初恋は夢を見る
僕は小学生になって体育の授業で魔法の練習をしている。
嫌いだった鹿野を炎の弾丸で焼き尽くすと、花壇で生き返ったあいつは先生に「井上はズルをしている」と文句をつけだした。
ズルであることは否定しない。僕は自分が今、夢を見ていることを知っているので、魔法だろうがなんだろうがこの世界を思い通りにすることが出来る。
「楽しそうだね、透。17歳の高校生である井上透くん。大人の姿で小学生を焼き殺している絵面は、なかなか見るに堪えないものがあるよ」
僕は毎晩、悪夢を見る。どんな夢を見ても悪夢になる。僕の夢に匂坂白猫が居る限り。
「僕は自分が小学生になってるつもりなんだけど」
「でも私には高校生に見えるね」
そう言われて自分の身体を見ると、いつの間にか背が伸びて現実の僕の身体になっていた。この夢は台無しだ。
僕は拳銃で頭を撃ち抜いて夢の場面を転換する。死後の世界は匂坂白猫が小さい頃に入院していた病院だった。手術衣を着た頭の無い子供と左手がもげている子供が自分の死に様で不幸自慢を競っている。
匂坂白猫は面会に来ている自分の母親の首を絞めて殺していた。母親は現実の匂坂白猫の母親では無い。恐らく彼女のクラスメイトの誰かだろう。
僕と白猫が恋人だった小学五年生の夏から高校二年生になるまでの7年と少し、僕達は毎晩夢で出逢っている。
小学五年生の夏、夏休みが終わる少し前の夏祭り。僕らの街の夏祭りでは、最後に天灯と呼ばれる熱気球の原理で空に飛んでいく提灯に願い事を書いて飛ばす。
『ずっといっしょにいられますように 井上とおる 匂坂白ねこ』
その夜から僕達は、ずっと夢の中でいっしょにいる。
何年も夢を共有している僕らは、お互いに心の表面から魂の最深部までその全てを理解していった。
恥ずかしい過去、痛々しい願望。汚い欲求、切実な希望、辛い記憶、苦しんでいる悩み、性的欲望。
そんなモノを知られている相手がいる僕たちは小学校を卒業して別々の学校に行って以来、決して現実では会わないという約束をしている。せめて夢の外では、自分のことを理解していない人としか関わらなくてすむように。
僕らはお互いに相手の事を心の底から大嫌いになったのだ。
毎晩同じ夢を見て本当の本当にお互いに理解しあうことが出来たという、そんなグロテスクな物語の当前な結末。
目が覚める前兆を感じる。夢が薄れていく。ああ、ようやく朝が来る。誰も僕を分かってない世界に戻れる。
「お目覚めなさい。クソ野郎。二度と眠らないでくれると助かるよ」
「いっそ永遠の眠りについてくれよ、クソビッチ」
「透って、誰に対しても自分のことは誰にも分からないって思ってるでしょ」
放課後の体育館裏で、僕は恋人の高槻月子に振られていた。
「誰も誰かのことを理解することは出来ないって思ってるでしょ。理屈としては私だってそのくらい分かってるよ。でも理解出来ないことと、理解しあおうとしないことはまったく別の問題だよ。だから、私のことを透は好きじゃないんだ」
「いや、好きだけどなあ」
「好きじゃないよ。私が透のことを好きだって分かってないもん」
「分かってるよ」
「分かってないよ。分かってもらおうとしてないもん。だから透は誰のことも好きじゃないんだ」
「分かり合おうとしないことって、相手を好きでいつづけるための努力だと思う」
「分かろうとして傷つくこともあるけど、傷ついても私は透のことを分かろうとしたし、透が傷ついても透には私のことを分かろうとしてほしかったよ」
どうやら終わりらしい。
「……気持ち悪いって」
学生バッグで横っ面をぶん殴られる。
視界がぐらついて身体が倒れていく最中、僕は反射的に元恋人の腹を蹴飛ばした。
僕は即座に起き上がりうずくまって泣いている高槻月子に駆け寄って、蹴ったことに対する弁明と謝罪を誠実な言葉を選んで乱射する。
高槻月子はもういい、もういい、と言いながら泣き続ける。
「意気地無し」
