ。
「お姉様は、私が傷のある顔で結婚しても平気なの?」
「あなたは、私に同じ傷ができても平気なの?」
「だって、お姉様は……」
妹の言葉が途切れた。
父が言った。嫁に行かない。
それを言えば、自分が何を頼んでいるか、皆に伝わってしまう。
私はセシルから視線を外し、アルベール様へ戻した。
「断っても構いません。あなたにも、ご自分の身体を守る権利があります」
彼の肩から、少し力が抜けた。
「ただし、私にもあります」
抜けた分だけ、また力が入った。
司祭が静かに頷いた。
「婚礼の誓いは、病めるときにも相手を支えるというものです。健康な人に傷を負わせることまでは求めていません」
「そうです。ですから治療は通常の方法で続ければよいのです」
私は鏡を片づけようとした。
そのとき、アルベール様がセシルの肩へ手を置いた。
「待ってくれ。セシルにもよく考えてもらいたい。顔に傷が残るかもしれないなら、婚礼は一度保留にした方がいい」
包帯の下で、妹の顔が強張った。
「……延期ではなく、保留なの?」
「式だけの問題ではないだろう」
母君が息子の名を呼んだ。
けれど彼は、もう引き返さなかった。
「僕も、顔に傷が残った妻を迎えることになるとは聞いていないんだ。リゼットが治してくれるなら、何も問題はない」
彼は母君へ向き直った。
「そうでしょう? 家族なのに、どうしてこんな意地悪をするんです」
「あなたも、家族になろうとしているのではなかったの?」
母君の声は低かった。
アルベール様は私を見た。
「君が断らなければ、こんな話にはならなかった」
「私が引き受ければ、あなたは、傷のないセシルと結婚できる」
「そうだ」
「私が引き受けなければ、セシルとの結婚を考え直す」
「だから、そんなことをしなくて済むように――」
「アルベール様」
セシルが、彼の手を肩から外した。
「私の傷を、お姉様に移さないと、私を愛せないのですか」
「そういう言い方はやめてくれ」
「さっき、ご自分でそう仰いました」
妹の声は震えていた。
半年前、いつでも彼のそばにいられると言った妹だった。
彼は、そばにいてくれることにも条件をつけた。
「君まで感情的にならないでくれ。現実的に、最も簡単な方法を選ぶべきだと言っているんだ」
「あなたにとって簡単な方法でしょう」
セシルは、右の頬へ触れた。
「昨日、馬車が揺れたとき、私が倒れている間に、あなたは宝石箱を拾っていた」
「散らばったら困るだろう」
「そのあとで助けてくれたから、気が動転していたのだと思ったのです」
彼は何か言いかけた。
セシルは首を振る。
「でも、今は動転していませんね」
客間の時計が、小さく鳴った。
私は彼を追い詰めるために、魔法を使う必要も、秘密を暴く必要もなかった。
彼は自分の頬を守ろうとして、何を守りたかったかまで、話してしまった。
「婚礼の支度は止めてください」
セシルが言った。
父が立ち上がる。
「何を馬鹿なことを。十日後だぞ。今から断って、どれほどの金が――」
「お父様」
私は父の席の前へ、空いた椅子を運んだ。
「まだ、予定どおりに結婚式をしたいのですね」
「当たり前だ」
「そしてアルベール様は、傷がなければ、セシルを迎えると仰っています」
「だから、お前が――」
「では、お父様が受け手になる方法が残っています」
父の口が開いたまま止まった。
「親心ですもの。今度はご自分の頬で、お考えください」
父は椅子から一歩離れた。
「私には立場がある」
「お姉様にもあります」
セシルが言った。
父より先に、私が妹を見た。
「……私にも、ありました」
妹は俯いた。
「傷がついたら、それだけでなくなるものでは、なかったのに」
司祭が、まだ何も記していない婚礼の予定表を閉じた。
アルベール様の母君は、息子へ立つよう促した。
「セシルさん。式の中止に伴う費用と、婚約については、あらためて両家で話し合いましょう。今日これ以上の返事は求めません」
セシルは頷いた。
立ち上がったアルベール様が、小さな声で私に言った。
「人の幸せを壊して、満足か」
「私の顔を傷つけないと保てない幸せなら、私を含めずにお作りください」
私は鞄を閉じた。
傷の行き先は、最後まで決まらなかった。
それでよかった。
*
翌朝、父は私の診療に口を出そうとした。
「縁談がまとまるまでは、治療院を休め」
「休みません」
「この家の娘でいるつもりなら、父親の言うことを聞け」
「では、家を出ます」
玄関の荷箱を見て、父はようやく足を止めた。
急に逃げ場所が見つかったわけではない。
私は三か月前から、薬師のユアンと診療所を開く準備をしていた。治療院の院長に相談し、引き継ぎの時期も決めてある。
新しい診療所の二階には住む部屋があった。賃貸契約を済ませたのは、先月だ。
父には、開業することだけ伝えていた。
娘の仕事に興味がない父は、詳しいことを尋ねなかった。
「セシルを放っていく気か」
「治療は、こちらで続けます。昨夜、本人と決めました。必要な往診もします」
「私の膝はどうする」
「通常の治療であれば、ご予約ください。私以外の先生も、共同治療院にいらっしゃいます」
父は唖然として、私を見た。
「家族から金を取るのか」
「薬代と、診療の時間分はいただきます」
「今までは無料だっただろう」
「これからは、無料ではありません」
父は引き止める言葉を探していた。
けれど、出てくるのは自分の困りごとだけだった。
