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二幕 絆の色が赤い訳

 勢い余った上体が右後ろに捻じれる。

 つんのめる巨躯の上で、両足を毛深い背中に着け、思い切り膝を伸ばした。


 蹴り飛ばされた遺骸が、転がった床を血で染める。

 私も、砲弾のような速度で、反対へ跳ねた。


 仰向けに浮いたまますれ違う私を、残された斥候コボルド達は見逃さない。

 縦に流れていく視界に、落ちてくる刃と、突き上げられる矛を捉えた。


 ──開脚。


 上体を捻り、俯せになった瞬間、腰を引き戻す。

 右の踵が槍を打ち上げ、左のつま先が剣腹を押した。

 背のすぐ傍を穿たれ、股下に数センチの間を空けて、逸れた刃が風切り音を鳴らす。


 左手を着き、前方宙返り。

 途中で向きを変え、後方宙返り。

 弾みを付けて仰け反り、一つ上の段まで跳躍した。

 落下の慣性が、ようやく全て消費される。


「ふぅ……っ」


 息を吐き、見下ろした。

 二匹はそのまま追ってくるが、底から優に五メートルはある。

 背伸びしたところで届くまい。

 新手の二匹は坂の起点まで走り、ここまで登ってくる気のようだ。

 まずは上々。


 剣を腰の鞘に納め、道端の小石を蹴った。

 振り向けば、コボルド達が迫っている。

 視線を切り、前に駆けた。






 三周もする頃には、追手に殆どの距離を詰められていた。

 今走っているのが上から六段目。

 五層へ到達する前に、奴らの間合いに入ってしまう。


「……っ……っ」


 静かに呼吸を繰り返し、タイミングを推し量った。

 もうすぐ、大きな岩が見えてくる。

 例によって、立方体の白石だ。

 その影を越えた瞬間、呼び掛けた。


「ルーシュっ」

「──ス・カースラ!」


 明滅。


「ガルルルアアアアッッ!?」


 突然、打たれたようによろめいた先頭のコボルドが、足を滑らせ、崖から落ちていく。

 狙って下りなければ、路や底より、切り出された壁の角石にぶつかる。

 無事では済まないだろう。


「グルルル……ッ」


 先行していたもう一体が立ち止まり、腰を落として低く唸った。

 さっきの個体は大刀を持っていたが、眼前の敵は戦鎚を片手で担いでいる。

 肩越しにちらと坂の下を見れば、斥候兵の二体も合流しようとしていた。


「ガルルルオオオオンッッッ!!」


 動かない私達に痺れを切らした狼人が、得物を振り被って肉薄する。


「甘ぇんだよッ!」


 しかしハンマーが落ちる寸前、上空より飛来した影によって、その胴体は袈裟懸けに切り破られた。


「らぁッッ!!」


 返す刀で繰り出された横薙ぎが、呻くコボルドの脇腹に食い込み、崖下へと放り出す。

 大穴に反響する半狼の慟哭を聞きながら、青年は両刃斧の長い柄を肩に掛け、伸ばした金髪を掻き毟った。


「残り二匹か。まあ、褒めといてやるよ」


 こくんと頷いた、というより俯いて、ルーシュが礼をする。


「チッ」


 舌打ちしながら、崖を見下ろすヘルキオ。


「あいつらは無駄骨だったな」


 底では既に、新たなコボルド達が這い出していて、転がる死体に遠吠えを上げていた。


「行くぞ」


 身を翻す青年に、私達も黙って追従する。

 三人は足並み揃って、ひたすら登り続けた。






 小鳥の囀りを、掻き分けた茂みの葉擦れが打ち消していく。

 木漏れ日が度々目を掠め、視界は焼けて朧気だ。


 外縁、つまり地上を踏んでからも、私達は走り続けていた。

 “九段鉱”は遥か後ろで、もうどれくらい森を逃げ回ったか分からない。

 先陣を駆けていたヘルキオには案の定、方向感覚というものが全く備わっておらず、あのまま行けば囲まれるのは必定だった為、しばらく前から私が最前を受け持っている。


