【悪魔の子】
第一章 きっかけ
名無 無名がこの高校に転校してきたのは、ちょうど新学期が始まって数週間が経った頃だった。転校生は珍しくはなかったが、無名には何か他の生徒とは違う雰囲気があった。
無名は静かで、必要以上に人と関わろうとはしなかった。授業中も私語をせず、先生の話を黙って聞き、ノートをとる。休み時間になれば本を開き、昼食も一人で食べた。
しかし、無名の存在が本格的に目立つようになったのは、最初の定期テストの結果が発表されたときだった。
「1位……名無 無名?」
教師が成績上位者の名前を読み上げると、クラスの空気がざわめいた。今までずっとトップの座にいたのは、鳥魔 理沙だった。しかし、無名は理沙の点数をわずか数点上回り、1位の座を奪ったのだ。
理沙の顔が引きつる。
「なにそれ……」
テストが返却されると、理沙は無名の席に近づいた。
「ねぇ、あんたさ……どこの塾通ってんの?」
「……通ってませんけど」
無名は淡々と答えた。それが理沙の苛立ちをさらに煽った。
「は? じゃあ、どうやって勉強してんの?」
「……普通にやってるだけです」
その言葉に、理沙の顔が歪んだ。
(普通にやってるだけ、ですって? じゃあ、私は必死に努力してきたのに負けたってこと?)
納得がいかなかった。理沙は成績のために塾にも通い、夜遅くまで勉強していた。それなのに、この転校生はあっさりと自分を追い抜いた。
その日から、理沙の中に無名への敵意が芽生えた。
最初はただの嫌味だった。
「すごいねぇ、天才様は!」
「どうせ裏でカンニングしてんじゃない?」
「そんなに頭いいなら、友達作る必要ないもんね?」
しかし、理沙の苛立ちに木村 舞美と眉村 美波が同調し、やがてそれは"いじめ"へと変わっていく。
第二章 終わらない
最初は筆記用具が無くなる程度だった。机の中に入れていたはずのシャープペンが消えていたり、消しゴムがなくなっていたり。しかし、日に日にエスカレートしていく。
ある日、無名がいつものように席に座ると、机の上に黒いマジックで書かれた言葉が目に飛び込んできた。
「死ね」
無名はそれを見つめたまま、何も言わなかった。だが、その沈黙が余計に理沙たちを楽しませた。
「うわぁ、落書きされちゃってるじゃん。かわいそ~」
「ほんと、誰がこんなひどいことするんだろうね?」
理沙、舞美、美波の3人がくすくすと笑う。無名はただ黙って、黒いマジックを指でこすった。しかし、消えなかった。
次の日、彼の机の中には腐った牛乳が入れられていた。教科書は白く汚れ、異臭を放っていた。
教師が見ていないところで足を引っかけられ、廊下で転ばされたこともあった。給食に異物が混入されていたこともあった。
周囲の生徒たちは見て見ぬふりをした。
ただ一人、花瀬 安奈だけは無名を気にかけていたが、それでもいじめを止めることはできなかった。
無名は耐え続けた。
だが、それは限界を超えるための時間稼ぎでしかなかった。
第三章 限界
無名の家は裕福ではなかったが、義理の両親は彼を大切にしてくれていた。特に義理の父は、無口だが優しく、無名に勉強の大切さを教えてくれた。
しかし、ある日
義理の父が倒れた。
病院で医師から告げられたのは、深刻な病状だった。治療には莫大な費用がかかるが、家にはそんな余裕はない。
無名は、学校が終わるとすぐに病院へ向かう日々を過ごした。勉強する時間も減り、食事ものどを通らなくなった。
そんな時だった。
「ねぇ、無名く〜ん、お父さん死んじゃうの?」
教室で理沙が笑いながら言った。舞美と美波も大声で笑った。
「かわいそ~! ねぇ、もしかしてもうすぐ孤児に逆戻り?」
「また施設に入れば?」
無名の心は、何かが千切れるような音を立てた。
気づいた時には、理沙の顔を拳で殴り飛ばしていた。
舞美の悲鳴が響く。美波が手を上げたが、無名は容赦なく彼女の腕を掴み、強くねじり上げた。骨が軋む音。
彼の視界は赤く染まっていた。
理沙達は病院送りになった。
無名は学校を退学処分となった。
第四章 そして悪魔に
「謝りに行こ。」
義理の母は、無名にそう言った。彼を育てた母親として、これ以上見過ごすことはできなかった。
しかし、無名は低く呟いた。
「……悪いのは、あいつらで」
「違う……あなたは人を傷つけたのよ」
「僕は、悪くない……」
「無名……お願いだから……」
母の涙を見た瞬間、無名の心に黒い感情が渦巻いた。
なぜ、僕だけが責められる?