私は玄関で手袋をはめた。
使用人が荷箱を馬車へ運んでくれる。お願いしていた迎えの馬車だった。
「リゼット。昨日のことくらいで、ここまでする必要はない」
「昨日までは、私もそう思っていました」
扉の外には、よく晴れた朝があった。
私は父へ頭を下げ、家を出た。
*
新しい診療所で最初に私を待っていたのは、妹ではなく、パンだった。
「棚を組み立てた。薬草も届いた。昼食はまだなので、君もまだなら一緒に食べよう」
薬師のユアンが、紙袋を掲げる。
私より二つ年上の彼とは、共同治療院で三年、一緒に働いてきた。
派手な治癒魔法は使えない。けれど、患者が苦い薬を飲めるように配合を工夫し、半年前からは、私の荒れた手に合う軟膏を作ってくれている。
新しい診療所の賃料と利益は、それぞれの負担と仕事に応じて分ける。
私が魔法を使い、彼が薬を作る。
どちらかが休む日は、その分の予約を減らす。
その当たり前の約束を決めるとき、私は何度も、本当にそれでいいのかと聞いた。
彼は三度目に、こう言った。
『僕が倒れたときも、君が僕の分まで全部働かなくていい。それでは二人で始める意味がないだろう』
だから、ここへ来たかった。
「どうだった?」
荷箱を下ろしてから、彼が尋ねた。
「誰も妹の傷を引き受けませんでした」
「君も?」
「私も」
「そうか」
彼は笑って、パンを一つ渡した。
私が断ったことを、誰かがほっとした顔で聞く。
慣れないせいで、少しだけ喉が詰まった。
「泣くほど不味い?」
「まだ食べていません」
「よかった。評判の店なので、明日も買いたいと思っていた」
私は笑った。
笑うと、ちゃんとお腹が空いた。
*
セシルとの婚約は、一か月後に正式に解消された。
式の中止費用は両家で分担した。父は腹を立てたが、相手の母君から、息子が傷を理由に結婚を保留にすると発言したことを改めて指摘され、すべてをセシルに負わせる交渉は通らなかった。
アルベール様の顔は、今も綺麗なままだ。
ただ、次の縁談を世話してほしいと頼まれた司祭は、花嫁の容姿が変わった場合について、相手の家と十分に話し合ってから進めるよう答えたという。
何でもするという言葉は、以前ほど簡単には使えなくなったようだ。
セシルの頬には、薄い痕が残った。
診療のたびに、妹は自分で鏡を持ち、赤みが引いていくのを確かめた。
最初の診療代は、持っていた髪飾りを売って払った。
「お父様が、お姉様ならお金はいらないと言ったの」
「セシルは?」
「……いると思った」
私は領収書を渡した。
妹は丁寧に折って、鞄にしまった。
謝罪を聞いたのは、三度目の診療の帰りだった。
「私、アルベール様が引き受けないと分かったとき、ひどいと思ったの」
セシルは扉の取っ手を握ったまま、振り返った。
「でも、その少し前まで、お姉様に同じことを頼んでいた」
「ええ」
「家族なら引き受けてくれると思った」
「私も家族だから、傷つけたくないと思ってほしかったわ」
妹の目に、涙が浮かんだ。
「ごめんなさい」
私はすぐに、もういいとは答えなかった。
妹も、それを待たなかった。
「次にお姉様が嫌だと言ったとき、理由を変えて頼み直したりしない」
「そうしてくれると助かるわ」
その日の妹は、いつもより軽く頭を下げて帰った。
*
診療所を開いて、最初の冬が来た。
ユアンの軟膏は評判がよく、私も以前より代受けに頼らず、傷を治せるようになった。
私の腕の古い傷痕は、全部消えたわけではない。
けれど手の荒れは減った。夜に軟膏を塗るとき、自分の指がずいぶん柔らかくなったと思う。
診療を終えた夕方、ユアンが薬棚の前で、妙に長く瓶を数えていた。
「在庫が合いませんか?」
「合っている。さっきも合っていた」
「では、なぜもう一度?」
「話しかけるタイミングを探していた」
私は帳簿を閉じた。
彼が、薬棚から離れた。
「休みの日に、食事へ誘いたい」
「先週も一緒に食べましたね」
「あれは診療所の帳簿の相談だった」
「今度は?」
彼は少し困って、それからちゃんと私を見た。
「君と食事をしたい。仕事の相談はしない」
暖房の小さな音が、急にはっきり聞こえた。
「……私、往診で予定を変えることがあります」
「知っている。三年、一緒に働いているので」
「誰かの妻になるために、治療師を辞めるつもりもありません」
「僕が好きなのは、今の君だよ」
簡単に言われて、簡単には返事ができなかった。
私は自分の手を見た。
この手を見て、妻に向かないと言った人がいた。
この手のために、毎日軟膏を作ってくれた人がいる。
「日曜日なら、昼から空いています」
「では、日曜日に」
「今からそんなに嬉しそうで、当日はどうなさるの?」
「たぶん、もっと嬉しそうになる」
私も笑っていた。
それから私は、新しい予約帳を開いた。
日曜日の昼に線を引き、二人の名前を書く。
薬を作るためでも、傷を引き受けるためでもない予定だ。
その文字を見ていると、父の言葉が、ふと浮かんだ。
お前は嫁に行かないだろう。
行くかもしれないし、行かないかもしれない。
今はまだ分からない。
ただ、この手で決めていいのだと思った。
私は予約帳を閉じ、ユアンへ顔を上げた。
「パンの店以外で、お願いしますね」
「あの店には、夕食もある」
「詳しいのね」
「君を誘いたくて、ずっと調べていたから」
その日、診療所の灯りを消すまで、私は少しも傷つかずに、誰かのことで胸がいっぱいだった。