 踵を返した。


「おい、何やってる!」


 いきなり右へと針路変更した私に、左後ろに付けたヘルキオが食って掛かる。

 無視して右後ろを振り返れば、ルーシュは前髪に目を伏せて俯き、息も絶え絶えでどうにか付いてきていた。

 応答がない事に業を煮やし、節くれだった手が私の肩を掴んだ瞬間。


 ──ウオオオオオォォォォォン……。

 ──グギャギャギャギャ……。


 唖然とした青年が、弾かれたように振り向いた先。

 コボルドの遠吠えと対抗するように、響き渡った金切り声。


「ゴブリン……っ」


 私に続いて立ち止まったルーシュが、膝に手を着いて息と言葉を吐き出す。

 彼女の呼吸が整うのを待って、私はまた早足で歩き始めた。


「急ごう」


 獣道を分け入っていく私の背を、二人は黙って見つめていた。






「遅かったな」

「黙れ」


 笑いを含んだ声を掛けられ、ヘルキオがさも嫌そうに突っぱねる。

 堪え切れなくなったように大笑いしたブリードは、彼の方向音痴ぶりを知っているのだろう。


「くっくっくっ、腹いてー」

「静かにしろ、狩りの邪魔だ」


 橙髪の男が座る岩の陰から、そう言って青髪の少年が顔を見せた。


「首尾は──」

「すぐに来る」


 言葉の続きを遮った即答に、セルスが額に指を当てて瞑目する。


「……分かった。全員、配置に着け」


 不毛の丘は、日を燦々と照り返す。






 “岩の岬”に辿り着いたコボルド達は、鼻息も荒く血走った目を周囲に走らせる。


 身の程知らずにも突っ掛かってきた、忌々しい森の小鬼共を追い散らすのに、思ったよりも時間を取られてしまった。

 決して脅威には成り得ない脆弱な種族だが、極端に小さい躯故に、ちょこまか動き回られると、大柄な我々では得物を当てづらい。

 キーキーと煩い声も耳障りで、二匹はたった数分の追走の最中に、すっかり気が立ってしまっていた。


 それもこれも、全てはあの黒い毛並みの雌人間とその一党のせいだ。

 奴は一目散に逃げていたかと思えば、出し抜けに方向転換して我らを惑わせる。

 そのうえ何故か、雌人間が身を翻した先では決まって、小鬼の集団と遭遇してしまう。


 しかしなんにせよ、奴らの逃走もここまでだ。

 臆病者である小鬼達は、肌の色で紛れ込める森を、決して離れたがらない。

 草一本見当たらない白黄色の岩場とあっては、邪魔立てのしようもないだろう。

 大剣を携え、足音高らかに岩肌を踏みしめながら、見通しの悪い丘陵の中へと分け入っていく。

 人間風情に愚弄されたこの憤りを、連中の鮮血を以って贖う瞬間を待ち望み、剥いた牙を軋らせて。


「っグルル……?」


 両肩に乗る革靴の感触に、思わず頭上の影を振り仰いだ。






 逆向きに握った剣先を、灰毛の茂みに埋め込む。

 両手で柄に体重を乗せ、逆立ちする。

 畳んだ脚が前に落ちていき、背中が肘を下回る瞬間、指を放した掌を滑らせる。

 上体を縦に丸める。

 剣身が親指側に達した直後、柄を握り込む。

 両腕を振り下ろす。


 ──銀弧。


 大剣コボルドの胸骨から喉元までを引き裂いた愛剣が、髪に赤い雨を降らせながら懐に戻ってきた。


「グルルルルアアアアアアッッッ!!」


 血を吐きながら絶叫した狼貌が、得物を遮二無二振り被る。


 ──限界まで股を開きながら、腰を捻って両足を回す。


 下半身に遅れて振り向きざま、利き腕を横に一閃。

 切り払い。

 胸に返った紅液が襟から忍び込み、乳房の間を熱く伝った。

 脛を断たれて重心を支えられなくなり、巨体が覆い被さってくる。

 それでも彼奴は私を見下ろし、重刃を振り落とさんと剣先を掲げ続けた。


 ──左手を地に着いて、前転。


 開いた両脚が相手の肩に乗る。

