最後の時計が止まる日
落下する木の葉を見た。瑞々しい緑は褪せて水気も失せた茶褐色に枯れた葉が空を舞うようにヒラヒラと落ちる───落ちていくはずだった。
あの葉が地面に到達することはない。恐らく永遠に。
切っ掛けはわからない。始まりがどこでどのように広がったのか。観測する間もなく世界は静止していった。
印象で語るならば始点から広範囲に広がったのではなく、小さな雨水がやがて地上を覆い尽くすように疎らな点が幾つも幾つも生まれて点が増える度全てが静止した。
人も物も音や光等さえも。
時間が止まれば物理現象さえ静止して時の止まった世界は外から観測することは出来なくなった。暗闇のような黒い塊。空間に空いた歪な穴は分子運動が完全に停止した結果周囲から無限に温度を奪っていった。
人類を悩ませていた温暖化問題は既にない。何せ世界中まだ静止しきっていない場所は人が生存できないような超低温と化している。
青葉は空を見上げる。雨が氷よりも硬く破壊不能な状態になって空にとどまっている。曇り空に無数にある黒い穴。虫の群れにも見えて集合恐怖症でなくとも少し気持ちが悪い。
分厚い断熱スーツと目出し帽型ゴーグル搭載マスク。丈の長いスキー用にも似た手袋。断熱靴下と断熱防水ブーツ。
このような格好で肌の露出を一切避けねば外気によって致命的なダメージを負うことだろう。南極よりも遥かに過酷な環境となった東京で青葉は変わってしまった世界を空を目に収める。
「多分、終わったねえ…世界」
一人ごちる。温度変換器の搭載されたマスクをしていなければ外気に気道や声帯は壊されてしまうだろう。
最早、外の空気を吸うことも叶わなくなってしまった。
青葉は少しの間空を見続けてそれから施設の中へと戻っていった。
青葉がいるのはPTCS(プリンシパティ・タイム・コントロール・システム)なる装置がこの事象が発生する前から研究されていた政府施設。
ただ青葉は研究者でもなければ政府関係者でもない。機密情報に触れる兼ね合いから厳密な身分証明と経歴証明を突破し、機密保持契約を結んだただの清掃担当者だ。
「時間干渉機による、時の正常化」親しくなった職員にそんな話を聞いた。
誰かがこうなることを予想していたのか。それとも偶々そういう研究をしていて応用しようとしているのかは分からないが恐らく人類最後の希望。
「使える人間から真っ先に固まっちゃったらどうすればいいってのよ」
何度も何度も口にした台詞を無意識に呟いて青葉は自嘲し笑った。よりによって最後の一人がシステムも機械も分からない単なる掃除婦とは。この謎の静止現象が何者かの意思で行われているとしたらあまりにも性格が悪い。
通路や部屋の人型の黒い穴を避けて進んで青葉は自室扱いしている救護室に戻ってくる。
光源は生きており、空調も最適な気温に管理された一室。10名分のベッドが並び、一部は青葉が持ってきた食料品や物資置き場として使われている。
装備やスーツを脱いで下着姿になって青葉はベッドに仰向けに寝転んだ。希望はない。期待も既にない。
終わりの日はいつだ。1年先か半年先か、それもと1か月後か一週間後か。あるいは明日か。
いや───今日らしい。暗闇が周囲を包む。窮屈なスーツを脱いでいて良かったと青葉はわらった。