気づいた時には、手にナイフを握っていた。
「……裏切ったね」
「無名……?」
「母さんも、僕を捨てるんだね」
「待っ――」
刃が、義理の母の胸を貫いた。血が床に広がる。
無名の手は、震えていなかった。
(ああ……そうか)
彼はようやく気づいた。
自分が"悪魔の子"だったのだと。
第五章 虐殺
血の匂いが消えない。
義理の母を刺し殺したあの日から、名無 無名の中で何かが変わった。
いや、違う。
本当は最初からこうだったのだ。 ただ、それを隠していただけ。
もう、我慢しなくていい。
頭の中で誰かが囁く。
無名はゆっくりと微笑んだ。
「全部、終わらせよう。」
鳥魔 理沙の家
その夜、無名は鳥魔 理沙の家の前に立っていた。
夜風が吹く中、家の窓からは暖かそうな光が漏れていた。
(まだ幸せに生きているんだね、君は。)
無名はポケットからナイフを取り出し、音もなく門を開けた。
家の鍵はかかっていたが、問題なかった。窓の鍵は外から簡単に開けられるようになっていたからだ。
静かに中に入り、リビングを見渡す。ソファには理沙の両親が座っており、テレビを見ながらくつろいでいた。
何も知らずに。
「……誰?」
母親が気づいた瞬間には、無名は理沙の母親の喉元を切り裂いていた。
温かい血が飛び散る。父親が立ち上がるが、その足元を蹴り倒し、喉元にナイフを突き立てる。
ぐらりと倒れる二つの影。血の海。
静寂。
「……ぁ……」
二階から、理沙のか細い声が聞こえた。
無名は静かに階段を上がり、理沙の部屋の扉を開けた。
理沙はベッドの上で震えていた。
「な、なに……して……」
「こんばんは、鳥魔さん」
無名は微笑んだ。
「鳥魔さんの家族を殺しました」
僕は満面の笑みでそう言った
「......ッ!」
理沙が悲鳴を上げる前に、無名はナイフを振り下ろした。
木村 舞美の家
同じだった。
舞美の両親も、何も知らないまま死んだ。
舞美たちは泣き叫んだ。許しを請うた。
だが、無名は聞かなかった。
許すつもりなど、最初からなかったのだから。
夜の静寂に包まれた街を、名無 無名は歩いていた。
すでに鳥魔 理沙と木村 舞美はこの世から消えた。
最後に残るのは眉村 美波。
美波は、無名にとって最も憎い相手だった。
彼女は、理沙や舞美とは違った。
言葉だけではなく、暴力で無名を追い詰めた。
何度も殴られ、突き飛ばされ、唾を吐かれた。
あの時の痛みが、今も体に残っている気がした。
だからこそ
彼女には特別な罰を与えなければならない。
眉村 美波の家
眉村家は、一見すると普通の家庭に見えた。
だが、無名は知っていた。
美波の家は暴力が支配する家だった。
美波の父親は酒に溺れ、母親はほとんど家にいない。
美波が喧嘩に強いのも、家庭内で暴力に慣れていたからだ。
(どうせ、お前の家族もろくでもないんだろう?)
無名はゆっくりと家の門を開けた。
鍵はかかっていなかった。
夜中だというのに、家の中から怒鳴り声が聞こえてくる。
「おい、誰がこんなまずい飯作れって言ったんだよ!」
男の怒鳴り声が響く。美波の父親だろう。
「やめてよ……っ、パパ!」
美波の声が聞こえた。
無名は笑った。
(いつもは偉そうにしていたのに、眉村さんも被害者なの?)
だが、無名の心に同情はなかった。
加害者だったお前が、今さら被害者面をするな。
無名は音もなく廊下を進み、リビングへと足を踏み入れた。
虐殺の始まり
「……誰だ!?」
酒を片手にした男が、無名を見て怒鳴る。
美波もソファの上で震えていた。
「誰だって? そんなの、決まってるだろう」
無名は微笑んだ。
「お前の娘の"友達"さ」
男が文句を言う暇もなく、無名はナイフを振り下ろした。
鋭い刃が男の首に突き刺さる。
血が噴き出し、男はもがきながら倒れ込んだ。
「ひっ……!」
美波が後ずさる。
無名はゆっくりとナイフを抜き、今度は母親の方へと歩いた。
「や、やめ……」
叫ぶ暇もなく、刃が彼女の腹に突き立てられる。
母親はゆっくりと崩れ落ち、動かなくなった。
リビングに漂う、鉄の匂い。
美波の最期
美波は、壁際に追い詰められていた。
「無名……なんで……?」
「……なんで?」
無名は笑った。
「眉村さん、覚えてないの?」
美波は震える唇を噛みしめた。
「お前が僕を殴ったこと……蹴ったこと……笑いながら"死ね"と言ったこと……全部、忘れたのか?」
無名は美波の前に立ち、ナイフを彼女の喉元に突きつけた。
「ねぇ、眉村さん」
「……」
「お前さ、"痛み"ってわかる?」
「……わかるよ……」
美波は涙を流しながら答えた。
「違うよ」
無名はゆっくりと首を横に振った。
「お前が味わった痛みなんて、本当の"痛み"じゃない」
