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七幕 公認の殺し合い

 私のブーツのつま先が柄頭とぶつかり、痩せぎす男の節くれだった指からナイフがすっぽ抜ける。


 そのまま両手を着いて後ろ宙返り。

 着地すると、痩せぎす男が自棄になって殴り掛かってきた。


 空から丁度落ちてきたナイフの柄をキャッチする。

 突き出される拳を躱しながら前へ。


 ──逆袈裟。


 喉を裂かれた不埒の輩は、私の肩に顎を乗せて掠れた息を吐いた。


「……この、人殺し、がぁ」


 その言葉を最後に男の瞳孔が開き、僅かに私より背の高い体から力が抜けた。

 二歩後ろへ下がると、地面に鼻面をぶつけて遺体が俯せになる。


 ふと、視界が暗い事に気付いた。

 背後でその辺にある木箱が持ち上げられていて、その影が差しているかのように。


 開脚しながら上半身を倒しつつ、伸ばした右腕を肩越しに後ろへ振る。

 逆手に持ったナイフが木箱に刺さると、振り返りながら柄に両手の指を絡め、丸めた体を持ち上げた。

 視界を木目が掠める中、翻った勢いそのまま横板を掻っ捌いて刃先を抜き、木箱を叩き付けようとしていた大男の後ろへ逃れる。


 地面に叩き付けられた木箱が粉砕された。

 禿頭の大男の腕先で、木の破片が飛び散った。

 その背中に間を置かず肉薄して、うなじに刃先を埋め込む。


「ねぃッ」


 両腕を下に振り抜く。

 脊椎を割られたならず者が、破けた衣を真っ赤に染めて、横倒しに崩れ落ちた。

 熱い液体が頬に撥ねる。

 静かに息を吹いた。


「何を、している」


 砂を踏みにじる靴音と青年の声が、重なり合って路地に響く。

 血に濡れそぼったナイフを握りながら、首だけで振り返った。


 その青年は、真っ黒い外套を着ていた。

 前留め物で袖があり、裾は膝丈。

 襟や足下から覗く衣も同色だ。

 腰に佩いた鞘入りの長剣は、彼の矮躯からすると如何にも長過ぎる。


 髪は日をよく跳ね返すプラチナブロンド。

 繊細な印象を与える細面が、今は薄い唇を引き結び、端正な眉を吊り上げていた。


 沈黙する私に青年は目を眇め、こちらに向けて歩き出した。


「どこにある、どんな街でも、罪科は等しかろう」


 右手を見下ろせば、刀身から指を伝って、未だに血が滴っていた。

 騎士は徐に刃を抜いて、白く細い首筋にぴたりと宛てがう。


「運の尽きだ、諦めろ。見たところ」


 私の肩越しに、黄瞳が二つの遺体へ視線を送った。


「恩赦はない。陪審員の判決は主観が物を言う。現場を見れば村民の誰もが卒倒するだろう」


 通りには血の香りが充満していて、なんだか肉料理が食べたくなってきた。


「悪いけど」


 ナイフを後ろへ放り投げる。

 くるくると回転した切っ先が、痩せぎす男の死体に突き立った。


「予定あるから」

「その予定はキャンセルだ」

「そうもいかないかな」


 不審な動きを見せたからか彼の剣が私の首筋に浅く食い込み、赤い雫が鎖骨を伝って襟の中まで流れ落ちる。

 相変わらず背後を取られたまま、横顔だけで苦笑いを浮かべた。


「まだあまり仲良くない仲間と食事の約束をしてるんだ」


 彼は信じられないものを見たように、切れ長の双眸に嫌悪を滲ませた。


 ──上半身を前に倒し、右足を後ろで跳ね上げる。


 私の右踵に顎を弾かれ、力の抜けた青年が剣の柄を手放す。

 左足も上げて前方宙返り。

 着地しながら、彼の剣を後ろ手に掴んだ。


「てめ、返せ……!」


 へたり込んだ青年が、剣を取り返そうと腕を伸ばす。

 振り返りながら、その側頭部を右足の甲で蹴り飛ばし、建物の壁に打ち据えた。

 痛みに呻く青年の顎を、剣の切っ先でクイっと持ち上げながら訊く。


「君も死にたい?」


 上に向けられた剣身が、建物に切り取られた青空を映した。

 青年は喉を鳴らし、憎々し気に突きつけられた剣を見下ろす。