僕が痴情のもつれで暴力を振るってしまったことは、学校の人間関係に影響を及ぼさなかった。ただ振られたというだけで話は終わった。高槻月子は僕に蹴られたことを誰にも話さなかったのだ。
本当に、底抜けに優しい女の子だなあ。
僕のことがどうでも良くなっただけだけだと思うけど。それでも僕の元恋人はとっても優しくて素敵な女の子だったなあ。振られて悲しいなあ。
だからだろうか、悪夢を毎晩見るようになった。
豚の皮を着た人達に豚の皮を着せられようとして逃げ惑う夢。
身体が少しずつ崩れていく夢。
どれだけ扉を開けても部屋から出られない夢。
彫像になって身動きがとれなくなる夢。
知らない恋人という設定の女性に振られてイジメが始まる夢。
高校受験の当日に寝坊する夢。
「女に振られたくらいで毎晩毎晩、メソメソした夢に付き合わされるこっちの身にもなって欲しいね。自身の精神衛生上、このクソ男に女なんて星の数ほどいる、とか慰めたほうがいいのだろうか」
巨人に虫籠で飼われる夢の中で、匂坂白猫は楽しそうだ。
本当にこいつの存在は僕の心を。
「なあ、本当に僕らが同じ夢を見ているってどこかしらの病院に相談出来ないかな。証明は出来ると思うんだよ。あらかじめ数字を渡されておいて、お互いが夢の中で会話しないとお互いの数字が分からないようにするとかさ」
「治せると思うかい?」
「分かんないけどさ、もう本当に嫌だよ。本当に嫌だ。お互いに大嫌いな人と毎晩もっともプライベートな時間を過ごさなきゃいけないって、白猫だって嫌だろう」
「だから快適に過ごせるように毎晩話し合いをしているじゃないか」
「数年間ずっとね。それで少しでも快適になったかよ」
「すこぶる不快だね」
あまりに気分が悪いせいだろうか。僕は今まで思いもつかなかった方法を試した。
白猫の声が聞こえる度にその声をホワイトノイズにした。
『この眼鏡をかけると、匂坂白猫が透明になる』と思いながら眼鏡を創ってかける。
匂坂白猫は視界から消え、時折聞こえてくる声は無意味なホワイトノイズに変わった。
明晰夢状態の改変能力は、実在する存在である匂坂白猫にも適用される。
「白猫。僕の声が聞こえないように、僕の姿が見えないように夢を改変してみろ。お互いにも明晰夢の改変は使える。今後はお互い居ない存在として無視しあって過ごそう」
ホワイトノイズが返ってくるが、その音だけでなにか憎まれ口を言っていることが分かる。
「毎年、天灯に白猫が消えますようにって書いて飛ばしてたよ。願い事は自分で叶えるべきだね。さようならー」
数秒のホワイトノイズ。僕は完全にミュートする。
バチ、バチバチと黒い火花が夢の中に散る。互いの想像が矛盾したときのエラーみたいなモノ。
意思が強い想像が片方の想像を塗りつぶすと消える。
「そうか、分かるハズが無かったんだ」
ミュート。黒い火花が激しさを増す。
「同じ夢を見ているから──」
ミュート。
「私は透が大嫌いだよ。だから毎年天灯にはね──」
ミュート、ミュート、ミュート。夢の世界が振動するほどの黒い火花が散る。
毛の無いゴリラの様な巨人が僕の、僕一人が入った虫籠を覗く。
夢にまで見れなかった、たった一人の夢の時間。至福の悪夢。
まさか現実に存在する人間のことを居ないことに出来るなんて、そんな無茶は考えもしなかった。
なぜ、考えもしなかったのだろう。現実の人間の声を聞かず、姿を見ないで、消してしまうという簡単なアイデアを。
それ以来、匂坂白猫は僕の夢から消えた。
「あんた、匂坂白猫ちゃん覚えてる?あんたの元カノ」
母親が夕食の時に唐突に言いだした。
「あいつの話しないで」
せっかく僕の人生から消えたんだ。最近は意識して消さずとも匂坂白猫は夢に出てこない。
「あんたね。初恋の女の子のことくらい無かったことにするんじゃないよ。バカ。長いこと鬱病で不登校だったらしいんだけど、この前自殺未遂して意識不明らしいわよ。薬を沢山飲んで、今流行ってるんでしょ?オーバードーズって奴」
は?自殺?