無名は、美波の腕を掴み、思い切りへし折った。
「ぎゃああああああっ!!!」
悲鳴が響く。
「眉村さんがやってきたのは、こういうことなんだよ?」
さらにもう片方の腕を折る。
「ひっ……ぁ……!!!」
美波の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
「怖い?」
無名は優しく囁いた。
「怖いよね……僕も、ずっと怖かったよ」
ナイフを高く振り上げる。
美波は、最後の力を振り絞り、叫んだ。
「ごめん……ごめんなさい……!!」
「……遅いよ」
僕はナイフを振り下ろした。
終わりの始まり
無名は血まみれのまま、夜の街を歩いていた。
鳥魔 理沙も、木村 舞美も、眉村 美波も、もういない。
彼女を苦しめたものは、すべて消えた。
でも、心の中には何も残らなかった。
憎しみで埋め尽くされた心は、復讐を果たしてもなお、空虚なままだった。
気づけば、彼の足は花瀬 安奈の家へと向かっていた。
(優しい君さえ、許せない。)
無名はナイフを握りしめた。
第六章 最後の灯火(花瀬 安奈の家)
静寂の夜。
名無 無名の足は、自然と花瀬 安奈の家へと向かっていた。
理沙も、舞美も、美波も消えた。
彼を苦しめた者は、もうこの世にいない。
なのに、なぜだろう。心が、何も満たされない。
まだ足りない。
まだ終わっていない。
無名は、ポケットの中のナイフを握りしめた。
温もりのない、冷たい刃が指に触れる。
花瀬さんは、無名に優しくしてくれた。
誰よりも気にかけてくれた。
それでも――
許せなかった。
「……どうして花瀬さんは、助けてくれなかったの?」
無名は、誰にともなく呟いた。
もし、花瀬さんがもっと強かったら
もし、花瀬さんが僕を救っていたら
僕は、こんなふうにならなかったのに。
ナイフを握る手に力がこもる。
花瀬 安奈は、"無名に優しくしてくれた唯一の人間"だった。
だからこそ、許せなかった。
花瀬 安奈の家
安奈の家は、無名の家からそれほど遠くなかった。
彼女の家の灯りはまだついていた。
無名は、そっと門を開ける。
鍵はかかっていなかった。
(こんなにも、無防備でいいのか?)
無名は、何も言わずにドアノブを回した。
カチャリ
扉が静かに開く。
無名は、音もなく家の中へと入り込んだ。
最後の対話
リビングには誰もいなかった。
だが、二階の部屋から灯りが漏れていた。
安奈の部屋だ。
無名は、静かに階段を上る。
一歩、また一歩と、慎重に足を運ぶ。
そして、ドアの前に立つ。
無名は、そっとドアをノックした。
「……誰?」
安奈の声が聞こえた。
「……僕はだよ」
「……無名くん?」
安奈がドアを開ける。
「え......」
その瞬間、無名はナイフを彼女の腹に突き立てた。
血の匂いが広がる。
「……ぁ……」
安奈の瞳が揺れる。
大きく見開かれた瞳が、無名を映す。
「……な……ぜ……?」
彼女は震える声で呟いた。
無名は、ゆっくりと笑った。
「君は……優しすぎたんだよ」
安奈の体が崩れ落ちる。
無名は彼女の肩を支えながら、そっと床に寝かせた。
「……無名……くん……」
血が口元から溢れる。
だが、安奈の目は、最後まで無名を信じる光を失っていなかった。
それが、無名には堪えられなかった。
「……どうして……?」
無名は、嗚咽を漏らした。
「どうして……そんな目で、僕を見るんだ……」
無名はナイフを握る手を震わせながら、安奈の髪をそっと撫でた。
終焉
花瀬 安奈は、もう動かない。
無名は、血まみれのナイフを見つめながら、膝をついた。
静寂。
窓の外から、遠く警察のサイレンの音が聞こえる。
(……ここまでか)
無名は、ゆっくりと立ち上がった。
そして、ナイフの刃を自分の喉元に向けた。
これで、本当にすべてが終わる。
――そう思ったその瞬間。
「無名くん!!」
耳元で、誰かの声がした。
(……え?)
無名は、驚いて振り向いた。
そこには血まみれのはずの花瀬さんが、涙を流しながら立っていた。
「……っ!!?」
無名の体が硬直する。
安奈の瞳には、まだ生きる光が宿っていた。
「やめて……っ!」
彼女は震える声で叫んだ。
「お願いだから、死なないで……!」
無名の手が震える。
(……どうして……?)
どうして、君はそんな目をするんだ……!?
ナイフを握る手に力を込める。
(終わらせなきゃ……終わらせなきゃ……!!)
だが、無名の手からナイフが落ちた。
カランと乾いた音が響く。
その瞬間、安奈が無名の腕を掴んだ。
「無名くん……」
温かい。
ただ、そのぬくもりが
今の無名には、あまりにも眩しすぎた。
無名の瞳から、涙がこぼれ落ちた。