 黙り込む青年から目を離さずにしばらく考える。

 仕方ない。


 長剣を放り投げる。

 死んだゴロツキ達が広げる血溜まりに落ちて、水音が鳴った。

 反射的に自分の得物を視線で追った彼の首の付け根を、今度は左足で打ち据えた。


「ぐぁッ!?」


 青年の体が勢いよく横倒しになる。

 気を失った青年の肩をブーツで仰向けに転がした。

 首を絞めれば、後顧の憂いは無くなるだろう。

 弱々しい日差しに、彼の長い睫毛が艶めく。


 血に濡れた長剣を拾い、浅く上下する胸元に置いた。

 朱く染まった指先を、彼の頬に擦り付ける。

 これで傍目には、この青年が殺人犯に見える筈だ。


 返り血を拭いながら歩き出す。

 目抜き通りが近付くにつれ、喧噪が聞こえてきた。

 見えてきた往来は眩しくて、私は目を細めた。






 ミリーネが焦げ付いた肉を引き千切って、片方の眉を上げる。


「ゴロツキの対処方ぉ?」


 真面目に頷くと、彼女は鼻で笑って木杯に注がれた麦酒を呷った。

 クレンズが女給に水差しを頼んでいるが、この娘が素直に飲むとは思えない。


「私なら、冒険者章を見せて引かないようなら、殺さない程度にお仕置きします」


 長い髪を橙に閃かせながら、据わった目を灯りから伏せて。

 頬を指差して見せる。


「ソンファ」

「ご心配無く。返り血ですので」


 ひと悶着あったのは私だけでないらしい。

 行儀良くフォークで切り身を口に運びながら、青年が「そういえば」と零した。


「角印がうろついてるな」

「さっき絡まれたわー。適当に伸しといたけど、見ない間に随分偉くなったんだね」


 顰め面で口角だけ吊り上がるミリーネ。

 私は眉を寄せた。


「戦団か何か?」

「いや、ジルフットにそんな志はないだろうさ。メウセーズでは昔ちょっとした勢力だったが、東部戦線で」

「んなぁ、あったねー」


 少女が得心した様子で頷く。

 果実水をひと口含み、喉を潤してから瞳をソンファに向けた。


「具体的にはどんな印なの?」

「牡鹿の髑髏です。左胸にエンブレムが縫い付けらているかと」


 瞬く瞼の裏をブロンドの青年が過る。

 彼の外套にも、印が縫い付けられていなかっただろうか。


 ふと酒場が俄かに騒がしくなってきた。

 私達がいる二階まで駆け込んできた男達の話を聞いて、食事中だった客達も面白がって階段を降りていく。


 後ろに仰け反って聞き耳を立てていたらしいクレンズが、こちらの卓に向き直るとため息を吐いた。


「噂をすればだ」

「マジ?私達もいこーよ」


 ミリーネが悪い笑みを浮かべる。

 匙でシチューを掬った。


「私はいい」


 匙を頬張った。

 二人は早々に席を発つ。

 ソンファが杯を揺らして、中の果実水に映り込む自分の顔を覗き込んだ。


「私とあなた、どちらが関わってる案件かで賭けましょうか」


 シチューを飲み下す。


「銅貨五枚をベッドします」

「なら、私は今日の夕餉を」


 椅子を引く音が重なった。

 床板を軋ませ、前髪を揺らし、目を瞑る。


「宿に置いてきた剣、やっぱり持ってくればよかったかな」

「それなら心配要りません」


 下り階段の傍でソンファに並び、視線の先を追う。

 開け放された外扉の前で待つクレンズとミリーネの横には、いつの間に持ってきていたのか、四人分の武具が壁に凭れていた。






 往来は、南北をおおよそ真っ直ぐ結んでいた。

 他の小さな路は集落の中心から放射状に伸びている。

 故に中央広場は、バーヒンクのどこからでも見えるようになっていた。


「いいか、離すなよ」

「こいつ、ビクともしやがらねぇ……っ」

「おい、もっと人呼んでこい!」


 群衆が輪を為して遠巻きにする中、男達に取り抑えられているのは、どうやら金髪の青年らしい。

 緑髪の娘が振り返るのに合わせて、首ごと目を逸らした。


「見覚えは……二人共、夜はフィオがご馳走してくれるそうです」

「ふぇ?なんで?」


 呆けているミリーネを余所に回れ右。


