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拠り所

私は宗治に抱きついた。服から香るかすかな洗剤の香り、ほんの少し香る香水の香り、そして彼自身の匂いがした。私はきっとこれを求めていたのかもしれない。

「明子さん?」

「ごめん、宗治君。つい強く抱きしめちゃったわね。」

「ここだと僕たちの関係誤解されるので部屋に入りましょう。」

私達は部屋に入った。

「私は誤解されても何でもないけど、娘は夫のこと大好きだからこんな所見せるわけにはいかないわ。」

「つまり僕に少しでも気があると言うことですか?」 

「悪いけど今そう言う気分じゃないの。」

「悪かったよ。」

私はハンカチで涙を拭いた。

「優しいね。宗治君は。こんな30代後半なんて情けないでしょ?」

私はこうやって自分の弱さを見せたのははじめてだった。弱い自分でいることが怖かった。旦那の前でも強い自分でいたし、娘の前では強い自分でいなきゃいけない。本当は強くなんてないちっぽけな人間だ。窓から見える大きな楓の木を見れば人間など何でも知ったかぶって強がってる生き物だ。

「情けないことなんてないです。明子さんが僕より一周り上だからって何だって言うんですか!僕は何があっても明子さんが好きです。」

「もしかして口説いてる?」

「そんなつもりはないです。女性として言う意味じゃなくて人としてですね。もちろん恋愛対象としても好きですけど。」

コタツで彼と足がぶつかる。

「旦那は最初は優しかったわ。何で私のことが好きかよく分からないけど私のことを彼なりに気遣ってくれたの。だけど最近になって本当に冷たくなりだした。私は何もしてないの。それに私が追い詰められてる時でも無神経にしつこく求めてきたりするの。そのくせ学生時代の幼なじみと一緒に私のこと悪く言ったり外で女と遊んだり。私が遊ぶのは駄目みたいね。正直夫婦でいる意味なんて分からない。」

いつの間にか口を開いて不平不満を言っていた。

「それなら明子さん旦那さん的にはアウトですね。僕と会ってますから。もしかして旦那さんから暴力を受けてるんですか?それで泣いて僕のところに来てくれたんですか?」

「確かに旦那からビンタされることも増えたけどそうじゃないの。ストーカーに私の電話番号だけじゃなくて固定電話も特定されたの。多分住所もバレてるかもしれない。」

「警察には言ったんですか?」

「生活安全課には言ったわ。パトロールをしてくれるだけでその男について調べてくれないの。」

「それは辛かったですね。」

宗治は期待させるような軽い言葉を言わなかった。それで良いんだ。こうやって共感してくれて私は嬉しい。

「僕はそのストーカーを追い払えるほどのヒーローにはなれない。だけど困った時とかピンチの時には電話して欲しい。」

彼は私をゆっくり抱きしめる。こんな抱擁は何だか久しぶりだ。旦那との機械的な義務としての抱擁とは違う。彼の温度を服を越えて感じる。

「都合良く助けを求めてもらっても良いよ。明子さんはだって悪い人じゃないから。」

「この世の中で何が完全に良い人なんていないよ。だけど宗治君も悪い人じゃない。人生で色んな人を見てきたから。37年生きて来たから。」

「誰が何言おうと明子さんは良い人だよ。」

「こんなおばさんにそう言ってくれてありがとう。」

「おばさんなんて言わないでください。」

「自虐じゃないの。私、もう40代になるから。」

「30代でも40代でも目的が持って生きればいつでも若くいられるんじゃないんですか?」

「その心をずっと持ち続けられれば良いわね。」

私も若い時は彼のように年齢など考えずやりたいことに忠実だった。子供が産まれる前まで年をとる実感などなかった。これからやって来る未来にかすかながらの希望を持って生きてた。特に私は学生時代は面白くなかったからこの絶望から解放されたいと言う気持ちを持ち続けて生きて来た。だけど今はそんなかすかな自分自身の為の希望はない。40代を迎えようとする私にとってはただ平等に近づいて来る死と向き合うのみだ。

「明子さん!」

「悪いわ。つい考え事をしてて。ただ色々きいて思ったの。」

私はお茶を口にした。

「その気持ちをずっと持ち続けなさい。かすかな希望を忘れないでずっと生き続けることを。そうでもしないと心までも老いてしまうわ。」

目の前にいる宗治の顔が彩葉に変わったり、若い時の私自身に変わった。

「これからどんどん辛いことがやって来るけどかすかな希望を忘れないで。泣き言言った私が言えるようなセリフじゃないけど。今言ったことを心の奥底にしまうだけでも良い。」

「泣き言言うのに年齢なんて関係ないです。僕はただ明子さんに幸せになって欲しいと思うので。引っ越し作業で会った時から明子さんが気になってましたから。」

「よりによって何で私?あなたくらいの年の女性で良い人はいないの?」

私は好きな理由を知りたかった。

「最初は明子さんみたいな人と結婚したいと思ってた。だけど明子さんがこうやって心を開いてくれてから嬉しかった。だからより好きになった。」

「そうすぐには答え出せないわ。私には守るものがあるから。」

「分かってます。」

私は宗治と映画を見た。主人公はいつの間にか誘拐されて記憶を消され地下で監禁される話だ。

「記憶を失った人間にとっては今までの自分は死んだと同然のものね。何と言っても監禁されて今まで関わっていた人とも隔離されるんだから。」

「何でこの映画を選んだんですか?明子さん、不安になるだけの映画だと思いますが。何と言うか見てて終始ハラハラドキドキすると言うか。」

「自分でも感情が安定してないことくらい分かってる。時々道理と反する行動をするの。世の中分かりやすい人間と理解しがたい人間がいるの。私は後者の人間よ。私は誰にでも理解されてたいと思わないし、分かりやすい人気者も羨ましいだなんて思わない。自分自身も時々分からなくなることがある。」