 腿裏と腹の筋肉で、無理やり双肩に乗り上げる。

 コボルドが至近で黄色い目を瞠った。

 その後頭部を、柄頭で殴りつける。

 打点に体重を乗せ、腰を前進させる。

 狼貌の上を股が越えた。

 背を丸める。

 愛刀の切っ先を獣毛に埋めながら、傾いでいく背中をでんぐり返し。

 しゃがみ込んで着地する。

 後ろで頚椎を割られたコボルドが、鬣のように鮮血を靡かせて崩れ落ちた。

 背に降り注いで衣を濡らす鉄香に、息を止めながらもすっくと立つ。


 目の前では、三度に渡って串刺しにされた狼人が、手から長槍を取り落とすところだった。

 背から胸へと突き抜けた大剣の主は、灰の巨体に阻まれて窺えない。

 右腿を貫いたテルは、細剣を滴る赤黒い色を見つめたまま、目元を強張らせている。

 左のわき腹に双刃を埋め込んだ少年が、血に染まった頬を歪めて舌打ちした。


「引き付けろと言ったんだ。仕留めろなんて言ってない」


 気まずくて、顔を逸らす。


「遅かったから」


 笑い声が響いて、コボルドから生えた巨刃が引っ込んだ。


「ほんの三秒しか経ってねぇよ、敵わねぇな」


 釣られるように二人も得物を鞘に戻し、屹立していた影がゆっくり前に倒れ伏す。

 その向こうでは、ブリードがしてやったりと得意げに口を緩めていた。


「ほらな。うちの参謀は優秀だろ」

「当然だ」


 満更でもない様子で前髪を掻き上げるセルスを脇に、遺骸の傍へと屈み込んだ。

 二体共仰向けに転がし、長く発達した右の犬歯をくり抜いていく。


「ちょっと、女子に任せる気?」


 頬を膨らませるテルに、岩陰から現れたヘルキオが並んだ。


「チッ、下手くそが。貸せ」


 そう言って私から短刀を奪い取ると、慣れた手付きですぐに二つの牙を抉り出してしまった。


「こいつ料理するんだ。見えないだろ?」

「黙れ」


 語気を荒げつつ、腰帯に下がった巾着に納める彼。

 意外に思ってぱちくりと瞬いた私に、悪戯が上手くいったという風に、ブリードが鼻下を指で擦った。


 岩に置き放していた得物を取り、血を払う。

 黄ばんだ石地に、朱い斑が三日月を描いた。

 鞘を握り、切っ先を当てる。


 鯉口に納まるまで、日を浴びた剣身は、橙の光を湛えていた。






 グロッセルで、石造りの建物を見掛ける事はまずない。

 土壁も張らず、屋根も染めないから、街並みが深い茶色に浸っている。


「この酒場も、どこもかしこも、使ってる材木は全部、北のヨフート森林で伐採してる。住民が東の森に立ち入らなくなって、もう五十年は経つな」


 緑の髪を短く刈り込んだ男は、椅子を後ろに傾けながら、組んだ脚を机に乗せたまま、そう言って酒杯を呷った。


「あんた冒険者だろ?ナイリールで狩りはしないのか」

「抜かせ。俺ぁ猟師だが、開拓なんて馬鹿はせん。山脈の麓まで行けば、鹿やら兎やらがたんまり獲れる。わざわざ魔物の縄張りに寄り付く訳ねぇだろ」


 名も知らぬ酔漢の言葉に、背凭れに肘を置いたブリードがぼんやり鼻を鳴らす。

 グロッセルの街周辺の地形は、北にヨフート森林、東にナイリール森林、南にオズトア河川、西にムートリクノ連峰となっている。

 森は二つとも比較的近く、ナイリールは徒歩二時間、ヨフートは四半日程の距離にあった。

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― 新着の感想 ―
作者樣 第二幕の戦闘シーンも、第一幕から引き続き非常に緻密に描写されていて、本当に素晴らしいと思いました! ただ、その細やかさゆえに、読者としては動きの臨場感を強く感じる一方で、キャラクターの内面…
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