「気を付けろ、もう二人殺られてる」

「所詮ガキだろ、囲んじまえば……」

「油断するな、多分冒険者だ」


 険しい視線を集め、捕らえられている当人は、鞘をきつく握り込み、黙って周囲に目を走らせている。

 視線を切って二歩。

 それが限界だった。

 背後で驚愕の声が群衆の間を波打つ。


 ──振り返りざまに居合。


 金鳴り。

 鞘から抜けきっていない刃と騎士剣が競り合って、火花を散らした。


「俺から逃げられると思ったのか?」


 冷たい煌瞳が間近に迫る。

 息を吐いて、愛剣を強引に振り抜いた。

 弾かれるように飛び退った青年と、得物を下げて向き直る。


「先に帰ります」


 野次馬に紛れていたソンファが、そう言って長い髪を翻した。

 クレンズは無言で後に続き、ミリーネはソンファにひと声掛けて、どうやらこの場に留まるようだ。


「聞けッ。先刻、このバーヒンクに於いて、鉄の掟が破られた」


 剣先がこちらに向けられた。

 聞き取れる程のものでもなかったが、周囲は微かにざわめき、視線が集まっていく。


「ジルフット組合所属、騎士アズライハ、この者を殺人容疑で告訴する。だが、不覚を取ったのも事実だ。俺が掛けられた嫌疑について、不服を申し立てるつもりはない」


 彼は片足を引くと、柄に空いた手も添え、正眼に構える。


「だが、唯一の目撃者が自身である以上、審議の正当性は否定させてもらう。因って、俺は此処に、この女との一騎打ちによる裁決を求める!」


 しばし遅れて、歓声が上がった。


 腕を掲げて囃し立てているのは、どれも平服を纏った村人だ。

 対して、武具を佩いた男や旅装束の女は、アズライハの提案に眉を寄せている。

 どうもこの集落は、娯楽に飢えているらしい。


 寸前まで彼を拘束しようと躍起になっていた男達が、忌々し気に顔を歪めながらも背後を振り向いた。

 耳目を寄せられた身なりの良い年配の壮漢は、腕を組み渋面を作ったまま。


「言うまでもなく、ここバーヒンクに於いても、定住と滞在の如何を問わず、人間の生命を故意に絶やす事は、法を以って固く禁じられている。違反者は持ち合わせる全ての私財を没収され、縄縛のうえでムートリクノに放擲し、山の神に沙汰を委ねるものとされる」


 しばしの逡巡を終えて、彼は瞼を下ろす。


「勝敗に拘わらず、試合後、両名共速やかに、この村を出たまえ」

「痛み入る」


 そう言うとすぐアズライハは腰を落とし、膝をたわめる。

 一足で私との詰めると、長剣を薙ぎ払ってきた。

 私は体の右側で剣を振り上げる。

 音が弾けた。

 青年が後ろに降り立つ。

 アズライハの剣を撥ね上げながら振り返った私は、得物を鞘に納めた。


「ちょっ、何やってんの!?」


 ミリーネが切羽詰まった顔で叫ぶ。

 こちらに向き直った騎士アズライハの顔を見るに、こちらが丸腰だからといって手を抜いてくれる気はないらしい。


 アズライハがまた走ってくる。

 切っ先を左に腰溜めしていた。

 刺突の構え。


 ──つま先を弾く。


 中空で上体を左に傾けながら旋回。

 左足を地面に着け、右脚を彼の側頭部へ斬り下ろす。


 アズライハは大きく踏み込み、地面すれすれに屈んでやり過ごす。

 切っ先がブレた。

 柄頭が前に出ている。

 刺突と見せかけて斬り払いが放たれる。


 私は剣を納めたが、アズライハからすれば今しがた剣を受け流されたばかり。

 彼の視線は私の両足を警戒している。


 ──頭を膝の間に埋めて、しゃがみ込む。


 回し蹴りの勢いで、両足が土に円を描く。

 頭上を長剣が掠め、見開かれたアズライハと目が合った。


 私は右足を大きく前に踏み出す。

 柄を握り、重心を前へ移した。


 ──愛剣を鞘から居合抜きする。


 青年の右わき腹から左肩に掛けて、黒い外套が赤く染まった。

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