「僕は理解しがたい人間ですか?」

「宗治君は私にとっては分かりやすい人間ね。私には好きと言う気持ちを包みかかさないし、私と一緒にいたい気持ちが伝わるわ。」

「それが偽りだとしたら?」

「あなたらしくないことを言うのね。傷つきもしないわ。そんなことに時間を割いてる場合じゃないの。私が何よりも大事なのは私の娘、相田彩葉なんだから。」

「流石に娘さんには負けますね。さっき言ってた私にとっては?」

「仕事中のあなたは偽りの自分よ。社会的立場の為に宗治君は演技してる。いくら気持ちに正直な人間でもこんな社会で生きてくには大半は場所によって違う自分を演じるのよ。いくら大企業で多くのお金を貰おうと有名になろうと偽りの人生を送る人もいる。」

「それなら多くの人が分かりやすい人間と理解しがたい人間を行ったり来たりしてますね。」

「それもそうだけど。私は常に偽ってるわけではない。人生であまり悟られたくないと言う気持ちが強くなっただけよ。」

私を理解するのは難しい。旦那はもちろん、娘や宗治ですら。そうなったきっかけが思い出せない。亡くなった両親からそれなりに愛情をうけて育ったつもりだ。

「私の気になってる映画に付き合わせたわね。宗治君はどんな映画が好きなの?」

「僕はヒューマンドラマや恋愛ものやコメディーが好きです。」

「私は違うのね。」

「明るい映画を見ればどんな辛いことがあっても常に明るくいられると思うので。」

「私と映画の趣味が違うようね。」

「コメディーとか嫌いですか?」

「そんなことないわ。だけど胸糞悪い映画とかミステリーとかの方が現実があるの。世の中に完全な喜劇なんてないの。世の中は汚いから何でもかんでも童話や映画の中のようにうまくいくわけではない。世の中にあるのは悲劇かかすかな喜劇ね。」

「確かにきれいなもんじゃないです。だけどそんな悲劇ばかりじゃないと思いますよ。」

宗治はきっと楽観的だ。


1週間後私は娘が生け花とレザークラフトの習い事の途中買い物をしていた。久しぶりに1人でゆっくり買い物する。買い物してると電話がかかってくる。

「もしもし。」

「レザークラフトの講師、増山美紀です。すみませんが、相田彩葉さんのお母様でしょうか?」

「はい。そうです。」

娘の習い事の講師から直接電話が来ることはそんなにない。

「彩葉さんは本日家にいらっしゃいますでしょうか?お伺いしましたが留守になってまして。」

「主人が家にいるはずだと思いますが?」

「インターホンを鳴らしましたが誰も出られませんでしたので。」

「申し訳ありません。本日はレッスンをお休みにしてください。必ずキャンセル料払いますので。」

娘は授業を今まで一度もサボったことがないし、レッスンも体調不良をのぞいて一度も休んだこともない。

「お願い電話に出て。」

彩葉に連絡してもつながらない。

「何で。何が起きたのよ!」

私は旦那にも電話をした。しかし何も反応がなかった。

「どうして克也まで電話に出ないのよ。」

私は一度家に帰った。家に帰ると誰もいなかった。

「あやちゃん!どこにいるの?いるなら返事をして。」

勉強部屋にもいなかったし、普通の部屋にもいなかった。

「何が起きてるの…あやちゃん、克也!」

娘は家のどこにもいなかった。今まで1人で外に出たことない彩葉が突然出かけるのは想像し難い。

「まさか誘拐…!?」

私は急いで外に出た。商店街などを探したが娘はいなかった。

「すみません、12歳くらいの女の子見ませんでしたか?こちらがうちの娘で。」

「見てません。」

「ありがとうございます。」

しばらく駆け足で走ると娘の友達、美咲がぶつかった。

「すみません。」

「美咲ちゃん!」

驚いたかのように私を避けるように走る。

「美咲ちゃん、待って!うちのあやちゃんを知らないの?」

「知りません。塾あるので、すみません。」

「ねえ何か知ってるんでしょ!」

私は美咲の腕をつかんだ。

「本当に何でもないんです。」

彼女は私の腕を振りはらいどこかに行ってしまった。そしてさらに走ると公園から美咲の声が聞こえた。行ってみると人気のない場所だった。彩葉が知らない女の子達と一緒だった。

「おいテメエ‼︎調子に乗るなよ。」

「駄目なものは駄目だよ‼︎」

「うるさい。知らない奴が偉そうなこと言ってんじゃねーよ。」

「でも残念だったね。ブス美咲が逃げたなんて。」

彩葉は蹴飛ばされた。

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