「あのコの母親、子供にこんなこと言うのもなんだから小学生の時は言わなかったけど、アレでね。あのー……おかしいよ。匂坂さんは。うん。かわいそうに。白猫ちゃんはあんなに良い子なのに」
「ふーん」
バカだなあ。
本当にバカだなあ。僕らは。
同じ夢を見ている?だからなんだよ。完全に分かりあえてしまった?そんなワケがねえだろ。人と人が、分かりあえるワケがねえだろ。
匂坂白猫は、マゾヒストで、サディストで、嫌いな女子を色んな拷問器具で性的にいたぶる妄想が好みで、監禁されたいという願望があって、母親がイカれてて、父親は役立たずで、そのせいで苦しんでいることを、僕は知っている。
それがどうして匂坂白猫のことを理解していることになるのだろう。
どんな夢を見ているか毎晩知っていて、毎晩夢の中で罵りあって、それがどうして誰かのことを理解したなんて傲慢な思い上がりに繋がるんだろう。
人と人は分かりあえない。
それどころか僕は自分の事もまったく分かっていないのだから。
だって、だって。
僕は匂坂白猫が自殺未遂して意識不明と聞いて泣いている。
医者の話では、白猫の脳がどこまで正常な意識を形成しているのか判断が難しいという話だった。
「夢は見ていますか?」
「脳波検査では見ているとも見ていないとも、現状断言することは出来ません」
僕は毎日毎日見舞いに行って、何も声をかけずに見舞い客用の椅子を並べて眠り続けた。
「あんた、なんなの」
と匂坂白猫の母親は言った。
「あなたは、なんなんですか」
と僕は言った。
僕と白猫以外には理解出来ない異常な行動に、精神状態がショックで崩れかけていると診断、解釈をつけられて邪魔なノイズは消え去った。
ただ、ひたすらに夢の中で一人の女の子を探し続ける。
世界全てが大きな演劇舞台の夢の中で。
魔女狩りで沢山の女性が惨殺されていく夢の中で。
月の上で炎と影と虹が踊る夢の中で。
東京が瓦礫の山になる夢の中で。
人形が包丁で人々を殺していく夢の中で。
弱っちいナチスを銃で撃ち殺す夢の中で。
世界中の高校の校舎が繋がった夢の中で。
僕は夢の中で君を探し続ける。
匂坂白猫は、小学五年生の夏祭りの夢の中に居た。
白猫の隣に居たのは小学五年生の僕だった。だから、この夢に僕が登場する余地は無い。
白猫は天灯に願い事を書いている。
『とおるをきらいなのがすきになって、なかなおりできますように』
本当に、僕らはなにも分かってないんだ。
好きなのか嫌いなのか、苦しいのか楽しいのか、一緒にいたいのかいたくないのか、そんなの世界中、自分一人分だってぐっちゃぐちゃのめちゃくちゃで、白とか黒とか透明とか虹色とか、そんな風に言葉に出来ないくらい限りなくカラフルで。
だから僕らはどれだけ近づいても間違える。
この夢で僕に身体は無い。この夢で僕に声は無い。
黒い火花が夢を揺らす。
金切り声を上げる幻想のエラーはドレミファソラシドとサイレンを鳴らし、極彩色に色が変わる。
これ以上の世界への反逆はこの少し不思議な奇跡が永遠に消失することを警告していると感覚で分かった。
僕と白猫は空に飛んでいく天灯の中に居る。
「本当、分からないな。
今でも君が嫌いだよ。
それなのに、君に居ないことにされたら、どれだけ薬を飲んでも一睡も出来なくなったんだ。
死ぬつもりは無かったんだよ。多く飲めば眠れると思って、それでも死にたかったのは確かだ。私は何も分かっていないよ」
「分かったつもりになってたね。僕ら。
分かったつもりになってたから、分かろうとしなくなった。
どうせ分からないからって分かろうとしないのも、分かったつもりになって分かろうとしなくなるのも、それは何かを塗り替えちゃうんだ。
考え続けるべきなんだ」
「考え続けていいのかい?分からなくても?
それでも、考え続けてくれるのかい?」
「それでも。分からなくても、考え続けよう。僕ら、目は覚めただろう」
白猫は泣いて笑う。僕らは筆を取り出した。
『それでも、一緒にいられますように 井上透 匂坂白猫』




